第32話 真冬のひまわり 後編

(やっぱり松崎さんといると楽しい。どきどきもするんだけど、何だか温かい気持ちになる)


「それとこれも買ってきたんだ」


 加藤は改めて松崎との時間を噛み締めていると、お守りが入っていた紙袋からまた何かを取り出して見せた。


「これって絵馬ですか?」

「そう。2枚買ってきたから、一緒に書こうよ」

「はい!」


 松崎の気持ちを理解した加藤は、遠慮する事なく絵馬を受け取りニッコリと笑う。


 絵馬を買った付近に設置されているテーブルに移動した2人は真剣な顔で絵馬にマジックを走らせようとした時、松崎は大事な事を訊き忘れていたと隣にいる加藤に顔を向けた。


「愛菜ちゃんってどこの大学狙ってるんだっけ?」

「え~? 志望大学も知らない人に合格祈願されてたんですか? 私」


 ジト目を向けられて「うっ」と顔を引きつらせる松崎を見て、思わず加藤が吹き出すと松崎も後頭部をガシガシと掻いて笑った。


「仕方がない人ですねぇ。私はI大志望ですよ」

「I大? あそこって確か女子大じゃなかった?」

「はい、そうですよ」


 加藤の志望大学を訊いて松崎は意外だと首を傾げる。

 大学の偏差値的には中々の大学だが、松崎が意外だと思ったのは加藤が女子大を志望していた事だ。


「意外だな。愛菜ちゃんは出会いを求めてサークルとか積極的に参加して、色んな男と付き合ったりキャンパスライフを満喫するんだと思ってたよ」


 松崎の言葉に絵馬に文字を書き込んでいた加藤のマジックが止まる。


「確かにそんな大学生活に憧れはあったんですけど、志乃と知り合って考えさせられる事があって、何か違うかなって思ったんですよ……ていうか、ですね」


 そこまで話す加藤の口が止まる。

 屈んで絵馬にマジックを走らせる手を止め松崎は、話を止めた加藤の顔を覗き込むように見上げると、頬をぷっくりと膨らませて口を尖らせた加藤が見下ろしていた。


「え? なに?」


 松崎の困惑した顔を見た加藤は、意を決して再び口を開く。


「ま、松崎さんは……その、私にそんな大学生活を送って欲しいですか!?」


 ガタンッ!


 予想もしていなかった事を言われて松崎は激しく動揺したのか、絵馬を書いていた台を揺さぶってしまい、マジックがあらぬ方に向かって走っていく。結果、グニャグニャの線が一本絵馬を横たわるように鎮座させてしまった。


「あ! しまった!」


 慌てて線を消そうとする松崎だったが、油性のペンで書かれたそれが消えるはずもなく、随分と見栄えの悪い絵馬が完成してしまった。


「な、なんだよそれ……どういう意味だ?」


 大失敗した絵馬に肩を落とした松崎が、隣でペンと止めたままの加藤に向き直る。


「質問を質問で返さないで下さい」


 すかさずそう返す加藤の正論過ぎる言葉に、バツの悪そうな表情を浮かべる松崎。


「どうなんですか? 送って欲しいんですか? 欲しくないんですか?」

「い、いやいや! 俺がそれをどう思おうと、愛菜ちゃん的にどうでもいい事でしょ。彼氏とかじゃないんだから」

「興味本位で訊いてるだけなんで、彼氏とかどうでもいいんです。それで、どうなんですか?」


 ある意味加藤らしくグイグイと返答を迫る加藤ではあったが、その目は真剣そのもので、とても興味本位で訊いているようには見えない。

 その眼差しの当てられたのか、松崎は観念したように溜息をついて重い口を開いた。


「その……正直、面白くは……ないかな」


 大抵の事はノリと勢いだけで進めてしまいがちな大学生の世界。

 全部が全部そうだと言わないが、この期間でしか許されないからという安直な空気に当てられて、色んな意味で乱れた生活を送るのが大学生だ。

 勿論、超難関大学ともなれば当てはまらないかもしれないが、大方間違ってはいないだろうと松崎は考えている。

 何故なら松崎もそのうちの1人だったからだ。

 深く考えないで楽しければと過ごした大学生活の末、とんでもなく間違った選択をしてしまった過去がある。

 だからといって、それを警告する資格などない松崎にとって問われたくない質問だったのだ。


 歯切れの悪い返答をする松崎に対して、加藤は徐に俯いて黙り込んでしまった。

 高校生相手に余裕がなくなっている気恥しさと情けなさが入り交じり、何とも形容しがたい表情をつくる松崎に、俯いていた加藤が見せたのは寒い冬空を吹き飛ばしてしまいそうな、温かい満面の笑顔だった。


