第11話 卒業旅行 act 3 ~旅のテンション~
「女将さん。ちょっとええですか?」
「ええ、今行きます」
驚いている間宮達を他所に、番頭に呼ばれた女将が仕事に戻ると告げる。
「それじゃ、貴彦。後で顔を出すからゆっくりしててな」
「無理しなくていいって」
「絶対に行くから待っときや!」
「お、おう」
驚く松崎を可笑しそうに微笑む女将は、上品な足取りで奥へ姿を消した。見送った松崎が、そのままチェックインを済ませて仲居の案内に従って予約していた部屋に向かう。
「うわっ! めっちゃ凄くない!?」
部屋に入るなり、部屋の広さと豪華さに加藤が唸る。
「ホントね! ここから見える景色とか最高なんだけど!」
続いて神山が窓から見える景色に身を乗り出す勢いで、気持ち良さそうに眺める。
「ねぇ! お部屋に露天風呂があるよ!」
「「え!? マジで!?」」
瑞樹が部屋に設置されている露天風呂を発見すると、加藤と神山が感嘆の声をあげた。
(――あれ? なんで?)
「あの……予約をお願いしていた部屋とは違うんじゃないですか?」
人数分のお茶を用意している仲居に、松崎が恐る恐る問いかけた。
案内された部屋は、どう安く見積もっても1人4万円は下らない部屋だ。
確かに見栄を張って少し値が貼る部屋を頼んだ松崎だったが、それでも2万前後の部屋だったはずなのだ。
「いえ、確かにこの部屋だと伺っておりますよ。女将から直接仰せつかっておりますので、間違いございません。それでは何かあればお申し付け下さい。失礼致します」
お茶の用意を終えた仲居は、丁寧にお辞儀をして部屋を出て行った。
(そうか……母さんの仕業か)
余計な気を使ってと呆れた松崎であったが、体全体を使って喜びを爆発させている加藤の姿を見て、彼女が喜んでくれるのならと、母の粋な計らいを素直に受ける事にした。
部屋を一通り見回った間宮達は、それぞれの部屋に移って荷物を降ろすと早速浴衣の着替えた。
兎にも角にも長旅の疲れを癒すべく、6人はすぐにこの宿自慢の温泉に向かう。
特に間宮と松崎は東京から京都までずっと運転して、そのまま京都観光で歩き回ったせいで、口には出さなかったが2人共疲労困憊だった。当然温泉に向かう足取りが他の4人より早かったのは言うまでもない。
「くあぁぁ! 生き返るなぁ……」
「そのおっさんみたいな台詞が、一段と似合うようになったんじゃねえか?」
これ以上の幸せがあるだろうかと言いたげな顔で湯に浸かる松崎に、呆れ顔を向ける間宮がツッコみを入れた。
「うるせい! 間宮だって似たようなもんじゃねえか!」
松崎がすぐさま反論した直後「ぐはあぁぁぁぁ……」と隣から本物のご老体の口から出来そうなうめき声に似た声に、2人の動きが止まった。
間宮達が振り向いた先には、顔面の筋肉が緩み切った至福顔をした佐竹がいた。
「さ、佐竹君……。その顔は神山さんに見せない方がいいと思うぞ」
「え?」
「うんうん。百年の恋も冷めるレベルだ」
「ええ!? あの、そんなに酷い顔してました!?」
「おう! 手元にスマホがあれば、画像にして脅せる程にな」
「ひ、酷いっすよ! 松崎さん!」
男湯に明るい笑い声が響く。
楽しそうに笑う松崎と佐竹を見て、間宮は最後になるかもしれないこの時間を楽しもうと湯気で湿った髪を掻き上げるのだった。
◇◆
「おぉ! 凄い解放感だね!」
「この解放感の前だと、タオルなんて布は邪魔だよね!」
言って、加藤と神山が全く躊躇なく豪快に体を隠していたタオルを投げ捨てた。
「いやいや! いくら女同士だからって言っても、少しは恥じらおうよ」
いくら他に入浴している客がいなくて瑞樹達だけだといっても、やはりそこはちゃんとしようと訴えながら、瑞樹は2人が投げ捨てたタオルを回収する。
「あっはは! 志乃にはまだ早かったかぁ」
「早いとか遅いとかの問題じゃないと思うんだけど……」
論点のズレに首を傾げる瑞樹だったが、この季節にいつまでも裸のままでいたら風邪を引くと、加藤と神山の手をとって3人一緒に岩で覆われた露天風呂に足を付けた。
冷えたつま先からジワリと伝わるお湯の温もりを楽しみながら、ゆっくりと全身を温泉に浸かる至福の時。
この時ばかりは、華のJKといえども「はあぁぁ」と思わず声が漏れてしまうのは仕方がない事だ。
「んーー! ホントに気持ちいいね!」
