第49話 バレンタインの間宮のルーティン
瑞樹が最後の私立の入試に挑んだ同日の午後。
間宮が昼食を摂ろうと社員食堂に向かうと、珍しくタイミングが合ったなと軽く手を上げる松崎がいた。
「そういや、さっきPCでお前のスケジュール見たぞ」
「俺の? なんで」
「お前また14日に出張いれてるだろ」
「ああ、それが?」
「とぼけんな。お前ってば毎年わざと2月14日に出張が入るように調整してんだろ」
「そんなの偶々だって」
ラーメン定食が乗ったトレーを持って、松崎の向かい側に座った途端に自分のスケジュールの事でモノ申される間宮。
松崎が指摘しているのは毎年バレンタインの日に出張を入れて姿をくらませているという話が、社内で有名になっているというものだった。
「断って社内の空気を悪くするのが嫌だから、本命チョコを渡されないように逃げ回ってんだろ?」
「バーカ。俺がそんなモテ男に見えるか?」
「経理の真澄ちゃんに、企画課のなっちゃん。それと秘書課のツートップの一角の沙友里ちゃん……か。俺が知ってるだけでもこれだけいんだけど?」
「それこそお前の勘違いだ。俺はお前が言う3人とは殆ど接点がないんだぞ」
「そう! それだよ! 接点が殆どないってのに好意を向けられてるんだぞ? お前」
「いや、だから――」
「その3人と顔を合わす度に、お前の事訊かれるんだけど? それでもすっ惚ける気か?」
「…………」
短い時間で急成長を遂げメキメキと業績を上げ続ける間宮は、営業部だけでなく他部所でも有名人となっていた。
そんな将来超優良株である間宮に女性社員が目を付けないはずもなく、虎視眈々と狙いを定めているのだと松崎は語る。
その事を知ってか知らずか、女性が攻勢に出やすいバレンタインデーに必ず姿を消す間宮の事で、何故か毎年松崎に苦情が飛んでくるのだと言う。
「た、偶々だ!」
「お前ねえ。名古屋の顧客回りするのに、わざわざ泊まる必要があるようにアポを散らすのが偶々だってのか? ここから名古屋なら十分に日帰り出来んだろうが」
「そ、それは先方の都合が関係してんだよ。それに今年は引継ぎの事があるから、一件一件に時間がかかるんだ」
「お前はまったく……。それに去年まではともかく、今年に限って言えばそんな小細工する必要なかったと思うがな」
「なんで?」
「考えてもみろよ! 狙っている男とはいえ、春には遠距離になる事が決まってる奴をまともに相手すると思うか?」
「――あ、なるほど! それは考えなかったな」
「やっぱりワザとじゃねえか!」
ようやくボロを出したなと、松崎は息を吐く。
「それに今年は瑞樹ちゃんも渡す気なんじゃないんか? あと神楽優希からも」
「もし渡されたとしても、俺には受け取る資格がないだろ。さっきお前も言ってたじゃん! すぐに遠恋になるやつなんか相手にしないって」
「確かに言ったけど、神楽優希はともかくとして、瑞樹ちゃんにまだ新潟に行く話してねぇんだろ?」
「…………いや、瑞樹は俺を頼ってくれてるから、あの子にとって一番大事な時に余計な波風を立てたくなくてな」
「はぁ……お優しいこって!」
「んだよ! そんなんじゃねえって」
松崎にはそう答えた。確かに今は余計な事で受験の邪魔をしたくないというのは嘘ではない。だが、それだけが理由ではない事も事実としてあるのだ。
(格好つけても、本音は結局……)
東京を離れる選択をした事を後悔していない。
だが心残りがないわけではない。
この異動の話がもう一年早ければ、微塵も悩む必要などなく、まだかまだかと新潟へ引っ越す日を指折り数えていたに違いない。
だが、瑞樹や優希に出会ってしまった今は、もう2ヶ月足らずでずっとやりたかった仕事が出来るというのに、未だに気持ちが新潟へ向かないのは、間宮の中で何も明確な答えを出せていないからだろう。
優希からは選択を迫られているが、返事はまだしていない。
瑞樹には卒業旅行から帰ってきた時に話すつもりでいる。
それまでは、頼りになる兄貴でいようと決めている事自体に迷いはなかった。
(…………だけど)
食事を済ませてから、間宮が昼休みが終わるまで休憩スペースで松崎と缶珈琲を飲んでいる時、手に持っていたスマホが震えた。
液晶に映し出された名前に、間宮の顔が曇る。
「……言わんこっちゃない」
間宮の顔色で誰からの電話か察した松崎は、空き缶をクズ箱に投げ入れて先にデスクに戻っていった。
「もしもし」
『あ、良ちゃん。お疲れ様! 仕事中にごめんね』
「うん。どうした?」
『えっとね、14日仕事が終わった後って空いてるかなって思って』
「悪い。その日は出張でこっちにいないんだよ」
『えぇ!? なんでよりによってバレンタインに出張しちゃうかなぁ!』
「ごめんな。取引先がどうしてもこの日でって言われてさ」
(――嘘っぱちだ)
松崎の指摘通り、間宮は毎年2月14日に出張をいれるようにして、自分に近しい人間に会わないようにしていた。
それは誰に言い寄られても、気持ちを受け入れる気がしなくて、正面切って断ると社内の空気が悪くなるのを嫌って、毎年そうするのが間宮のバレンタインイベントになっていた。
松崎にも言ってないのだが、実は何人かに言い寄られた事がある間宮は極力相手を傷つけないように断ったのだが、どこからかその話が漏れて屈折した噂が社内に知れ渡り、間宮ではなく気持ちを伝えてくれた女性社員に被害が出た事があるのだ。
そう言った経緯で14日に出張をいれるようになったのだが、結果的に優希の誘いを断らないといけなくなってしまった。
『折角明日オフだから、気合い入れたチョコ作るつもりだったのに』
「それは悪い事したな。でも……仕事だからさ」
『うん、分かった。仕事中にごめんね』
「いや、俺の方こそごめんな。それじゃ、またな」
電話を切った間宮は、もう誰もいなくなっていた休憩スペースで大きな溜息をつく。
碌でもない男だと間宮は頭をガシガシと掻きまわす。
優希には早く答えを出さなくてはいけない。春先までにと言われてはいるが、貴重な時間を無駄に食い潰させるわけにはいかないと分かっているのに、現実は優希の気持ちを受けるばかりで、未だにハッキリと答えられない自分を嫌悪すらしている。
瑞樹にしても同様で、受験があるからと言い訳をしているが、本音は話してしまったら別れる事を嫌でも意識してしまう事が、怖いだけなのだ。
以前なら焦らずになんて呑気な事を言っていたかもしれないが、いよいよそんな悠長な事を言っていられない状況になってきたというのに――分かっているのに、最近は寝る間を惜しんで考えているのに、未だにウジウジしている今の自分が大嫌いだと、間宮はまた大きな溜息をつくのだった。
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