第7話 激励

 2月25日 国立K大入試当日。


 前日は体調を万全にする為に、かなり早くベッドに入った。

 緊張して寝付けないかもって思ってたけど、それは杞憂だったみたいで自分でもビックリするくらい熟睡出来て、気持ちよく目が覚めた。

 だけど、長時間眠るという習慣が長い間なかったからか、目覚ましを合わせていた時間より2時間も早く起きてしまった私は、仕方がないかと上体を起こしてベッドに座って、自分の右手をジッと見つめる。

 緊張からくる震えはない。不安がなくなったわけではないけど、適度な緊張感が体をピリッとさせている。

 あの夜、間宮さんに弱音を吐いて、言って貰えた事が心に残っている限り大丈夫だ。


「よし!」


 勢いよくベッドから立ち上がって元気にリビングのドアを開けると、今朝は私立入試の時のように朝食を作ってくれているお母さんの隣に希の姿もあった。


「お、おはよ?」

「何で疑問形なん?」


 希がジト目で私を見てそう言うけど、あの希さんがこの時間に起きてるだけでも驚きなのに、お母さんと一緒にご飯作ってるんだよ? 混乱して変な挨拶になってしまうのは仕方がないと言いたい。


「おはよ、志乃。今朝は豪華にいくからしっかり食べて行きなさいよ」

「私はこの母に叩き起こされたクチです!」

「母親に向かって『この』ってなによ!」


 賑やかな朝の風景。それは他の家庭では当たり前のものかもしれないけど、ウチにとっては特別で大切な時間なんだ。

 この風景をくれただけで、どれだけ家族が応援してくれているのかが分かる。

 ――それだけで、凄く勇気が湧いてくるんだ。


「ところでお父さんは? まだ寝てるの?」

「あぁ……お父さんが一番早く起きてたんだけど、さっきからトイレに閉じこもって出てこないのよ」


 私立受験の時に冗談でそんな事言ってた気がするけど、ホントに閉じこもっちゃったんだ……。


 顔を洗ってすでに配膳されている朝食を眺めながら席に着くと、ようやくトイレから出てきたお父さんにお母さんと希の罵倒が飛び交った。


「「「「いただきます」」」」


 家族4人で合掌して食事を始める。

 いつもなら忙しなく食べるか、ワイワイと賑やかに食べている食卓のはずが、今朝はぎこちない空気で極端に口数が少なかった。

「お姉ちゃん、これちょうだい!」っと私のお皿にお箸を伸ばしてくる希は例外として。


「お父さん達がそんなに緊張してると、私にまでうつっちゃいそうなんだけど」

「そ、そうだよな。うん……すまん」

「そうそう! もうお姉ちゃんの頭の中はK大に受かって、間宮さんとイチャイチャする事しか考えてないんだから」


 ぶっ!!


 お味噌汁と啜っている時に希がとんでもない爆弾を投下するものだから、盛大に吹き出してしまった。


「ちょ! の、希!?」

「え? おい、だから間宮って誰なんだ? 男なのか!? 男なんだろ!?」


 突然、また親の前で間宮さんの名前を出されて慌てる私と、ずっと誰なんだと騒いでいたお父さんの叫びがほぼ同時だった事が可笑しかったのか、希がクックックッと愉快に笑う。


 それからは受験の事などどこへやらと、お父さんから間宮さんに対する質問攻めにあった。

 そのおかげが、さっきまであったピリピリした空気が消え去った時、希はこれを狙っていたのに気付きはしたけど、もうちょっと違う手段はなかったのかと希を横目で見て溜息が零れた。


 お父さんの質問をのらりくらりと交わしながら食事を終えて、身支度をする為に自室へ戻ると、机に置いてあったスマホがチカチカと点滅していた。画面を立ち上げると麻美達や愛菜達からそれぞれ激励のメッセージが届いていた。


 メッセージを読みながら支度を進めていると、愛菜から電話がかかってきてスピーカーに切り替えて応答すると、何故か受験する私より愛菜の方がガチガチに緊張してるのが伝わって、何だかそんな愛菜がさっきのお父さんと被って思わず吹き出してしまった。


