第50話 St. Valentine's Day act 1 佐竹の決断

 2月14日 早朝。


「おはようございます! 師匠!」

「うむっ! おはよう弟子よ!」


 佐竹はあの日からすっかり日課になった神山の道場で朝稽古をする為に、早朝に道場を訪れていた。


「しっかし今更なんだけど、よく朝稽古続いてるよね」

「はは、受験の関係で偶に休んだら一日気持ち悪くなる位には、慣れたかな」

「あっはは! なにそれ!」


 2人は道場の脇で談笑しながら、稽古前のストレッチを行っていた。佐竹はこの稽古前に談笑する時間が気に入っている。

 ここ最近では私立の大学入試を全て終えた為、合否の話題が中心だった。もし落ちていれば二次試験を考えないといけないのだが、2人共手応えが良かったのか今朝は受験の話題は上がらなかった。


「でも、今日は来ないと思ってたよ」

「え? なんで?」

「だって今日はバレンタインだよ? 志乃か愛菜から連絡なかったん? 今日時間ある? みたいな」

「はは、それはないでしょ」

「わっかんないよー? 世の中には絶対なんて事は存在しないんだからね?」

「そりゃそうかもしれないけど、極小の可能性の為に稽古を休む気はないよ」

「ほほう! 言うようになったねぇ」


 以前の佐竹ならその極小の可能性に縋って、一日スマホの前で連絡を待っていたかもしれない。だが、それをせずにここへ当然のように現れて入念にストレッチをする佐竹を、神山は何だか誇らしく感じた。


