第8話 先輩
K大の入試が終わって、今日が前期の合格発表が行われる3月9日。
ネットで大学のホームページを見れば、わざわざ大学まで足を運ばずに今の時代は合否が確認出来る。
だが、瑞樹には昔から憧れがあったのだ。
現地で張り出されている合格者の受験番号をドキドキしながら探す事に。
そんな瑞樹に手軽にネットをチェックする選択肢などなく、再びK大を訪れていた。
(よし! いくぞ!)
正門前で「ふっ!」強くて短い息を吐き、気を決して正門を潜り合格者の受験番号が張り出されている場所へ、受験票を握りしめて向かった。
ズラッと番号が表示されている表の前に立ち、瑞樹は流行る気持ちを抑えて1度目を閉じて、これまで頑張ってきた事を思いだしながら自分に大丈夫だと心で言い聞かせる。
目を閉じた暗闇の中で歓喜の声や嬉し涙を流している泣き声。また番号が無くて落胆を隠せなくて悔しがる声と、様々な人の声が聞こえてくる。
視覚を閉じる事によって、そんな声が必要以上に聞こえていた瑞樹だったが、周囲の声が遠のいていき、やがて何も聞こえなくなった。
何も聞こえなくなった暗闇の中で、この場にいるはずのない1人の顔が浮かんできた所で、瑞樹はもう1度「ふっ!」と強く息を吐く。
(いくよ! 間宮さん!)
閉じた目を開き、手に持っている受験票に目を落として自分の受験番号をもう1度確認した後、瑞樹の大きな目はズラッと並べられている番号の中に溶け込むのだった。
◆◇
同日、20時過ぎ。
「サンキュ間宮! 手伝って貰った悪かったな」
「いいよ。俺だけ暇してて退屈だったから問題ない」
引継ぎ業務は予定していた以上に順調に進み、総決算期という事で皆バタバタと忙しくしている中、間宮だけ手持ち無沙汰になる事が多くなった。
その事に気を使っているのかどうか定かではないが、今日みたいにこうしてヘルプを頼まれる事が多くなった。
「お礼にこれから軽く飲みにいかないか?」
「あー……嬉しいんだけど、今日は気になる事があってな。その事がハッキリするまで多分味が分からないから、気持ちだけ貰っとくよ」
「気になる事? あぁ、そっか! 今日だったか」
「あぁ」
わかったと言い残した松崎はsceneに寄って帰ると、会社を出た所で間宮と別れた。
O駅に向かう途中で何度も取り出したスマホをチェックする間宮だったが、何度見ても誰からも連絡は届いていなかった。
瑞樹の性格を考えたら何も連絡してこないのは考えにくいと、間宮の頭の中に最悪の展開が思い浮かぶ。
(……もしかして)
ヤキモキした様子でO駅に着いた間宮は、いつものように不人気な車両に乗ってしまうホームに向かう。
こっちから結果を訊いてもいいのだろうかと悩む。
連絡がない現状に、考えないようにしていてもどうしても考えてしまう間宮。
もしそうだとしたら、何て声をかけてやればいいんだと眉間に皺を作ると、頭の中で真っ青な顔をして、激しく落ち込んでいる瑞樹の顔が過った。
(駄目だ! なんて言ってやればいいのか分からない。こういう時こそ、年上の経験値を役に立てないといけないのに……情けない)
そんな自分に腹が立ち、歯をギリっと食いしばると自然に涙が零れそうになった間宮は、慌てて袖で目を乱暴に擦った。
「お仕事お疲れ様――間宮さん」
いくら人気の少ない場所とはいえ、全くいないわけじゃないんだからと、必死に気持ちを落ち着けようとしていた時に、聞きたかった声に、いや、ある意味聞きたくなかった声に呼び止められた間宮の足が、ピタリと止まる。
ゴシゴシと目を擦っていた袖を恐る恐る降ろすと、いつものベンチに瑞樹が座っていた。
「……瑞樹」
こっちを見ている瑞樹の表情が少し曇っているように見えた間宮は、何か話さないとと思考を巡らせてみたが、何も言葉が出てこない代わりにまたジワリと目に涙が滲んでくる。
一歩も足が前に進まず立ち尽くしている間宮の前に、ベンチから立ち上がった瑞樹が少し目線を泳がせながら静かに対峙する。
「ど、どうしたんだ? 今日は待ち合わせしてなかった……よな?」
「うん。ゼミに受験結果の報告に行ってて、間宮さんに会えるかなって少し待ってたんだ」
「そ、そう……なんだ。えっと、結果って俺も聞いていいのか?」
「勿論だよ。どんな結果になったとしても、間宮先生に報告しないわけないでしょ」
「だよな。えっと、それで……どうだったんだ?」
