第10話 2人きりの時間 後編

「うん! 大体狙った味が出せたかな。上出来、上出来♪」


 各料理を少しづつ食べた優希は、それぞれの料理の評価を口にする。

 間宮も1人暮らしがそれなりに長くなり。自炊もやる人間として料理を作る際のポイント等を教えて貰いながら、楽しく食事を進めた。


 笑い話をしならが食事をする今の優希は、どこにでもいる女の子だ。勿論外見は凄く綺麗な女性なのだが、今の優希にはトップアーティストの面影はなく、美味そうにビールを飲む姿は年相応の女性だった。

 だからこそ、その姿が優香とダブってしまう事が多々あり、その度に間宮は影を落とす。


「御馳走様でした。ホントに美味かったよ」

「お粗末様でした。それは良かったよ、ホント」


 せめて後片付けくらいと思った間宮だったが、後片付けまでが料理だからと、風邪で倒れた夜に瑞樹が言ったのと同じ事を言われて、優希に言われた通りまた豪華なソファーに腰を下ろした。

 手持ち無沙汰になった間宮は、ガラスの壁から見える夜景を眺める。高層の所謂タワーマンションの最上階付近から見る街は、建物から漏れる灯りと、無数に流れる車のヘッドライトとブレーキランプの光で埋め尽くされていた。

 1部の成功者だけが手に入れる事が出来る、まるで現実感がない景色に間宮はゴクリと息をのむと、キッチンから聞こえていた水回りと食器が当たる音が聞こえなくなった。

 それからすぐに間宮の鼻孔を擽る良い香りが漂ってくる。目に見えない香りを目を閉じて楽しむ間宮に「どうぞ」と優希が声をかける。

 目を開けた先に温かそうな湯気が立つカップと、可愛らしいケーキがリビングのテーブルに置かれていた。


「あぁ、ありがとう」

「あのカフェには負けるけどね」


 置かれたカップは2個並んでいて、優希は当然のようにロングソファーにいる間宮の隣に座った。


「エスプレッソで大丈夫だった?」

「あぁ、好きだよ。俺も偶に淹れて飲んでる」


 言って間宮は早速とカップを口に当てて、ほろ酔い苦みとコクを味わい鼻から抜ける香りを楽しんだ。


「うん。美味いな」

「そっか。良かった」


 優希は満足気な笑みを見せて、続けてカップを手に取った。

 お互い暫く無言でエスプレッソを楽しむ間宮が横目で隣にいる優希に目をやると、ニコニコとカップに口を付けていて本当に楽しそうにしていた。

 その横顔がまた優香とダブって見えた。正確には珈琲が苦手な優香が珈琲を飲んで、こんな顔をした事がないのだが。


「……なぁ、優希」

「ん? なぁに?」


 間宮は優希に気持ちを伝えられた日から、いい機会だからとずっと気になっていた事があり口を開く。


「……どうして俺なんだ?」

「え? なにそれ」


 そう分からなかったのだ。

 何故、この日本で知らない人間を探す方が難しいといわれている超有名人である神楽優希が、平凡でどこにでもいるサラリーマンの自分を選んだのか……。目標にしていた姉である優香の元婚約者だった事を差し引いても、理解出来るものではなかった。

 しかも未だに優香を忘れる事が出来ずにいる間宮を理解してくれていて、自身の事が優香とダブるから辛いとまで言われたのにだ。


「それって、そんなに不思議な事?」

「まぁ……俺はそう思うけど」

「ふ~ん……そうだなぁ」


 優希は人差し指を顎先に当て少し上を向き、どう話そうかと思案している仕草を見せると、暫くして話す事が纏まったようで間宮の方に向き直り口を開く。


「えっと、確かに最初はお姉ちゃんが本気で愛した人ってどんな人だろうって、本当にそれだけの興味本位だったと思う」


 それは理解出来ると、間宮が頷く。尊敬すらしていた姉の婚約者なのだから、興味をもつのは不思議な事ではない。


「でも初めて会った時にさ。私が神楽優希だって知ってるあの楽屋にいた子達は緊張したり、私が芸能人だからって喜んでたりしてたじゃない? まぁ、それはどこでも同じ反応なんだけどさ――でも」


