第33話 語り合う夜 瑞樹&加藤編

 元旦の夜。

 間宮との初詣から帰宅して入浴を済ませ身軽な部屋着に着替えた瑞樹は、家族との時間を過ごした後、希とじゃれ合いながら自室に戻ると、ベッドに置いてあったスマホが震えているのに気付く。

 一緒に部屋に入ってきた希は察して「またあとでね」と手を小さく振って出て行くのを確認してから、震えるスマホをタップして耳に当てた。


 電話をかけてきたのは加藤で、瑞樹は正月らしい挨拶をしたのだが、加藤はそれを遮って真っ先にこう言うのだ。


『自分で思っていた以上に――ま、松崎さんの事……マジっぽい』


 加藤はとても明るくて、周りを楽しませるのがとても得意な女の子だ。そんな加藤がいつも大事にしているという挨拶の重要性を瑞樹に説いた事がある。

 その加藤が新年の挨拶をすっ飛ばしてしまう事で、どれだけ彼女がテンパっているのか瑞樹には手に取る様に分かった。

 瑞樹は挨拶を返してこない事を口に出さずに、加藤の話に意識を集中させる。


 何度か松崎の事をどう思っているか訊いた事があった。

 だが、今まではどちらかというと否定したような口ぶりだったのだが、とうとう本音を口にした事により何かあったのだと瑞樹は察した。


「そっか……。答えが出たんだね」

『……うん』

「何かあった? 今日って愛菜も松崎さんと初詣だったんだよね?」

『――うん。特に何があったってわけじゃないんだけど……ね』


 加藤は今日一日の事を簡潔に瑞樹に話して聞かせた。


「あはは、鳥居を潜る前から祈るとか松崎さんらしいね」

『ほんとそれ! 作法もへったくれもなかったから、参拝に来てたおじさん達に指さされたりしたもん』


 そう話す加藤の声は言っている内容と真逆で、弾んでいた。


「でも――嬉しかったんでしょ?」

『――うん。凄く嬉しかった』


 言って、あの時の松崎を思い出して、顔を真っ赤にする加藤。


「だよね。でも、松崎さんを好きになる愛菜の気持ち分かる気がする」

『あれ? 笑わないの?』

「え? なんで? 松崎さんを好きになるのって可笑しい事なの?」

『いや、だって……チンチクリンの私が松崎さんをだよ? 大人の人なんだよ!? つり合い取れてないじゃん?』

「そんな事言ったら、私も一緒だよ?」

『志乃は規格外だから!』

「なにそれ!?」


 同時に吹き出す2人。

 そういえば、全く同じ年の差の人を必死に追いかけている女の子が一番近くにいたと、加藤は今更ながらに気付くと笑わずにはいられなかった。

 佐竹の事を思うと罪悪感でいっぱいになってしまっていたのだが、こうして笑っている間はその事を考えずに済むと強張っていた肩の力が笑い声と共に抜けていく。


「とにかく、愛菜が松崎さんを好きになるのに可笑しい事なんてないよ。全く同じ状況の私が言うんだから間違いない!」

『えー!? それって同士って事なんだから、説得力なくない!?――でも、ありがと志乃』


 電話の向こうにいる加藤の声に安堵の息が混じっている事に、余程松崎の事を好きになった自分に自信が持てなかったのだろうと瑞樹は察した。


「いい初詣になったみたいで良かったよ……でも」


 そこで話を切っても、加藤は黙ったままだ。恐らく次に何を言われるのか見当がついているのだろう。


「……迷ってるんだよね?」

『……』

「だから、私に電話してきたんだよね? 違う?」

『……違わない』


 加藤が認めた迷いの原因。それは瑞樹にも分かっている事。


「前にも訊いた事あるけど、佐竹君の事はどうするの?」


 加藤の気持ちが松崎に移った事を責めるつもりなど毛頭ない瑞樹だったが、あの夏祭りにお互いに気持ちを伝えあい、ただの友達の範疇を超えている佐竹の事を蔑ろにするわけにはいかないと、瑞樹は加藤に佐竹への気持ちを問う。


『あいつはもういいの……。あいつはまだ志乃をみてるから』

「そんな事――」

『――あるよ! 本人は無自覚かもしれないけど、見てたら分かるもん。でも、あいつが無理だから松崎さんにってわけじゃないからね。それは絶対に違うから!』

「愛菜の考え過ぎだよ。でも、もしそうだったとしても愛菜はその事を含めて佐竹君の事好きになったんでしょ?」

『……そうだけど。わ、私にだってプライドがある! いつまでもウジウジしてるのを待ってる程……私は安くない』


 想いを抱く感情と自身のプライドの狭間で苦しんでいたのだと独白する加藤に、瑞樹はもう佐竹の事に関して何も言うまいと決めた。


「そっか。愛菜が苦しんでたのに、私は自分の事ばっかりでごめんね」

『ち、違う! 志乃は何も悪くない! だって志乃はずっと苦しんできたんだよ!? 今はそれを取り戻す事に全力なのは当たり前! だからこうやって愚痴ってる私が言うなって感じだけど、志乃はそのままでいいんだよ』

