第53話 St. Valentine's Day act 4 2人の告白

『松崎さんの事が好きです! こんな私ですけど――付き合って下さい!!』


 自分で言っておいて驚いた。こんなにスッと言葉に出来ると思っていなかった。きっと声を震えて、歯切れも悪くて噛みまくってみっともない告白になるんだと思ってたから。


 そんな会心の告白に、松崎さんは一瞬嬉しそうな顔をしたような気がしたけど、今は何故か少し複雑な顔をしてる。

 やっぱりこんな子供に告白なんてされても、迷惑なだけだったの……かな。


(……そうだよ……ね。迷惑だよね)


 どんな結果になっても泣く事だけはしないと決めていた。だってこういう時に泣くなんて卑怯以外何者でもないと思うから。

 ……なのに視界が歪んできて、瞼の中に涙が溜まってきた自分に苛立っていたら、松崎さんの口から言葉が出てきた。


「……ありがとう、凄く嬉しい。でも……ね。返事をさせてもらう前に、愛菜ちゃんに聞いて貰いたい話があるんだけど――いいかな」


 言って、松崎さんは私が渡そうとしている紙袋を優しく押し戻してきた。


 松崎さんの性格を考えると、きっぱりとYESかNOの二択しかないと思っていた私は、聞いて貰いたい話があると言われた事を理解するのに、少し時間がかかってしまった。


「是非、訊かせて下さい」


 少し逸らした視線をまた松崎さんに向けて、私は彼が話そうとしている事に意識の全てを集めた。


「俺……さ。実はバツイチなんだ」

「…………え?」


 松崎さんの言葉は、私の頭の片隅にもなかったもので、その驚きに思考が止まってしまう。

 バツイチ……って事は松崎さんは元既婚者って事?奥さんがいたって事……だよね。


 その一言だけで、松崎さんの握った拳が震えていた。

 こんな松崎さんを見るのは初めてだった。

 確かに松崎さんが自分の事を話してくれた事は殆どない。何度か訊いた事があったけど、やんわりとはぐらかされてきた。

 いつも私達を楽しませるように、陽気に振舞っていた松崎さん。

 そんな松崎さんの愉快そうに笑う顔に、僅かにだけど影がある気がしてたんだけど……。


(まさか……バツイチだったとはね)


 という事は、これから私が訊かされるのはその詳細って事なのかな。


 これから始まるであろう話の内容を予想していた私は、ふと黙っている松崎さんの顔に目をやった。

 彼は今まで見た事がないような本当に辛そうな顔をしていて、相変わらず両拳がフルフルと震えていた。


 今の松崎さんの姿が、この話が冗談などではない事を決定づけていた。


「あの……詳しい話も訊かせてくれるんですか?」

「……うん」


 元奥さんとは同じ大学で同学年だったらしい。

 大学2回生のゼミで知り合ってから、割と早いタイミングで付き合う様になったそうだ。

 そして色々な事があったけれど、大学を卒業して内定を貰っていた今の会社に勤め始めたのを機に、2人は結婚したという。

 だが、そんな結婚生活は甘い時期にも関わらず、僅か1年で破局を迎えてしまう。

 松崎さん達が離婚した原因。それは奥さんの不倫が原因だったらしい。

 不倫が発覚してから詳しく調べると、どうやら松崎さんと付き合いだしたのと同じ時期に、もう1人の男と付き合いだしたらしいのだ。所謂二股というやつだ。

 それだけでも大概な事なのに、信じられない事にその女は結婚した後も関係を続けていた。

 その非情な現実を突きつけられた松崎さんは、当時相当荒れに荒れて真っ逆さまに落ちていったと言う。

 落ちていく自分を止める気も起きなかった時に、助けてくれたのが間宮さんだったらしい。

 間宮さんとは元々入社以来の付き合いで、結婚式にスピーチをしてくれた程の仲なんだと、松崎さんは懐かしそうに話す。


「間宮は何度も何度も腐って落ちていく俺を、引っ張り上げようとしてくれた。偶々同じ会社に同じ時期に入社したってだけの関係だってのに、なんてお節介な奴だと思ったよ」

「間宮さんは昔から、そうだったんですね」

「……あぁ、そうだな。でも、そんなアイツだからこそ――俺は前を向けるようになった」


 その頃から2人は親友と呼べる関係になっていたのだろう。

 知り合った当初に松崎さんの印象は決して良いものではなかった。

 何故、間宮さんはこんな人と付き合っているのか疑問に思った事もあったんだけど、その理由がようやくハッキリと分かった気がした。


「でも……さ。そんな事があったから、前を向けるようになっても、恋愛なんて一生しなくて気楽に生きていくつもりだったんだ」

「だった……ですか」

「うん――だった」


 不安で押し潰されそうな顔をしている。

 こんな松崎さんを見るのも初めてだ。


 私はこの話を聞かされて、どう思っているんだろう。


 正直驚きはした。衝撃で一時思考が止まってしまったほどだ。

 だけど、、裏切られたとは思っていない。

 そもそも進行形の事ではなくて、あくまで過去の話なんだから隠す事だって出来ただろうし、隠すのにも色々理由があってそれが私の為なのだったら間違っているとも言えない。

 まぁ、私の事を好きになってくれていたらの話なんだけど……。


(――だから、私が知りたい事はそんな事じゃない)


