第18話 優希の気持ち 後編
「一方的にキスしてしまってごめんなさい……。約束したのに……ごめんなさい。私の事――嫌わないで、下さい」
突然の謝罪に困惑した間宮は、寝室での事を謝る優希に言葉が出てこなかった。
ポロポロと涙する優希。
いきなりキスしてきた時のような強気な姿の影もなく、凄く不安気な優希はもはや同一人物とは思えない程に、弱々しい姿を露呈する。
やはり優希のマンションで感じた事は正しかったと、間宮は思う。幼い頃からずっと姉である優香の後ろに隠れていた優希。そんな自分が嫌で、神楽優希という人物像を作り上げた。
それは意図的ではなく、無意識に……いや、もしかしたら保守的にそうしたのかもしれないと考えると、腑に落ちる点が多い事に気付いた。
つまりは抱いた大きな夢を叶える為に作り出した人物。それが神楽優希なんだろうと、そうしないと厳しい業界で生き抜けないと判断した結果なんだろうと、間宮は心で独り言ちる。
そういえばと、昔姉である優香が妹である優希をやたらと心配していた事を思い出す。当初はどれだけ妹大好きなんだと笑ったが、なるほど――と、これじゃ過剰に心配するのも無理はないなと、間宮は考えを改めたのだった。
それに優希にこんな事を言わせてしまったのは、どう考えても自分のせいだと自覚している。優希の話に対して相槌に近い反応しかみせていなかったのだから、怒っているのだと勘違いするのも頷けるというものだった。
「驚いたけど怒ってなんてないし、勿論嫌ってもいないよ。俺の方こそごめんな」
優希は何も言わずに鼻を啜りながらコクンと頷くと、少し冷めた蕎麦の出汁を一口啜って「ふう」と息をついて落ち着きを取り戻したようだった。
そんな優希に安堵した間宮は、気になっていた事を思い出して空気を変える意味も含めて、今日初めて間宮の方から話題を振る事にした。
「さっきテレビで知ったんだけど、何で優希はずっと紅白の出演を辞退してるんだ?」
振った話題が香坂優希のものではなく、神楽優希のものだったが、今はこれでいいと間宮は判断した。
思った通りこの話題を振ると、気弱な香坂優希の姿が消え失せて、自信に満ちた神楽優希のそれが姿を現したのだが、彼女は彼女でこの質問に即答する事はせず、何やら話辛そうな仕草を見せたのだった。
空気を変えたくて何気に訊いた事ではあったが、優希の変化が気になった間宮は、ジッと話始めるのを待った。
「ん~……。良ちゃんに話すのはいいんだけど、誰にも言わないって約束してくれる?」
やけに慎重だなと首を傾げる間宮。
そんな念を押さなくても元々神楽優希と個人的な付き合いがあるなんて事が、世間にバレたら大変な騒ぎになってしまうのだから誰にも話せるわけがないというのに。
「あぁ、勿論最初からそんな気なんてないよ」
「ん。それならいいんだけど、ホントに内緒だからね! 特に茜さんには!」
ここで意外な名前が出てきたと、間宮は更に首を傾げた。
仕事と直結する案件を、マネージャーである茜に秘密にする理由が思い当たらなかったからだ。
「……分かったよ」
兎にも角にも話を聞かないと先に進めないと、間宮は深く考えるのを止めてそう頷く。
「紅白に出演しちゃうと、大晦日まで働かせてしまうからね」
「……働くじゃなくて、働かせる? 誰を?」
「茜さんに決まってるじゃん!」
意味が分からない。優希を大物にする為に頑張っている茜が、紅白出場なんてビッグチャンスにしかならない事に難色を示すはずがないと、妹である茜の意気込みを聞かされてきた間宮には到底理解出来ない話だった。
「大晦日まで仕事させたら、何時まで経っても茜さんが実家に帰ろうとしないでしょ」
優希の言葉を聞いて、直ぐに間宮の中である仮説が立った。
(……もしかして、この子は)
「それってまさか……ウチの抱えてる問題の為に!?」
まさかと恐る恐るそう間宮が問うと、優希は照れ臭そうに頬を掻いて頷く。
