第15話 元祖ナイトの宣戦布告 前編

 カラン♪コロン♪


 カフェのドアが開く音が店内に響き、その音を聞きつけたスタッフが入ってきた客の対応にあたる。


「岸田君」


 カフェの窓際に座っていた瑞樹がスタッフが対応にあたろうとした客に軽く手を上げて、岸田の名を呼んだ。


「ごめん! 待たせちゃった?」


 スタッフに一言告げてから、瑞樹が座っている席に少し息を切らせた岸田が駆け寄ってきた。


「ううん。私も今来たところだから」


 定番中の定番と言える会話を交わして、岸田は上着を脱いで瑞樹の向かい席に座る。

 先にオーダーを通そうとさっきのスタッフに手を上げて、岸田はブレンド珈琲、瑞樹はロイヤルミルクティーを注文した。

 普段なら瑞樹も岸田と同じブレンドを頼んでいるところだが、朝から既に自宅で珈琲を2杯飲んでいた瑞樹は、偶にはと紅茶を注文した。


「もしかして、大学で泳いできたの?」


 岸田が現れた時から岸田の髪型がかなり乱れている事が気になった瑞樹は、もしかしてと尋ねる。


「そうなんだよ。挨拶に行ったはずなのに、コーチに折角だから見せてみろって言われてさ」


 流石はスポーツ推薦といったところか。

 貴重な練習時間を割いてまで、まだ新入生にすらなっていない岸田を泳がせたのは、それだけ期待されているという事なのだろう。

 岸田は予定になかった事をやらされて時間に焦ったのだろう。大急ぎで髪を乾かしてここに来たのが一目で分かる程に、濡髪に近い状態だったのだ。


「そんなに急がなくてよかったのに……。そんな頭で出歩いたら風邪ひいちゃうよ?」


 心配そうに瑞樹が体調を気遣うと、岸田は照れ臭そうに半渇きの後頭部の髪をガシガシと掻いた。


「あ、ありがと……。そんな風に心配してくれるとは思わなかったよ」

「へ? ううん……。別に普通でしょ」


 他意はない。思った事を口にしただけだったのだが、岸田の予想外の反応に瑞樹まで恥ずかしくなって俯いた時だ。通路を挟んだ隣の4人掛けの席から3人の女性客達からヒソヒソと話す声が2人の耳にまで届いた。


「ね、あの男の子いきなり呼び出されたっぽいよ」

「あぁ、だから髪があんななんだ。可哀想に……クス」

「ちょっと可愛いからって調子にのってんのよ。何様って感じよね」


 何をどう聞いたらそうなるんだと、余りの理不尽な会話にカッと頭に血が上った岸田が立ち上がろうと、テーブルの上に乗せていた両手にグッと力を込めた。


「聞き耳立てるなら、しっかり立てて貰えませんか? お・ね・え・さ・ん?」


 少し大袈裟かもしれないが、自分の耳を疑うという言葉を今まさに実感した岸田だった。

 あの怯えてばかりの瑞樹が性根の悪そうな女達に喰ってかかったのだから、その表現は間違っていないだろう。

 立ち上がろうとした時は頭に血が上って気付かなかったのだが、いつの間にか手の上に瑞樹の手が添えられていて、その手から瑞樹の気持ちが伝わってきた気がした岸田。

 ――落ち着いて。私は大丈夫だからと……。


「は、はぁ!?」


 瑞樹達のテーブルから鳴るはずだったガタンという音が、隣の女性客達のテーブルから聞こえてくる。

 そんな女性客達に臆する事なく、瑞樹は口撃を続ける。


「彼が来るまでの間、あなた達の話が聞こえてたんだけど、婚活パーティーに失敗したからって八つ当たりなんて格好悪くないですか? しかも高校生相手に」


 瑞樹の口撃内容に、岸田は思わず「ぷっ!」と吹き出すのを見た女性客達は、図星をつかれた事も重なり言葉を失い、顔を真っ赤にして席を立ったまま硬直状態になった。

 やがて他の客達の視線を集めだしてしまった事に気付いた女性客達は居たたまれなくなったのか、瑞樹を睨みつけていた目線を切り、無言で店を出て行った。


「ふぅ! 怖かったぁ」


 岸田の手に添えていた瑞樹の手の力が、言葉と共に抜けていく。

 大きく息を吐いた瑞樹を見ると、本当に安堵した表情を見せていた。


「はは、あんな啖呵を切った奴と同一人物と思えない台詞だな」

「仕方ないないじゃない。自分でもキャラじゃない事した自覚はあるんだよ」


 瑞樹は頬を掻いて、照れ臭そうに笑った。


「キャラじゃないと思ってるのに、何であんな事したの?」


 単なる興味本位で訊いただけの岸田だったが、質問の返答に顔つきが変わる事になる。


「――だって、あれくらい出来ないと、心配ばかりかけちゃう人がいるんだもん」


 そう話す瑞樹の頬がほんのり赤く染まる。


(……きた!)


