第16話 卒業旅行 act 8 ~久しぶりに見る2人~

 翌朝、6時過ぎ。


 神山がセットしていたアラームで目を覚ますと、嫌な予感がすると眉を顰める。その原因は部屋の明るさだ。

 妙に薄暗い部屋に不安が募り、恐る恐る部屋のカーテンを手に掛けると、嫌な音が聞こえた。


「……まさか」


 意を決してカーテンを一気に開いた神山の視界の飛び込んできたものは、かなりの勢いで部屋の窓を叩く大粒の雨だった。

 神山の表情も空模様と同じく曇り、まだ眠っている瑞樹と加藤を起こしにかかる。

 起きた2人も窓の外を見て、神山と同様に表情が曇った。


 隣の部屋に泊まっている間宮達も、窓際から恨めしそうな顔で大粒の雨が落ちて来る空を見上げていた。


「……これは降り過ぎだろ」

「これじゃあ、楽しみにしてた絶叫系が乗れないですね」


 松崎と佐竹はこの雨模様に肩を落とす。


 今日は早々に旅館を出て、そのままUSJに向かい1日遊び倒して間宮の実家に向かう予定だったのだ。


 間宮は僅かな可能性を頼りにスマホを取り出して、実家にいる父親である雅紀に電話をかけた。


『おっす! オラ悟空!』

「……あぁ、親父? おはよ」

『なんやねん! とうとう無視かい! スルーかい!』

「親父もネタないんやったら、普通に電話にでろや」

『何言うとるねん! そんな事したら、大阪人失格やんけ!』

「だからそんな決まりはないからな!」

『んでぇ? どうしたんや? こっちに来るんは夜やったやろ』

「それなんやけどな。そっちも雨降っとるか?」

『雨? 起きた時から土砂降りやで』


 京都と大阪で天気が違う事はよくある。

 間宮はその可能性に期待して実家に連絡をとったのだが、無情にも向こうも大雨だと告げられた。


 間宮が「そうか」と落胆の溜息を漏らしていると、隣の部屋から訪れてた瑞樹達の残念がる声が電話越しに雅紀の耳に入った。


『良介。ちょっと高校生連中に確認とって欲しい事があるんやけどな』

「なんやねん、急に」


 雅紀の確認とは、受験生である高校生達は全員受験は終わっているのかと、高校生達の明後日の予定の有無だった。

 意図が見えない間宮だったが、受験は全員終わっているのは分かっていたので、それぞれ明後日の予定を確認すると全員特に予定がないという事を雅紀に伝えた。


『そうかぁ。なら後はお前と同僚さん次第なんやけどな。お前らもう一日休み延ばせんか?』

「――は?」


 雅紀は大阪にもう一泊してUSJには明日行けばいいと提案した。

 天気予報によると、この雨は夕方には止んで明日は一日天気がいいらしいのだ。

 勿論、寝泊まりは間宮の実家にもう一泊すれば旅費が圧迫する事ない。瑞樹達に予定がないのなら確かにUSJを楽しみにしていた高校生達には最高の提案だろう。

 後は、社会人である間宮と松崎次第という事だ。

 間宮はもう異動の準備はほぼ終えており、正直暇を持て余してる状態だった為、休みをもう一日延ばすのは全く問題はない。


 間宮は雅紀の提案を松崎にこっそり伝えると。一瞬厳しい顔つきになったのだが、ションボリしている加藤の姿をチラリと横目で見て「分かった。なんとかする」とコクリと頷いた。


「なぁ皆! これは親父からの提案なんだけど、明日は天気がいいらしいから、連泊してUSJは明日にしないかって言ってんだけど、どうする?」


 と一応瑞樹達の確認をとった間宮であったが、高校生連中の返事は想像がついている。

 思った通り、旅行の延長に大はしゃぎで喜ぶ瑞樹達に間宮は頬を緩めて雅紀にそれなら慌ててチェックアウトせずに朝風呂に浸かって、ゆっくりと朝食を摂ってのんびり向かうと告げて、電話を切った。


