第9話 卒業旅行 act 1 ~奇妙な卒業旅行~

 3月14日 AM3時。


 間宮は前日にリースしていたワンボックスをマンション前に横付けして、旅行の荷物を積み込んでいた。


「うっし! こんなもんかなっと」


 勢いよくハッチバックを閉めて、意気揚々と運転席に乗り込む。なんだかんだ言っても、久しぶりの旅行に心が躍っているようだ。


 今日から2泊3日のゼミの仲間達と、卒業旅行へ出発する日だ。

 東京から初日の宿がある京都まで一気に走る予定なのだが、現地で少しでも観光する時間を確保する為に、夜明け前に出発する事になっている。


 ナビにメンバーを拾うポイントを設定して「んじゃ、いきますか!」とステアリングを握ってアクセルをジワリと踏み込み、ワンボックスは静かに間宮のマンションを後にした。

 まずはここから一番近い瑞樹と合流する為に、瑞樹の自宅から一番近い集合場所のコンビニに車を停めて、スマホで着いたと瑞樹に連絡を取る。

 連絡して5分程でスーツケースを引いた瑞樹が現れた。


「おはよ、瑞樹」

「うん、おはよう! 今日からよろしくね、間宮先輩」


 何時にも増してテンションが高い瑞樹に、やっぱり旅行は出発する時が一番テンション上がるよなと、ウキウキしている瑞樹に笑みを零す。

因みにだが、あの日から間宮『さん』ではなく『先輩』に名称を変更したらしい。


 後ろのハッチを開いて瑞樹のスーツケースを積み込み終えた間宮は、次に合流するメンバーに今から向かうとメッセージを送り終えた時「はい! 目覚ましにどうぞ」と荷物を積み込んでいた時見当たらなかった瑞樹が、コンビニのレジで売っているホット珈琲を間宮にそっと差し出す。


「おっ、サンキュ。ていうかご機嫌だな」

「それはそうだよ! この旅行を楽しみに受験頑張ったんだからね!」

「はは、そうだよな」

「うん! それにね? 夜明け前に出発する旅行なんて初めてで、何だか冒険に行くみたいでワクワクしてるんだ」


 冒険に行くなんて子供みたいな表現で燥ぐ瑞樹に、同じ様な気持ちになっている間宮も頷き微笑む。


 受け取った珈琲で喉を潤しながら、瑞樹を後部座席に乗せようとドアを開けようとした間宮だったが、瑞樹は当たり前のように助手席のドアを開けて乗り込んでしまった。


「後ろに乗った方が横になれるから、楽だぞ?」

「ん? いいよ。松崎さんと交代しながら行くんでしょ? それなら松崎さんに休んで貰わないとね。それに話し相手欲しくない?」

「まぁ、それは有り難いけど、それじゃ松崎が運転してる時も話し相手するのか?」

「何言ってんの。松崎さんには専属の相手がいるじゃん」


(ん? 松崎の専属? そんなのいたっけ?)


 誰の事だと首を捻る間宮に、瑞樹はポカンと口を開く。


「え? 松崎さんから聞いてないの?」

「ん? なにを?」

「松崎さん愛菜と付き合いだしたんだよ?」

「…………へ?」


(愛菜? 愛菜って加藤の事だよな……。え? あいつが加藤と付き合ってる!? 俺はそんな事一言も聞いてないぞ!?)


「い、いつ? いつからなんだ!?」

「えっと、14日のバレンタインの日からだよ。愛菜がチョコ渡した時に告ったって言ってた」


(俺が出張で東京を離れていた時か。いや、でもだからって話せなかったわけじゃなかったはずだ。俺に話そうとしなかったのは――まさか、あいつ)


 間宮は少し鋭い目つきでフロントガラスに視線を移して、ステリングを握り車を走らせて次の目的地に向かった。


 次は加藤の自宅に向かう事になっているのだが、神山が前乗りではないが加藤の家に泊まっている。

 名目上は集合場所を1つ減らす為とか言っていたが、本当の所は受験から解放されて少しでも遊びたかっただけだろう。

 瑞樹も誘われていたらしいのだが、家族がK大合格のお祝いをしてくれる事になっていたらしく、参加しなかったようだ。


「おはよう! 志乃! 間宮さん!」

「ちょ、ちょっと愛菜。夜中なんだからもっと声絞らないと、近所迷惑だって」

「あっはは、もう寝る前からテンション高かったもんねぇ、愛菜は」

「は? それは結衣だって一緒だったじゃん!」

「はいはい、わかった、わかった。おはよう2人共」


 こんな夜中の住宅街でこれ以上元気が有り余ってる2人を放っておくと、本当に苦情がくると間宮が割って入って落ち着かせる。


「あ、おはようございます、間宮さん。今日から宜しくお願いします」

「うん。こちらこそ」


 加藤と違ってすぐに空気を読んだ神山は声を絞って丁寧に挨拶をして、荷物を間宮に預けて後部座席に乗り込み「ぶー! 私だけ悪いみたいになったじゃん」と口を尖らせてブツブツ言いながら、加藤も車に乗り込んだ。


