第25話 父の建前と本音

 私こと瑞樹拓郎みずき たくろうは2人の娘をもつ父親である。

 妻 瑞樹華みずき はると結婚して子供を授かってから、家族を養う為に一心不乱で働いてきた。

 全ては家族を娘達の幸せの為に頑張って来たんだ。


 そんな最愛の娘である志乃に、ここの所距離を感じ始めた。

 元々次女の希と違って反抗期らしい反抗期がなかった為か、いつも従順で親をたてるところがあった志乃だったのだが、最近私に対して言葉を選ぶ節を感じていたのだ。


 その事に妻は以前から気が付いていたみたいだったが「いい変化だから、今はそっとしておいて」と言われていたから、気にしないようにしてきた。


 だが、今日……いや、たった今その理由が分かった。

 娘の志乃に初めて男の影を感じたからだ。

 家族揃っての行事を断わる事なんてこれまで体調を崩した時以外に1度もなかった志乃が、新しい1年を祈る大切な行事に来ないなんてあり得ない事だからだ。


 少し前までは確かにいい子ではあったが、どこか影を感じる事が多々あった。そんな娘を心配して何度か話を聞こうとしたのだが、何でもないの1点張りで自分には娘にしてやれる事がないと思い知らされた。

 そのうえ我が家は共働きだ。

 自分の収入だけで今の生活レベルを維持するのが理想ではあったが、情けない事だが現実はそう甘くなかったのだ。

 幸い、妻の華も手に職を持った女性だったから、出産や育児休暇をとってもすぐに復帰出来る仕事に就いていた為、瑞樹家が財政難に陥る事は一度もなかった。

 それに元々,妻も専業主婦なんて出来る性格ではなく、家に閉じ籠る事を拒否して自ら働く事を選択してのだから、今の生活に不満はないと話してたしな。


 本音を言うと、私立に進学して予備校に通わせてくれと言われた時は金の工面に苦労したが、その甲斐あって国立であるK大の合否判定がAになる程の学力をつけたのだから、親として嬉しい限りだ。


 只、そんな家庭事情で家を空けがちの生活を送っていると、娘達の心配事が半端なく増えていく。

 親バカなどではなく、どう客観的に見ても妻に似てウチの娘達はかなりの美人なのだ。

 そんな娘達の為とはいえ、夫婦そろって帰宅時間が遅くなる事が多々ある為、その分姉妹だけでこの家にいる時間が長くなってしまっていた。

 それは途轍もなく気がかりな事で、生活の為とはいえ気にしなくてもいい理由になどならない。

 だが、しっかり者に育ってくれた志乃のおかげで、大した事が出来ない希の面倒を率先してみてくれたばかりか、家事も卆なくこなしてくれていたんだ。

 大変だったと思う。

 遊び盛りの年頃なのに、家の事を押し付けられてきたのだから……。


「――お父さん……ごめんね」


 おっと、物思いに耽っていたようだな。


「ん? 何を謝ってるんだ?」

「初詣いつも家族で行ってたのに……行けなくなったから」


 そうだった。その事で気落ちして、昔の志乃の事を考え込んでしまっていたんだった。

 そもそもの話、私に気落ちしたり、ショックを受ける資格などあるのだろうか。

 生活の為とはいえ、志乃の自由を奪ってきた私に家族の時間を放棄された事に落ち込む資格なんて……。


「いや、もうその事は気にしなくていい。ただその代わり2日は空けておいてくれよ」

「うん! それは約束するよ」


 小さい頃はどこへ行くのも私の後ろを着いて回っていたのに、今は私が娘を追いかける事になるなんて……な。ふふ、何だか可笑しくなってきたな。

 ホッと安堵した顔を見せている志乃に観念を含む息を吐くと、今晩のメインディッシュを華が食卓に運んできて、これで今晩の夕食の配膳が完了したようで、華もエプロンを外して席に着いた。

