第11話 RESTART
その言葉が耳に届いた瞬間、思考が停止した。
マイナスの意味で色々な事を想定してはいたけど「――ごめんな」という良ちゃんの思考が読めない。
その後に続く言葉は――まさか別れ話!?
それほどまでに、お姉ちゃんのモノマネをしてきた事が気にくわなかった!?
兎に角、謝らないと……許して貰えるまで謝らないと。
「ご、ごめ……あの、そ……その……」
内側に向けていた思考を無理矢理外側に向けたからか、謝ろうとしているのに軽いパニックに陥ってしまったみたいで、まともに言葉が出てこない。気持ちばかりが空回りして謝罪したいのに良ちゃんにちゃんと伝わらない事が情けなくて、いつの間にか勝手に涙が零れていた。
――情けない……本当に情けない。人一人にまともに気持ちを伝えられなくて、何がカリスマだ!何が天才だ!
自分への苛立ちから肩が震える。
「違う! そういう意味じゃないから……とにかく落ち着いて、な!」
慌てて私の肩に手を置いて、優しい口調でそう話す良ちゃん。
だけど、その表情からは怒りが見えた。
「俺が言いたいのは、俺達の今の関係ってさ……。俺が優希に優香を求めている気持ちを、優希に押し付けていたんだなって思って。それが申し訳なくて」
まったくなんて人だと思う。
私自身が空っぽだったから、悪いと思いつつお姉ちゃんを意識していただけなのに、この人はそれを自分のせいだと謝ったんだから……。
分かってるよ……。クリスマスの日にキスしたのだって、良ちゃんには私がお姉ちゃんに見えたからだって……。
でもね……それを狙ってやったのは私なんだから、良ちゃんが謝る事じゃないんだよ……。
「だから、これからは本当の優希を見せて欲しい。そしてこれからは優香の元婚約者の俺じゃなくて、ただの俺を見て欲しいんだ」
……何を言ってるの?怒っていいとこだよ?
なのに――何でそんな事が言えるの?
でも、確かに良ちゃんの言う通り、このままじゃ前に進めないどころか良ちゃんに辛い思いをさせるだけだよね。
でも、本当にいいのかな。ホントの私は自分に自信をもてない弱い人間なのに……。
「本当の私は……さ」
弱いんだよって言おうとしたんだけど、良ちゃんに首を振られて遮られた。
「それがいい。そうやって本当のお互いの事を知って行こう。そして俺達にその先が見えた時、改めて俺の方から交際を申し込ませてくれないか?」
言って良ちゃんは私の両肩に両手を優しく添えた。
先のある話。それ自体は嬉しい話だと思う――けど。
「それって……今の関係のままじゃ駄目……なの?」
「そうだな。今のままの関係じゃ気が付かなったり、見えない事が多い気がするんだ――それに」
「それに? なに?」
言うと、良ちゃんが迷う仕草を見せた。
でも、少し天井を見た良ちゃんが、また私の目を真っ直ぐに見つめる。
「それに……俺は東京を離れる事を決めたばかりなんだ」
「――え?」
突然の話に、私はまた思考が停止した。
半分手に入れたはずの存在が、気持ちだけじゃなくて物理的な距離まで離れると言い出したんだから、二転三転した状況に思考が追い付かなくなってしまうのは当然だ。
そんな私を見て辛そうにしていた良ちゃんだけど、「どういう事?」って訊いたら、詳細を話し始めてくれた。
今の会社に入社する前からやりたかったエンジニアの仕事をしないかと誘いを受けた事。研究所が東京じゃなくて新潟にあるから引き受けたら東京を離れないといけない事。
そして、そのオファーを先日了承する連絡を先方に入れた事を明かした。
そこでさっきの話に戻って、実際の距離も離れてしまう事も含めて、お互いを見つめ直した方がいいと付け加えられた。
「……そっか」
(……それって別れようって事……だよね)
「あ~あ。折角頑張って手に入れたと思ってたのになぁ……。でも、それだけ真剣に私の事を考えてくれてるって事も分かっちゃうから反対出来ない……ズルいよ良ちゃん……」
「……だよな……ごめん」
私は肩の乗せられていた良ちゃんの手をそっと離して、距離をとった。この距離が私達の距離だと示す様に。
ただ、いくら正論だったとしても、私にだって女としてのプライドがある――だから良ちゃんの言い分を無条件で飲むのは嫌だ。
私は考えを纏めてコホンと咳払いをした後、良ちゃんの目を真っ直ぐに射抜く。
「良ちゃんの言いたい事は分かった。でもね、その提案を受けるには1つだけ条件があります」
「……条件?」
今の関係になるまでは、良ちゃんから感じていた壁の正体はお姉ちゃんだと思ってた。ううん、お姉ちゃんだったのも間違ってはなかったんだけど……。
「そ! 現時点での良ちゃんの本音を聞かせて欲しい。私の事を真剣に考えてくれてるのは分かったけど、私の事と東京を離れる事以外で隠してる事あるんじゃない? それを話してくれたら……不安しかないけど、その提案を素直に受け入れます」
本当の私はコンプレックスだらけで、自分に自信が持てない女だ。確かに神楽優希としては胸を張れるようにはなったけど、香坂優希は小さい頃からお姉ちゃんの後ろに隠れていた頃と変わってない。
だけど、ただ隠れていたわけじゃない。後ろから周りの人間をよく観察してきて、昔お姉ちゃんに言われた事がある。
「優希は人の本音を敏感に読み取る事が出来るんだよ」と。
確かにそうなんだろうと思った。事実、お姉ちゃんの背中を卒業しようとしてから、人間関係で失敗した事がないからだ。
