第17話 卒業旅行 act 9 ~記念のキーホルダー~

 かなり恥ずかしい目にあった間宮と瑞樹だったが、皆の安心したような笑い声に、2人も腹を抱えて笑い合った。


 妙な盛り上がりが一段落して女性陣を一旦部屋に戻すと、男達は急いで身支度を済ませた。揃ってロビーに降りてチェックアウトの手続きを済ませた一行は、旅館の正面口に向かう。


 正面口まで番頭や担当していた仲居が見送りに来てくれて、その真ん中に女将の姿もあった。


「この度はありがとうございました」

「こちらこそ、色々気を使って頂いてありがとうございました。本当にお世話になりました」


 綺麗なお辞儀で挨拶する女将に、代表して間宮が感謝の気持ちを伝えてから車を停めている駐車場に向かう時、特に急ぐ予定はないんだから少し話してこいと、去り際に松崎に耳打ちする。


 その場に松崎と加藤を残して間宮達が車に向かうと、改めて女将は残った2人に上品な笑みを向ける。


「昨日は色々と話せて楽しかったわ」

「こ、こちらこそ、素敵な部屋に美味しいお料理で本当に楽しい時間をありがとうございました」


 加藤は恐縮しながらも1度ちゃんと話をしたせいか、なんとかしっかりとした挨拶が出来てホッと安堵する。


「母さんこそありがとうな。色々と気を遣わせてしまって」

「何言うてんの。当たり前の事やないの」


 一泊5万近くする部屋をタダ同然で用意するのが普通なのかどうかは別として、それだけ仲間達を歓迎してくれた事に松崎は頬を緩ませた。

 個人的にここを定期的に利用していたのは、母である由梨に会う為だった松崎だったが、初めて友人を連れてきたのはあの時からずっと心配かけてきた由梨を安心させたかったからかもしれない。

 東京に住んでいる父親である武と義理の母である純子には心配かけまいと振舞ってきたが、自分を生んでくれた実の母である由梨にだけは、以前から離婚してからの悩みを打ち明けてきた。


 だからこそ、こうして加藤を恋人だと紹介出来た事が、松崎はなにより嬉しかったのだ。


「愛菜さん。今度は是非2人でいらっしゃいね」

「はい! 是非お邪魔させて頂きます。ね、た、貴彦さん」

「え? お、おう。そうだな」


 付き合い始めてからも、加藤はずっと松崎の事を苗字で呼んでいた。昨日由梨と話をした時に名前で呼んではいたが、2人になった途端すぐに苗字呼びに戻したのだ。

 松崎にはそれが寂しく感じていたのだが、何だか自分から呼ばせるのには躊躇していた。


 まだ本格的な春の訪れには早い時期の京都。

 今度ここに来る時は、この旅館に続く並木道に桜が満開に咲き誇っている景色をみせてやりたいと、松崎は加藤が喜ぶ顔を思い浮かべながら2人並んで旅館を後にした。


 まだ雨がシトシトと降る中、荷物を積み込んでいる間宮を遠目に見ながら、松崎は隣で歩いている加藤の手をキュッと握った。

 ピクッと一瞬反応を見せた加藤だったが、抵抗する事なくすぐに松崎の手を握り返す。

 きっと緊張して疲れさせてしまっただろう。そう思うと申し訳ない気持ちになった松崎であったが、改めて隣にいてくれる加藤を誇らしく感じた。


「ねぇ……貴彦さん」

「――え!? い、今、なんて?」

「訊き返さないでよ! 恥ずかしいじゃん!」

「あ、あぁ。ごめん」


 頬を赤らめて口を尖らせる加藤に年甲斐もなくドキドキさせられた事に悔しがる松崎を余所に、手を離して少し前から振り返った加藤がこの雨を吹き飛ばす笑顔を向けて、こう言うのだ。


「今度はこの桜の木が満開になってる時に、ここに連れてきてね!――貴彦さん」


 松崎は忘れないと誓った。

 この満開の笑顔と、愛おしく感じる加藤から紡がれた自分の名前を呼ぶ声を。


 ◆◇


 雨の中旅館を後にした間宮一行は、再び京都駅に戻りそこを拠点として、京都のお土産散策に繰り出す事にした。


 京都駅といっても、ここは複合施設が隣接する駅で大概の物が揃っているという事もあって、皆思い思いに集合時間を決めた後に散っていった。


 女性陣は揃って買い物に向かい、佐竹はボディーガード役として同行。松崎は定期的に訪れている為、特に買うものはないと近くに美味い珈琲ショップがあるから、そこで時間を潰すと離れて行った。

 1人になった間宮は松崎に着いていく事も考えたが、折角来たのだからと1人でぶらぶらと歩き回る事にした。


 間宮は大阪出身でお隣の京都も珍しくもなんともない。

 実際売られている物だって、目新しい物なんてなかった。

 一通り施設を回り終えた間宮も、どこか適当な店で珈琲でも飲もうかと考えていると、通りかかった雑貨を取り扱っているショップの前で、真剣な表情で考え込んでいる瑞樹を見かけた。