「ホント! ホント!」
少し頬を上気させた加藤達が、本当に気持ち良さそうに笑い合う。
そんな2人を見ていると、これまで色々な事があったけれど頑張ってきて良かったと、瑞樹は心から思った。
「皆でこうして旅行に来れるなんて、合宿の時じゃ考えられなかったよね」
「それな!」
「私ね! 志乃と愛菜に知り合えて、仲良くなれて本当に良かったって思う」
「それは私もだよ。結衣」
「私も志乃と結衣がいたから、受験頑張れたって思ってるよ」
「あのゼミに通ってて、ホントによかった」
さっきまで元気にはしゃいでいた3人は温泉のお湯の中で手を繋ぎあって、少し照れ臭そうに笑みを零した。
◆◇
「凄い豪華!」
温泉からあがった6人は、少し館内を散策しながら部屋に戻ると、男部屋の方に6人分の食事の準備が進められていた。
テキパキと準備される料理を眺めて、加藤が今にもよだれを零しそうな顔で目を輝かせる。
食事の準備を終えた仲居が部屋を出て行ったタイミングで、それぞれの席に腰を下ろして豪華な料理をまずは目で楽しんだ。
よくホームページの画像やガイドブックに掲載されている料理を期待していたのに、実際はその画像と比べて見劣りする料理が出てきたという経験がないだろうか。
そんなあるあるネタと反し、運ばれた料理は寧ろ事前に見た画像よりも豪華な食事が6人の前に並んでいる。
恐らくこれも
「皆、グラス持ったか?」
間宮と松崎が瓶ビールをグラスに注ぎ合い、間宮が周りを見渡してそう告げると「はーい!」と元気な声が返ってきた。
「それじゃ、ここを手配してくれた松崎から乾杯の音頭とってもらおうか」
「お、おう。えっと、瑞樹ちゃん、佐竹君に神山ちゃん――それから愛菜。受験お疲れ様! ここでゆっくりと疲れを癒してくれ。それじゃ、志望大学合格おめでとう! 乾杯!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
松崎の音頭に皆席を立って手に持っているグラスを突き合わせて、瑞樹達未成年組がお茶やジュースを喉を鳴らして飲む姿を見届けた後に、間宮と松崎が豪快にグラスに注がれたビールを一気に飲み干した。
「くぅぅぅ!! 美味い!!」
「温泉あがりのビールはやっぱ極上だな!」
東京からの長距離運転と観光で歩き回った疲れを癒す為に浸かった温泉の後のビールだ。不味いはずがない。
体中の血液の循環がよくなっている体に、ビールのアルコールが染み渡っていく。
至高の時間を味わう間宮と松崎の姿に、瑞樹と加藤が微笑む。
「ビールって、そんなに美味しいんですか?」
今日回った観光スポットの話題で盛り上がりながら食事を進める。旅のテンションからか、いつもよりハイペースで間宮と松崎の間にビールの空き瓶が量産されていく。
最高に癒された温泉に美味い飯、そして仲間達との旅だ。酒が不味いはずがないのだ。
そんな風に飲み交わすビールが注がれているグラスを眺めながら、興味津々といった感じで神山が問う。
「うーん、好き好きだと思うけどね。実際苦みがあるわけだし。まぁ、その苦みがいいんだけどさ」
松崎がそう答えると、神山は更に興味が増したような顔を見せる。
「あの、一口だけ飲んでいいですか?」
もう我慢出来ないといった感じで、ビールを注いだばかりの松崎のグラスを凝視する。
「だーめ! 神山ちゃんは、まだ未成年でしょ!」
正直、今時の高校生で飲んだ事がない方が少ないのかもしれないが、もう卒業を待つだけとはいえ、まだ高校生で未成年なのだ。
松崎も決して真面目に生きてきたわけではないが、引率も兼ねている立場上、そんな神山に酒を呑ませるわけにはいかないのだ。
駄目だと言われて、駄々を込めるかと危惧していた松崎を余所に「はーい」と神山は大人しく諦めて引き下がった。……ように見えた。
楽しい食事の時間だ。
贅沢な御馳走を肴に旅の話で盛り上がっているのだから、問題はない。
だが、間宮は瑞樹達の盛り上がり方が気になっていた。
それにさっきから瑞樹達が飲んでいる飲み物に、違和感がある。
今日の料理は京都料理のフルコースだ。この系統の料理なら酒が飲めない瑞樹達はお茶系統が普通だろう。
だが、瑞樹達が飲んでいるのは、料理に不釣り合いなオレンジジュースなのだ。
(……そもそも料理が運ばれて来た時、あいつらオレンジジュースなんて頼んでたか?)