軽音部の先輩達、私を拾い上げてくれた茜さん。ことごとく私のターニングポイントに出会った人達は、本当に私にとってとびきりの宝物のような存在だ。
――そして、茜さんの兄である良ちゃん。
彼も私にとって大きなターニングポイントを担う存在なのは間違いない。私にとってそんな大きな存在の人の中に、私とお姉ちゃん以外の存在がいる事に気が付かないわけがない。
「優希と東京を離れる事以外の……事?」
「……そう。単刀直入に訊かせて貰うと、私じゃない他の女の子が良ちゃんの中にいるんじゃない?」
そう。良ちゃんの中にお姉ちゃん以外の壁が存在する。その存在が私の邪魔をしてるんだ。
「!!……い、いる――と思う」
「随分曖昧な返答だね」
「……正直、自分でもよく解らないんだよ。その子が気になっているのは確かだ。だけど、1人の女性としてなのか、単なる放っておけない妹みたいな存在なのか……それだけ年が離れててさ」
やっぱりいたか。本音を言うと、今回ばかりは私の予想は外れてて欲しかったんだけどな。
「……そう。その子のどんな所が気になってるか教えて」
「……昔色々あってずっと心を閉ざして生きてきた女の子でさ。出会った頃は心配で放っておけなかっただけなんだ……。俺に出来る範囲で彼女が抱えているトラウマを解消出来ないかって思ってて……。だけど、徐々にトラウマが溶けていって本当の彼女を見せてくれる度に、気が付いたら気になってた……ごめん」
「別に謝らなくていいよ。でも……そっか。やっぱりハッキリしなかったのはお姉ちゃんの存在だけじゃなかったんだね……」
「そう……だな」
「まぁ気分は良くないけど、私も相当強引だったのは自覚してるしね……。それで? その子は良ちゃんが東京を離れる事知ってるの?」
「いや、まだ話してない。この事を話したのは仕事の関係者以外では優希が初めてだ」
「そうなんだ……それじゃ、最後にもう1つだけ訊いていい?」
「……なに?」
これが一番大事な事。同じように良ちゃんの中に住む存在といっても、どんな感情を向けているかで私のこれからが変わってくるから。
「その女の子は良ちゃんの事……好きなの?」
「いや、多分そんな事はないと思う。嫌われてるとは思ってないけど、この年齢差だからな。多分頼れる兄貴的は感じで懐いてくれてるだけだよ」
「ふ~ん、そう。まぁ私はその子の事知らないわけだし、普段どんな風に関わってるのかも分からないけど。良ちゃん鈍感だからなぁ。参考にならないか」
「はは……信用ねぇな」
これで条件は果たせたよなと、良ちゃんは身支度を始めて「今日はこれで帰るな」と玄関に向かう後をついて行く。
「それじゃ御馳走様。本当に美味かったよ」
「どういたしまして」
「それじゃ、これからもよろしくな」
これからもと言うのは、恋人としてではなくという意味を含んでて、その言葉にズキッと胸が痛んだ。
「あ、ちょっと待って!」
あぁ……カッコよく別れようって思ってたけど……無理だ。
「えっとね……この玄関出て行ったら、一旦……一旦恋人じゃなくなるわけ……だよね」
「あ、あぁ……そうだな」
「うん……あのね。だ、だから……さ。最後に、さ。もう1度だけ」
キスしたい。すぐに取り戻すつもりだけど、ここから良ちゃんが出て行った後、私がどれだけ落ち込むのか予想がつくから……。せめて耐えるだけの……ものが欲しいって思うのは悪い事じゃないよね。
言うと、予想通り困惑した様子の良ちゃんの了解を待たずに、私は首に両手を回して唇を重ねた。
手に入れたと思った唇の感触と温もり。舌が絡まり合う快楽。私だけの彼との距離。
納得なんて出来るわけがないし、絶対に取ろ戻せる自信もないけど。
でも、受け入れないと、いつまでも良ちゃんの気持ちを完全に手に入れる事が出来ないのなら……。
これはゲームオーバーじゃない。これはリスタート。
そして、このキスは誰にも負けないって決意表明だ。
そういうキスのつもりだったのに……気が付けば重ねた唇が離れていて、そっと頬に良ちゃんの指が触れていた。
(あ、……涙)
何時の間にか零れていた涙を指で拭き取ってくれていたのか。
泣かせるなら距離を置こうなんて言わないでって言いたかったけど、良ちゃんの申し訳なさそうな顔を見たら言えなかった。
「……ごめんな」
俯いて目をゴシゴシと擦って涙を拭き取っていると、頭の上から謝る声がして見上げると、彼の目からも涙が流れていた。
涙を見た私は何も言えなくなった。
良ちゃんは、そんな私に何も言わずに部屋から出て行った。
ついさっきまで2人で楽しく過ごしていた空間に、私一人だけ残された。いつもの住み慣れた部屋なのに、やたらと広く感じる。
(……寂しい)
生まれてきて何度も何度も感じた感情だ。
今まで一番寂しいと感じたのは、お姉ちゃんがこの世を去った時。
だけど、今はその時より寂しさを感じて、心が締め付けられる。
彼の提案を受け入れた事を、私は強く後悔した。
距離を置こうと言われた時、拒否すれば恐らく関係の継続は可能だったと思う。
でも、それをしなかったのは――プライドと言うちっぽけな見栄だ。
「ホント……私って……ばか……だなぁ」
私は1人ガラスの壁にドンと額を当てて、声を殺して泣いた。
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