「うるさいよ。さてっと、そろそろ稽古始めようぜ」

「そだね! じゃ、今日も宜しくお願いします!」

「ウっス! お願いします! 師匠!」


 始めた頃は精神鍛錬と称して、心を鍛える稽古だけだった。

 武術だけでなく、ありとあらゆるスポーツというのはメンタルが非常に大切で、それぞれ鍛え方は違えど、トレーニング法が存在するのだ。

 だが、神山が使う古武術に興味を持った佐竹は型を教わるようになり、今では偶に軽い組手をするようにまでなっていた。


「はぁ……はぁ……。当たり前なんだど、やっぱ神山さんって凄いよな」

「そう? まぁ私は物心つく前から、お爺ちゃんに仕込まれたからねぇ」


 いつもより熱の入った稽古を2時間行った2人は、道場の脇に座り込んで汗を拭いながら談笑している。


「……なぁ」


 スポーツドリンクを喉に流し込んで荒かった呼吸を整えると、佐竹は少し強張った表情で神山に話しかける。


「ん? なに?」

「女の子より弱い男ってどう思う?」

「どうって……私の場合殆どそれに当てはまるから、気にしないかなぁ」

「でも、それって情けない事だよな!?」

「――それはないよ」


 佐竹の価値観を否定した神山は立ち上がって、凛とした姿を見せる。道場に差し込む朝の光が神山を照らす。

 その姿を見上げていると、何故今まで気が付かなかった事に気付く佐竹。

 稽古をつけ始めて貰った頃、神山はここの道着を着ていたはずだ。その道着姿が格好良くて見惚れた覚えがある。

 だが、いつからか分からないが今は長袖の神山らしいロック調柄のロングTシャツに、両足の脇の部分に縦のラインが入ったジャージ姿になっていた。

 これでも十分に動きやすい恰好だと思うが、道着と違い女の子らしい体のラインが浮かび上がり、なんというか可愛らしい恰好に変わっていたのだ。


「この前の文化祭の時みたいに喧嘩に勝てなかった事を、私は情けないなんて思わないよ」


 神山の服装に変化について考えていた佐竹の頭の上から、神山の凛とした声が降ってくる。


「情けないというのは、物事に対していつも逃げ腰になっている人間の事をいうと思う」


 その考え方は今の佐竹にも同意出来る。

 だが、やはり誰かを守ろうとして飛び込んでも結局守れなかったら、それも同様に情けない事だと思うのだ。


「そう考えると、やっぱり間宮さんと松崎さんは凄い人達だなって思うよ。正直同じ男として憧れる」

「何言ってんの! 佐竹君は大事な事忘れてるよ?」

「大事な事って?」

「あの2人は私達より一回り以上多く生きてるって事だよ!」


 それはおかしな理屈だと佐竹は思う。

 それならあの2人の同世代の人達は、皆同様に強いって事になってしまうからだ。

 佐竹はその理屈に納得していない顔を向けると、神山は頬を掻いて話しを続ける。


「まぁ確かにあの2人は特殊かもね。あの連中を1人で抑え込むとか流石に普通じゃないと思うし」

「俺もこのまま努力したら、間宮さん達みたいになれるかな」

「佐竹君があの2人みたいになる必要なんてないよ!」

「なんでだよ」

「強い力って手にした途端、人が変わるって事多いからね。私は佐竹君に変って欲しくない」

「それは違うよ! 僕は間宮さん達みたいになりたんだ。それは何も喧嘩が強くなりたいって事じゃなくて、優しくて強い男になりたいって事だから」


 佐竹も立ち上がって、あくまで間宮達のようになりたいだけなんだと、神山の指摘を否定して「僕は守りたい人を守れるように、これからも頑張るつもりだ」と、いつも自信無さげな佐竹が強い気持ちを込めて神山を見た。


 そう言い切る佐竹に少し頬を赤らめた神山はコホンと咳払いして、道場の出入口に置いてあった紙袋を手に持った。


「ふふ、そっか。それじゃ頑張ってる弟子に師匠からご褒美をあげよう!」


 言って、神山は紙袋を佐竹に差し出した。


「……いらないよ」

「え?」


 佐竹は差し出された紙袋をチラっと見て、すぐに神山に視線を戻してそう言う。


「今日ここへ来たのは、神山さんから義理チョコを期待してたからじゃない」


 言われて手に持っていた紙袋がピクっと跳ねる。


「で、でもさ。折角作ったんだしさ」


 差し出した紙袋を拒否されて胸にキツイ痛みを感じた神山だったが、それを表情に出さずに受け取って貰おうと、佐竹に一歩踏み込んだ時だ。


「これを受け取ってもらえないかな」


 踏み込もうとした視界の先に、可愛らしくラッピングが施された袋があった。


「僕は……神山さんが好きです」

「――――え!?」

「――僕と付き合ってくれませんか?」


 神山の思考は踏み出した足と共に、緊急停止する。

 聞き間違いでなければ、佐竹に告白された。

 いやこれは聞き間違いだと思い直す神山。

 何故から佐竹は瑞樹と加藤の間で、気持ちが揺れているはずなのだからと、神山は頭の中で今起こった事を全面的に否定する。


「こ、こらこら! 告る相手違うくない!? 流石に告る練習台にされるのは、無理なんだけど」

「いや、間違ってないし、練習してるわけでもないよ――僕は神山さんに気持ちを伝えてるんだ」


 佐竹は神山の言う事を真っ直ぐに否定する。

 ここまで直球に言われてしまえば、神山も聞き間違いでも練習台でもないのだと認めるしかなかった。


「なんで? 佐竹君は志乃と愛菜が好きなんだよね?」

「……そうだな」

「じゃあ、何でそんな事を私に言うの?」

「神山さんは――僕の事を見てくれるからだよ」


 理由を訊かされても、神山は佐竹が言いたい事を理解出来ずに困惑の色が滲む。


「瑞樹さんや加藤がって事じゃなくて、今まで僕の事を見てくれた女の子なんて1人もいなかったんだ」

「そんな事――」

「――あるんだよ! でも、神山さんだけはこんな情けない僕を肯定してくれて、強くなりたいって言い出した僕を嫌な顔一つ見せずに、こうして毎朝稽古をつけてくれる」

「…………」


 神山は知り合ってから、特に文化祭以降の佐竹を思い出していた。

 彼はいつも一生懸命だった。不器用なりに好きな女の子の気持ちを一生懸命追いかけていた。


 あの校舎裏での乱闘の時もそうだ。


 あの中に飛び込むのは相当な勇気が必要だったはずだ。

 普通なら誰か助けを呼びに走る場面だ。

 でも佐竹は加藤が危険に晒された場面で、臆する事なく体を張って加藤を守った。

 その光景を見た時、神山の本音は羨ましいと思ったのだ。

 初めて知り合った時は、確かに頼りなさそうだというのが第一印象にあったからこそ、余計にあの文化祭での佐竹の行動には驚かされた。

 平田達が立ち去ってから加藤に弄られている佐竹を見て、心の中で頼りない奴なんて決めつけた事を謝ったりもした。


(――だからかもね。佐竹君の事を応援しようと思ったのは)