嫌な予感しかしない間宮が恐る恐る加藤達の足元に置いているトレイの覗き込むと、飲みかけの烏龍茶が入っているグラスが3個隠すように置かれているのが見えた。
「お前等! まさか!」
「うげっ! バレた!」
慌てて顔を上げた先にオレンジジュースだと思っていた飲み物と、舌をペロっと出しておどけている加藤がいた。
「仲居さんに頼んだら絶対に止められると思ったから、お風呂からあがった時に、自販機でこっそり買ってたんだ」
加藤は悪びれる事なく、グラスに入ったオレンジジュースに似た何かを飲み干した。
「愛菜! なにやってんだよ!」
「えー? いいじゃん! もう卒業なんだしさぁ」
「そうだ! そうだ! 固い事言うなぁ松崎ぃ!」
松崎が慌ててそう叱ると、加藤と神山が反論する。
その反論の仕方が、すでにアルコールが回っている口調だと気付いて、松崎が呆れるように溜息をつく。
間宮と松崎はもう手遅れだと分かっていても、これ以上飲むなと言い聞かせようとしたのだが、酔っ払いJKを丸め込めるはずもなく最終的に買ってきた分だけは飲ませる事で決着した。
「お酒って不思議だねぇ。なんだか体がふわふわするぅ」
「だねぇ! きっもちいいー!」
「きゃははは! ほんとそれぇ!」
飲み慣れていない瑞樹達は、およそ缶一本分ですっかり上機嫌に出来上がってしまっていた。
空いた食器を回収に来た仲居に、未成年である瑞樹達が酒を呑んでいる事がバレないかヒヤヒヤする間宮達を余所に、瑞樹達はとにかく笑い転げていた。
「んー! 美味しかったねぇ」
「ホント! 何て言うの? 日本人で良かったって味だったね」
「おお! それなぁ!」
カンパリオレンジ飲んでた奴に、京都料理の味なんて分かるのかと溜息をつく間宮と松崎に、加藤が女部屋から何やら持ち込んできた。
「よっし! ここはトランプの流れっしょ!」
どういう流れでトランプになるんだと言いたげな間宮を余所に、加藤は得意気にトランプをシャッフルする。
「その前にお前等は水を大量に飲め!」
酔っ払い高校生カルテットにミネラルウオーターを手渡す間宮が少し怒っている事を察した加藤達は、おとなしく水をガブガブと飲み干した。
(トランプか。まぁ酔い覚ましには丁度いいか)
水を飲み終えた加藤を中心に、広げられたトランプを囲むと、まるで学生に戻ったような感覚になった間宮と松崎。
早速定番のカードゲームを楽しむ6人であったが、何も賭けていないカードゲームではイマイチ盛り上がりに欠けると、加藤がニヤリと次のゲームを提案する。
「じゃ、次のゲームが最後ねぇ」
絶対に碌な事を考えていないとすぐに分かった他の5人の背筋に、冷たい汗が流れ落ちる。
「やっぱ男女6人がいるわけだしさ! そんな夜といえば恋バナを絡めないと嘘じゃん!」
その定義はおかしいだろうとツッコむ間宮をガン無視する加藤は、カード台替わりに使っていた座布団の上にランダムにカードを広げた。
加藤がやろうとしているゲームの内容はこうだ。
ランダムに広げたカードを全員一枚だけ捲り、引いたカードの数字が一番大きい者が一番小さな数字の者に何でも訊きたい事が訊けるという、至ってシンプルなものだった。
確かにシンプルなゲームであるが、負けた者の罰ゲームに嫌な予感しかしなかった間宮は、適当な言い訳を作って参加辞退を目論んだのだが、逃げた奴にはシャレにならない罰ゲームがあるからねと悪魔の様な加藤の笑みに、挙げかけた手を降ろすのだった。
ゲームの詳細としては、勝負は10回のみ。どうしても答えたく場合は3回までパスが可能というルールに付け加えられた。
初見は加藤がトップで、佐竹が最下位だった。
「じゃあ、最初の質問だからソフトなやつにしといてあげる!」
