第19話 卒業旅行 act 11 ~宴会~

 間宮の実家の前に3台のタクシーが止まる。

「ほな、いこか!」とギリギリまで書斎にいた雅紀が上機嫌でタクシーに乗り込むと、間宮達もそれぞれのタクシーに乗り込んだ。


「新世界までやってくれや」

「畏まりました」


 新世界。食い倒れ道頓堀と肩を並べる大阪の名物スポットである。

 雅紀達が若い頃は良くも悪くも下町のガヤついた区域であったが、近年の情緒に倣い新世界も昔の名残を残しつつも大きく生まれ変わった。


「こっからは歩きや」


 タクシーから降りた雅紀は鼻歌なんて歌いながら、メイン通りを少し進んだ先にある路地裏の道を迷いなく歩いていく。


「ね、ねえ。間宮さん……なんか薄暗い道だけど、ここで合ってんの?」


 メジャーな表通りから外れた途端、加藤が不安気な顔を向けた。


「あぁ、合ってるよ。加藤が不安になるのも分かるけど、安心してくれていい」

「そ、そっか」


 一応の理解を見せた加藤は辺りをキョロキョロと見渡しながら、雅紀の後を着いて行く。


「先輩、辰さんのお店って何屋さんなの?」

「ん? あぁ、串カツ屋だよ」

「そうそう! 雑誌とかネットで名前が滅多に出ない店なんやけど、メッチャ美味いんやで!」


 辰の店の説明をすると、康介が絶賛の評価を下す。


「へぇ、串カツ屋さんなんだ。確かに串カツって大阪のイメージあるもんね」

「そうだな。親父にしてはいいチョイスだとは思うんだけど……辰さんの店ってのがなぁ」

「ん? 何か問題でもあるの?」

「辰さんの串は行列が出来る店より美味いんやけど、店がメッチャ古くてボロボロやねん」


 雅紀が予約している辰という人物が切り盛りしている店は、主人が二代通して営業しているにも関わらず、オープンしてから一度も改装した事がない。

 確かにそんな店に若い高校生達を連れて行くのはどうなんだろうと、気が引けてしまうのは仕方がないだろう。それは康介も同じ意見であったが、そのボロさも歴史だと思えば味があるとも言えると辰の店をフォローする。


「着いたで! ここや!」


 目的の店の前に到着した雅紀の頭の上に『なにわやん』と年季の入った看板があった。


「た、確かに歴史がある店だな」


 松崎が少し引きつった顔で看板を見上げていると、雅紀が店の引き戸をガラガラと開けた。店内から暖房の暖かい風にのって、油の焦げた香ばしい匂いが間宮達の鼻孔をくすぐり、全員の食欲を刺激した。


