第14話 まだ見ぬライバル
コンコン!
意識が戻り軽く入院食の昼食を摂った後、倒れている自分に必死の声をかけ救急車の手配をしただけでなく、手術が終わるまで付き添ってくれていた瑞樹の事を間宮はぼんやりと考えていた。
そんな時病室のドアからノックする音が聞こえた。
入院した事を知っているのは、現場に居合わせた瑞樹と入院手続きをしてくれた茜だけだから、どちらかなのは分かっていた間宮は密かに期待を込めた声色で「どうぞ」と入室を促す。
「おはよ。やっと起きたみたいやな、良兄」
開かれたドアの先には、スーツ姿の茜が立っていた。
期待していた人物ではなかったが、忙しい仕事をしている茜が入院手続きをしてくれた事を看護師から訊いていた間宮は、がっかりする素振りを見せる事なく軽く頭を下げるのだった。
「おはよ。色々と迷惑かけたみたいで悪かったな」
「ホンマやで! 瑞樹ちゃんに連絡もらってから、良兄のマンション行って部屋中ひっくり返して保険証探し出出したり、入院で色々と手続きして大変やったんやで!」
茜は両腕を組んで溜息交じりに、間宮が倒れたと連絡を受けてからの経緯を説明した。
「……ホントにごめん」
「はは、冗談や! 病気に都合なんて言ってもしゃーないやん。こっちには身内は私しかおらへんのやし、困った時はお互い様やで」
こんな男前な事をサラッと言ってのけるのが、茜の魅力なんだろうと間宮は思う。ただ、男前過ぎて外見は整っているはずなのに未だに相手がいないみたいだがと、間宮は含み笑いを浮かべた。
「何か今失礼な事考えてたやろ」
「……いや、別に」
「そんなら、今の間はなんやねん!」
「そんな事よりな」
「そんな事ぉ!?」
やいやい煩い茜を相手するほど術後の間宮に元気はなく、抗議を無視して目が覚めてからずっと疑問に思った事を口にする。
「たかが盲腸で入院したのに、何で俺は個室に寝てたんや?」
重病患者ならいざ知らず、盲腸で個室の病室に入院するなんてイメージになかった間宮が目が覚めたら個室の病室にいたのだから、驚くというより疑問に思うのは無理はなかった。
「あぁ、それな。まぁ私が来た時は大部屋におったんやけど、個室が空いてるって訊いたから、ここに移してもらったんや」
「……は? なんでまた」
「あぁ、入院費の事やったら大部屋と個室の差額は私が払うから大丈夫や。それに仕事絡みやから経費で落とせると思うしな」
「俺が個室に移る事が仕事って、言うてる意味が分からんぞ」
そんな事を言い合ってる2人の耳に「院内は走らないで」と注意する声が聞こえた。言われてみれば、タッタッタと誰かが走っている音がする。
「来たみたいやな……仕事って言った意味はすぐ分かるわ」
言って苦笑いを浮かべながら、茜は病室の出入口のドアから少し横にずれた場所の壁に凭れかかった。
キュッと間宮の病室前で走っている音が止まったかと思うと、ノックもなく勢いよく病室のドアが開かれた。
「ハァハァハァ……良ちゃん!!」
ドアを開けて病室に飛び込んできたのは、大きく息を切らせて両手を両膝につけて前かがみになっている、神楽優希だった。
優希はベッドに横たわる間宮の姿を確認すると、走ってきた勢いそのままに駆け寄ってくる。
「ご、ごめんね良ちゃん! 昨日私が作った料理のせいだよね!? 怪しい物を作った覚えはないんだけど、もしかしてアレルギーとかあった!?」
「……はぁ!? いや、これは急性虫垂炎が原因なんだって。盲腸だよ、盲腸!」
目に涙をいっぱいに溜めて挙動不審な動きで必死に謝る優希に間宮がとんだ勘違いだと話すと、ワタワタしていた優希の動きがピタリと止まる。
「――え? 盲腸?」
「そうだ。前から時々痛みがあって胃腸炎だと思ってたんだけど、昨日あの後A駅の駅前で腹痛がでたんだよ。その痛みが今までで一番酷くて倒れたみたいで、救急車で運ばれて手術を受けたってわけだ」
「へ? そ、それじゃ昨日のご飯が原因じゃなかったの?」
「当たり前だろ。何で食あたりで手術する必要があるんだよ」
間宮が呆れるようにそう話すと、安心したのか優希は全身の力が抜け落ちるように間宮が寝ているベッドに顔を埋めた。
「そっか……よかった。盲腸だったんだ……そっか、良かった――って全然良くないじゃん!!」
埋めていた顔を勢いよく上げた優希の顔色が蒼白になっていて、間宮はギョッとする。
「も、盲腸!? 手術って!? え? 成功したの!? 大丈夫なの!? 死なないよね!?」
手術と訊いて軽くパニックに陥った優希は、盲腸がどんな病気なのか判断すら出来ないようだった。
ぺしっ!