「……お手柔らかに」
恐々した様子の佐竹に、ニヤリと悪魔の様な笑みを浮かべる加藤の口から発せられた質問はこうだ。
「結衣とはもうキスしたん!?」
「「は?」」
突拍子もない質問に佐竹だけではなく、神山も同時に間の抜けた声が漏れる。
「で? どうなん?」
「っていうか、どこがソフトなんだよ! どこが!」
佐竹の言い分はもっともだと、間宮は心の中で激しく同意する。
この質問がソフトとして成り立つのであれば、今後は一体どんな質問をぶつかられるか分かったものではない。
「ほらほら! 早く答えなさいよ」
酔っぱらっている加藤の暴走を止める事が出来る者など1人もなく、松崎でさえ躊躇っているのを横目に、神山が抵抗を試みた。
「そ、そういう愛菜はどうなん!? 私達と違って彼氏が大人だもんね! もうキ、キスどころじゃないんじゃない!?」
これを抵抗というのだろうかと間宮は首を傾げる。
どう聞いても、逃げる事が出来ない地雷を抱えたようにしか思えないからだ。
「ふっ、結衣さんよ。このゲームは勝者が絶対なのだよ。彼氏が敗者になったからって、私の命令に歯向かう者は許さん! 知りたければ、結衣が私を負かせばいいんだよ!」
「――くっ!」
そんなフラグを立てて大丈夫かと間宮は隣に座っている松崎を横目で見ると、やはり同じ事を危惧したのか妙な汗が滲んでいた。
「――えっと……パ、パスで」
「バッカじゃないの!? パスなんてしたらキスした事隠してるみたいじゃない!」
そう。これは悪手だろう。
適当に答えていれば嘘か本当か誤魔化せるというのに、緊張した面持ちでパスなんてしてしまえば、加藤の質問を肯定したようなものだ。
それは神山も同じで、佐竹と一緒になって顔を赤く染めてしまえば、疑惑が確信に変わってしまうというものだ。
その後もゲームは続き時折とんでもない質問が飛び交ったりと、佐竹以外の5人は酒が入っている為か、ワイワイと盛り上がりの中ゲームは進行していく。
そしてラスト10ターン目で瑞樹が間宮への質問権を得た。
ある意味興味津々と松崎は加藤の視線が集まる中、瑞樹は勢いつける為なのか、飲みかけの缶カクテルをゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
飲み終えた瑞樹の目が完全に座っている。これはヤバいと声を掛けようとした加藤より、座った目を間宮に向けた瑞樹が一瞬早く口を開いた。
「神楽優希さんとは、どんな関係なの?」
「――え?」
誰も想定すらしていない質問だった。
ずっと気になっていた事ではあったが、こんな場でそんな事を訊いてしまったらどうなるかと真っ先に考えて、言葉を飲み込むのがいつもの瑞樹なのだ。
それを敢えて壊したかったのか、酒の力を借りて瑞樹が口にした事に、この場にいる全員の思考が止まった。
「な、なんだよ。そんな――」
適当に誤魔化そうとした間宮に対して、間宮の意図を壊すように声を張って再び口を開く。
「答えてよ!」
膝の上に乗せている握りしめた瑞樹の手が震えている。
ずっと間宮の方から話してくれるのを待っていた瑞樹にとって、酒の力を借りてまで知りたい事だったのだ。
「……パスだ」
それでも間宮は答えなかった。
答えなかった事に間宮にも言い分はあったのだが、今の瑞樹にそんな事まで考えが及ぶはずがなく、少し力が入りにくくなった足に力を込めて立ち上がると、部屋の出口に顔を向けて口を開く。
「……そう。私にはまだ隠すんだね……。もういい」
さっきと打って変わって静かにそう告げた瑞樹は、そのまま黙って部屋を出て行ってしまった。
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