少し眉間に皺を作っている瑞樹の口から、入試結果の報告を待つ。
その時、ホームに電車が滑り込んで、ついさっきまで会った静寂が打ち消された。
電車が通過する走行風がホームに舞い込み、サラサラと靡く瑞樹の綺麗な髪に漏れた車内の灯りが注がれて、落ち着いたダークブラウンの髪が明るく染まった。
その明るさと対照的に沈んだ表情を見せる瑞樹に、最悪な返答を覚悟した間宮の耳に、停車した電車のドアが一斉に開く直前――いつもの澄んだ綺麗な声が届く。
「春からよろしくね――間宮先輩!」
最高の笑顔に綺麗な涙が光る。
それは間宮が最も見たかったもので、最悪の結果まで考えていたせいか『間宮先輩』という言葉に何かが決壊を起こす音と共に、気が付けば腕の中に温もりがあった。
「ふあぁぁ!!」
瑞樹の間の抜けた声が腕の中から聞こえて、やってしまったとハッとしたのは一瞬だけで、オロオロと動きを見せている瑞樹の体を自分の体に押し付けるように背中に回した腕にそっと力を込める。
「ばかやろう! 受かったのならすぐに教えろよ! 俺……俺はてっきり……」
更に抱きしめた腕にギュッと力が入り、語尾が掠れた。
「ま、間宮さん? え!? 泣いてるの? ご、ごめんね! 驚かせようとしただけなんだけど……ホントにごめんなさい」
「ば、は!? な、泣いてなんかないって!」
口では強がる間宮ではあったが、懸命に止めようとしている涙は止まってくれる気配がない。
心の底から湧いてくる嬉しさと安堵感。それにこれで瑞樹にとって最高の未来への道を作ってやれた事への達成感が、間宮の全身を駆け巡る。
「おめでとう! よかった! 本当によかった!」
「ありがとう――間宮先輩」
自分がK大に受かった時、ここまで喜べただろうかと自問自答する間宮。
結果を知るまで不安な気持ちは確かにあったと思うが、心のどこかで落ちてたら落ちてたでと、冷めた気持ちもあったのだ。
だから、合格していた事を知った瞬間に飛びあがる程の嬉しさもなく、早く部屋を探さないといい物件が無くなってしまうとK大周辺のアパートを探したのを覚えている。
(……そうだ。俺は大阪を出られれば、それでよかったんだったな……)
瑞樹は何故K大に拘ったのだろうと、間宮は思案する。
あの
だけど、本当にそれだけだろうかと思う。
瑞樹本人しか知らない理由があると考えると、その理由が知りたくなった間宮だったが、何時か話してくれる時まで楽しみにするのも一興かとその問いを口に出すのを止めて、今は腕の中にいる生徒の目標達成を一緒に喜んだ。
◇◆
電車を乗り降りする乗客達の足音と話声が聞こえるが、瑞樹にはその音達がやたらと遠くから聞こえる。
今は間宮の腕の中に潜り込んでいるからだ。
何度、この場所に救われた事だろう。
何度も何度も。何かを乗り越える時、何かに立ち向かう時、そして何かに負けてしまいそうになった時。
いつだって、ここは自分を救ってくれる場所だった。
そして、この温もりの持ち主との出会いがなければ、こうして嬉し涙を流せる事はなかった事だろう。
念願だったK大生になれる。
それは瑞樹にとってとても大きな事で、そしてこれからが本当に自分の可能性を模索する大切な時間になる。
あの事件から時間を無駄に過ごしてきた自覚がある瑞樹にとって、これからの大学生活は心から望んだ時間であり、自分を試す貴重な時間と位置付けている。
(その大切な時間に、隣に間宮さんがいてくれたら……)
これでこれまで我慢していた気持ちを表に出せる時がきた。
瑞樹にとって、これからの大学生活と同じくらい――いや、それ以上に大切なものを求めて動きだす決意を、世界で一番いたい場所で誓うのだった。
間宮の温もりに包まれた瑞樹は、自分事のように心から喜んでくれている間宮を見て、合格を確認してからこうして間宮と会うまで何故か流れなかった涙が、世界で一番落ち着く場所でようやく嗚咽と共に再び流れたのだった。
――あとがき
瑞樹ちゃん合格おめでとう!!
これで問題だった入試は終わり!
という事は、次話からいろいろ卒業旅行編に突入です!
凄く長いので覚悟して下さいww
やっぱり仲間内の旅行って出発直前の空気っていいよなぁとか、いろいろと妄想しながら書いてたら……ボリュームがねw
それでは卒業旅行編、宜しくお願いします。
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