「おぅ、辰! 邪魔するでぇ!」

「邪魔すんなら帰ってー!」

「おーう! ってなんでやねん!」


 もうコッテコテである。コッテコテ過ぎて家族である間宮と康介が恥ずかしそうに俯くなか、雅紀と店主のやり取りがあまりに自然過ぎて、加藤だけは腹を抱えて爆笑した。


「きゃははっ! わ、私、今日一で大阪に来たって気になったよ!」

「おっ! 中々笑いのセンスええやんけ、お嬢ちゃん!」


 加藤の反応が嬉しかったのか、店の中にいる辰がニカっと白い歯を見せてサムズアップする。


「待ってたでぇ!  嬢ちゃん達!」


 厨房からガタイの良い雅紀と同世代の男が現れて、東京から来た瑞樹達を歓迎した。


「お邪魔します……」


 ケタケタ笑いながら店にはいる加藤と違い、大阪のノリに若干引きつった顔をした瑞樹が入り、続いて松崎達が入った後、最後に間宮が店に入った。


「辰さん、お久しぶりです」

「え? もしかして良介か!? なんや、久しぶりやんけぇ! 前に来たのって高校生やなかったか?」

「ですね」

「おい! 雅やん! 良介が来るんなら前もって教えとかんかいな! てっきり康介のツレ連れてくると思ってたで! それやったらスペシャルな串準備しといたのにぃ!」

「ええねん! ええねん! いつも通りが懐かしい味っちゅうもんやろ。ほな、座敷使わせてもらうでぇ」


 手を小さく振って、雅紀はそのまま奥の座敷席に向かった。


「久しぶりの辰さんの串楽しみにしてます」

「おう! まかせとかんかい! ごっつ美味い串揚げるからなぁ!」


 雅紀の後に軽く挨拶を済ませた間宮が続き、松崎や瑞樹達が店内を物珍しそうにキョロキョロと見渡しながら、続いて座敷に着いた。

 壁に張り出しているメニュー表や壁そのものに、油汚れが染み込んでいる。その汚れが不思議と不衛生に感じずに、この汚れが長い間ここに店を構え続けている歴史のように感じた松崎達だった。


「いらっしゃい! 雅やん!」


 全員が座敷席に着くと、アルバイトの店員がおしぼりを配りながら雅紀に声をかける。


「おう! 留美ちゃん! 今日はぎょうさん連れて来たから、忙しいやろうけど頼むでぇ」

「まかしとって! んじゃ早速やけど、飲み物はどうする?」


 雅紀達成人組はとりあえず生ビールを注文して、未成年組は烏龍茶を頼んだ。


「おいおい! 瑞樹ちゃん達、なにウーロンなんて頼んでんねん!」

「あ、あほ! 余計な事言うな、クソ親父!」


 昨日の酒で味を占めた恐れがある未成年組が大人しくソフトドリンクを頼んだというのに、雅紀の一言で『え? いいの?』と言わんばかりに目がキラキラと輝いたのは言うまでもない。


「あ、えっと、私達は一応未成年……ですから」


 瑞樹は『一応』と含みを持たせながらも、ちゃんと真っ当な返事を返すのだが、その目は間宮に何かを訴える力が込められていた。

 すると、注文をとっていたバイトの留美は、慌てて両耳を塞ぎだした。


「……あの、なにしてんの?」


 留美の謎の行動に嫌な予感を感じながらも間宮がそう問うと「ウチは何にも聞いてないから!」とだけ返してくる。

 要するに、未成年と分かっていてアルコールを提供するのはマズいが、知らなければ無問題と言いたいのだろう。

 それ以前に年齢確認をするものだと言いかけた間宮だったが、何だかここで真っ当な事を言うのは空気をシラケさける気がして何も言えなかった。


(……そもそもバッチリ未成年だと聞こえたと思うんだけど……)


 形だけの雑な処理に、ここが新世界だと改めて実感させられた間宮は、ずっと耳を塞いでいる留美に苦笑いした。


 すると耳を塞いでなにも聞いていないと主張する留美が、加藤が持っていたソフトドリンクのメニュー表を裏返して「酎ハイあたりならジュースみたいなもんやで」と種類が豊富な酎ハイの一覧に指さした。


「いやいや! 酎ハイは飲みやすいけど、十分にってか物によってはビールよりアルコール度数が高いやろ!」

「大丈夫や! ウチのはうっすいから」

「おい、留美! なにバラしとんねん!」


 カウンターから鋭いツッコミが飛んでくると、周囲の客達からドッと笑い声があがった。


「オ、オカン! オカンから止めてくれや!」

「ん? 折角の席なんやし、一杯くらいええやんか。アンタこそ空気読みや!」

「えー……」


 最後の頼みの綱と頼った間宮であったが、その涼子にも一蹴されてしまい、もう項垂れるしかなかった。

 最後の砦も崩壊して、加藤の彼氏兼代理保護者でもある松崎に視線を移すと、松崎もまわりの空気に観念したのか黙って首を横に振るだけだった。


 間宮と松崎が観念したと判断した加藤は、2人の気が変わらない内に烏龍茶をキャンセルしてカルピス酎ハイに変更したのを皮切りに、瑞樹達も次々にアルコールに注文を変えてニヤリと間宮と松崎に笑みを浮かべた。


