第16話 元祖ナイトの宣戦布告 後編

 腕時計にセットしていたアラーム音が、岸田に時刻を告げる。

 アラームを止めた岸田は軽く溜息をつきながら、電車の時間だと席を立つと、そこでようやく夢中で間宮について語っていた事に気付いた瑞樹は、青ざめた顔で岸田に頭を下げた。

 だが、岸田が間宮の情報を聞き出そうとした結果なのだから、瑞樹が頭を下げる必要はないのにと苦笑いを浮かべる。

 自分で蒔いた種とはいえ、覚悟していた以上のダメージを負った事で、瑞樹に負い目を感じさせない配慮まで気が回らなかったのだ。


 会計を済ませて店を出たところで、特急に乗り換える駅まで見送ると言い出した瑞樹に、そこまで平静を装う自信がなかった岸田は無難な言い回しでその申し出を断った。

 それならせめてと、目の前にあるA駅のホームまで見送らせてと食い下がった為、そこまでなら隠せると判断した岸田は瑞樹と駅に向かった。


 A駅の改札を抜けてホームに着いた岸田は、改めてホームから見える景色を見渡して、少し後ろを歩いていた瑞樹に「この辺りも結構変わったな」と話しかける。


「私は生まれた時から、ここを離れた事がないからよく分からないけど、岸田君から見たらそうなんだろうね」


 瑞樹も辺りを見渡しながらそう言うと、改めて同じ時間を過ごせていない時間がどれだけ残酷なものだったのかを痛感させられた岸田の顔が、一瞬歪んだ。


 だけど、変わらないものもあるんだと、それを伝えたくてわざわざ名古屋からここまで来たのだと、岸田はグッと拳を握った時、間もなく電車が到着するとアナウンスがホームに流れた。


「瑞樹さん」


 瑞樹に背中を向けたまま、岸田は瑞樹に声をかける。


「ん? なに?」


 背中から瑞樹の反応を聞き取った岸田は、ゆっくりと振り向いた。


「色々と変わった事もあるけどさ。昔から全く変わらないものもあるよ」

「…………」


 そう言う岸田に、瑞樹は何も言う事なくジッと話の続きを待つ。


「俺は中学の時からずっと――瑞樹さんの事が好きだ」


 中学時代からの想いを瑞樹に告げた瞬間、電車が流れる風と共にホームに滑り込んできた。

 届けられた風に、瑞樹の綺麗な髪がサラサラと流れていく。

 だが瑞樹は流れる髪を全く気にする素振りを見せずに、岸田を見つめたままだった。


 そして電車が停まり切る直前、何も言わなかった瑞樹の口が開く。


「ありがとう。凄く嬉しい、本当に嬉しい――でも、ごめんなさい」


 今まで色んな男から想いを告げられてきた瑞樹。

 だが、どれもまともに取り合おうとせずに、時にはわざと嫌われるように、時には冷たく引き離すように。まるで振りマニュアルがあるかのように本心を全く見せる事なく、鉄壁の女や浮沈艦とまで言われる程に、寄ってくる男達を全てぶった切ってきた。


 そんな瑞樹が岸田の告白には初めて真っ直ぐに相手の目を見て、真剣な表情で言葉を選びつつも嘘のない気持ちを岸田に告げた。


 少し前の瑞樹からでは想像も出来ない姿を見せる事で、瑞樹にとって岸田がそれだけ特別だという証明として。


 岸田が傍にいてくれなかったら、今の自分は存在しないと言っても過言ではない。その恩は今でもずっと抱いているのも事実だ。


 だが、いや、だからこそ、岸田には自分の本心を隠さずに向き合わないといけないと、それが今の瑞樹が出来る最大限の恩人に対する対応だったのだ。


 電車が完全に停車してドアが開かれると、一斉に乗客達が動きを見せるなか、岸田は足元に置いてあったバッグを肩にかけて口を開く。


「一応、理由を訊かせて貰っていい?」


 一応と付けたのは、どんな返答が返ってくるのか岸田は分かっていたから。


「好きな人がいます。本当に好きな人がいるの」


 それは電車を乗り降りする人の行き交いが激しい雑音まみれのホームでも、はっきりと聞き取れる力強い声と真っ直ぐな目が岸田を捉えて離さない。


「……そっか。それは残念だな――でもな」


 そこまでは苦笑いを浮かべていた岸田だったが、そこからは真剣な眼差しで瑞樹を見つめ返して話を続ける。


「俺って自分で思っていた以上に、諦めが悪い奴だったみたいだ。その好きな人と付き合ってるわけじゃないんだったら、春から同じ大学に通う事になりそうだし、アタックは続けさせてもらうつもりだから――よろしく!」


 岸田は瑞樹に、そしてこの場にはいない瑞樹の想い人である間宮に宣戦布告をしたのだった。


 その想いを拒否する資格がない事を自覚している瑞樹は、岸田の想いに首を横に振る事が出来ない。何故なら、瑞樹も諦めないといけない場面に出くわしてしまっても、諦められずにずっと間宮を追いかけ続けているから。