 加藤達が加わった事で、まだ旅先へ向かってもすらいないというのに、車内はお祭り騒ぎになった。

 若い3人のテンションに苦笑しながら、間宮は松崎と佐竹が待つ集合場所に向かって再び車を走らせる。

 偶然に松崎と佐竹は最寄り駅が同じ所に住んでいた為、駅前で待ち合わせる事になっていた。


 駅前に到着して、すでに間宮達を待っていた松崎と佐竹の荷物を積み込んだ後、佐竹が車に乗り込んだ事を確認した間宮が松崎に声をかけて、瑞樹達には向こうまでの道順の打ち合わせをすると言って、2人はワンボックスから少し離れた。


「松崎……お前、加藤と付き合いだしたってホントか?」

「え? あぁ、駄目だったか?」

「駄目とかじゃなくて、俺は何も聞いてなかったからさ」

「お前はそれどころじゃなかっただろ?」


 松崎の言っている事は理解できる。

 未だに結論が出せないお前に、他人の心配なんてしてる場合じゃないと言いたいのだろう。

 だが間宮はあの時、正月に宅飲みした時に忠告したはずなのだ。

 だから、自分の事をちゃんと加藤に話したかどうかくらいは、話してくれてもよかったんじゃないかと思うのは当然だろう。


「間宮が言いたい事は分かってる。愛菜と付き合いだした事を黙っていた事を言ってるんじゃないんだろ?」


 松崎はそう言うと、皆が乗り込んでいるワンボックスに振り替える。


「愛菜には全部話したよ。それでも好きだって言ってくれたんだ」


 背を向けられている間宮からでは、今の松崎の表情は見えないが、その背中からどんな顔で話してくれているのか分かる。


「そっか。それなら俺から言う事はないな。おめでとう、松崎」

「――あぁ……ありがとう」


 言葉の最後に震えが交じっているのを、間宮は聞き逃さない。

 松崎がどれだけ落ちて腐っていたか。どれだけ必死に今の自分を取り戻したのか、一番近くで見ていた間宮にとってどれだけ待ちわびていた事か――それを知る者もまた間宮だけなのだ。


 窓越しに松崎が車に乗り込んで来た時の、加藤の表情が見えた。

 とてもいい笑顔をしている。

 その顔を見ただけで、加藤にとって松崎がどれだけ大きな存在になっているのか分かる程に。


「うっし! これで全員揃ったな!」


 間宮も勢いよく運転席に乗り込んで、ナビの設定を変更しながら車内のメンバーに確認をとる。


「はぁい! 全員揃ってます! 間宮先生!」

「先生は止めろ! まるで引率者みたいじゃねえか」


 まるで修学旅行に行くような口調で話す神山に、ズッコケながら先生呼びを拒否する間宮にドッと元気な笑い声が車内に響いた。


「そういえば、さっきから気になってたんだけど。志乃は何で後ろに乗んないん?」

「ん? 松崎さんには今の内に休んで貰わないとだし、それに愛菜達や結衣達のイチャイチャを邪魔しちゃ悪いしねぇ」


 ニヤリと笑みを後ろに向けると「なっ!?」と顔を真っ赤にする加藤と神山に間宮が「ははっ」と笑って割って入る。


「神山さんと佐竹君もいるんだから、さすがの松崎も大人しくしてんだろ」


 いくらなんでもとカラカラと笑う間宮に、全員の視線が一斉に集まった。


「ああ――まだ間宮さんには報告してなかった……ですね。えっと、俺達もバレンタインの日から付き合いだしたんですよ」


 顔を赤らめながら代表して佐竹が間宮に照れ臭そうに報告すると、ジワリと動かしだした車にドンとブレーキをかけた間宮が凄い勢いで後ろに振り向いた。


「は? はあぁぁ!?」


 たった1日東京を離れただけなのに、間宮は浦島太郎のような気分になり、困惑と驚きの声をあげた。


 間宮の驚く様子に、車内にまた大きな笑い声が響いた。


 皆の楽しそうな笑顔を見て、自分だけ知らなかった事はとりあえず置いておく事にして、間宮は今度こそ車を走らせ始めようとした所で「ん?」と首を傾げて助手席にいる瑞樹に話しかける。


「あれ? ってことはだ。俺達は付き合いたてホヤホヤのカップル2人組のいちゃいちゃ旅行に付き合わされるって事か!?」

「あはは、まぁそうなるね。この旅行の計画が立ち上がった時は、まさかこんな事になるなんて思ってなかったけど」


 瑞樹も間宮の考えを、頬をポリポリ搔きながら肯定する。


「ちょっと! そんなわけないじゃん! 今回は皆の卒業旅行なの! イチャイチャ旅行ならこれからいくらでも出来るけど、このメンバーでの卒業旅行は一度っきりなんだからね!」

