第52話 St. Valentine's Day act 3 本命チョコレート
「OK! これで完成だよ」
「う、うん! ホントにできた」
2月13日 バレンタインデー前日。
この日、午前中から加藤が瑞樹の家に押しかけて、明日に迫るバレンタインに渡すチョコ作りを瑞樹に教えを請いながら、奮闘していた。
「じ、上手に出来た……よね?」
「ふふ、うん。初めてとは思えない出来栄えだよ」
テーブルの上には加藤が作ったチョコケーキと、瑞樹が作ったチョコタルトが並べられていた。
「あとはホールで渡す訳にはいかないから、適度な大きさにカットしてラッピングだね」
「うん。ホールで渡したら、松崎さん太っちゃうもんね!」
あっはははは!
瑞樹家のキッチンから明るい笑い声が響いてくる。
「志乃は沢山チョコタルト作ったんだね」
「うん。お父さんの分も作ったからね。毎年楽しみにしてくれてるから」
「やっぱり娘からの手作りチョコって嬉しいもんかなぁ」
「だと思うよ? 愛菜もお父さんの分もラッピングして渡したら? きっと喜んでくれると思う」
「そうだね! 私立大学で学費迷惑かけちゃうし、お礼を含めて渡してみようかな」
完成したチョコを一旦冷蔵庫に入れて、余ったチョコでお茶をする事にした。
「お疲れさま、愛菜」
「志乃はまだ本命のK大受験が残ってるのに、迷惑かけてごめんね」
「ううん。どのみち作るつもりだったし、愛菜と一緒に作れていい気分転換になったよ」
美味しいチョコに会話が弾む。
今日は両親は仕事で希も学校に行っているから、3人を送り出した後は静かに勉強するつもりだった瑞樹だが、切羽詰まった様子でチョコ作りを教えて欲しいと嘆願してきた加藤に便乗して、夜中にこっそりと作る予定を繰り上げたのだ。
色々あったが、最終的に本命チョコを渡す相手に松崎を選んだ加藤。
それを聞かされた瑞樹は、加藤が悩み抜いて出した答えならもう何も言うまいと、無条件で加藤の選択を肯定した。
そんな加藤の気持ちが少しでも沢山伝わるように、チョコ作りを教える瑞樹にも熱が入ったが、加藤は文句1つ弱音1つ言わずにチョコ作りに没頭した。
その成果はしっかりと現れていて、初めて作ったとは思えない出来栄えに仕上がったチョコケーキが完成した時の加藤の笑顔は、教えた瑞樹にとって最高のご褒美になった。
「いよいよ明日だね」
「うん。そうだね」
「志乃は何時に待ち合わせるん?」
「ん? 何も言ってないけど?」
「……え? えぇ!? 事前にアポとってないん!? 学生じゃないんだから会えないかもしれないんだよ!?」
「そうしたかったんだけど……ね。いざ時間貰おうとしたら恥ずかしくなっちゃって。まぁ不意打ちみたいなのもいいかなって」
大胆なんだか、呑気なんだか……。加藤は瑞樹の本質を垣間見た気がした。
瑞樹本人に確認したわけではないが、間宮を巡ってライバルがいるはずなのだ。なのに、恥ずかしいと言いながらも妙に余裕を感じた加藤が意地悪な質問をする。
「意地悪な質問なんだけど、当日約束を取り付けなかったら他に人に時間盗られちゃうとか不安にならない?」
「うん、それは勿論あるよ。でも……ね、今まで私なりにアピールはしてきたつもりなんだ」
「……それは見たり聞いたりしてたから、知ってるけどさ」
「だからね? もし他の人に会う予定が入っちゃってたら、私の努力が足りなかったか、私に興味がないのどっちかと思うんだよね?」
なんて事を言うんだと加藤は思うのだ。
前者だろうが後者だろうが、一大事だとそれを避けようと行動するはずなのに、瑞樹は澄ました顔で珈琲の香りを楽しんでいるのだ。
やはり瑞樹は変った。雰囲気がまた変わった気がする。
少し前までは間宮のことに関してはいつも自信なさ気で、いつもビクビクしてる印象だった。卒業旅行の件でその間違いに気付いたみたいだが、それを差し引いても今の瑞樹に説明がつかない。
そんな瑞樹の変化をどう言えばいいだろうか。
例えば、仕草一つ一つに深みがでたと言えば伝わるだろうか。
その深みは小さいもので、意識しなければいつも通りに見えてしまう。だが、気が付きにくい深みから静かな自信みたいなものを感じる。
その自信に周囲を優しく包み込むような雰囲気を加藤は感じていた。
そんな慈悲にも似た雰囲気を出せるようになった瑞樹に、心を閉ざしている頃から見てきた加藤にとって、それは驚く変化であり、また同じ女として憧れを抱く変化でもあった。
「ん? どうかした?」
「んーん! なんでもない!」
そんな女としての強さと美しさを兼ね備えた横顔に、これまでの時間がどれだけ質の違うものだったか思い知らせれた加藤は、不意にこちらの視線に気付いた瑞樹に首を振ってニッと笑みを向けた。
暫くお茶を楽しんだ加藤は冷蔵庫で冷やしていたチョコケーキを慎重に箱に詰めて、帰り支度を始める。
「それじゃ帰るね。勉強の邪魔してちゃってホント申し訳ない!」
「ふふ、ううん。言ったじゃん、いい気分転換になったって!」
「そう言って貰えると助かるよ!」
「明日頑張ってね!」
「うん! ていうか志乃もなんだよ?」
「あはは、分かってる。私も頑張るよ」
駅まで送ると言ったのだが、これ以上邪魔できないと断わられた瑞樹は、手をブンブンと元気に振って去っていく夕日を浴びた加藤の姿に、手を胸に当てて祈る。