「いいよ。でも私ってかなり重い女だって自覚してるから、岸田君の気持ちを受け入れるのは無理だと思うよ?」

「それはどうかなぁ。そういう女の子の方が得てして変わりやすいって聞いた事あるし?」


「「ぷっ」」


 そこまで話すとお互いに吹き出してしまって、とても告白に失敗した現場とは思えない空気が流れた。


「それじゃ、受験勉強頑張れよ! 待ってるからな!」


 発車時効が迫り、岸田はそう言って右手を差し出す。


「うん! ありがとう」


 瑞樹もそう返して差し出された手を握って、握手を交わした。


「受かったら連絡してくれ。何かお祝い考えとくからさ!」

「ふふ、ハードル上げて楽しみにしてる」


 これ以上は普段の自分でいられないと、瑞樹に情けない所を見せたくない一心で交わした握手を解き、電車に乗り込む岸田。

 瑞樹の温もりを包み込むように握りしめた手が、まだ離れたくないと訴えている気がした。

 ようやく再会できた瑞樹は、岸田が思っていた以上の変化を遂げていた。ずっと昔の瑞樹を追いかけていた自分だけ取り残されたような疎外感に苛まれながらも、岸田は振り向きざまに精一杯格好つけた笑顔を瑞樹に向ける。


「それじゃ――またな」

「うん。またね、岸田君。気を付けて」


 瑞樹が笑顔を向けて手を振っている。

 だが、この笑顔も間宮が引き出したものだと思うと、モヤモヤが募りどうにかなってしまいそうで、岸田は瑞樹のような笑顔を見せる事が出来ずに電車が走り出して別れてしまった。


 ◆◇


「……ごめんなさい」


 電車が完全に見えなくなって、瑞樹は人通りの少なくなったホームで独り言ちて、さっきまで見せていた笑顔に影を落とす。


 岸田を求めていない自分、岸田の気持ちに応えられなかった自分。そしてなにより、こんな時でも間宮の事を考えていた瑞樹の中に、言葉では言い表せ辛い複雑な感情が渦巻く。


 笑い合える資格などないはずなのに、また甘えてしまった。

 瑞樹は岸田を傷つけたのだと認める。

 期待させるだけさせて、結局拒んだのだから当然だ。


(……あんなに優しい彼を……私は裏切ったんだ)



 1人駅を出てトボトボと歩く。

 岸田の断った時の一瞬見せた歪んだ顔が頭から離れない瑞樹。

 脚が段々進まなくなってきて、もう重い脚を無理矢理前に進めるのに嫌気がさして、やがて立ち止まった先の左側に割と大きな幹線道路が通っていた。

 陽が沈み暗くなった通りをヘッドライトの光が激しく行き交う先に見える景色に、瑞樹は違和感を覚える。


(……あれ? 家に帰ってるつもりだった……んだけど)


 立ち止まった体を少し捻り瑞樹が見上げて見たもの、それは間宮が入院している病院の看板だったのだ。

 咄嗟に腕時計に視線を落とした瑞樹は、まだ十分に面会が出来る時間だと知る。


 自然と足が病院へ向く。ついさっきまであんなに重かったはずの足に羽でも生えたかのように軽い足取りで間宮の病室前に着く。室内から話声が聞こえない所をみると、誰も面会に来ていないようだ。


 ふぅと軽く深呼吸をして気持ちを落ち着けた瑞樹は、病室のドアを遠慮がちに小さくノックする。


「はい。どうぞ」


 聞き慣れた大好きな声が病室から迎えてくれて、瑞樹は思わず頬を緩ませる。


「し、失礼します」


 何だかこのやりとりが懐かしく感じる……。


(なんだっけ……。あ、ゼミの合宿で自主学時間の講師の待機室に入る時のやりとりだ)


 僅か数か月前の事なのに妙に懐かしく感じるのは、多分合宿で間宮と出会ってから今日まで、本当に色々な事があったからだろうと、その大事な時々にいてくれた間宮を思い浮かべながら病室のドアを開けた。

 病室は個室だった為、大部屋と違い複数の人の気配はなく、落ち着いたその空間はちょっとしたマンションの一室のようだった。

 病室は少しL字型になっていて、病室に入ってすぐの位置ではベッドの端が僅かに見えるだけで、まだ間宮の姿は確認出来ない。

 瑞樹はそわそわとしながらも奥へ足を進めていくと、リクライニングベッドを少し起こして、背凭れに上半身を預けて窓から流れるように走り去って行く車を眺めている間宮がいた。


「おす」

「こんばんは、間宮さん」


 相変わらずの柔らかい笑顔で迎えてくれた間宮を見た瑞樹は、事前に茜からトークアプリで結果を知ってはいたが、術後の経過が良さそうでホッと胸を撫で下ろす。


 ホッとしている瑞樹に、間宮はペコリと頭を下げる。


「迷惑かけてごめんな……。本当に助かったよ。ありがとう」


 礼なんていらない。今まで助けて貰った事を考えれば、まだ全然足りていないのだから。子供である瑞樹が出来る事なんてたかが知れているが、少しでも返したいと瑞樹はずっと思っていたのだから。