「飲み物はそんな感じで、串はとりあえず辰のおすすめをガンガン揚げたってくれや」

「りょーかい! ちょっと待っててやぁ」


 雅紀がそう注文してくるのを見越していた辰はもうすでに串の調理に取り掛かっていて、全員の飲み物と同時に約20本の串カツの盛り合わせがテーブルに運ばれて来た。


「よしっ! 皆グラスは持ったか!?」


 雅紀が座敷にいる連中にそう声をかえると、グラスを手に持ったメンバーが音頭をとる雅紀に注目した。


「えー、瑞樹ちゃんに加藤ちゃんと神山ちゃんに佐竹君! 志望大学合格おめでとう! お祝いに今日は全部俺の奢りやから腹いっぱい食って飲んでくれ! 乾杯っ!!」

「「「「「「かんぱーーいっ!!」」」」」」


 雅紀の号令にも似た音頭でグラスを突き合わせた後、皆喉をゴクゴクと鳴らして拍手と共に、合格祝い&歓迎会が始まった。


「2度つけ禁止?」


 串カツのソースが入ったアルミ缶の蓋に手書きで『2度つけ禁止』と書かれた文字に、首を傾げる瑞樹。


「あぁ、瑞樹は初めて見るのか。それは他の客もそのまま使うから、1回でたっぷりソースを付けて2度つけは厳禁なんだよ。まぁ衛生上にな」

「へぇ、串カツって初めて食べるけど、確かにそうしないと不衛生だもんね」


 瑞樹は大阪独特のルールに驚きながらも、手に取った串をアルミ缶に投入してソースをたっぷりつけた串を口に運ぶと、サクッと揚げたての衣のいい音と共に、自家製ソースと豚肉のうま味が口一杯に広がった。


「んーーーー!! 美味しい! すっごく美味しいよ!」

「めっちゃ美味いやろう! ほい、追加の串やでぇ! じゃんじゃん食べてやぁ!」

 頬に手を添えて幸せそうな笑みで辰の串カツを絶賛している瑞樹の隣に、ヒョイと現れた瑠璃が追加で揚げられた串カツが乗ったプレートをテーブルに置いた。


「おう! めでたい席やし勘定は俺にツケといてええから、辰も留美ちゃんも飲んでくれや!」

「雅やん、おおきに! ほんじゃ遠慮なく!」

「おぉ! 雅やん太っ腹やぁん! かっこええでぇ!」

「あほっ! 俺は元々男前やんけぇ! わっはっは!」


 言って辰は2人分のビールをジョッキに注ぎ、辰と瑠璃が座敷に姿を現すと、高々とジョッキを持ち上げて瑞樹達受験生組に構える。


「嬢ちゃん達! 合格おめでとう! またおっちゃんの所にも遊びに来てやぁ!」

「おっめでとう! キャンパスライフってやつを滅茶苦茶楽しんでやぁ!」


 辰と留美が瑞樹達に祝いの言葉を送ると、他の事情を知らない客達からも「おめでとう!」と声があがった。


「「「「ありがとうございます!」」」」


 大阪ならではのノリに最初は戸惑いを見せた瑞樹達だったが、この温かくて人情味に溢れる雰囲気と、美味しい串カツを心の底から楽しんで終始笑い声の絶えない祝いの席になった。

 宴会中、瑞樹達の前に置かれていたグラスの中身が何度も色が変わった気がした間宮と松崎であったが、こうなってしまったら武無粋かと苦笑いを浮かべ合うのだった。


 全員酒が入ったせいか、宴会の席は想像以上の盛り上がりを見せる中、勢いそのままに「このままカラオケ行こうや!」と雅紀が席を立った。

 もう瑞樹達のテンションも最高潮といった感じで、雅紀の提案に「おーー!!」と手を突き上げて席を立つ。


 笑い声と共に辰の店をでた雅紀一行は、そのままメイン通りにあるカラオケボックスに意気揚々と向う。



 人数がゆったり座れるパーティールームを陣取り、早速雅紀が先陣を切って熱唱する。決して上手くはない歌であったが、上機嫌で歌う雅紀の姿に、アルコールであがったボルテージのギアが更にあがる。