「あぅ!!」
すると突然パニックになっている優希の額にデコピンが飛んできて、指で弾かれた額を手で抑えながら優希は目を白黒させた。
「落ち着けって。盲腸なんだぞ? 盲腸の手術なんて手術の内に入らないなんて常識だろ? もう切ったし数日安静にしてたら退院できるよ」
優希を落ち着かせる為に優しい口調でそう話す間宮に、今度こそ安心したのか深く息を吐いて、目に溜めていた涙が零れ落ちてシーツを濡らした。
「――こういう事よ」
壁に凭れて2人のやり取りの一部始終を観察していた茜が、そう言って割り込んできた。
その一言だけで茜が何を言いたかったのか、何となく理解出来て頷く間宮。
恐らく茜はこのまま大部屋に入院させたら、今の様に優希が走り込んで来て大騒ぎになるのが分かっていたのだろう。
優希のような超有名人が複数の入院患者や、タイミングによっては御見舞い客達がいる前現れてしまうと、院内がとんでもない騒ぎになる恐れがあると判断したから、茜は間宮を個室に移したのだ。
「はは、流石は敏腕マネージャーってとこだな」
「……あほ!」
間宮がそう称えると、茜は照れ臭そうに口を尖らせって悪びれた。
「……え? マネージャー!?」
その単語を口ずさんだ優希の背中に、ゾクリとした悪寒が走る。
恐る恐る間宮が見ている方に目をやる優希の視線の先に、壁に凭れて腕を組んでいる茜と目が合った。
「あ、茜さん!?」
優希はあまりにも必死過ぎて、今の今まで間宮しか目に入っておらず、先に病室にいた茜の存在に気が付いていなかった。
「これはどうしたのかしらね? 確か今日は14時に迎えに行くから自宅で待っていろって……私言ったわよね?」
ニヤリと笑みを浮かべる茜が白々しくそう話すと、優希はブルブルと震えながら体を縮こませた。
「え、いや……だ、だって! 茜さんが連絡くれたんじゃん! 良ちゃんが倒れて入院したって!」
咄嗟に茜に責任転換しようとする優希を見て、2人のいつもの日常を垣間見た気がした間宮は苦笑を漏らす。
「えぇ、確かに言ったわね。でもね? その後にこうも言ったわよね?」
涼しい顔でそう茜が言うと、マズいと感じたのか優希が少し逃げ腰になったのが、2人のやり取りを眺めていた間宮にも分かった。
「簡単な手術で問題なく成功したから、全く心配いらないって」
「そ、それは……そう……だっけ?――」
間宮が手術をして入院した。まともに聞いていたのはここまで。後は全く耳に入っていなかった優希は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
目を激しく泳がせる優希に、鬼の首でも取ったような笑みを浮かべる茜が話しを続ける。
「そもそもの話。どうして兄の事をわざわざ優希に連絡したのか、気にならなかったの?」
「え?――――あっ!」
始めは言ってる意味が分からない様子でキョトンとする優希だったが、徐々に茜が言わんとしている事に「あっ!」と気付いて目を見開いた。
「……分かってたわよ。あなたが優香さんの妹だと知った時から、こうなるんだろうなって思ってた」
溜息をつきながら吐き捨てるようにそう話す茜は、間宮が横になっているベッドのその先にある窓から見える空に目を向ける。
「立場上妨害するのが正解なんでしょうけど、あのライブであれだけの演説をした後、反響がいい方向へ向いたから事務所的には本人も大人だから、当人同士の判断に任せるって方向になってね。だからアンタにも連絡したのよ」
そう言い放ってから2人に視線を戻す茜の先には、予想していた反応をしていない2人に首を傾げた。
「あれ? てっきり優希は小躍りして喜ぶと思ってたんだけどな……」
苦笑いを浮かべる茜に、お互い少し目を合わせた間宮と優希は気まずそうに目を逸らした。
「あ、はは……勿論嬉しいよ……うん。あ、そうだ!」
子芝居がかった反応を見せた優希は、昨夜間宮が倒れていたという話の中で、気になっていた事があったのを思い出した。
「あのさ! 良ちゃんが倒れてて救急車で運ばれたって言ってたけど、誰が救急車呼んでくれたの? 偶々通りかかった人?」