 だが感謝される事なんてしていないとはいえ、ここ最近間宮と距離を感じていた瑞樹にとって、身近に感じる間宮に不謹慎とはおもいつつも心が満たされる思いだった。


「ホントだよ……あんな所で倒れてるんだもん。凄く焦っちゃったよ」

「だよな……。はは、面目ない」


 後頭部をガシガシと掻き苦笑いを浮かべる間宮に、いつもの日常を感じた瑞樹からクスっと笑みが零れた。


「退院したらクリスマスの事もあるし、何かお礼させてくれ」


 その言葉に瑞樹は言葉を詰まらせた。

 どちらも今まで助けてくれたお返しのつもりで、お礼なんてされるような事ではないと思いつつも、神楽優希が現れてから感じていた距離を考えたら、この申し出を断るのは勿体ないのではと瑞樹は思考を巡らせた。


「何がいい? 何か欲しい物とかある?」

「……初詣」

「ん?」

「初詣連れて行って。その……2人で」


 最後の方は萎みそうな声ではあったが、何とか羞恥に耐えて両手を力いっぱいに握りしめて、何とか最後まで言い切れた瑞樹。


「初詣かぁ……昨日までなら断ってるとこだったんだけど……」


 雅紀達がいきなり間宮の元に来た時、居酒屋の酒の席で今度の正月は帰ってこいと約束させられていたのだ。だがこの有様では無理だと判断して、ついさっき実家に連絡したところだと瑞樹に話す間宮は1度話を切って、また口を開く。


「だから年末年始は何も予定がない寂しいおっさんと、初詣付き合ってくれるか?」


 あくまで頼んだのは瑞樹だったはずなのだが、何時の間にか間宮が頼む形で話が進む。


「う、うん! 勿論……ってあれ? 私が頼んで――」

「はは、細かい事はいいじゃん。それじゃ退院したら連絡するよ」


 言って、間宮は瑞樹が大好きな柔らかい笑顔を見せるのだった。


 ◇◆


 瑞樹が帰って暫くして、間宮はテーブルの上に置いてあるスマホを持ち、アドレスを立ち上げて耳に当てる。


『もしもし! ワシは誰や!?』

「知らんがな……偶には普通に電話にでれんのかいな」

『無理やな! そんな事したら大阪人の恥やろう!』

「いや、大阪人でも一々そんな事してるの、絶対親父だけやからな」


 等と毎度のように中々本題に入れない会話が始まった為、痺れを切らした間宮が少し強引に年末年始の話を始めた。


「年末年始……特に年末の事なんやけど」

『ん? そういや盲腸で今入院してるんやってなぁ。だから年末はそっちにおって、元旦に帰ってくるって話やろ? それなら茜に聞いとるで」

「あ、あぁ……。その事なんやけどな……ごめん、帰省するの来年の年末じゃあかんか?」

『……おいおい、どういう事やねん。盲腸なんて切ってしまえば終いやんけ! 久しぶりに皆集まって新年迎えられると思うてたのに……』


 雅紀の声色が少し沈んだのが、電話越しでも分かる。


「ごめんな。ほんまに急で悪いんやけど、どうしても外したくない用事が入ってもうたんや……ほんまごめん!」


 電話越しで誰も見ているわけではないが、無意識に頭を下げる間宮。職業病みたいなものだが、それだけ間宮が本当に悪いと思っている証拠でもあった。


『……女か?』

「は?」

『せやから、正月来れんくなったんは女のせいかって聞いてるねん!』

「せいって言い方は気に喰わんけど……まぁ……そうや」

『その女の事……好きなんか?』

「は? 正月帰省の話に、それは関係ないやろ」

『ええから、答えんかい! あほ!』


 ずっと一緒に暮らしてきた息子である間宮の経験上、こう言い出したら答えを訊くまで雅紀は諦めない事はよく知っている。


「……まだよくわからん……。でも、大事な存在やとは思ってる」

『……そうか。それならしゃーないな。その代わり次の正月まで待てんから、盆に帰ってこい、ええな!』

「分かった、約束する。ありがとな」

『おう、ほなの!』


 間宮からの電話を寂しそうに切った雅紀に、隣にいた涼子が声をかける


「なに? 良介帰ってこれんって?」

「あぁ、忙しいらしいわ」


 雅紀は間宮が帰ってこれない理由を話すと、それを訊いた涼子が不思議そうな顔を向けた。


「…………」

「なんや?」

「素直に諦めるなんて、アンタにしては珍しい思うて」


 痛い所を突かれたと顔を歪めた雅紀は、天井に目を向けて口を開く。


「初めてやったからなぁ」

「なにが?」

「優香さんがあんな事になってから、初めて俺に優香さん以外の人を大事な存在なんて言うてきたのがや」
















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