「前から思ってた事言っていい?」

「なに?」

「佐竹君て、惚れっぽい性格?」

「……そう訊かれたら、否定できないかも」

「だよねぇ! 志乃が無理なら愛菜に。愛菜も無理そうだから今度は私……だもんね」

「……そ、それは!」

「まぁ? 志乃が一番なのは仕方がないとしても……さ。私的には愛菜とは同等だと思ってたんだけど、佐竹君の中では愛菜が二番目で、私が三番目なんだね」


 ジトっとした目を向けて、神山は棘しかない言葉を並べられて、俯くだけの佐竹に冷たい視線が刺さる。


「……違う」

「何が違うの?」


 暫く俯いていた佐竹がようやく絞りだすように一言発すると、勢いよく顔を上げて話を続ける。


「確かにそう思われても仕方がないと思うし、惚れっぽいのも否定しない。でも……神山さんで妥協したなんて思ってない! 絶対にそれだけは違うから!」

「だから――どう違うのよ」


 具体的な理由を話そうとしない佐竹に、神山は少し苛立った様子で両腕を組み、佐竹に理由を話せと迫る。


「だ、だって、好きだってちゃんと伝えたのは、神山さんだけだったんだ」

「そ、それは安い女だから言いやすかっただけでしょ!?」

「違う! さっき神山さんに妥協じゃないかって言われて思ったんだ」

「……なにを?」

「瑞樹さんや加藤に好きだって言わなかったのは、憧れていただけだったんだって……」

「は? それって、やっぱり私は手頃な女だって思ってるって事じゃ――」


「だから違うって言ってんだろ! 黙って最後まで聞け!!!」


 佐竹にしては珍しく出した大声が道場に響き渡ると、こんなに強く言われた事がない神山の肩がビクッと跳ねあがり、目をこれでもかと見開いた。


「2人には僕の勝手な理想を重ねていただけだって、ここで稽古を付けて貰いながら考えていて気が付いた。瑞樹さんなんて知り合った頃は、今の彼女とは別人ってくらいに冷静沈着って感じでカッコいいって憧れてた……」


 瑞樹のあの誰も寄せ付けないクールな雰囲気に憧れを抱いた。

 勿論、今の、瑞樹に幻滅したわけではなく、身近に感じる事が出来る存在になり、強烈に惹かれるものがあった。

 だが、そんな新しい瑞樹は間宮が引き出したものであり、佐竹はあのクールな彼女にこんな魅力があるなんて想像もした事がなかったと話す。

 少なくとも佐竹には見つける事が出来なかった。いや、見つけようとすらせずに、クールに生きる瑞樹に格好良くなりたい自分の理想を押し付けいただけかもと付け足す。


 加藤に対してもそうだと続ける。

 いつも明るくて周りを笑顔にする事ができる加藤に憧れていた。

 昔から隅っこで生きてきた佐竹にとって、絶対に出来ないと思える事を当たり前のようにやってのける加藤が気になっていた。

 だが瑞樹と同様に、自分では出来ない理想を押し付けていただけだと気が付いたのだと神山に話して聞かせた。


「だけど、神山さんは違うんだ。勿論、神山さんにも僕に出来ない事が沢山出来る人だとは思ってるんだけど――」


 瑞樹と加藤への気持ちを語った後、続けて神山の事を語り始めた時、佐竹は言葉を詰まらせて肩が震えた。その震えが緊張からくるものではなく、ちゃんと神山に気持ちが伝わらない事を歯がゆく感じたのだろうと、何となく察した神山は言葉に詰まった佐竹に助け船を出す。


「志乃達と私はどこが違うの?」


 すると、ハッとした佐竹は再び口を開く。


「神山さんには僕の理想を投げて勝手に期待する気持ちはなくて、憧れとかでもないんだ。僕には神山さんは目標として写ってるんだよ」

「憧れじゃなくて……目標?」

「うん。どっちにしても情けない事を言ってるのは自覚してる。結局は僕が追いかけてるだけってのは変らないしね」


 それは違うと神山は思う。

 確かに瑞樹に対してはそうかもしれないが、加藤はハッキリと口にはしていないようだが、お互いの気持ちを伝えあう事はしたんだと加藤本人から聞いた事がある。

 であるなら、加藤とは向き合っていた時期が確かにあったのだ。


「確かに志乃はそうかもだけど、愛菜は違うよね? 夏祭りの時に愛菜に宣言したんでしょ?」

「……したね。でもさ」

「そんな状態で……私に告ったわけ?」

「違っ! だから最――」

「もうここには来ないで……帰って!!」


 何かの糸がプツンと切れた音がしたと思えば、神山は道場の出入口を指差して――佐竹にそう怒鳴っていた。





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