一気に話題を変えてくれたのか間宮としても都合が良かったのだが、変えた話題が間宮の思考を乱す。
「え? あ、あぁそうなんだよ。親切な人が通りかかってくれて助かったよ」
乱れた思考では歯切れがどうしても悪くなってしまい、間宮は苦虫を噛んだような顔で返した。
「そうなんだ。ホントに良かったね。盲腸って軽く見られがちだけど、手遅れになったら十分に怖い病気だって聞いた事あるし」
「……そう……だな」
咄嗟に誤魔化した話を疑う事もしなかった優希の言動に、間宮の心に痛みを残す。
「ん? 何で志乃ちゃんの事隠すの? 志乃ちゃんが救急車を手配してくれて、オペが終わるまで付き添ったって聞いたけど?」
わざとか……それとも天然か。茜が間宮が隠した真相を、ご丁寧に細かく説明した事で完全に否定してしまった。
「志乃……ちゃんって?」
聞き慣れない名前に首を傾げた優希は、茜に振り返って詳細を求めた。
「そっか。優希がライブチケットを手渡した時、彼女はあの場にいなかったもんね」
ライブチケットを手渡したのは、優希の出身校での話だ。
あの時あの場にいたのは、間宮以外は全員高校生だった。
となれば、志乃と呼ばれている女の子も高校生と考えるのが自然だろう。
(年齢の離れた女の子……妹的な存在……何より私にその子の事を隠そうとした……)
「……そっか。そういう事……か」
大事な事が繋がった優希は、納得した様子で頷き小さく呟いた。
「瑞樹志乃ちゃんって女の子なんだけど、優希は知らないだろうけど文化祭のライブの時に凄くお世話になったんだよ。優希の我儘ランチの時だって――」
「――私、そろそろ帰る」
瑞樹の事を話していた茜を途中で遮り、優希は帰ると言い出した。
「急にどうしたのよ」
「支度がまだだから、一旦帰らないとさ」
「……そう、分かった。私は病院に少し話があるから送っていけないけど、予定通り14時に迎えに行くから」
「元々車で来てるからいいよ。それじゃあとで」
言って、優希が病室の出口に向かって歩みを進めたところで、後方にいる間宮を横目でチラっと見た優希の視線が、間宮の心に突き刺さり視線を落とした。
「そういう事なんだね。何となく分かったよ、良ちゃん」
「あ、あぁ……ごめんな」
「別にいい。存在自体は昨日聞いてたんだし」
優希は壁際にいる茜を一瞬睨んだかと思うと、病室を出た所で立ち止まり「良ちゃん、また来るね」と言い残して小さく手を振る
間宮は立ち去り際に僅かに見せた暗く沈んだ優希の顔に心がまた痛んだ。
優希をここまで傷つけてまで、今の状況を作り出す意味を見失いかける間宮。
確証があるわけではない。単なる自己満足かもしれない。
昨日電車に揺られている時に、散々自問自答した事の明確な答えが得られたわけじゃない。
それでも、どこかで誰かが囁いている気がするのだ。迷っていても進むのを止める事だけはするなと。
「あれ? なんかマズイ事言うた? 私」
間宮と優希の言動を見ていた茜は、なにかマズイ事をしてしまったのかと不安気に問う。
茜が2人の事をどこまで知ってるのか定かではないが、あの場で瑞樹の存在を隠そうとした事が間違いだというのは正論だ。
「いや、別に嘘を言ったわけやないんやから、茜が気にする事ちゃうよ」
そう話すと安堵した様子で、また来ると言い残して病院側に話があるからと、茜も優希に続いて間宮の病室を後にした。
◇◆
帰宅しようと愛車のステアリングを握っていた優希は、信号待ちで車を止めて溜息をつく。
(瑞樹……志乃)
そう呼ばれていた女の子が間宮が言っていた気になる存在という子で間違いないと、優希は確信を持った。
どんな女なのか会った事がない優希にとって、不気味な存在なのは確かだった。その証拠に姉の存在に縛られていたはずの間宮の心をあれだけ乱す事が出来るのだから。
間宮の過去を知っている優希にとって、瑞樹は途方もなく驚異的な存在と位置付けた。
(瑞樹志乃……一体どんな女子高生なんだよ……)
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