「そうですか!」

「そうですかって……え? えっと」

「ん? だから興味本位で訊いただけだっていったじゃないですか」


 言って絵馬にマジックを走らせ始めた加藤に、口に出したくなかった本音を聞き出すだけ聞き出しておいてと、ポカンと口を開ける松崎だった。


「さて絵馬も書けたし、奉納して出店に繰り出しませんか?」

「あ、あぁ。そうだな」


 ニッコニコの加藤に対して困惑の色を隠せない松崎は、奉納した絵馬に軽くお辞儀をして、出店が立ち並ぶ通りに戻った。

 出店では朝から殆ど食べていなかったからと、定番の物や珍しい物まで兎に角色々な物を食べ歩き、鳥居を出た所にあるベンチに腰を下ろして盛大な息を吐く2人。


「はぁ……もう無理! これ以上は食べれませぇん!」

「はは、ホントによく食べたよなぁ。俺も晩飯いらないわ」

「私もですよ。でも食べないと家族が寂しそうな顔するから、少しは食べないとなんですけどね。お正月終わったらダイエットしないとヤバいかもです……」


 はぁっと白い息を空に向かって吐く加藤に「食べてばっかりだったから、喉乾いたろ」と近くにあった自販機から買ってきたミルクティーを手渡す松崎に、加藤の笑顔が弾けた。


「ありがとうございます。はぁ……あったかぁい」

「そんなに無理にダイエットなんてしなくても、別に愛菜ちゃん太ってないじゃん」

「見えない所は結構ヤバいんですよー。勉強ばっかりでまともに体動かせてないですからね」

「少しくらい肉付きがある方が、女の子らしくていいと思うけどなぁ」

「あ、これはセクハラですね?」

「え!? い、いや! 違う! そんなつもりで言ったんじゃないって」

「あはは、冗談です。わかってますよ」

「――ホント勘弁してよ」


 慌てる松崎に吹き出して加藤が笑うと、やっぱり受験生であっても正月は笑わないとなと松崎は少し大袈裟に笑った。


「さて! 受験生をあまり連れ回すのも悪いし、そろそろ帰ろうか」


 言って松崎がベンチを立つと、さっきまでニコニコと笑顔を絶やさなかった加藤の表情が曇る。


「……もう帰るんですか?」


 寂しそうなその表情は松崎の心を揺さぶるのに十分の威力があり、綺麗な着物姿の加藤に思わず一歩踏み込みそうになるのを何とか堪えた。


 あの時神楽優希のライブのあと、佐竹に呼び出された時に、ハッキリと自覚した気持ち。


(もう認めるしかない。俺は彼女を好きになってるんだ)


 好きな女の子からまだ帰りたくないなんて言われて、嬉しくない男はいないだろう。だが加藤は受験生で今が大切な時だと、松崎は自分の感情を押し殺して笑顔をつくる。


「あぁ、帰ろう。遅くなったら親御さんも心配するだろ」


 陽が沈むのが早い季節。日が傾いたかと思えばあっという間に真っ暗になってしまう。

 まだ高校生の女の子を子に持つ親は、辺りが暗くなると時間関係なく心配するものだろうと松崎は思うのだ。


「子供扱いしないで下さい……それでなくても気にしてるんですから……」


 保護下にある高校生は子供で間違いはない。だが、この年になると子供扱いされるのを嫌うのも経験上松崎にも理解はできる。


「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃなくて、純粋に愛菜ちゃんの事が心配なだけで」


 少し前なら100%子供として同じ事を言っただろう。だが、今言った事は完全に意味が違うんだと松崎は自覚しているからこそ、真っ直ぐに加藤の言い分を否定した。

 そんな松崎を見て少しの間黙っていたいた加藤が不意に顔を上げて、上目使いで見上げる。


「それじゃ、今度またこうやって会ってくれますか?」


 上目使いで言うこの言葉に、松崎の心は完全に撃ち抜かれてしまった。計算高い女がよくやる仕草というやつだが、加藤の全く裏が無い仕草は松崎に心を鷲掴みにするのに十分の破壊力があった。