 仲間達に元気を貰った私は、いつもの学校へ向かうように部屋を飛び出した。


「それじゃ、いってくるね。お父さん、お母さん、希!」

「お、おう! 落ち着いてやれば大丈夫だからな!」

「お父さんが落ち着きなさいよ……まったく。しっかりね、志乃」

「来年は現役K大生にタダで勉強教えて貰うつもりなんだから、浪人は許さんぞ! お姉ちゃん!」

「まったくアンタな……まぁ、頑張ってくるよ」


 私は受験会場であるK大を目指して、A駅へ自転車を走らせた。

 愛菜達からの激励メッセージは嬉しかったし、元気がでた……んだけど。本音を言えば一番大切な人から何も言って貰えなかった事に寂しさを感じていた。


(最近の私って……欲張りなのかな)


 専属講師をしてくれた夜。帰り道で散々甘えてぼろぼろと泣いて、隠しておくつもりだった本音を聞いた貰った。

 沢山励まして貰ったのが嬉しくて、勇気を貰えたし集中力も回復して最後の追い込みも上手くいったと思う。

 でも……だからってあの日から何の音沙汰もないのは、どうなんだろう。前日に何か励ましのメッセージくらいあるかと期待してたんだけど……な。


 A駅のホームに着いて電車を待っている間に、メッセージが届いてないかチェックしようと鞄からスマホを取り出そうとしたら、鞄の中でスマホがぼんやりと光って震えている事に気付いた。

 私は期待を込めてスマホを立ち上げる。

 今日の受験の為に応援のメールや電話をかけてくれそうな友人は、後一人を残してもういないはずだ。

 私はもうあの人しか有り得ないと確信して画面を覗き込んだ時、自分でも自覚がもてる位に綻んだ顔で「……あ」という言葉と共に影を落とした。


「……もしもし」

『あ、もしもし! 瑞樹さん? 岸田だけど』

「うん。おはよう、岸田君」

『今日入試だよな? 頑張れって一言だけでも言いたくてさ』

「うん。今大学に向かってるとこだよ」

『そうか! 瑞樹さんなら絶対大丈夫! 4月から同じK大せいだね!』

「はは、そうなるように頑張るよ。ありがとう」


 まだ何か話したそうだったけど、私は電車が来たからと嘘をついて電話を切った。期待していた人じゃなかったからって嘘をついていいわけがない。そんな当たり前の事分かってるけど、あれ以上話してたら本音が岸田君にバレてしまいそうだったから、仕方がなかった。ごめんね、岸田君。


 電車が到着するのを待っていると、さっき期待してしまった気持ちのやり場に困ってしまって、もやもやと落ち着くがなくなってしまった。

 この乱れた気持ちじゃマズイと、K大の最寄り駅に降りるまでに落ち着けようと頑張ったんだけど、結局もやもやした気持ちは落ち着いてくれなかった。


 駅を出て試験会場であるK大に向かって歩く。

 同じ方向に歩いている人達も、きっと同じ場所に向かっているのだろう。だって、皆緊張した顔つきなんだもん。


『どんなに猛勉強した奴だって、どんなに模試の合否判定が良かった奴だって、結局当日まで不安を拭う事なんて出来ないんだよ』


 あの夜、間宮さんが言ってくれた事を思い出す。

 確かに皆、自信満々って顔をしていない。


(不安なのは、私だけじゃないんだね)


 少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 間宮さんが太鼓判押してくれたんだから、絶対に大丈夫だとギュッと握った手に力を入れた時「おはよ! なんか凄い顔してるねぇ、瑞樹さん」と聞き覚えのある声に呼び止められた。

 その時、私は何時の間にかK大前に着いていた事に気付いて、ハッとしながら足を止めて呼び止められた方を見ると、そこには藤崎先生が立っていた。


「藤崎先生。こんな所で何してるんですか?」

「冷たい台詞ねぇ。ゼミから激励に来たんじゃない」


 大学前に予備校の講師達が鉢巻きを巻いて、受験する予備校の生徒達に激を飛ばしているのを、昔テレビで観た事がある。


「あぁ、あれですか。でも鉢巻巻いてませんね」

「何時の時代よそれ! もうそんな事してる講師なんていないわよ」

「いやいや! 俺は巻いてるぞ!? ほらっ!」


 藤崎先生の言う事を否定しながら、大きく『必勝』と書かれている鉢巻を巻いた奥寺先生が現れた。


「……なんですか? 応援とか言っておいて、仕事サボってデートですか?」


 ジト目を向けてそう言ってやると、藤崎先生がデレデレ顔の奥寺先生の頭を叩いて両腕を組んで溜息をついている。


「どうしたの? 何だか今日の瑞樹さん棘が凄いわよ? 緊張してる?」

「別にそんな事ないですよ」


 分かってる。こんなのただの八つ当たりだ。

 2人は忙しいのに、わざわざ時間を割いてここへ来てくれた。

 それが仕事だと分かっていても、嬉しいし頼もしくもある。

 なのに、私は一番聞きたい声が聞けずに幸せそうな2人を見て苛立ってしまった。


(……ホント最低だな、私)