「……ありがとう、愛菜――あ、それとね」

『ん?』

「私は分かってるからね。愛菜がそんな器用な事ができる女の子じゃないって」

『……ん。ありがと』


 いい加減な気持ちや、投げやりになって松崎の事を意識したわけじゃないと言い切る加藤の言う事に嘘はない。ずっと佐竹を想っていた加藤を見てきた瑞樹だから分かる事。

 だから瑞樹は加藤の気持ちを無条件で肯定するのだ。

 加藤も松崎の存在を意識してから、相当な葛藤があったはずだ。

 決して人を好きになる事に対して、答えは1つとは限らない。

 1人1人に物語が存在して、人は物語の選択肢を選んで生きている。そしてゴールの辿り着いた時、自分がどれだけ成長したのか知るのだ。

 だから答えなんて十人十色で、正解不正解なんて存在しないのだと、瑞樹は加藤の苦しみを知ってそれを実感するのだった。


『それで……さ。志乃だったら、こういう場合どうする?』

「え? 私?」


 言われて少し考えてみる瑞樹。

 そもそも男嫌いをつい最近まで貫いてきた瑞樹にとって、複数の男の間で揺れた経験などなく、やっぱり解らないなと加藤に返そうとした時、自然と岸田の笑顔が思い浮かんだ。


「ち、違う! 私はそんな目でみてるわけじゃないから!」

「へ? え? なにが!?」


 不意に岸田が浮かんだ瑞樹はつい口に出して、そんな対象にみているわけじゃないと否定してしまい、突然の事で困惑した加藤の声が電話越しに伝わった。


「な、なんでもない……ごめん、気にしないで」


 言って一旦スマホを耳から離してコホンと咳込み、スマホを耳に当て直して口を開く。


「私にはそんな経験がないから偉そうな事言えないんだけど、佐竹君と松崎さん。どっちを選んでも後悔する時は必ず来るんじゃないかって思う。でも、でもね? それが駄目なんじゃなくて、後悔しない選択を探そうとしたら失敗すると思う。それだけ愛菜が悩んでることは、誰かを絶対に傷つけて愛菜自身も絶対に傷付く事だから……」

「……後悔しない選択を探すと失敗する……か」


『後悔しない選択を探すと失敗する』

 あまり聞き慣れない言葉かもしれない。

 よく映画やドラマなどでは『後悔したくない!』と『後悔なんてしない』というのをよく耳にするが、後悔しない選択を探さないなんて聞いた事がないはずなのだ。


『言いたくなかったらいいんだけど……さ。志乃はどうしてそう思えるの?』


 加藤にしてみれば当然の疑問だっただろう。今の加藤にとってその根拠が必要なのだ。


 瑞樹は少し声のトーンを下げて根拠となる例に、あの中学時代の平田との事を選んだ。

 あの告白を断わった事で始まった地獄のような日々。

 その原因が平田である事を岸田から訊いた時、確かに瑞樹は後悔したのだ。

 もし、あの告白を受け入れていれば、あんな虐めを受ける事なく中学生活を送れていただろう。

 だが告白された時には、そんな目に合うなんて分かるはず等ないのだが、もし、もしだ。もしそうなる事を知っていたとして、自分は平田を受け入れただろうかと考えた事があったのだ。

 知ったうえで苛めを受けない選択を選んだ時、好きでもない人の恋人になって後悔していないかと問われれば、やはりNOと答える自分しか思い浮かばなかった。

 それに、これは結果論でしかないが、苛めを受けない方を選択していれば、こうして今電話で話をしている加藤にだって出会う事はなかっただろうし、ましてや間宮に出会う事も好きになる事もなかったのだ。


 ――だからと瑞樹は話を続ける。


「だから、後悔しない方を選ぶんじゃなくて、後悔する事になっても結果から目を逸らさない方を選ぶのが大切なんじゃないかって思う」

『結果から目を逸らさい方を……か』


 言って加藤は黙り込んだ。

 その沈黙が加藤にとって大切な時間なんだと察した瑞樹も何も話す事なく、加藤が再び口を開くのを待った。


『――うん。そう、そうだね。分かったよ!』


 暫しの沈黙を加藤の元気な声が破る。


『私、松崎さんが好きだ! それが佐竹を傷つける事になっても、私自身が傷つく事になったとしても――その事から目を逸らさない覚悟ができた!』

「そっか。愛菜が選んだ事なら私は何を言う事はないよ。応援するから頑張れ愛菜」

『うん。ありがとう! お正月早々にこんな話を聞かせてごめんね』

「何言ってんの。今までどれだけ愛菜に助けられてきたんだから、少しでも役に立てたのなら嬉しいよ」


 夜遅くまでお互いの想い人について語り合った。

 所謂、恋バナというやつだ。

 ずっと恋愛というか男そのものを拒絶してきて、友達には必要以上に神経をすり減らして生きてきた瑞樹にとって、そんな電話でのお喋りが信じられない時間だった。

 加藤と話す事に機嫌を伺う必要はなく、おかしいと思う事は遠慮なく指摘したり、また自分の主張を否定されても我慢して飲み込む事をせずに反論したり……。

 どこにでもいる女の子達のどこにでもある時間が、瑞樹にとってとてつもなく大切で幸せな時間なのだ。


『おっと、もうこんな時間か! それじゃ3日にねぇ』

「うん!3日にね。あ、そうだ! 当日の服装の事なんだけど」

『ん? あぁ、着物着るかどうかって事?』

「うん」

『松崎さんも間宮さんも来ないんだし、いつもの恰好でいいんじゃね? 特に志乃がそんな恰好したらナンパとかウザイし、男は佐竹だけだから頼りないしね』


 失礼な事を言ってると思う瑞樹だったが、そのやりとりが加藤と佐竹のデフォなんだと口を挟む事をしなかった。

 それに加藤の言う通り、間宮がくるわけではないし、そもそも今日晴れ着姿を見て貰ったんだから瑞樹も加藤に合わせる事にした。


 おやすみを言って電話を切って、ベッドにゴロンと体を預ける瑞樹は思い描く。親友の恋が成熟して幸せそうに2人並んで歩く姿を。


「愛菜なら大丈夫」


 瑞樹はそう独り言ちて、間宮との初詣と親友との楽しい時間を噛み締めながら眠りについた。







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