第26話 間宮と初詣 act 1
1月1日 元旦 朝
「これでよしっと!」
早朝からお母さんに着物の着付けをしてもらって、最終確認を終えたところで、お母さんは満足気に腕を組んで鼻を鳴らした。
「可愛い! ヘアメイクもこの着物に凄く合ってるね」
着付けを終えた私は全身鏡の前でゆっくりと全身を回しながら、綺麗な着物の生地にウットリする。
「でしょ! 下手な美容師には負けないわよ」
そう得意気に笑うのには裏付けがあって、実はお母さんのお母さん、つまり私のお婆ちゃんが昔着付け教室を開いていて、お母さんはお婆ちゃんにみっちりと仕込まれたそうなのだ。出来栄えを見ると、確かにこれが無料でやってもらえるレベルではない事は私にも分かった。
「ふふ、お母さんに似て美人さんのこんな姿を見て、これでときめかない男がいたら、それはもう病気よねぇ」
「自分でよくそんなこと言えるよね。その自信の1割でいいから分けて欲しいよ」
「何言ってんの! 志乃はとても綺麗よ。そろそろ時間でしょ? 自信もって行ってきなさい」
「う、うん。ありがとう、お母さん。いってきます」
改めてお礼を言って玄関で履き慣れない草履に足を通す。
正直、これが不安なんだよなぁ……。
履き慣れてないから、自由に動けないし……。
でも、絶対に晴れ着姿を間宮さんに見てもらうんだから、頑張れ私!
今日は新年に相応しく澄み渡る快晴で、自然と足取りが軽くなる。風は相変わらず冷たいけど、防寒対策に羽織と首に巻いたショールのおかげであまり気にならない。寧ろ、もうすぐ間宮さんに会えると思うと、ドキドキして体が熱く感じるくらいだ。
着物を着ているから自転車は使えない。着なれない着物と履き慣れない草履でいつものようには歩けないだろうから、早めに家を出たのは正解だと思う。
昨日寝る前に決めた事がある。
それは家族以外で今日、2019年最初に話す相手は間宮さんにする事。その為に近所の人に声を掛けられないように、普段とは違うコースでA駅に向かった。
誰にも声を掛けられずに待ち合わせ場所に着いて、振袖から手首を出すと間宮さんにプレゼントして貰った腕時計が顔を覗かせる。振袖に腕時計はどうなんだと思ったけど、折角の間宮さんとの初詣デートにこれを使わない選択肢は私にはなかった。
時計の針は10時20分を少し回ったとこを指して、着物だからと早く家を出たのはいいけど、どうやら余裕があり過ぎてしまったみたいだ。
一応辺りを見渡してみたけど、やっぱり間宮さんの姿はまだない。だけど、間宮さんを待つ時間は嫌いじゃないんだよね。
それに強引に誘った初詣に、自分が遅刻なんてしてしまったら……想像するだけで身震いしちゃうね。
周囲を行き交う人を眺めていると、晴れ着姿の人はあまりみかけない事に不安が過る。
着物なんて着て気合いれ過ぎって引かれないかな……。
盲腸とはいっても手術してからあまり経ってないのに、初詣に誘ったりして迷惑だったかな……。
待つ時間は嫌いじゃないと言ったけど、待っている間に冷静になってきて……不安がどんどん大きくなっていく。
それは色々と不安な気持ちになる材料が多いからだ。
と言っても、今更の話でもう止める事なんて出来るわけないんだから、こんな気持ちのまま会ったりしたら隠そうとしても、きっと間宮さんには見抜かれてしまうだろう。
(よし!この時間を利用して、この沈んだ気持ちを落ち着かせよう)
私は軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせようと、目を閉じた。
視界を塞ぐと気にもしなかった音が妙に大きく聞こえるから不思議だ。
電車が走る音、ホームに流れるアナウンス。
駅を行き交う人達の話し声に、沢山の靴の音。
時々吹き抜けていく冷たい風の音。
そんな音が妙に大きく聞こえてたんだけど、暫くしたらその音があまり聞こえなくなってきた。
なんとなく原因は分かってる。それは多分、私がこっちに向かってくる足音を探してるからだ。
目を閉じて5分くらい経っただろうか。一定の方向に流れている足音の中から、こっちに向かってくる足音が聞こえてきた。
待ち合わせをしてる場所は特になにもない所だから、この場合こっちに向かってくる用件は限られている。
そう。ここで待ち合わせている人だけのはずだから。
その場合、当然向かってくるのは私と待ち合わせをしている彼しかいない。
やがてこっちに向かってきている足音が私の前で止まった。
それを確認した私は、小さく深呼吸をして気持ちを整えてから閉じていた目を開く。