 間宮さんは私と違って、立場や責任を請け負っている立派な社会人なんだ。時間が余ってる学生とは違う。

 今日だって平日で普通に仕事があるんだし、もしかして仕事で何かトラブルがあったのかもしれない。そんな人にこれ以上我儘なんて言っていい場面じゃないって分かってる――分かってるんだけど、あの人にだけは気持ちを我慢出来なくなってしまっている。

 それはきっと、あの夜に言われた言葉のせいだ。


『俺の前でくらい無理なんてしないで、何でも話せばいい。俺は瑞樹の傍にいるからな』


 あの言葉を真に受けたりしたから、気持ちにブレーキが効かなくなってきてる。


(今から入試なんだ!早く気持ちを切り替えてテストに集中しないと!)


「もう! そんな可愛くない事言ってると、大好きな人に嫌われちゃうわよ?」


 嫌われる――嫌な言葉だ。

 男に嫌われるなんて慣れてるつもりだったのに、心の底からあの人にだけは嫌われたくないって思ってる。


「瑞樹さんに酷い事言われたって、告げ口しにいこうかしら」


 藤崎はニヤリと笑みを浮かべてそう言ってくる。

 ホントにそんな事するとは思ってないけど、受験直前に生徒をかき乱すなんて講師のする事かと、文句を言ってやろうとした時だ。


「丁度、すぐそこにいるしねぇ」


(――え?)


 文句を言おうと口を開けた私に、藤崎先生はクスっと笑みを零しながら親指をクイっと正門の奥を指した。

 指した親指の先を辿るように目で追っていくと、まだ冷たい風にビジネスコートを靡かせている間宮さんがそこにいた。


 目に映っている光景が信じられなくて、何も言えずに立ち尽くす事しか出来ない私の背中をポンと押して、藤崎先生が言う。


「ほら! しっかりエネルギー充電してきなさい」と。


「――間宮……さん」


 一歩、また一歩とようやく足が動いてくれた。


 正門を潜ってすぐ右手に受付の窓口が設置されていた為、他の受験生達は皆右側に流れていく。

 だけど、私はそんな流れに逆らって逆方向に足を進めた。

 この大学のシンボルになっている、大きな木の下に立っている間宮さんの元へ。


「どうした? ハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔して」

「ど、どうしたって……なんでここにいるの? 仕事は?」

「ん? 仕事は瑞樹を見送ってから行くよ? 今は仕事が落ち着いてるから問題ない」

「でも、松崎さんがこの時期は忙しいって言ってたって、愛菜から聞いたよ?」

「あ、あぁ。あいつとは部署が違うからな」


 一瞬目を逸らす間宮さんが気になったけど、今はそれ以上に目の前の光景にただ驚いた。


 本当は――ホントのホントは愛菜が羨ましかった。

 自分が愛菜の為に頼んだ事とはいえ、好きな人に直接応援して貰えた愛菜の事が。

 私立の受験の時に電話で励ましてもらった事はある。

 だけど、やっぱり直接顔を見て触れようと思えば触れる事ができる距離にいる事がどれだけ嬉しくて、どれだけ励みになるかなんて比べるまでもない。


「瑞樹の激励と挨拶に来たんだ」

「……挨拶って?」

「教授に春から教授の講義が受けたくて入学してくる女の子がいるから、宜しく頼むって言ってきた」

「……う、嬉しいけど、プレッシャーかけられてる気がするんだけど?」

「はは、気のせいだろ」


 ニカっと笑う間宮さんが眩しく見えた。


「そろそろ時間だな。よし! いってこい瑞樹! お前なら普通にやれば落ちたりしない。なんたって俺の可愛い生徒だからな!」

「……うん……うん! 絶対に間宮先輩って呼ぶんだもんね!」


 間宮さんの激励にガッツポーズで応えた私は、軽く深呼吸をして真っ直ぐに間宮さんの目を見る。


「いってくる!」

「おう! いってこい!」


 間宮さんに背を向けた私は、もう振り返る事をせずに真っ直ぐに受付に向かう。

 最高の応援をしてもらった今の私は、最強なんだ。

 少なくとも、私は本気でそう思ってる。


 ――いくぞ! K大!

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