第42話 センター試験 前編 自信と不安

 1月19日早朝。


 目覚ましが鳴る前に体をゆっくり起こして、軽く深呼吸をする。


「うん、大丈夫。落ち着いてる」


 気が張り過ぎていないか意識を内面に向けた瑞樹は、思っていたより落ち着いている自分に安堵してベッドから降りる。

 カーテンを開けても、この季節のこの時間は真っ暗なのだが、瑞樹はまるで気持ちの良い朝日を浴びているかのように、両手を組んで天井に掲げ気持ち良さそうに体を伸ばした。


「んーーーーー! っはあぁ!!」


 深く息を吐きだすと、血液が体中を巡っていくのを感じた瑞樹は、少しドキドキする高揚感を気持ちいいと感じた。


 着替えようとパジャマのボタンに触れた時、ベッド脇に置いてあったスマホが断続的な振動と共に、トークアプリからの通知音が鳴る。

 着替えを中断してスマホを確認すると、以前ゼミ仲間だけのグループトークルームにメンバーが次々と書き込みがされていた。


 皆それぞれ朝の挨拶に始まって、お互いの健闘を祈るような内容のメッセージが表示されている。

 メンバー全員がセンター試験を受けるのだが、それぞれ学校が違う為試験会場がバラけていて各々で会場に向かう事になっているのだ。


 皆の書き込みを見てクスっと笑みを零した瑞樹も、メッセージを書き込む。


『おはよう皆! いよいよセンター試験だね。皆の検討を祈ってる! 勿論私も頑張るよ(´▽`*)』


 書き込んだメッセージに全員の既読がついた事を確認してから、またスマホをベッドに置こうとした時、メンバーでまだ書き込みをしていなかった加藤のメッセージが届く。


『お、おはよ……。み、みんないよいよだね! お、落ち着いて、が、頑張ろう!』


 加藤のそんな書き込みを見て他のメンバーから『お前が一番緊張してんじゃん!』とか『もう! 愛菜ったらボケて私達の緊張をほぐしてくれたの!? めっちゃ余裕じゃん!』などと突っ込まれていた。

 確かにわざわざメッセージの文章で吃らせる必要はない。それに普段の加藤から想像すると、神山が言うように皆の緊張を和らげる為にした事だと思うのも理解できる。

 だが、瑞樹はこの書き込みから違和感を感じて直接電話をかける事にした。


『ひゃ、ひゃい!』


 ワンコールも呼び出さないうちに加藤が電話にでたのだが、すぐに瑞樹の嫌な予感が当たっていた事に苦笑する瑞樹。


「おはよ、愛菜」

『お、おお、おはよっ』


 吃る愛菜の声と共に、電話越しにガチガチと何かが当たる音がする。この音は恐らく加藤の上下の歯が当たる音ではないかと推測した瑞樹は、想像していた以上にヤバい状況だと判断した。


『な、なんで……わ、わかった?』

「分かるよ。親友をナメるな」

『そ、そっか……ごめんね志乃……ど、どうしよ……わ、私ね――』

「――ねぇ、愛菜」


 加藤が何かを訴えようとしたが、瑞樹は敢えてその言葉を遮り話を続ける。


「今日別々で行く予定だったけど、よかったら待ち合わせして少し話さない?」


 瑞樹は意識して出来る限り優しい口調で、そう提案した。


『で、でも、こんな状態じゃ、し、志乃に迷惑かけるだけだし。志乃だって試験なのに……』

「いやいや、愛菜さん? これは命令だからね?」


 瑞樹はまたも加藤に話を遮り、これは命令で拒否権はないと言い切ると「命令じゃ仕方ないなぁ」と瑞樹の気持ちに甘える事を選んだ。


「それじゃ後でね!」


 言って電話を切った瑞樹はすぐに壁に掛けてある時計に目をやりながら、切ったばかりのスマホの画面をスワイプして何かを何処かへ送ったのだった。


 スマホをベッドに置いて着替えを再開させた瑞樹がリビングへ降りようとすると、下からいい香りが漂ってきた。

 香りに誘われるようにリビングのドアを開けると、父である拓郎がソファーに座って新聞を読んでいて、キッチンでは母の華が朝食の準備に取り掛かっていた。


「――おはよう。今朝は何でこんなに早いの?」


 不思議そうに瑞樹がそう尋ねると、2人は仲良く同時にズッコケる。


「どうしてって! そりゃ志乃の試験があるからに決まってるだろ」


 拓郎が呆れ顔でそう言うと、キッチンにいる華も額に手を当てていた。


「どこの世界に子供の大切な日に、呑気に寝てる親がいるのよ……まったく」


 溜息交じりで届けられた言葉は、寒い朝を温かいものに変えてくれた。

 毎日遅くまで働いている両親に少しでも休んでもらう為に、瑞樹は静かに家を出るつもりでいた。共働きで働かせてしまっているのは、自分の学費にお金がかかっているからだと自覚しているからだ。


