第15話 卒業旅行 act 7 ~自信をもって~

「お、おかえり! 志乃」

「だ、大丈夫……だった?」


 加藤と神山は慌てて抱きしめていた枕を放り投げて、凍てつく冷気を身に纏った瑞樹に姿勢を正して、一瞬で夢見心地の世界から現実に引き戻された2人は、瑞樹を見上げる。


「……楽しい空気を悪くしちゃって、ごめんね」


 気まずい空気が部屋中に充満する。

 皆が皆想い人が参加しているこの旅行で、天と地、月とすっぽんという言葉が当てはまってしまう程の差が出てしまった。

 元々この旅行前にカップルとして成立した加藤と神山と、思いを抱いているだけの瑞樹とでは、差が生じるのは当然といえば当然なのだろうが、加藤は初めて自分が言い出した事に後悔の念が生まれた。

 だが、それは決して好きな人との事で周りに遠慮しないといけないと言う事ではない。

 間宮と瑞樹の関係がどうなるか分からないまま安易に間宮を誘ったりすれば、こんな事になる可能性だって十分に考えられたはずなのだ。

 瑞樹が友人である加藤や神山の幸せを妬むような、器の小さい人間ではない事は分かっている。

 だから、部屋に入って来た瑞樹のリアクションだって本気で言っているわけではないだろう。

 でも、心の中で寂しいと思う気持ちを表に出さないように我慢しているのは、期間的にはそう長くはないが、濃い時間を共に過ごしてきた加藤と神山には分かるのだ。

 加藤の後悔の原因はまさにそこにある。

 瑞樹に我慢をさせてしまっている事が、最大の失敗なのだ。


 加藤は瞬時に気持ちを切り替えて、まっすぐに瑞樹の目を見る。

 松崎には何もするなと言われていた加藤だったが、話を聞いたり相談に乗る事は悪い事ではないはずだと口を開く。


「ねぇ! 今から3人で部屋の露天風呂に入らない?」

「おぉ! そうだった! いいね、入ろう!」


 部屋に露天風呂があるという豪華さを堪能しない手はないと提案する加藤に、神山が瞬時に答える。


「ごめん、私はいいよ。何だか疲れちゃったから先に休んでる」

「駄目! せっかく松崎さんがこんないい部屋を手配してくれたんだから、堪能し尽くさないと勿体ないって!」


 先に休むと布団が敷いてある部屋に向かおうとする瑞樹の手を掴んだ加藤はそう言って、嫌がる瑞樹を強引に室内にある露天風呂に引っ張る。言い出したら聞かない事をよく知っている瑞樹は引きつった顔をしながらも、大人しく加藤と脱衣所に向かった。


