第12話 卒業旅行 act 4 ~神山の望みと佐竹の意地~

「悪い! ちょっと抜ける!」


 瑞樹が部屋を出て行ってしまった。

 立ち上がった時、加藤達が呼ぼ止めようとしたのだが、瑞樹の険しい表情に言葉が喉に詰まってしまう。

 それは間宮も同様で、立ち去る瑞樹の背中を眺める事しか出来なかったのだ。

 部屋のドアが閉まる音で初めて我に返った間宮は、軽く溜息をついて瑞樹の後を追う。


「あの2人……どうなっちゃうのかな」


 瑞樹達が出て行ったドアを見つめながら、加藤が不安気にそう呟く。


「さぁな。これは2人の問題だから……な」


 飲みかけのビールを飲み干して、冷静な口調と裏腹にテーブルにグラスを置く音が荒くなる。


「えっと、ごめん。状況が全く飲み込めてないんだけど……」


 事情を知らされていない神山には、察しろというのは無理な話だった。

 それでは何故神山には詳しい事情を話さなかったのかという事だが、端的に言うと神山が信者といって差支えが無い程の神楽優希の大ファンだからである。

 間宮に神楽優希の影がある。

 それはあの画像の相手が間宮だと気が付いた時から考えていた事だ。勿論、あの場に神山もいたのだから画像の事は知っている。

 だが、あの時は神楽優希の言うように元婚約者の妹だというだけの認識で、羨ましがってはいたが親友の恋の障害とは考えていなかったのだ。


 だが個人的にあの画像の事を瑞樹と話した加藤にとっては、それだけの関係だとは思えなかった。この疑惑を神山に話せば憧れと親友の板挟みになるかもと危惧したからだ。純粋に神楽優希のファンを楽しんで欲しかった。これが神山に間宮と神楽優希の疑惑を話さなかった理由だ。


 また、状況的に言えば加藤も似たような立場にいる。

 確かに神楽優希と間宮の間に元身内という事の他に、何らかの関わりがあるのは以前から考えていた。そんな加藤でさえも、さっきの瑞樹の質問した事に驚きを隠せなかった。

 瑞樹のあの聞き方だと、まるで間宮と優希が付き合っているかもしれないと捉える事が出来てしまうからだ。


(……でも、本当にライバルが神楽優希だっていうの?)