「なぁんだ」

「……え?」

「それって、全然松崎さんは悪くなくないですか?」

「え? いや、だってバツイチなんだぞ!? 結婚失敗者なんだぞ!?」


 松崎さんから感じた影の正体は、これだったのか。

 結婚失敗者……。所謂バツイチってレッテルがコンプレックスになってたんだ。自由に生きるんだとか言ってても、本音では自分は失敗者だからとずっと気持ちを押し殺して生きてきたんじゃないだろうか。

 でも、この離婚の件は松崎さんが気にする必要なんて、まったくないと思う。


(まぁ、女を見る目がなかったとは思うけどね)


「だって、松崎さんの女癖が悪かったとか、家庭を顧みずギャンブル三昧だったとか、家庭内暴力を働いていたわけじゃないですよね?」

「そんな事するわけないだろ!」

「だったら……だったら、松崎さんが思い詰める必要なんてありませんよ」


 そう言っても、松崎さんは「……でも」と納得していないみたいだった。頑固な所は間宮さんといい勝負かもね。


「まぁ、女の見る目がなかったとは思いますけどね――」


 言って、私は両手を左右に広げて松崎さんに私がよく見えるように立った。


「過去にトラウマを抱えた松崎さんから見て、私はどうですか? また裏切られると思いますか?」


 私は裏切らない。

 必要としてくれている間は、ずっと傍にいたい。

 でも、自分の気持ちを伝えて終わっている以上、私に出来る事はもうない。決めるのは松崎さんだ。

 きっと、前から私の気持ちには気が付いていたと思う。それでも進展しなかったのは、松崎さんが私に興味がないと思ってた。だけど松崎さんの話を聞いて、もしかしたら私の事を信じるのが怖かったのかもしれない。

 であるなら、もう松崎さんの気持ちだけなんだ。


 私の問いに松崎さんは硬く口を閉ざしたまま、時間だけが過ぎていく。だけど、この沈黙の中で松崎さんの中で色々な感情が複雑に入り交じって苦しんでいるのが私には解る。

 でも、これ以上手を差し伸べる事は出来ない。それはしてはいけない気がするから。


 私はコートの袖をギュッと握りしめて、その沈黙にまっすぐ松崎さんから目を逸らさずに見つめ続ける事で応戦する。


 私だって松崎さんに偉そうな事を言えた立場じゃない。

 つい最近まで違う男を想っていたんだから……。

 その気持ちだって、きっと松崎さんは知っているんだろう。クリスマスライブの後の事は結局知らずじまいだったけど、大体予想はついてるから。

 であるなら、過去にそんな目にあった松崎さんが疑うのは当然なんだ。

 だけど、この気持ちに嘘はない。迷いもない。誰よりも好きだって胸を張って言える。

 だから―絶対に松崎さんから目を逸らしてはいけないんだ。


「……本当に俺でいいの? バツイチの失敗者で、こんなに年の離れた俺で……」

「バツイチだって聞いた時は驚きましたけど――それを知っても私の気持ちは変わりません」


 本当に気にしてたんだね。

 気持ちは変わらないって言っても、まだ全然不安な顔をしてる。年齢の事だって気にするのは私の方で松崎さんじゃないのに……。


「私は松崎さんが本当に好きなんです。だから頑張ってこれを作ったんです。お礼なんかじゃなくて、私が貴方を好きだって知って貰う為に」


 不思議だ。松崎さんにチョコを渡そうとするまでは恥ずかしくて死にそうだったというのに、それと比べ物にならない程恥ずかしい事言ってるのに、まったくそんな感情が湧いてこない。