 旅行の延長が決まって、ついさっきまであったお通夜みたいな空気を吹っ飛ばした女性陣が準備してくると女性部屋に戻った。



 丁度朝食の時間が始まった頃で、混む前に食べようとそのまま6人は2階にある食堂に向かった。


 余談だが、実はこの旅館一般部屋の宿泊客は夕食もこの食堂で食べる事になっていた。つまり部屋食で食べる事が出来た間宮達の部屋がそれだけいい部屋だったという事だ。


「うまっ! 夜ごはんも良かったけど、朝ごはんもまたほっこりする味だねぇ」

「ふふ、ホントね。お出汁が凄く美味しいね」

「私、朝はパン党なんだけど、これなら和食でもいけるわ!」


 それぞれ席について準備されていた朝食を前に合掌して、女性陣は早速京都旅館ならではの朝食を堪能している。


「うーん。まさに日本の朝って感じですよねぇ」

「お! まだ18年そこらしか生きてないのに、分かるのか佐竹君」

「わ、分かりますよ! こうなんていうのかな。ホッとするっていうか……ねぇ、間宮さん」

「…………」

「……あの、間宮さん?」


 皆がワイワイと食事を楽しむ中、間宮は味噌汁のお椀を手に持ちジッと味噌が沈下した汁の表面を無言で見つめていた。


「おい、間宮。どうした」

「……え? あ、あぁ、美味いよな」

「お前まだ一口も食ってないんだけど?」

「……すまん」


 その後は間宮も皆と同じように食事を始めたのだが、やはり違和感のようなものが最後まで抜けなかった。


「あ、俺ちょっとロビーで珈琲でも飲んでくるよ」


 食事を終えた頃、皆より先に席を立って食堂を出て行こうとする間宮の肩を、素早く松崎がガッツリと組んだ。


「そんなもん後でいいだろ? ちょっと付き合え」

「いや、俺は……」

「折角、お袋が奮発して露店付きの部屋にしてくれたってのに、俺らまだ入ってねえだろ?」

「――あ」


 昨日遅くに間宮が部屋に戻ってきたのだが、随分と酒を呑んだのか松崎達が話しかけても殆どまともな反応を見せずに、そのまま布団に潜り込んでしまった。

 今朝起きた時はいつも通りの戻ったようだったが、やはり心がこの場にないように見えた松崎は、強引に間宮を部屋に引き連れて行った。


「かぁ! やっぱ贅沢だよなぁ!」


 先陣切って松崎が岩風呂に飛び込み第一声をあげる。


「いや、マジでこれは最高っすね!」


 佐竹も極楽と言わんばかりの顔をこれでもかと見せつける。


「お前も早く入れよ! 間宮」

「……あ、あぁ」


 最後に2人のテンションに着いていけてない間宮がゆっくりと湯船に浸かった。


 風呂は心の洗濯とはよくいったものだ。

 昨晩からごちゃごちゃと考え込み過ぎてすり減った心に、解放感抜群の露天の湯がじわりと染み込んできて、浮かない顔をしていた間宮の口元を緩ませた。


「……あぁ、本当に気持ちいいな」


 少し口角を上げる間宮を見て、松崎が満足そうに露天から見える景色に目をやった。


「これで天気が良ければ言う事なしだったんだけどな」

「まぁ、それは次回って事ですね!」

「ばっか! この部屋ガチ値で泊まったらいくらすんだと思ってんだよ!」

「あはは! 確かに俺には払えそうにないかもですね」


 空を見上げれば、相変わらずの雨模様だった。

 だが、京都には何となく雨も似合う気がして、間宮は満足そうに景色を眺めていた。


「昨日なんかあったんだろ? 俺らに話せない事か?」


 リラックスした顔を見せた間宮だったが、はしゃぐ松崎と佐竹に加わらずに黙っていると、不意に松崎がそう問いかける。


「うん。今はちょっと難しい……かな」

「――そっか。なら訊かねえよ」

「変な空気作っちまって、悪かったな」


 無理に訊き出そうとしない所が、松崎の長所の1つである。

 普段はお調子者のイメージがある松崎であったが、本当は誰よりも周囲に細心の注意を払っている男なのだ。


「気にすんな! って言いたい所だけど……な」

「分かってる。露天風呂のおかげで落ち着いたから、もう大丈夫だ」

「そっか――ならよかったよ」


 佐竹にだって松崎が何故、間宮を朝風呂に誘ったのかは分かっていた。

 だが、その核心をついた話をしているわけでもないのに、何故か解決する方向に話が進んだのを見て、2人の姿に不意に「カッコいいっすね」と言葉が漏れた。


「は? 何言ってんだ?」

「あ、いえ、はは! 何か事細かく話さなくても分かり合ってるって感じの2人を見てたら、そう思っちゃって」

「ふふん! 間宮はともかく俺は普通にカッコいいからなぁ!」


 的外れな事を得意気に言う松崎に、「あほか」と呆れ顔の間宮。

 長い時間を共有してお互いがお互いの事を理解している間柄だからこそ、言葉にしなくても分かり合える。

 佐竹がそんな2人の関係を『かっこいい』と形容するのは自然な事だろう。何故なら、佐竹にはそんな友人をこれまで得た事がないのだから。


 だから、佐竹はちょっと松崎の真似をする事にした。

 本当は昨日の夜、間宮と瑞樹になにがあったのか気になっていたのだが、ここは敢えて何も聞くまいと決め込んだのだ。


 露天風呂を出た3人は少し長湯になってのぼせ気味になってしまった為、パンツだけ履いて部屋で火照った体を冷ましていると、そこにノックも鳴らずにいきなりドアが勢いよく開け放たれた。