「もうすぐ出来るから、志乃は顔を洗ってらっしゃい」

「うん。わかった」


 顔を洗い終えた瑞樹がリビングへ戻ってくると、食卓には湯気が立つ温かい朝食が配膳されていて、瑞樹は自分の指定席になっている拓郎の隣の席に腰を下ろした。


「ん~おはよ」


 冷めないうちに食べようと3人が手を合わせた時、ドアが開き大きな欠伸をしながら希がリビングにやってきたかと思うと、そのまま眠そうな顔のまま食卓に着く。


「……あれ? 私の分がない?」


 ボーっと自分の場所に何も置かれていない事に首を傾げる希に、華が溜息をつく。


「アンタがこんな時間に起きるなんて思わなかったのよ。何で今日に限ってこんな時間に……」

「えー? だっていつも通りに起きたら、私のご飯がなさそうだったから」


 それが希の照れ隠しだと言う事は皆分かっていた。

 家族が皆応援してくれているのが強く実感できた瑞樹は、家族の温かさに触れて更に緊張が解けてこれから受ける試験が楽しみとさえ思えてきた。

 時間がないからと華は希の朝食を作り始めたが、拓郎が先に食べなさいと進める。確かに待っていると時間的にヤバいかもしれないと、拓郎と瑞樹は先に手を合わせて食事を始めた。


 華が作った味噌汁が体中に染み渡る。普段は瑞樹が自分で作っている物だからあまり実感がなかった事なのだが、これがよく聞くお袋の味ってものなもかと頬が緩む瑞樹だった。


 いつもバタバタと食べる朝食の風景が当たり前になっているのだが(主に希が中々起きてこない為)今朝はゆっくりと家族で食べる事ができて更にリラックスして、身支度を入念に済ませた瑞樹が家を出ようと玄関に向かった。


「志乃、落ち着いてね!」

「お前なら普通にやれば大丈夫だからな!」

「うん。ありがとう! お父さんお母さん!」


 きっと早起きしてくれたのは見送りをする為だけじゃなくて、朝から余計な事をさせないでリラックスさせようとしたのだろうと、瑞樹は家族の有難みを改めて実感した。


 いや……したのだが。


「まぁ、間宮さんのお墨付きがあるんだから、余裕っしょ!」


 希は激励のつもりでそう言ったのだろうが、この一言で拓郎の顔がビシッと固まった。


「ま、ま、間宮って確か前にも聞いたぞ!? い、一体誰なんだ!? 志乃!」

「い、いってきまーす!!」


 初詣騒動の時から娘に男の影がある事を知ってしまった拓郎にとって『間宮』という名はタブーに等しく、過剰な反応を見せる拓郎にヤバいと危険を感じた瑞樹は、ニヤリと笑みを浮かべる希を恨めしそうに睨んで、逃げる様に家を飛び出して行ったのだった。


 予想外の出来事もあったが、家族に見送られて家を出た瑞樹がお気に入りの自転車を漕いで駅に向かうと、早い時間だからかにいつもより冷たい風が吹き抜けていく。

 だが、家族揃って食べた朝食の時間が瑞樹の心と体を温めてくれたおかげで、寒さは大して気にならずに快調に自転車を走らせる。

 ほぼ毎日通っている並木道に枯れた落ち葉が風で舞い、カサカサと音を立てながら踊る様に瑞樹を迎える。

 この季節では当たり前の光景ではあるのだが、何だかこの落ち葉が頑張ってこいと励ましてくれているような気がしてしまう程、今の瑞樹は充実していた。


 駅前のいつもの駐輪所に向かい、スタンドを立てて自転車を停めて前かごに入れてある鞄を手に取って、瑞樹はまだ空いている駐輪スペースの一角に目をやる。


 今までしたきた努力に不安はない。

 出来る事はやってきたと、胸を張って誰にでも言える自負もある。


 瑞樹はまだ自転車の姿がないスペースに立ち、大きく深呼吸をして鞄の取っ手をギュッと握りしめた。


「見ててね! 間宮さん!」


 誰もいない駐輪場でそう独り言ちた瑞樹は、まだ人の数が疎らな駅の構内に消えていくのであった。







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