「お前……そんな事で――大きなチャンスを」
「そんな事!? 何言ってんの良ちゃん! 凄く大切な事じゃん!」
間宮の言い方が気にくわなかったのだろう。鼻息荒く抗議する優希の顔は真剣そのものだった。
詳しく話を聞くと、茜は普段から自分の事を話す事がなかったらしいのだが、1度だけ酒の席で酔っぱらって身の上話をした事があったそうだ。
上京して芸能関係の仕事がしたいと訴える茜と、地元の大阪で普通の仕事に就けと言い張る父親の雅紀との対立の末、家を飛び出して今の事務所で働くようになった事。
その後も仕事が軌道に乗っても、両親とは絶縁関係が継続されている事を聞いたそうなのだ。
「私にとって茜さんは、もう1人のお姉ちゃんだと思ってる。家族みたいな存在なんだよ。だから放っておく事なんて出来ない!」
いつか両親と話す為に実家に帰る事になった時、帰りたくてもこの業界は中々大きな連休は見込めない。だから、年に1度大きな連休が取れる年末年始だけが、それを可能にする期間なんだと話す優希。
だから大晦日に仕事を入れたくないんだと付け加えた優希は、今年実家に帰ると茜に聞かされた時、思わず茜に抱き着いたと話す顔が、本当に嬉しそうだった。
(……この子は本当に……なんて子なんだ)
「まぁ実際? 紅白なんて出なくても私と茜さんなら、天下を取るのだって余裕だと思ってるしね!」
そう言い切る優希の目は決して虚勢を張っているものではなく、自信が満ち溢れているもので、間宮にはそんな優希が途轍もなく輝いてみえた。
「――ありがとう」
心の底から湧き上がってくる気持ちを、その一言に込めた間宮。
この先、優希とどんな関係になるのかは分からない。だが、どんな結末を迎えようとも、優希の素晴らしい人間性をずっと忘れないと間宮は強く思った。
「や、やめてよ! 別に良ちゃんの為にしたわけじゃなくて、茜さんの為にしたわけでもないの! 私の自己満足の為にしただけなんだから、お礼なんて言われても困るよ」
慌てて頭を上げる様に促す優希の声が少し上擦っていて、間宮は照れ屋なところも優香にそっくりだと、クスっと笑みを零すのだった。
「まぁ茜さんの事も出たことだし、この際だから私の希望っていうか願望? みたいなのがあるんだけど訊いてもらえないかな」
「……優希の願望?」
「私の目標を実現する為にはね……。隣に茜さんともう1人の間宮さんが必要なんだ。パートナーとして良ちゃんに傍にて欲しい」
「……優希」
「大好きな良ちゃんが傍にしてくれたら、私はどこまでも高みを目指せる気がするから」
もうそこには自信がなく弱気な香坂優希の姿はなく、トップアーティスト神楽優希がいて、その姿に間宮は思わず息をのんだ。
嬉しいのに何故か言葉が出ない。
そんな間宮に優希は年明けにNEWアルバムを引っ提げて、春から全国ツアーに出ると話す。
「だから、良ちゃんが東京を離れるまでに、返事が欲しいんだ」
そう告げる優希は、退院したばかりで長居すると悪いからと、持参していた変装グッズに身を包み、足早に間宮の部屋の玄関に向かって行く間、間宮は何も言えずにいた。
そんな間宮に何も言わない優希の気持ちが分からずに、玄関に辿り着くとドアのノブに手をかけた優希は振り返り、今年最後の挨拶をする。
「本年は大変お世話になりました。来年も宜しくお願いします。良いお年を」
「あ、あぁ。こちらこそ?」
「あっはは。何で疑問形なの?」
「――それじゃ、またね。良ちゃん」
「――あぁ、またな」
優希の告白に、患部の痛みを忘れて部屋を出て行った玄関に立ち尽くす2018年最後の夜だった。
優希の希望する未来に自分がどう関わる事を望んでいるのか……。その全貌を間宮が知るのは少し先の事になる。
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