 二番手に名乗りを上げたのが、高校生組のトップバッターとして加藤が名乗りを上げた。

 加藤の歌声はいつもの元気な加藤を表しているような声で、聴いてる者は無意識にリズムをとっていた。

 次に涼子、松崎、神山、康介、佐竹の順でマイクが周り、残りは瑞樹と間宮だけになった。


 引っ込み思案な瑞樹には珍しく、周りに催促される事なく回されたマイクを手に持って席を立つ。


「雅紀さん、涼子さん、康介さん。今日は見ず知らずの私達の為に、本当にありがとうございます。おかげで最高に楽しい思い出が作れています。ホントに、ホントにありがとうございます!」


 マイクをギュッと握った瑞樹がスピーカーを通した声で、雅紀達に感謝の気持ちを伝えると、まるで事前に打ち合わせていたかのように加藤達も一斉に席を立ち「ありがとうございます!」と感謝の言葉と共にお辞儀する。


 その時、瑞樹が選曲した曲の前奏が流れた時、加藤と間宮が瑞樹を目を見開きながら見上げた。

 何故なら、瑞樹が選んだ曲が中々CDが売れないこの時代において、発売して僅か数日でミリオン達成という偉業を成し遂げた神楽優希の最新曲だったからだ。


 事情を知っている加藤と、当事者である間宮が驚くのは無理もなかった。

 だが、間宮と加藤も知らない事がある。

 それは、瑞樹は優希に対して強い憧れを抱いている事。


『私達はライバルだけど、それは恋愛事情のであって、その他を争う必要なんてないんだから』


 そして優希のこの言葉に、瑞樹も共感したからだ。

 今の瑞樹は神楽優希の一ファンで、シンプルにこの曲が好きなのだ。


 前奏が終わりメロディーに瑞樹の声が乗った時、神楽優希の曲を喜んでいた神山や雅紀達、そして動揺していた間宮と加藤の意識までも独占する事になる。

 瑞樹の喉から発せられる歌声が、作曲者の神楽優希とはまた違った力強さと、まるで聴いている者を優しく包み込む声に、この場にいる全員を聞き惚れさせた。


『天は二物を与えず』ということわざがあるが、瑞樹にはそれが当てはまらないのだと感じずにはいられなかった。


 絶世の美貌、努力で得た優秀な学力、それに加えてこの歌声だ。

 もしかしたら他にもなにかあるのかもしれないが、この時点で十分に規格外という言葉が浮かぶ程のパフォーマンスを発揮したのだ。


 最後に間宮がマイクを受け取り、静かに声を紡ぐ。


(あ、この曲って)


 瑞樹は間宮が歌っている曲に聞き覚えがあった。

 加藤達は聞き覚えの無い洋楽に、画面に映し出されている英語の歌詞を目で追っていたが、瑞樹は以前優希の車で聴いた曲で間宮が大好きなアーティストの曲だと知ると、翌日にそのCDを買い漁って優希に宣言した通り、手に入れてからはその曲ばかりを聴いていたのだ。


 間宮の声でこの曲を聴いていると、あの夜のドライブを思い出す。目標にしている大学の受験がまだ残っている状態であったが、この受験が終われば完全に邪魔な障害がなくなる。その事を指折り数えていた瑞樹だったはずなのだが、その未来を手放しで喜んでいるのではなく、少し焦っていた自分に間宮の歌を聴いていて気付く。

 その原因が間宮との距離感だ。具体的に何かが変わったわけではないのだが、この所の間宮を見ているとギュッと胸を締め付けられる不安感があった。

 それに初めて気付いた時は、神楽優希との事だと思っていた瑞樹であったが、バレンタインの夜の事でそうではないと確信した。


 分からない……。分からないから焦っているのだ。


 今でも間宮が隣で歌っているのに、どうしようもない程に遠くに感じている瑞樹。


(絶対になにかある……。だけど、それってなんなの?)

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