「ふぅ……これは贅沢だわ」

「それな! 松崎さんに大感謝だよ!」


 岩で囲まれた湯船に浸かった加藤と神山が至福の声をあげて、改めてこの部屋を用意してくれた松崎に感謝していると、後から瑞樹がオズオズと脱衣所から風呂場へやってきた。


「――志乃の体ってさ。やっぱ綺麗だよね」

「へ!? な、なに? 突然」

「だよねぇ。顔も神っててスタイルもモデル張りに良くてさ! モテる要素しかないって感じだし」


 加藤と神山が小さなタオル1枚で体を隠しながら掛湯を浴びている瑞樹に惚れ惚れする眼差しを向けて感嘆の声をあげると、瑞樹は恥ずかしそうに慌てて湯船に体を浸けた。


「それでいて努力家でさ。性格も思いやりがあって優しいし、勉強だって現役でK大に受かっちゃう程だしね」

「そこまで褒め殺されると、逆に褒めらてる気がしないんだけど……」


 口元までお湯に浸けて、ブクブクと泡を立てながら唇を尖らせる瑞樹。


「本心だよ。だから志乃は志乃らしくでいいんだよ」


 加藤が指す『らしく』というのは、さっきの間宮に対しての態度を指しているのだろう。確かに普段の瑞樹からでは想像も出来ない行動といえた。

 加藤のそんな指摘に、ブクッと泡を止めた瑞樹が顔をお湯から出して、重い口を開く。


「さっき先輩に、私の事どう思ってるのかって訊いちゃったんだ」


 突然の瑞樹からの告白に、驚いた加藤と神山がザバッとお湯を跳ねさせて立ち上がった。


「マ、マジ!?」

「……うん」

「で? 間宮さんはなんて!?」


 お湯をバシャバシャと揺らして更に瑞樹に詰め寄る2人の目が、期待に満ち満ちてキラキラと輝いている。

 そんな期待に満ちた目に苦笑した瑞樹は、返事を暫く待っていたら間宮の顔が辛そうに歪んだのを見て、返事を聞く前に咄嗟に誤魔化して逃げたと話した。


「ばっか! 何でそこまで訊けたのに、逃げちゃうのよ!」


 加藤が手を仰ぐ仕草を見せながら、ザブンとお湯にズッコケるように体を沈めた。


「……だって、いい返事が貰える気がしなかったんだもん」

「そんなの分かんないじゃん!」


 そう言い訳する瑞樹に、今度は神山が溜息交じりにそう言う。


「間宮先輩のあの顔を見れば、分かっちゃうよ」


 そう告げると両膝をギュッと抱きしめて、怯えるように肩を少し震わせる瑞樹の姿に、加藤は目の前に広がる景色に目をやって口を開く。


「志乃が怯えている原因って、神楽優希が関わってるよね」


 加藤の口から優希の名前が出た瞬間、瑞樹は唇とキュッと噛んでゆっくりと首を縦に振った。


「そろそろ私達にも話してくれてもいいんじゃない?」


 加藤がそう告げると、隣にいる神山はこれでもかと目を大きく見開いて口を鯉のように、パクパクと声にならない声を漏らそうとしていた。


「……優希さんは、間宮先輩の亡くなった婚約者の妹で、私と同じように先輩の事が好きな人なんだ」

「――神楽優希が間宮さんを!?」


 瑞樹が間宮と優希の関係を話すと、鯉のように口をパクパクしていた神山が目の色を変えて湯船から立ち上がり、これ以上ない程の驚きの声をあげた。


 ネットに流出した画像や優希のライブでのMCで2人の関係に気付いたのは加藤だけではない。その場には神山もいたのだから。

 だが、神楽優希の大ファンである神山には、この案件には半信半疑であった。

 一般人である間宮とカリスマロックシンガーの神楽優希がなんて、常識的に考えればそうなるのも無理はない。


 しかし、こうして間宮と優希の関係に深く関わっているであろう瑞樹の口からその事実を聞かされては、さすがの神山も信じる以外の選択肢が残されていなかった。


 それから間宮と優希の関係を瑞樹が知っている限りの事を、話して聞かせた。

 話をすればするほど神山の驚きようは凄まじく、ここが部屋にある露天風呂ではなく、一般の風呂場なら出禁を喰らってしまう程だったが、加藤はそんな神山と対照的に最後まで静かに瑞樹の話に耳を傾けていた。


「なるほど――やっぱりライバルは神楽優希だったか……」

「……うん」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 神楽優希と2人でドライブして、おまけに2人でお茶したの!? チート美人ってもはや何でもありなん!?」

「あーっ! もう! 結衣うっさい! 今はそんな事どうでもいいじゃん!」

「いやいや! どうでもよくないでしょうが! サラッと話してるけど物凄い事件じゃんか!」

「……事件て。ホントに黙ってな! 黙れないならもう寝な!」


 加藤が珍しく声を荒げて1人騒いでいる神山に釘をさすと、「おうぅ」とションボリと神山は静かにお湯に浸かった。

 静かになった神山を確認した加藤は、お湯の表面をジッと見つめている瑞樹の肩にそっと手を添える。


「それでも、自信もっていいと思う」

「……なんで? 相手はカリスマアーティストなんだよ?」

「肩書なんて、こと恋愛になったら関係ないでしょ」

「……でも」

「ライブの時に神楽優希も言ってたじゃん。ステージを降りたら私達と同じ普通の女だって――それに」

「……それに?」

「心に迷いがあるから、付き合いだしたばかりの神楽優希と別れたんだしさ」

「それは違うって! 本当の優希さんを見たいから、一旦距離を置いたって話したでしょ」

「その話――本当にそれだけだと思ってんの?」

「……それだけって?」


 こうも鈍感な美少女が存在していいのかと、加藤は呆れて溜息がもれた。


「いい、志乃。これは私の考えではあるけど、確信してるから話すよ」

「う、うん」

「間宮さんも志乃の事が好きなんだよ。確かに別れた原因は嘘じゃないんだろうけど、絶対にそれだけじゃない!」

「ま、まま、間宮しぇんぱいが……わ、私の事を……しゅ、しゅき!?」

「多分、神楽優希と付き合う事になって、初めてその気持ちを自覚したんだと思う」


噛みまくる瑞樹をスルーして、加藤は淡々と話す。


 瑞樹にとって間違いなくいい流れがきているのは確かだ。

 でも、その事を瑞樹本人が自覚しないと、掴めるはずのチャンスを台無しにしかねない。

 松崎に余計な事はするなと忠告されていた加藤であったが、瑞樹と間宮の現状を知った以上、首を突っ込まずにはいられなかった。


(これが私だ。親友を助けられる事があったら、手を差し伸べたいと思うのは、絶対に間違っていると思わない!)


 加藤は松崎の忠告を心で否定してから、もう1度瑞樹に告げる。


「志乃――もっと自信をもって!」

「――うん。ありがとう、愛菜」


 ◇◆


「帰ってこないですね。間宮さん」

「だなぁ。瑞樹ちゃんは部屋に戻ってきたっぽいんだけどなぁ」


 松崎と佐竹は2人でババ抜きという、絶対に面白くないゲームをしながら、間宮の帰りを待っていた。


「……あの、間宮さんと神楽優希ってどんな関係なんですか?」

「ノーコメントだ。君はそんな事気にしないで、彼女の事だけ考えてたらいいんだよ」

「はぁ……すみません」


(ったく! 高校生に心配かけてんじゃねえよ! あの馬鹿が!)


 松崎が帰らぬ間宮に心の中で罵倒している時、間宮はロビー脇にあるソファーに体を預けて1人で缶ビールを飲んでいた。

 正直、瑞樹にあんな顔をさせた後に、ヘラヘラと部屋に戻る気がせずに、気が付けば足元に空いた缶が3本になっていた。


 4本目の缶を開けた時、頭の中に優香の姿が過った。


(――俺は……まだ駄目なのかな。優香)



――あとがき


この第15話で(登場人物紹介は別)200話到達しました!


だからといって特段変わった事をするでなく、いつも通りに続きを更新しているだけなんですがw


流石に300話になる事はありませんが、まだまだ続く最終章を最後まで楽しんでくれたら嬉しいです。


それでは、最終話のあとがきでお会いしましょう!

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