「そうだよ! 私達もそんなつもりまったくないから! だから変な気を遣うのは絶対にやめて」


 加藤と神山が間宮と瑞樹の考えを、真っ向から否定すると、その各両隣で松崎と佐竹も大きく頷いた。


「いや、でもなぁ……」


 間宮は苦笑して首をポリポリと掻くと、そんな間宮に少し身を寄せた瑞樹がこう言うのだ。


「それなら、私達も付き合ってみる? 間宮せーんぱい!」

「「「「「――――え?」」」」」


 瑞樹の性格からは想像も出来ない台詞に、間宮だけでなく他のメンバーの動きも止まった。

 車内の空気を一瞬で止めてしまう言葉を発した瑞樹に、全員の視線が集まっていく。その視線で自分が何をやらかしたのかハッと我に返った瑞樹の顔がどんどんと赤くなった。


「ち、違うの! 今のは旅テンションをあげる為の冗談だからね! だ、だから皆そんな目で見ないでぇ」


 旅テンションなんて聞いた事がない単語であったが、言わんとする事は理解出来た間宮達のリアクションは、ホッとしたり残念そうにしたりと様々だった。


「なんだ、冗談か! いきなり告ったのかと焦ったじゃん」


 そう言った松崎の変な汗を拭う仕草に、笑い声が上がる。

 だが、そんな空気の中であっても、親友と呼ばれる加藤だけはまだ見開かれた目を閉じれずにいた。


 笑い声が収まったところで、アクセルを踏み込み6人を乗せたワンボックスが初日の目的地である京都に向けて走り出した。


 走り出したワンボックスの車内は、仲間うちでの旅行と夜明け前のテンションが合わさって、それはもう笑い声の絶えない賑やかな空間だった。

 プレッシャーに打ち勝って受験から解放されたのもあるのだろう。高校を卒業する4人は本当に楽しそうだった。

 後部座席に座っている松崎も、そんな4人を盛り上げようと何時も以上に明るく振舞い、そんな後部座席組の様子をバックミラー越しに眺める間宮に、助手席に座っている瑞樹はさりげなく会話の橋渡しをするといった形で、うっすらと明るくなってきた光を浴びた車は高速道路をひた走るのだった。


 瑞樹の気遣いのおかげで眠気に襲われる事なく、予定していたサービスエリアに到着してトイレ休憩をとることにした。


「佐竹君! おめでとう!」


 男3人でトイレに向かう途中に、間宮が佐竹にそう声をかけて拳を突きだした。


「ありがとうございます! って改めて言われると何か照れますね」


 言って突き出された拳に、自分の拳を突き合わせる佐竹。


「頑張ったなぁ! 今晩は男3人川の字で寝るわけだし、色々と馴れ初めを訊かせてもらうの楽しみにしてるぞ」


 ガッシリと佐竹の肩を組んだ松崎がニヤリと笑みを向ける。


「ええ!? それを言うなら、松崎さんと加藤の方でしょ!?」

「そうだ! そうだ!」


 佐竹の反撃に、同調した間宮が援護射撃に回った事で、佐竹から好きな女の子を奪ってしまった自分が言っていい事ではなかったと、松崎の顔から笑みが消えた。


「……ご、ごめん。佐竹君」

「――いえ、気にしないで下さい。前にも言いましたけど、俺達付き合ってたわけじゃないんですから。それに、今は本当に幸せなんです、俺」


 言って、ニッコリと笑み見せる佐竹に、「そっか」と肩を組んでいた腕に力を込めて「ありがとう」と佐竹に伝える松崎を見た間宮はホッと笑みを零すのだった。


 ◆◇


「ねぇ、志乃」

「うん? なに?」


 女子3人組もトイレに入り手を洗っている瑞樹に、加藤がニヤリと笑みを浮かべて声をかけた。


「あの付き合ってみる宣言ってさ、結構マジだったんじゃないの?」

「へ? な、何言ってんのよ! そ、そんわけないじゃん!」

「ふっふっふ! 他の連中は誤魔化せても、志乃検定初段の愛菜さんの目は誤魔化せないのだよ」

「だ、だから違うってば!」


 瑞樹は追及の手を緩めない加藤から逃げるようにトイレから出ると、近くにある自動販売機の前で間宮達が飲み物を片手に、楽しそうに笑っている姿が見えた。


 瑞樹はそんな間宮達を眺めながら加藤達が出てくるのを待ってから、楽しそうな笑い声の元へ歩き出す。


「この旅行で、間宮さんといい事があればいいね」


 優しく背中をポンと叩く加藤の口から零れる言葉に、瑞樹は何も言わずに頷いた。


 瑞樹は足を止めて薄っすらと明るくなった空と、自販機の灯りに照らされて楽しそうに笑っている間宮の横顔を眺めて思う。


(――この旅行で今より少しでも近づきたい)


 瑞樹はそんな淡い期待を胸に秘めて、間宮達に元に駆け寄った。


 こうして、29歳の男が2人、男子高生が1人、女子高生が3人の奇妙な卒業旅行が始まるのだった。

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