「ごめん……。私もよく分からなくなってて」


 加藤が困惑した表情で状況の説明を避けると、神山が一番疑問に思った事を話す。


「志乃が神楽優希を気にするって、絶対に変じゃない!」


 瑞樹の辛そうな顔を見た神山が真相を知ろうと加藤にそう問うと、2人のやり取りを黙って見ていた松崎が口を挟む。


「そんな事よりさ。神山ちゃん達は先に解決しないといけない事があるでしょ?」


 松崎がそう口を挟むと、神山と佐竹の動きが止まる。

 松崎が指摘したのは、京都の駅ビルでの出来事の件だ。

 あれから6人はいつも通りに過ごしているように見えたが、実際は神山はずっと佐竹とまともに口をきいていないのだ。


 松崎の言葉に2人が目を合わせたが、すぐに気不味そうに目を逸らした。


「……ごめん。お酒のせいで気分が悪くなってきたから、先に部屋に戻るね」


 少しの沈黙の後。神山がそう言い残して間宮達の男部屋から出て行く。

 話の流れで、皆神山が嘘をついている事には気付いていたが、誰も神山を引き留める事はしなかった。


「なにやってんだ? 早く追いかけろ」


 ついさっきの間宮のように、立ち去る神山を見送る事しか出来なかった佐竹に、松崎が溜息交じりにそう促す。


「……でも、約束を破ったのは俺の方だから」

「いいからさっさと行ってこい! お前にも言い分があるんだろ!? 折角の旅行を最後までこの空気で過ごしたいのかよ!」

「は、はい! い、いってきます!」


 ウジウジしている佐竹に痺れを切らせた松崎の荒げた声と共に、佐竹は逃げるように立ち去った神山の後を追った。


 ◇◆


「結衣! ちょっと待ってくれ」


 瑞樹達の女部屋に戻ろうとしていた神山が部屋のドアを開けようとした時、佐竹の声に呼び止められる。



「…………」

「少しでいいから、話せないかな」


 約束を破ってしまった負い目のある佐竹だったが、それでも自分にも言い分はあるのだと、神山に時間をくれと要求した。


 表情が冴えない神山だったが、それでも佐竹の真剣な目をまっすぐに見つめる。


「……分かった。はいって」


 コクリと佐竹の要求を了承した神山が、そのまま部屋の中に入っていく。

 だが、和室の襖を開けると、神山の足が止まった。


「どうしたの?」


 立ち止まった神山にそう声をかけて、佐竹は神山の肩越しに和室を覗き込むと、すでに仲居が人数分の布団を敷いた後だったようで、照明も暗く落とされていた。


「ち、違うんだよ! わ、私はそんなつもりで部屋に誘ったんじゃないから!」


 神山の慌てぶりに何が言いたいのか察した佐竹は、頭をガシガシと掻いて顔を真っ赤にした神山を落ち着かせようと口を開いた。


「分かってるよ。でも、ここだと色々とマズイから場所変えようか」

「う、うん。そうだ……ね」


 顔を赤らめた2人は、ロビーの奥にある待合に使われいる場所まで移動した。

 もう時間が遅いからか、ロビーには受付スタッフが1人いるだけで、他に人影がなかった。

 待合場所には何脚がソファーが置かれていて、2人は自販機で飲み物を買ってソファーに腰を下ろした。


「なにしてるの?」

「ん? 志乃と愛菜に外で少し佐竹君と話してくるって連絡しておこうと思って」

「……そっか」


 神山がスマホの操作を終えると、2人の間に沈黙が生まれた。


 夜遅い時間の旅館のロビーというのは、独特の雰囲気がある。

 神山はこの雰囲気で子供の頃に家族旅行に行った事を思い出した。親の目を盗んで探検しようと旅館内を歩き回って、こんな雰囲気のロビー前に辿り着いた時、あまりの静けさとこの空気感に不安を覚えて泣きだした事がある。

 その時から、今でもこの雰囲気が苦手になっていた神山だったのだが、今は不思議と落ち着いている自分に気付く。

 隣に視線を向けると、買ってきた缶珈琲を掌で転がしてションボリしている佐竹が目に入った。


(――そっか。この人が隣にいるからか)


 隣にいる佐竹は知り合った頃と同じように、背を丸めている。

 稽古をつけるようになって、日増しに自信を持つにつれ胸を張るようになり、姿勢の悪さが改善されたというのに、まるであの頃に戻ったようで可笑しくなったのと同時に、神山はこうも思った。さ


 好きな人を信じられなくて、何が彼女なんだと。


 そう考えると、稽古を始めた頃からあった肩の力が抜けていく。


「昼間はその……ごめんね。少し言い過ぎた」


 神山の気持ちが素直に口から零れていく。



「い、いや……約束を破った俺が悪いんだ。ごめん」

「ううん。強くなった自分に過信して、トラブルに巻き込まれて危ない目にあうんじゃないかって、心配だっただけなんだ」


 佐竹が改めて謝る言葉にチクリと痛みを感じた神山は、約束した本当の理由を話した。

 人格が変わると言った神山だったが、本当は佐竹がそんな風に変わってしまうなんて、まったく疑っていなかった。ただ、優しい佐竹の事だから無茶をするのではないかと危惧していたのだ。

 そうなれば最悪の場合、大怪我をする可能性だってある。だから少し臆病な佐竹の方が安心できたのだ。

 それが、神山が佐竹に変わるなと言った理由だった。


「結衣を守る為に怪我するのは男としてってか、彼氏として本望だよ」

「駄目! 絶対に無茶だけはしないって約束して!」


 目を潤ませた神山が佐竹に詰め寄って改めて約束を求めると、その潤んだ目に吸い寄せられるように、佐竹は不安気な顔をしている神山を抱きしめた。


「え? ちょ、佐竹君?」

「心配かけてごめんな。でも、結衣が危ない時に何もしないのは約束出来ない。そんな事したら俺は絶対に自分を許せないから」


 神山を抱きしめる力が強くなる。


「……うん、そうだよね。君も男の子……だもんね」


 神山はそう答えると、佐竹の背中に腕を回してギュッと力を込めた。


 心配する事は変らない。

 だが、やはり女として、好きな男に守られるというのに憧れが事実としてある神山は、これ以上無理に約束させる事を諦めた。

 武道をやっている自分には、一生縁が無い事だと思っていたから。


(この人の前でだけは、私だって女の子でいられる)


 暫く抱きしめ合っていた2人が、どちらかという事なく少し距離をとった。


「あの時ケンカになっちゃったけど、私達を守ってくれてありがとう。嬉しかった」

「――結衣」


 ニッコリと笑顔を作ると、潤んでいた目から静かに涙が頬を伝っていく。

 その涙をそっと親指で拭った佐竹は、そのままゆっくりと神山の顔に近付くと、何かを察した神山が静かに目を閉じる。


 やがて2人の距離がなくなり、静まり返った空間にチュッと静かな音が微かに響いたのだった。

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