視界の先には当然待ち人の彼がいる……はずだったのに。
(……あぁ、なんで)
「よう! あけましておめっとさぁん! こんな隅っこでなにしてんの?」
開いた視界の先には間宮さんじゃなく、だらしない恰好をしたガラの悪そうな3人組の男だった。
私は咄嗟にこの場を離れようとしたんだけど、男達に素早く私の退路を断つように囲まれてしまった。
逃げられないと判断した私は、晴れ着姿でやる事じゃないんだろうけど、口は開かないとギュッと強く唇を合わせてキッと殺気立った目で男達を睨みつけた。
「めっちゃ可愛い恰好じゃん! 初詣行くんでしょ?」
「俺達もさ! 新年だし神さんに参ってやろうかと思ってたんだけど、参る前からこんなご利益があるなんてなぁ!」
「ほんとそれな! もう今年は大吉間違いなしじゃん! ぎゃははっ!」
屁理屈にすらなっていない、酷いこじ付けた言い分だ。
本気でこいつ等の頭の中を疑う。
こんなに気持ちの良い元旦の空の下に居て欲しくない、ゴミのような連中に吐き気がする――と言ってやりたかったけど、今日は今日だけは初めて口を開く相手を決めているから、こんなゴミ共に口撃をするわけにはいかない。
もうすぐ間宮さんが来てくれるはずだ。
新年早々、迷惑かけるのは心苦しいけど、ここは我慢して待つしかない。
「なぁ! 何か言ってくんねぇかなぁ」
「聞こえてますかぁ!?」
「無視はいけないよぉ! 俺達こうみえても繊細だからさぁ!」
繊細という字も書けなさそうな馬鹿面並べてと、罵倒したくて仕方がなかったけど、もはやそんな言葉すらこいつらには勿体ないとさえ思えてきた。語尾が荒くなってくるこいつ等とは逆に、何だか妙に冷静になれた自分がいる。
できれば間宮さんが来ちゃう前に諦めて消えて欲しい。
いくら馬鹿でも、可能性なんて1ミクロンもない事くらい分かっているだろうに。どうしてこの手の馬鹿はこんな無駄な事にエネルギーを消費するんだろう。元気が有り余っているのなら、少しは世の中の為になる事でもすればいいのに……。
閉じた口を更にギュッと力を込めてそんな事を思案していると、男達の1人の声が大きく響く。
「おい! いつまでシカトしてんだよ! コラァ!!」
自分の思う様にいかないとなると、すぐに大声を出すのが馬鹿のデフォルト。何時だったか誰かが言ってたっけな。
そんな馬鹿な大声あげたら、どうなるかなんて考えもしないんだろうな。
男の大声に通行人が一斉にこっちに視線を向けるのが見えて、周囲の足音が止まりだした。
「おい! あんまり大声出すな! 通報されたらヤバいだろうが!」
こいつらも周りの様子に気付いたみたいだけど、もう手遅れだと思うよ。
私はその隙に鞄の中に手を入れた。中には暴漢対策で用意していた催涙スプレーが入っているんだ。
正面に立っている男の目を潰して、怯んだ隙に逃げ出せば間宮さんに迷惑をかけずに済むと、私は鞄のスプレー缶をギュッと握った。
お互いの顔を見合わせていた男の1人がこっちを向いたのと同時に、私は鞄の中からスプレー缶を取り出して構えようとした時だった。
「悪い! 待たせたか?」
一瞬で耳に溶け込む声。その待ちわびた声を聞いた瞬間、握りしめていたスプレー缶から手を離す。
「何だてめえ!」
「邪魔すんじゃねえ!」
声の主に小汚い罵声を浴びせる男達の隙間から、割って入ってきた人を目で追おうとして色々と体制を変えてみたんだけど、中々向こう側が見えなくてヤキモキする。
その時、まるで重厚なドアをこじ開けるように、正面にいた男が誰かに押し退けられて、そのスペースから晴天の光が差し込んだかと思うと、すぐに私の前に背中を向ける人が現れた。
声を聞いた時から分かってはいたけど、こうして大きな背中を目の前にすると、包み込まれる安心感から顔を綻ばせた私は、守る様に現れた背中に向かって、ずっと固く閉ざしていた口を開いてあの人の名を呼ぶのだ。
「――間宮さん」
こうして助けられるのは何度目だろう。
いい加減申し訳ない気持ちと、助けてくれた安心感が交じり合って言葉が続かない。
だけど、何時の時代でも好きな人に守って貰えるのは、何というか女冥利に尽きるって思ってしまう私は……傲慢なんだろうか。
背中越しから声をかけると、振り向いた間宮さんと目が合った――んだけど、何故か反応が返って来なくて、黙ったまま目を見開いて私をジッと見ている。
しまった。やっぱりこの恰好は駄目だったんだろうか……。それとも気合い入れ過ぎだって引かれた!?