 志乃はそれを見て冷蔵庫から缶ビールを2本取り出して、私達の前に置いてくれた。

 揃って手を合わそうとした時、私達3人のスマホから同時に通知音が鳴ることで、それが家族用に作っていたグループトークルームにメッセージが届いた事は示していた。

 スマホを手元に置いてあった志乃が画面を立ち上げて内容を確認すると、緊張が混じった顔をしていた志乃の口角が上がった。


「希がバイト終わって、今から帰るって」


 A駅から自転車だとすぐ帰ってくるだろうからと、折角だから食べ始めるのを少し待つ事にしようと話すと、志乃は「そうだね」と私達のビールをまた冷蔵庫に戻してくれた。本当に気が利くいい娘だ。

 だが、皆揃うまで待とうと言ったのは建前で、この時間を利用して思い切って気になっていた事を志乃に訊く事にした。


「あのな……志乃」

「うん。なに?」

「その……な。一緒に初詣に行く男の事なんだが……」

「う、うん」


 私が何を訊こうとしているのか察したのだろう。志乃は俯いてテーブルが視界を遮って見えなかったが、モジモジとする様子から膝の上で指を絡めているのは分かった。


「……その男と……なんだ、その……付き合ってるのか?」


 訊きたい事を言い始めた時は、途中で誤魔化して止めようと悩んだが、どうしてもハッキリさせたい気持ちが勝って核心に触れる質問を最後まで言い切った。


「へ? つ、付き合ってな、なんてないよ! か、彼氏とかじゃないから!」


 真っ赤な顔をして必死に否定する志乃を見て、その相手に対してどんな感情を抱いているのか、親じゃなくても誰にだって分かる反応に思わず顔が引き攣った。


 そんな娘の初々しい反応に愛おしさと、相手の男に対して憎悪が複雑に入り交じって言葉に詰まってしまった。

 実際、志乃は嘘をついていないのだろう。

 だが、あくまで『まだ』なのだ。

 相手がある事だから言い切る事は出来ないのだが、恋仲になるのを時間の問題なのだろうなと考えるのに十分な答えだった。


 こんな時は本当に娘の父親なんて無力だと思い知らされる。

 アドバイスや手助けをしてあげるどころか、相手に憎悪の感情を抱く事しか出来ないのだから。

 ふと隣に座っている華を見ると、私の反応が余程面白かったのか、口元を抑えて声を殺して笑っていた。

 いい気なもんだと溜息が漏れる。志乃と希、どちらかが息子だった場合、恐らく今私がとった行動や複雑な感情に言葉を詰まらせていたのは華の方だったはずだというのに。

 息子をもつ親と、娘をもつ親では心境的に違うだろうし、妻も私と同じ位に親バカなのだから。


「そうか――まぁなんだ……。受験勉強も頑張ってるみたいだし、正月くらい息抜きだと思って楽しんできなさい」

「うん――ありがとう。お父さん」


 何とか寛大な父親らしく振舞えたと思いたい。

 今夜は頼めばいつもより酒を呑ませてくれるかな……。

 華の様子を見る限り、多分大丈夫だろう。


 ただ彼氏らしき影が現れたってだけで、酒を呑みたくなるなんて……。もし志乃が会って欲しい人がいるなんて言い出したら、私は一体どれだけの酒を呑んでしまうんだろと、今から怖くなってきた。


 だが、あの志乃が選ぼうとしている相手とは一体どんな男なんだろう。抗う事を諦めると、相手に興味が湧いてきた。高校生?いや大学生……か?そういえば初詣に行けないと言われたショックで、相手はどんな奴なのか訊くのを忘れていた。