「よーし! 準備も終わったし、ちょっと早いけどチェックアウ……ト」


 勢いよく開け放たれたドアからすっかり身支度を終えた女性陣が、加藤を先頭に部屋に入ってきた。


 そこで女性陣が目にしたものは、パンツ一丁で寛ぐ男3人組の姿だった。


「ち、ちょ! う、うきゃあぁぁぁぁぁ!」

「にゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

「うわあぁぁぁぁぁぁ!」

「…………」

「…………」

「…………」


 加藤と神山が男の半裸に悲鳴をあげると、佐竹が無駄だと分かっていても無意識に可能な限り体を両腕で隠しながら、野太い悲鳴をあげた。

 だが、ギャーギャーと騒ぐ3人を余所に、間宮と松崎、それに瑞樹は冷静な態度で騒ぐ加藤達を眺めていた。


「ギャーギャー煩いな! 男の体なんて隠す必要ないだろが」


 松崎も間宮と同じ価値観をもっており、見られたくない下半身の大事な部分が隠れているのであれば、他は隠す必要性を感じていなかった。勿論、それは気心が知れた仲間だからであって、見知らぬ他人でないという条件つきであったが。

 そして、最も意外だったのが騒ぐ女性陣の中で、瑞樹だけが冷静だった事だ。


 一番耐性のないイメージのある瑞樹の事だから、一番騒ぐどころか一目散に部屋から逃げ出すまで想像するのは安易であったが、こうして冷静に立っている彼女を予想できた者がいただろうか。


 そして瑞樹が冷静だった訳をその直後の加藤の一言から知る事になる。


「な、なんで志乃ってば、そんなに冷静なん!?」

「ん? 知らない人じゃないし、それに裸って言っても下はちゃんと履いてるんだから、水着と変わんなくない?」


 そこまで言った時、同じく冷静だった間宮の顔が瞬時に強張った。まるで瑞樹がこの後、なんて言うかのか分かったかのように。


「ちょっと前だったら私も愛菜と一緒に騒いでたと思うんだけど……」


(――ヤバい!)


 何かに気付いた間宮が瑞樹の元に駆け寄ろうとしたのと同時に、瑞樹の話は続く。


「前に茜さんに身包み剥がされて、お尻丸出しのまみ――ムグッ!?」


 血相を変えて瑞樹の口を塞いだ間宮であったが、殆ど手遅れだった。

 そうなのだ。瑞樹はクリスマスライブの夜、風邪で寝込んでいた間宮を着替えさせようと、茜が無理矢理服を脱がせようとして、尻を丸出しにされた現場を目撃したのだ。

 その引き締まった間宮の尻をまともに見てしまった瑞樹にとって、この光景はインパクトに欠けていて平然としていられたのだ。

 あの時と違い半裸の松崎と佐竹がいるのだが、瑞樹の視界を支配しているのは間宮ばかりだった為、大して気にならなかったようだ。


「みーずーきー! 一体君は何を言おうとしたのかなぁ!?」


 瑞樹の背後から口を塞いだ間宮の地獄の底から湧いて来るような、低い、物凄く低い声が瑞樹の耳元に直接響いてきた。


「んー! んー! んー!」


 何かを抗議をしてる瑞樹に対して、間宮はあの時の事を思い出したのか、顔を真っ赤にしてなおも口を塞ぎ続ける。


 そんな2人をポカンと眺めている松崎達の目が、やがて細いものに変わっていく。

 今朝のやり取りの中で皆気が付いていた。

 いつものように振舞っている間宮と瑞樹だったが、お互い1度も目を合わせる事がなかったという事を。

 加藤と神山は夜に事情を訊いていたが、松崎と佐竹は知らない。

 それでもこうしてじゃれ合う2人を見ると、この仲間達特有の明るい空気が戻ったようで安心出来た。


「……んだよ」


 松崎達の視線に気付いた間宮が拗ねたように唇を尖らせる。


「べっつにー!」


 ニヤニヤと笑みを向ける松崎に、ムッとした様子の間宮。


「ていうか、アンタ達! 早く服着てよ!」

「「あっ」」


 間宮と瑞樹の空気にほっこりさせられた松崎と佐竹が未だに半裸の状態だった事に気付き、そそくさと服を着始めた。


「ていうか、半裸の男に後ろから羽交い絞めされる親友を見せられてる私達は、どうしたらいいん!?」

「あっ」

「ムグッ!?」


 言われて初めて気付く。

 確かに半裸の間宮に冷静だった瑞樹でも、さすがに直接肌を押し付けられる状況には冷静でいられるはずもなく、引き締まった体の感触を実感した途端、顔が沸騰したように茹で上がり、必死に間宮の腕から逃げ出した。


 両手で自分の体を抱きしめるように巻き付けてへたり込む瑞樹が訴えるように潤んだ目で見上げる仕草を見せると、まるで間宮が強姦しようとしている男のようになってしまった。


「へ、変態! バカッ!」

「えー……」


 人のケツを見た事を言いふらそうとしていたのを止めただけなのに、何故か自分が悪いみたいになってしまって、納得がいかないと落胆の声を漏らす間宮。


 ぷっ!――あはははははは!


 そんな2人を指を指して大笑いする4人の声に、顔をトマトのように真っ赤にする間宮と瑞樹であった。


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