何も言わない間宮さんに「……あの」と恐々声をかけたら、ハッとした仕草を見せたかと思うと、男達の方に顔を戻した。
男達の乱暴な声のせいで、間宮さんが何を言っているのかよく聞き取れなったけど、どうやら話し合いでこの場を収めようとしているみたい。
だけど、諦める様子を見せない男達は、怒りに満ちた形相で間宮さんに詰め寄ったんだけど、少し近づいた所で足が止まった。
私は遠目に間宮さんの背中越しから前を覗き込むと、足を止めた男の蟀谷辺りを間宮さんの手が覆っていた。
やがて顔を鷲掴みされた男が痛みに耐えきれずに、許しを請おうとし始めた時、私は間宮さんの顔が一瞬歪んだのを見逃さなかった。
(きっと、手術の傷が痛んだんだ)
その事に気付いた私は、男が降参を告げたのと同時に間宮さんの懐に潜り込むように回り込んだ。
盲腸の手術を行った傷跡の位置なんて知らないけど、左手で庇う様に押さえている辺りがそうなんだろうと、私は当てている間宮さんの手を上から被せるように手を乗せた。
こんな事をしても痛みが和らぐわけがないけど、私にはこれしか思いつかなかったんだ。
「ごめんなさい! 手術の傷が痛むんだよね!?」
どうすればいいのかなんて分かんない。
心配する事しか出来なくて、それも私の我儘のせいでと思うと、甘えてばかりの自分に腹が立った。
「あ、いや、大丈夫だから気にするな」
「絶対大丈夫じゃないよね!?」
ナンパ男達の姿が完全に見えなくなったのを確認した私は、何でもないと装う間宮さんを見上げた。
そうなんだ。お礼するなんて言われて咄嗟に願望が駄々洩れちゃったけど、間宮さんは盲腸の手術を受けてまだ日が浅いんだ。内部の治療を行う為に体の1部を切って、それをまた縫い合わせたんだ……。痛みが無いわけがない。
「盲腸の手術で傷口が痛むなんて少し考えれば誰にでも分かる事なのに、初詣に連れていけなんて我儘言って……ごめんなさい」
「謝る必要なんてないよ。元々、医者からリハビリに歩け歩けって言われてたしな。でも目的もなく歩くのって性格的に向いてないから、瑞樹に誘われてなかったらきっと部屋に引き篭もってたと思うし」
「…………」
「だから誘ってくれて助かった。目的があれば出掛けるのは嫌いじゃないし……それに」
また間宮さんに迷惑をかけてしまった……。
間宮さんはリハビリに丁度良かったって言ってくれたけど、そんな言葉を鵜呑みにする程、今の私は馬鹿ではないつもりだ。
「……それに?」
まだ続きがあるみたいだ。きっとこの人は私に気遣って優しい嘘を言うんだろうな……。
(……ホント……馬鹿だ私)
激しい自己嫌悪に陥りながら話の続きを待っているんだけど、間宮さんの顔が見れなかった。
初詣は中止にしよう。でも、普通に言っても間宮さんは絶対に首を縦には振ってくれないだろうな……。最悪、仮病を使って強引に解散させるしか……。
「瑞樹の可愛い着物姿が見れたんだぞ? 一石二鳥どころか三鳥あるだろ!」
「ふぇ!? か、かか……かわ……いい!?」
優しい嘘がくるのは分かってた。
だから真面に聞く気なんてなくて、どうやってこの時間を無かった事にするかってことばかり考えてたのに……そんな思考が一気に吹き飛んでしまった。
気が付けば目を大きく見開いて見れなかった間宮さんの顔を見上げている私がいたんだ。
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