「あ、あぁ。んじゃセンター終わったらどっか行こうか」

「は、はい! 絶対ですよ! 言質取りましたからね!」


 どこか切なげな表情から一気に笑顔が咲き乱れる。


 ――真冬に咲いたひまわり。


 その屈託のない笑顔を松崎はそう名称つける。


 今日一日で色々な顔を見せた加藤だったが、この笑顔が一番彼女らしいと、思わず松崎の顔が柔らかく緩んだ。

 自分の一語一句に表情をころころと変える彼女が愛おしいと思ってしまう程に、松崎は自分の中に加藤が大きくなっている事を自覚する。


 加藤の手を引いてベンチから立ち上がらせると、松崎はそのまま手を繋いだまま駅に向かうと、加藤は繋がれた手を解こうとしない。まるで繋ぐ事が至極当然であるかのように。

 元々話好きな2人は電車の中でも笑い声が絶える事なく加藤と待ち合わせをしていた駅に着く。

 元旦の行楽を楽しんだ乗客達が多いホームに足を付けた2人は、あれだけしゃべくり倒していたとは思えない程に黙り込んだ。

 通り過ぎる沢山の足音が妙に加藤の耳に響き、その音がまるで2人の時間の終わりを告げる秒針の音に聞こえた加藤は、思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られてしまう。


「じゃあ、またね愛菜ちゃん」

「…………」


 松崎がそう言っても加藤からは何も返答を返さずに、さっきまで見せていたひまわりのような笑顔も影を潜める。


(あ、駄目だ! 止まれバカ!)


 体が勝手にションボリしている加藤に向かう。

 頭で制止させようとしているのだが、動き出してしまった体は中々に頑固で言う事をきいてくれない。

 やがて松崎の腕が加藤を包み込もうとした時、俯いた加藤の口が僅かに開く。


「……ごめん……佐竹」


 小さく、本当に小さく呟いた言葉は一瞬で周囲の雑音と強く吹き抜ける冷たい風に掻き消され、松崎の耳にも届かなかった。

 だが、何故かあれだけ言う事をきいてくれなかった松崎の体がピタリと止まり、抱き寄せようとしていた腕がだらん重力に逆らわずに落ちた――その時だ。


 トンと小さな衝撃を松崎が感じたかと思うと、冷たい風に晒されて冷え切った体にじわりと温かくなった。


「……私……最低です」


 松崎の胸に小さな額を当てた加藤の小さく呟かれた言葉が、何に対してのものなのか、松崎には痛いほど理解できた。


 若い2人の恋路を邪魔してしまった自覚はある。

 松崎が自分の気持ちを殺してしまえば、誰も傷付かない事も分かっている。

 元々、もう誰も好きになんてならない。1人で気楽に生きていくと決めたはずなのに、加藤の体温を感じている部分からなくなっていたはずの感情が酷く疼いた。


 ◇◆


 その後、なんて言葉をかけて別れたのかよく覚えていない。

 気が付けば加藤の背中を見送っている自分がいた。

 そっと自分の胸に手を当てると、あの時の温もりが感覚として残っていた。


 自分も帰ろうとかと再び駅の改札を潜り自宅の最寄り駅がある上り線に体を向けたのだが、足が前に進まない。

 松崎は軽く息を吐き、下り線のホームに伸びる通路を眺めながらポケットに突っ込んでいたスマホをタップして耳に当てる。


『もしもし? どうしたんだ? 正月早々に――』

「――間宮! 俺ヤバいかも! どうしたらいい!?」

『……は?』


 ◇◆


 帰宅した加藤は母親に手伝って貰って着物を脱ぎ、部屋着に着替えて身軽になったはずなのに、体はまだ重いままだった。

 松崎と散々食べ歩きをしたせいで、食欲なんてなかった加藤だったが、着付けをしてくれた姉夫婦が昼過ぎから訪れていて、久しぶりに家族全員で夕食を囲む事を楽しみにしていた両親の事を考えると、いらないとは言えず箸を持って食べるふりをしながら楽しそうに酒を呑む家族に付き合った。


 2時間程してようやく解放された加藤は自室に戻り、ベッドに腰を下ろしてスマホをタップして耳に当てる。


『もしもし。あけましておめでとう! 愛菜』

「そんな挨拶は後! 大変なんだよ志乃! 助けて!」

『え? え? ど、どうしたの!?』

「じ、じつは……ね」

『うん』

「自分で思っていた以上に――ま、松崎さんの事……マジっぽい」








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