 岸田はそう直感した。恐らくその心配をかけてしまうと瑞樹が言った人物こそが、心を閉ざしていた瑞樹をここまで導いたのだと。

 知りたい気持ちとこれ以上訊くのが怖い気持ちを併せ持った岸田だったが、訊かないと同じ土俵にすら立てないと理解もしていた岸田は、そのまま質問を続ける。


「へぇ。まるで彼氏みたいな人なんだね? てかホントに彼氏とか?」


 言うと、瑞樹の顔が急激な変化を見せ、首から頭の先まで一気に茹で上がり、僅かに涙目になってわたわたと落ち着きがなくなった。


「か、彼氏!? ま、間宮さんが!?」


(そうか……。その心配性の男は間宮というのか)


 聞き出す手間が省けたと苦笑いを浮かべる岸田は、引き続き瑞樹のリアクションを観察する事にした。


「ち、違うよ!? 年上の人で私は妹的な感じで、いつも助けられてばっかりだから……その……」


 あれだけ取り乱して否定しても、説得力は皆無だった。

 確かに彼氏ではないかもしれないが、間宮という人物が瑞樹の想い人である事は間違いないと、岸田は確信を得た。


 瑞樹が自分以外に心を開くはずがないと、本音では自惚れていた事を岸田は自覚した。

 だからこそ瑞樹の心をここまで解放させた存在が、岸田には疎ましかったのだ。


 だが、まだ勝負が可能だという事も岸田は知っている。

 あの日、ホームで電車を待っていた男を目撃した瞬間、瑞樹の表情が目まぐるしく変化した。

 嬉しそうな顔から困惑の色が滲む顔。そして落胆した顔……。

 あくまで想像の域を出ない事ではあったが、好きな男を偶然見かけて喜び、後からその男の隣に現れた女の存在に困惑して、2人の雰囲気に落胆させられた。

 もし、その推測が正しければ、あの時の男が間宮だという事になり、2人の関係は分からないけれど少なくとも瑞樹にとってあの女はライバル的な立場にあるはずだ。

 であるなら、三つ巴の関係からガッツリと組み合った四角関係に持ち込む事が出来れば、土俵に上がれると岸田は考えていた。


「そっか。瑞樹さんにそんな人がいたのは驚いたな」


 少し皮肉を込めてそう言う岸田。

 本来なら、俺がそんな存在になっていたはずなんだという思いを込めて。

 岸田は志半ばで瑞樹の元を去る事になってしまった現実を改めて恨み、心で舌打ちを打った。


「意外だった? 中学の私を知ってる岸田君から見たら、当然そう思うよね」


 皮肉を込めて行った事に対して、てっきり慌てて否定するものだとばかり思っていた岸田だったが、まさか瑞樹の中にいる間宮という存在を肯定すると思っていなかった岸田は苛立ちを募らせた。


 やはり瑞樹は心を閉ざす前に戻っているのではなく、新しく生まれ変わろうとしていると断定した岸田の心の内にあるのは、焦りしかないだろう。


「それよりごめんね。私のせいで嫌な思いさせちゃって」

「は? いや、瑞樹さんは何も悪くないんだから、謝らないでよ」

「ん~。でも、やっぱり……ね」

「何であいつ等を責めないんだ? 完全におかしいのはあいつ等だったじゃん!」


 つい熱くなってしまって語尾が荒くなる岸田に、瑞樹は「まぁまぁ」と宥める姿が同い年の女子高生に見えなかった。

 これじゃどっちが守ってるのか、わかったもんじゃない。そう心の中で独り言ちた事実が悔しくて、何だか1人だけ同じ場所に居続けている気がした岸田は――つい。


「そんなお人好しな所は昔のままだな! そんなんじゃ、また――あ!」


 そこまで溺れてしまった口を慌てて塞いだ。


 (何が瑞樹を守れるのは俺しかいないだ……)