 人を好きになるって不思議だね。


 もう一度手に持ってた紙袋を松崎さんに差し出した。

 もう私の気持ちを受け入れてくれるのを願うしかない。


 目をギュッと閉じて松崎さんの返事だけを待つ。

 視界が利かない状況になると、さっきまで気にならなかった周りの音が耳に入ってきた。

 視覚を閉じる事で、他の感覚が研ぎ澄まされるっていうのは、本当だったみたい。

 すると、松崎さんが立っている方から衣類の擦れる音が聞こえたかと思うと、ジャリっと足音が聞こえてきた。

 チョコを受け取る為かは分からないけど、私は差し出した紙袋の高さを上げた。


 やがて足音が止まり、チョコが入った紙袋に自分以外の力が加わった事を感じた時「ありがとう」と松崎さんの声が頭の上から降ってきた。

 だけど、私は慎重な姿勢を崩したりはしない。

 ドラマや漫画でよくあるパターンだと思ったからだ。

『ありがとう』の後に『でも』と続くパターンしか想像出来なかった私は、駄目かと唇をギュッと噛み締めた。


 私は『でも』という松崎さんの言葉を黙ったまま待った。

 届かなかった。想われているかもしれないなんて、自意識過剰もいいとこだった。


 ――恥ずかしい。


 結局は私の独り相撲だったみたいだ。1人で舞い上がっていただけだったんだと思うと、あれだけ面と向かって松崎さんに言った台詞が恥ずかしくて仕方が無かった。

 もう、この場から逃げ出したい。

 だけど、返事を求めた以上最後までありがとうの続きを待たないといけない。まるで地獄のような時間だった。

 早く早くと、もう結果が見えているから、一秒でも早くこの場から消えたいんだと心の底からそう思った時だった。


 差し出した紙袋が私の手から離れていく。

 てっきり言葉の続きがあるものだと思っていた私は、驚いて閉じた目を開いて顔を上げると、そこには目を閉じかけていた松崎さんの顔が文字通り目の前にあった。


 ――え!?


 何事かと驚いた私だったけど、思考とは裏腹にガチガチに固まってしまった肩に松崎さんの手が触れたかと思うと、気が付けば私の唇が松崎さんの唇に触れていた。


 時間にして僅か2~3秒だったと思う。

 私はあまりの突然の出来事に思考が停止した事は言うまでもない。

 優しく触れるだけのキス。キスというものはお互いが目を閉じてするのがエチケットだと聞いた事があるけど、完全に意表を突かれた私の目は開かれたままで、超至近距離に目を閉じている松崎さんの顔を見た。


(松崎さんって睫毛長いなぁ……。じゃなくって!)


 そんな近距離で初めて知った松崎さんの目の特徴をバッチリと記憶していると、屈んだ体制だった松崎さんが元の姿勢に戻っていく。当然閉じられた超アップの目が遠のいていくわけで、離れていくにつれて閉じられていた瞼が開いて……私と目が合うと、ハッとした顔で私との距離を一気に離した。


「ご、ごめん! そ、その頭の中で言葉を選んでたはずだったのに、気付いたら――ホントごめん!」


 突然の事で驚きすぎていた思考が、慌てて謝っている松崎さんを見て逆に冷静になれた私は、オロオロしてる松崎さんが可笑しくて吹き出してしそうになるのを何とか堪えた。


「そうですね、酷いですよ。だって返事を訊かせて貰ってないのに、こんな事されたら期待しちゃうじゃないですか……。それとも軽い気持ちでしたから謝ってるんですか?」


 そうだ。こんな状態でキスなんてされたら私の気持ちを受け入れてくれたともとれるし、何となく流されてしてしまっただけともとれなくもない。

 私の告白を訊いて我慢するつもりだった感情が溢れ返って、止まらなくなって年上の威厳など感情の波と共に跡形もなく流れていって、気が付いたら目の前にいる大好きな女の子の唇を奪っていた――ってのが私の理想だけど、そんなわけないか。


「好きな人とですから、私は別にいいですけど……期待……しちゃいますよ?」


 今になって唇の感触が蘇って恥ずかしくなってきた私は、少し俯いてしまったけど、目だけは逸らさずに松崎さんの返事を待った。


「えっと……俺なんかでよかったら、その……付き合って欲しい」


 歯切れが悪く、途切れ途切れの返事だったけど、それがいつもの松崎さんらしくなくて本気でそう思ってくれている事が伝わった。

 胸が熱くなった。ずっと悩んでいた事が一瞬で消え去って、心にあるのは只々嬉しいという感情だけでいっぱいになった。


「はい! 私の方こそよろしくお願いします!」


 嬉し過ぎて零れ落ちそうになった涙を堪えた私は、松崎さんと違ってハッキリと返事をして、ずっと持っていたチョコが入った紙袋を今度こそはと差し出した。


「それじゃあ、これ受け取って貰えますよね?」

「うん、ありがとう。嬉しい、本当に嬉しいよ! ありがとう!」


 本当に嬉しそうに受け取ってくれる松崎さんに、可愛いって思ったって言ったら怒られるかな。


「あ、それとチョコも勿論嬉しいんだけど、1つ頼みたい事があるんだけど、いい?」


 頼みたい事? なんだろ。

 松崎さんからの頼みなんだから、私としては何でも応えたいとは思うけど……。


(はっ!? ま、まさか!?)