――どうか、親友の恋が実りますようにと。
◇◆
2月14日 バレンタインデー当日
加藤は間宮と松崎が勤めている『RAIZU』の本社ビル前にいた。腕時計の針は待ち合わせの約束をしていた時間より20分遅れの、20時20分を指している。
勿論事前に遅れる連絡を受けていた加藤であったが、待ち合わせ場所にしていたO駅前で待っていると、なんだか落ち着かなくて気が付けば本社ビルの前まで来てしまっていた。
白い息をゆっくり吐きだして、手に大事そうに持っている紙袋に視線を落とす。中身は勿論昨日瑞樹に教えを請うて、一生懸命作ったチョコケーキが入った化粧箱にお洒落にラッピングされた物だ。
「あれ? 愛菜ちゃん?」
意識を紙袋に移した時、不意に声をかけられた。
何度聞いても、鼓動が早く打ち出す声。
「お仕事お疲れ様です。松崎さん」
視線を目の前に現れた松崎に向けて、努めて平静を装った笑みを見せる。
「何でこんな所にいるん? 待ち合わせって駅前だったでしょ?」
「そうなんですけど、早く着きすぎちゃってなんとなく歩いていたら来ちゃってました」
「はは、ここまで来てもらっても、また駅に戻るだけなのに」
「いいじゃないですか。歩くの好きなんですよ」
「若いねぇ、元気だねぇ」
「それおじさん臭いですよ?」
「うっせ!」
加藤は来た道に足を向けながら、松崎を揶揄う。
そういう空気を作るくらいには、仲良くなれた自覚はある。
自覚があるから言われなくても分かる事もある。
それは待ち合わせ場所を駅前にした理由だ。
こんな年の離れた女と会っている所を、同僚達に見られたくないのだろう。
松崎は体裁を気にするタイプだから、この予想は恐らく間違っていないはずだと加藤は思う。
逆に学校前で待たれていたりしたら、自分も周りの目を気にすると思うからだ。
だから文句なんて言えない。言える立場でもないし、勝手に来てしまった自分が悪いのだからと飲み込んだ。
「そういえば、愛菜ちゃんってもう飯食った?」
「え? いえ、まだですけど」
「それを早く言ってよ。腹減ったでしょ? どっか入ろうぜ」
「は、はい!」
2人は松崎1人では絶対に入らなそうな子洒落たレストランに入った。店内は平日のこの時間にしては混んでいて、男女のカップルが目に付き嫌でも今日がバレンタインデーなんだと、店の雰囲気が松崎達に伝えた。
注文したメニューが運ばれてきて食事をしている間も、加藤は自分が座っている席に置いてある紙袋が気になって仕方が無かった。
いつ渡せばいいのか。本命チョコを渡すなんて生まれて初めての加藤にとって、何もかもが不安で食べた食事の味など全く分からない程だった。
松崎の方はいつもと変わらない様子で、色々と話題を加藤に振るのだが、会話にも集中出来ない加藤は相槌を打つばかりで話が全く膨らむ事はない。
松崎も加藤の異変に気付いてはいたが、その事には全く触れずに最後まで話しかけるばかりで会計を済ませて店を出ると、時計の針が21時30分を回ったところだった。
「遅くなっちゃったな。送っていくよ」
店を出て松崎が駅に向かおうとしながら、加藤にそう告げる。
加藤にとって通常なら喜ぶイベント発生という場面なのだろう。
だがこのままだと渡すタイミングが完全に失ってしまうと焦り、かなりわざとらしいとは思いつつも、加藤はO駅の裏通りにある小さな公園で休憩しないかと誘った。
今日はバレンタインデー。この状況でそんな所に誘う加藤の意図に気付かないわけがない松崎だったが、想い人から気持ちを伝えて貰える事態だというのに、松崎の表情から嬉しいという感情が浮かんではいなかった。
「なんか飲む?」
「い、いえ! だ、大丈夫……です」
「……そう」
寒空の下、公園で休憩しようと誘っているのに体を温める飲み物をいらないと言った時点で、松崎は覚悟を決めて短く息を吐いた。
「……あ、あの」
「うん」
バレンタインデーのこの日。小さな街灯の灯りしかないこの場所でもわかる程、顔を真っ赤にした女の子がモジモジと手に紙袋を持っている。
この状況で女の子が何をしようとしているのか分からなければ、男を止めた方がいい。そう言い切れてしまう程に条件が整い過ぎているこの空間で、加藤が紙袋を松崎に差し出してきた。
「えっと、今日はバレンタインなので……その、よかったら……これ」
意を決した言葉だったが、最後の方は声が掠れていた。
松崎は差し出された紙袋を黙って見つめている。
「志乃から教えて貰いながら作ったので、不味くはないと思うんですけど……」
「わざわざ作ってくれたんだ。これはホワイトデーのお返しは倍返しじゃ足りないかもね」
冗談っぽく言う松崎であったが、言葉と裏腹にその顔には悲壮感が漂っている。
「お返しなんていりません。これは受験の時に助けてくれたのと、今度の旅行でお世話になる……その……お礼っていうか」
そこまで話した加藤が突然地面を勢いよく踏みつける。
その音が薄暗い公園に小さく響くと、俯いていた加藤が勢いよく顔を上げる。
「違う! そうじゃなくて!!」
「愛菜ちゃん?」
加藤は静かに、でも確実に大きく酸素を肺に取り込み、真っ直ぐ正面に立っている松崎を射抜く。
「松崎さんの事が好きです! こんな私ですけど――付き合って下さい!!」
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