 瑞樹を助けた男に……いや、瑞樹自身に嫉妬して昔の傷に触れる言葉が出るなんて……こんなの只の八つ当たりだと、その一言を心から悔やみ俯いた。


 失言を発してしまった岸田は、恐る恐る正面に座っている瑞樹を見ようと顔を上げると、そこには目に涙を溜めてキュッと唇を噛む瑞樹がいた。


「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……ホントごめん!」


 慌てて身振り手振り謝る岸田に、瑞樹は無言のまま首を横に振ると、溜めていた涙が頬を伝ってテーブルに零れ落ちた。

 その涙は間違いなく自分が流させてしまったものだと、岸田は胸を強く締め付けられる痛みを感じた。


 暫く沈黙が流れる。

 中学時代、2人でいる時によく流れる事があった沈黙は決して嫌な感じではなく、寧ろ心地よく感じるものだった。

 だが、この沈黙は全く違うもので、岸田にはかなり辛い時間だったが、自業自得なだけに打開策が思い浮かばず重くなった口は動く事はなかった。


(こんな顔をさせる為み、強引に瑞樹を呼び出したわけじゃないのに……)


 気持ちを落ち着けようと、すっかり冷めきってしまった珈琲を口に運ぶ岸田。冷めた珈琲は苦みが増して決して美味いものではなかった。

 そんな珈琲を無言で飲んでいると、瑞樹がこの重い沈黙を破る。


「私ね……。高校に進学してから自分の気持ちを押し殺して、男子とは常に距離をとって、周りの女子達を敵に回さないように神経を尖らせてきたの」


 瑞樹の告白はクラス会で高校での生活の話を聞いた時に、ある程度は予想していた内容だった。

 中学での……いや、平田の件の二の鉄は踏むまいと考えたら、あの当時の瑞樹を一番近くで見てきた岸田にとって、そう予測を立てるのは難しい事ではない。


「……でもね。最近ね、自分の考えとか主張したい事とかを表に出すのを意識出来るようになってきたの」


 それも再会した時にすぐに岸田にも分かった事。色々と話して知った事ではなく、瑞樹の表情が今まで見た事のないものだったから。


 だが、この先が岸田にも分からなかった。

 知りたい気持ちと知りたくないと思う気持ちで葛藤していた岸田だったが、やはり知らないと始まらないと話の流れのまま感情を任せる事を選んだ。


「その変化って、瑞樹さんが1人で起こしたんじゃないよね?」


 そう問う岸田は、その人物を知っている。

 瑞樹を導いた人物。間宮という男の事を。

 その事に気付きながら瑞樹にそう言ったのは、岸田自身が間宮の情報を欲していたから。だから岸田は知らないふりをして、瑞樹から情報を得ようと試みた。


「そうだね……。私1人じゃ絶対に無理だったと思う」


 そう答えた瑞樹は、岸田も今まで見た事がない程に柔らかく優しい表情だった。

 その慈愛に満ちた美しさに思わず息をのむ岸田だったが、それと同時に間宮への嫉妬心が増していく。


「5月位に知り合った人がいてね。その人と知り合ってから大きな変化があったの。その都度色々な事があったんだけど、気が付いた時には私の周りに色んな人達がいてくれるようになってて、その人達が今も私を支えてくれてるんだよね」


 瑞樹は加藤達の話をしたのだが、岸田はその事に興味がない。

 あるのは、5月に知り合った人だけだ。


「知り合った人ってどんな人か訊いていい?」

「え? う、うん。えっとね、凄く芯が強い人で、周りに柔らかい笑顔を向けてくれる温かい人、かな。その人には本当に色々と助けられてばっかりで……情けない話なんだけどね」


 まるで恋人を紹介しているかのように、頬を染めて幸せそうに間宮の事を語る瑞樹を見て。自分から聞いておいておきながら、そんな瑞樹を見せられた岸田には、さぞ辛い時間だっただろう。


 その後も暫く惚気話のような返答を耐え抜き、岸田は間宮の詳細な情報を聞き出す事に成功した。


【間宮 良介 29歳 IT関連の企業の営業マン】


 確かに年上だと聞いていた岸田はもっと歳の近い男だと思っていた。

 O駅のホームで見かけた時は遠目だったが、もう30歳になる男には見えなかったのだ。


(29歳の社会人だったとは……)


 勿論、そんな事を口にするわけにもいかない岸田は、そんなおっさんに負けて堪るかと心の底で独り言ちるのだった。









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