「え? なんです……か? ま、まさかキスの先とか言いませんよね!? いくらなんでも心の準備が!」


 私は咄嗟に松崎さんから逃げる様に距離をとって、上半身を抱きしめるように両腕を巻いた。


「ば、ばか! そんなわけないだろ! そ、そうじゃなくてだなぁ!」

「な、なんですかぁ?」


 私は思いっきりジト目を向けてやった。


「頼みってのは、その敬語を止めて欲しいんだ! そ、その恋人になった気がしないっていうか……」


 頭をガシガシと掻きながら、照れ臭そうにそう言う松崎さんを見て、私はなるほどと手をポンと叩く。

 確かに言われて見れば間宮さんには何時の間にか敬語で話すのを止めていたけど、松崎さんにはずっと敬語だったと言われて初めて気が付いた。


「そう言われてみればそうですね、じゃなくてそうだね? あれ? うまく話せないな。癖になってるみたいです。じゃなくてなってるみたい」


 もう笑える程にグダグダだった。

 敬語を止める時って誰に対しても、最初は緊張してしまうものだ。私は基本的にその辺がアバウトで間宮さんの時もすんなりと変える事が出来たと思う。だけど、松崎さんに対しては上手くいかなくて何故だと首を傾げた。


「うん! どうやら思った以上に敬語を止めるのに時間がかかりそうです」

「え? そんなに難しい事か?」

「ですね! 自分でもビックリする程、難しい事が判明してしまいましたね!」


 松崎さんは『なんで?』と首を傾げてる。まぁ、そうだよね。


「まぁ、急ぐ事でもないから無理強いはしないけど――」

「――だからですね!」


 時間をかけてとか言おうとしたんだろうけど、そうはいかない。


「私が松崎さんの彼女なんだと、強く意識させて下さい」

「え? どうやって?」

「……だ、だから……さ、さっきは突然過ぎてよく分からなかったから……その、もう1度っていうか」

「……あ、あぁ、うん」


 私が言いたい事が伝わったのか、松崎さんはゆっくりと離れた距離を詰めてくる。

 そして目の前に立った松崎さんは私の両肩に優しく手を置いて、ジッと私の目を見つめていた。

 私がそれを合図に静かに目を閉じると、暗闇の中に松崎さんの顔が近付いてくる気配がした。

 今度はいきなりじゃなくて、寒さで冷えた肌にじんわりと体温が伝わる程にゆっくりと、そして優しく私の唇を塞いだ。


 初めての時は突然の事で思考が停止してしまったんだけど、2回目のキスは松崎さんの唇から温もりが伝わって、その温もりが体全体に伝わっていくのが分かった。


 これがキスなんだ。

 松崎さんの優しさが伝わってくる。

 ……なんだろ――なんだか泣きそうになる。


 人生で2度目のキスは10秒位でゆっくりと唇を離すと、お互いの息が漏れた。

 瞼を開くとまだ直ぐ近くに松崎さんの顔があって、その目は私の目をジッと見つめていて、私は照れ隠しの1つも言えなくて黙ったまま見つめ返した。


「――好きだ」


 短い言葉が落ちてくる。

 恐らく日本語で相手に気持ちを伝えるのに用いる言葉で、最も短い言葉だと思う。

 でも、その短い言葉の中に松崎さんの気持ちがギュッと凝縮されているように感じて、私の体が熱を帯びた。


「私も――大好きだよ」


 私も真っ直ぐ自分の気持ちをギュッと詰め込んで、素直に伝えた。

 ちゃんと私の気持ちが伝わったのか、松崎さんの目が何だか特別なものを見る様な、とびきりの優しさを滲ませたものに変わった。


 そして、私達は3度目のキスを交わす。


 昔から日本のバレンタインデーなんて、お菓子メーカーの陰謀だと周りに話してた。

 今もその考えは変わらないけど、そんな風習を作り上げたお菓子メーカーに今は感謝してる。

 私の性格を考えたらこんなイベントがない限り、自分から気持ちを伝えるなんて出来なかったと思うから。


 バレンタイン最高!


 調子のいい女子高生が、全国のお菓子メーカーに感謝した夜だった。



――――


あとがき


お騒がせ加藤とバツイチ松崎が結ばれました!


加藤が大学生になってから、松崎がいろいろやきもきする未来しか見えませんねww

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