 瑞樹の周囲を見渡してみたが、どうやら1人でいるようだった。


 昨晩の事があったが、朝の一騒動のおかげですっかりいつもの瑞樹に戻ってくれた安心感から、間宮は気軽に瑞樹に声をかけた。


「何を真剣に悩んでんだ?」

「ふぇ!? あっ――間宮先輩」


 やはり間宮に声をかけられたのは微妙だったのか、慌てた様子で屈んでいた体をシャキッと起こす瑞樹の手に、何だか見覚えのある物が握られていた。

 間宮は瑞樹のリアクションに苦笑しながらも、何とか話題を繋げようと手に持っている物を指差した。


「あれ? それって」

「……うん。あのキーホルダーに似てるなぁって思って」


 あのキーホルダーとは、中学時代に岸田がお守りのように使っていて、瑞樹にプレゼントされた物だ。


 確かに似ている様な気がするが、だからと言ってわざわざこんな所で買う物でもないと思う間宮の前に、瑞樹は握っていた物をよく見えるように手を開いた。


「……そんなに何個もいらないんじゃないか?」


 元々どこにでもありそうなキーホルダ―を、しかも2個も持っていた事に首を傾げる間宮。


「だ、だから、これは……その」


 歯切れが悪い返答をする瑞樹だったが、何かを決意したのか「よしっ」と声を出して、間宮の目の前に持っていたキーホルダーを突き出した。


「あ、あのね……これ、お揃いで買わない?」


 京都に来た記念みたいな物なら理解できるが、何故こんな物をしかもお揃いで買いたがるのか理解出来ない間宮であったが、これで昨日からの払拭され切っていない空気を消す事が出来るのならと、肩掛けの鞄から財布を取り出した。


「いくらだ?」

「580円だけど、いいよ! これは私が払うから」

「は? なんでだよ。別にこれくらい気にする事ないぞ」


 言って、間宮が瑞樹の持つキーホルダーを手に取って会計に持って行こうと振り向いた際、すばやく間宮からキーホルダーを取り返した瑞樹がそのまま会計を済ませようと歩き出した。


「お、おい!」

「いいの! 私なりに理由があって欲しい物だから、これは私に買わせて」


 真剣な顔でそう言われてしまっては、これ以上何も言えなくなり、大人しく財布を仕舞って会計を済ませる瑞樹を見ている事しか出来なかった。


 会計を済ませた瑞樹はいそいそと店を出てきて、別々に入れられた紙袋の片方を間宮に差し出す。


「はい、今回の旅行の記念って事で受け取って」

「あ、あぁ。ありがとう」


 京都らしさなど微塵もない、何の変哲もないキーホルダーを記念にと言われても、どう反応したらいいか困っている間宮の後方から「おーい! 志乃ー」と加藤が瑞樹を呼ぶ声が聞こえてきた。


「うん! 今行くー」


 言って、瑞樹は残った紙袋を大切そうに鞄に仕舞って「大切にしてくれたら、嬉しいかな」とだけ間宮に言い残して加藤に方へ向かって行った。


 間宮も手渡された紙袋を鞄に仕舞って、楽しそうに買い物を続けている瑞樹達を少しだけ目で追ってから、今度こそ珈琲を飲もうと目に入った珈琲ショップに入ったのだった。


 ◆◇


 予定していた時間に集合して荷物を車に積み込んだ間宮一向は、実家がある大阪に向けて車を走らせた。


 道中悪天候だった為か、少し渋滞に巻き込まれたが、地の利を生かして裏道を抜けて渋滞ポイントを回避し終わった頃には、後部座席組は前日から騒ぎっぱなしだったのか、ぐっすりと寝息を立てていた。起きているのは運転してる間宮と、初日と同じように助手席に座っている瑞樹だけだった。


「ねえ、間宮先輩の実家ってこの辺なの?」

「あぁ、もうすぐ着くよ」

「何だか通り過ぎる家が、全部大きな家ばっかりな気がするんだけど」

「この辺は、そんな家ばかりなんだよ」


 キョロキョロと窓の外を見渡している瑞樹の様子が、まるで初めて電車の乗った子供のようで、思わずクスっと笑みを零す間宮。


「うっし! 着いたぞぉ! お前等起きろよー!」


 爆睡してる松崎達にそう声をかける間宮を余所に、瑞樹はフロントガラスから見える家をポカンと見上げた。


「こ、ここが先輩の実家!?」


 車から降りた瑞樹は改めて間宮の実家を見上げて、驚きの声を漏らす。

 唖然と立ち尽くす瑞樹の前には、和風の佇まいの大きな一軒家だった。いや、これは屋敷と言っても差し支えない立派な建物だったのだ。

 瑞樹は眠そうに車から降りて来た松崎達に目を向けると、彼らも同様にポカンと口をあけて固まっていた。


「おかえり! 良兄!」


 正面の立派な門の奥から少しだけ引き戸の音がカラカラと聞こえたかと思うと、門が静かに開いた先から、瑞樹も見知った間宮の弟である康介がひょっこりと顔を出したのだった。

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