「因みになんだがな……志乃」

「うん? なに?」

「その初詣に一緒に行くという男は……その、どんな男なんだ? 同じ学校の男なのか?」

「え? えっと……違う……よ」


 フム、やはり同級生じゃないか。何となくだが、そんな気はしてた。


「それじゃあ、どっかの大学生なのか?」

「……ううん」

「え? 違うのか?」


 てっきりそうだと思っていたんだが……。ふと華に目をやるとあいつも同じような事を予想してたんだろう。俺と同じような反応をしている。


「えっと、ね。その人は社会人なの」

「社会人!? 一体そんな人間とどうやって知り合ったんだ!?」


 至極当然の疑問だろう。

 一介の高校生が社会人と知り合う機会なんて、そうそうないと思うのは間違っていないはずだ――あるとすれば……。


「もしかして……ナン――」

「違うから! 間宮さんはそんな事する人じゃないから!」


 ビックリした。確かに失礼な事を言おうとしたのは自覚しているが、志乃がこんなにムキになるとは思わなかった。

 それに、間宮か。思わぬところで憎き野郎の名前を知れたな。


「あ、あぁ。すまん、失言だったな」

「ついでだから話すけど、夏休みにゼミの合宿に参加したでしょ? 間宮さんは普段はIT関連に努めてる人なんだけど、その合宿にゼミの社長が呼んだ臨時講師だったんだ」

「え? 会社員の人間が臨時講師なんてするものなのか!?」

「私にはよく分からないんだけど、社長がオファーしたらしくてね。受けてくれたら、契約するって事で同行することになったんだって」


 なるほど。それほど大きな契約だったという事か。どういう経緯でオファーしたのかは分からないが、恐らく講師の経験があるのを社長は知ってたってことなんだろう。


「なるほどな。なら、悪いがお父さんはその間宮って奴は感心しないな。講師という立場なのに、志乃と個人的に関わったって事だからな」

「それも違う。間宮さんが近付いてきたんじゃない。私が色々助けてもらったんだよ。それに、間宮さんって凄いんだよ!storymagicって名前が付いた特殊な講義をしてくれてね。あれだけ苦手で諦めかけていた英語を得意科目に変えてくれたんだから!」


 誇らしく気に間宮という男について語る志乃を見て、娘はその男に絶対的な信頼を置いているのだと分かった。


 ならば益々親父の出番はない……か。


「ただいまー!」


 諦めに似た溜息をついた時、玄関から我が家のわがまま姫こと次女の希の元気な声が聞こえてきた。

 廊下をドタバタと賑やかな足音を響かせてこちらへやってきたかと思うと、ダイニングの前で足音が止まり隣のリビングのドアが開いた。


「寒かった! ほんっとに寒かったぁ!」


 リビングに入って来た希は鞄を乱暴に投げ捨てて、ガスファンヒーターの前に陣取って、まるで猫の様に丸まってしまった。


「おかえり希。最近バイト終わるの遅くない?」

「最近お店が忙しくてさぁ。でも今年のバイトは今日でおしまいだから、明日から冬休みを堪能できるぞい!」


 ネコと化した希はモゾモゾと顔だけこちらに向けて、満面の笑みを見せるが、そこに教育係の志乃が槍のように鋭い言葉を投げかける。


「遊ぶのもいいけどさ……。殆ど宿題に手を付けてない事覚えてる?」

「うっ! 労働して疲れ切った可愛い妹に今言う事かなぁ!?」

「馬鹿な事言ってないで、皆待ってたんだから早く手を洗って来なさい」

「あ~い」


 うーん。流石希の教育係だ。あのわがまま姫を一撃で黙らせるとは……。


 急に女っ気が増した志乃に慌てたが、はは、希はまだまだ子供って感じでホッとした。


 ん? そうだ! 私にはまだ希がいるじゃないか!

 そうだ! そうだよ! 志乃と違って希はあんな性格だから、志乃より親離れが遅いはずだ。となれば、希にはまだ子離れなんて考えなくていいって事じゃないか!


 よし! とりあえず我が家の恒例行事である元旦の初詣は2日延期になった事を希に話すとしよう。


(ふふ、希の奴、毎年燥いでたから少し愚痴るかもしれないな)


 志乃の都合でそうなってしまったわけだが、姉妹でケンカにでもなったら大変だろうから、ここは私の都合という事にしてやるか。


 洗面所から戻ってきた希に、少し声のトーンを落として初詣の事を話そうとした時だ……。


「あ、そうだ! 私、大晦日から友達とカウントダウンイベント行って、そのまま泊めてもらって初詣してくる事になったから、今回は家族の初詣はパスね! いやー楽しみだなぁ!」


 ――――どいつもこいつも。







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