 そこまで話した優希は間宮に向けていた顔を少し外して、視線だけをそのまま間宮の目を見て話を続ける。


「良ちゃんだけは、そんな素振りも見せずに自然に他の人達と変わらないように接してくれたでしょ」


 確かにそうだったと思った間宮だったが、それがどうしたのだと首を傾げる。


「それにお姉ちゃんのお墓で会った時も、私とお姉ちゃんが姉妹って知って驚いてたけど、その後も私を神楽優希じゃなくて香坂優希として接してくれた」

「うん? それがどうしたんだ?」


 言っている意味が理解出来ないと更に首を傾げる間宮に、優希はクスっと笑みを零す。


「良ちゃんはそんな事当たり前って思ってるみたいだけど、自分で言うのもなんだけど中々出来る事じゃないんだよ? それがさ……私には凄く嬉しかったんだよね」


 そう告白する優希は、ソファーの上で両膝を両手で抱き込み三角座りになって、額を膝に当てて照れ臭そうに俯いた。


 間宮は優希にチケットを貰ってから、何度かネット等で神楽優希のライブ動画を見た事がある。

 どのライブも凄くパワフルな力に満ち溢れていて、ライブ会場全体に躍動感を与えていて、まさに圧巻のライブばかりだった。

 ライブを観に来た客達は、優希の作り出した世界に陶酔していて全身でそれに応えて、まるで空間が1つになったような一体感を生み出していた。

 生まれてこの方ライブなんてものに興味を示した事がない間宮ですら、この動画を見ただけで貰ったチケットでライブを体感できるのが楽しみになった程である。


 そんな神楽優希と、今隣に照れ臭そうな表情を浮かべている香坂優希のギャップにやられそうにならながらも、間宮は優希と出会ってからのことに考えを巡らせた。

 初めて会った時は芸能界に興味がなくて神楽優希と言われてもピンとこなっただけ。優香の墓で会った時は、優希が優香の妹と知ってからは間宮にとっては優希は香坂優希であって、神楽優希は完全に別人と認識していただけだった。

 自然に認識を移行出来たのは、恐らく優希の事を楽しそうによく話して聞かせていた優香が原因なのだろう。


「実はね、あのクリスマスの日に夢をみたの」

「……夢?」

「うん……夢の中で私が1人で立っているとね、空からお姉ちゃんが降りて来たんだ」

「……優香が」

「そう。お姉ちゃんがいなくなってから、夢にお姉ちゃんが出てくるなんて初めてだったから、凄く驚いたんだ。あ、夢の中でだよ」


 夢の中で登場した優香。ついさっき現実で間宮の胸を指差して宣戦布告した優希にとって気不味いなんてものじゃなかったと苦笑する。

 そして何も言えなかった優希に優香は一言こう言ったそうだ「ごめんなさい」……と。


「そこで目が覚めたんだけど、今でも何でお姉ちゃんが謝ったのか、全然理由が分からなくてね」

「そっか……優香がな」


 その後2人は無言になり、防音が効いた部屋の中、微かに空調が作動する音だけが空間を支配した。


 優香が何故謝ったりしたのか……それは間宮にも見当がつかない。

 優希と違って、間宮の夢の中に優香が現れた事は何度もあった。だが、間宮の夢は優香とのこれまでを再現したものであって、優希の夢のように優香がいなくなってからの事をみた覚えがない。


 婚約者であった間宮がみた事がないのだ。理由は分からないが、何か優希に伝えたい事があったのかもしれないと間宮が考えを巡らせていると、優希が不意に口を開く。


「お姉ちゃんが謝ったりするから、良ちゃんをどこかへ連れて行ってしまうんじゃないかって不安になって、気が付いたら良ちゃんに会いにいってた」

「……それでアポなしで、いきなり来たりしたのか」

「うん……。だから良ちゃんの姿を見た時、凄くホッとしたんだ」

「……そ、そうか」


 そんな事を言われたら男として喜ぶ所なのかもしれない。だが、間宮には優希の言葉は心に痛みを残すものだった。

 優香に連れ去られるわけではないが、優希が感じた不安は強ち的を得ていたからだ。


「あ、あぁそうだ! 明後日からお正月休みなんだよね?」

「ん? そうだけど?」


 苦虫を嚙み潰したような思いだった間宮は、優希が話題を変えてくれてホッと安堵した。


「年末年始って何か予定あるの?」

「あぁ、今年は大晦日から実家で年越そうと思ってる。実は社会人になってから1度も帰省した事がなくてな」

「えぇ!? それは御両親は寂しかったでしょうね。でも、そっか~一緒にお正月過ごしたかったけど、それじゃ仕方ないね」

「……ごめんな。ってあれ? 優希は仕事じゃないのか?」


 大晦日なんて朝までだし、元旦も朝早くから正月番組のプログラムがギッシリなんだから、大人気の優希もフル稼働だと思っていた間宮は、不思議そうな顔でそう尋ねる。


「ううん。明後日の収録が終われば、そこから10連休なんだよね!」

「そうなのか!? 芸能人って正月でも働いてるんだと思ってたよ」

「あ、はは! それって正月番組の事言ってる? あれは結構前に収録してる録画番組なんだよ? 大抵11月から12月中旬までに取り終えて、年末年始はお休みの人が多いんだよ。まぁ、生放送は別だけどね。年越しライブやったり、紅白に出る時は大晦日まで仕事してるけど」


(って事は、今年は茜も実家に帰ってくるのか?)


「特に私はテレビに出演するのって苦手で極力オファーを断わって貰ってるんだけど、茜さんが色々と頑張ってくれているの知ってるから、全部断るってわけにはいかないんだよね」


 神楽優希のイメージを壊すようなバラエティー出演は断りつつ、ブランドイメージを高めると判断した仕事は受けると。優希が神楽優希である為に茜は頑張ってくれていると聞かされた間宮は、誇らし気に笑みを零す。


 家族で飲んだ席で茜が話してくれた。

 優希とはインディーズ時代からマネージメントを担当していて、その頃から類まれな才能を目の当たりにしてきた茜は、優希と一緒に高みに昇りつめようと誓い合ったのだと語っていた。

 2人が一緒にいる時の茜を見る優希を見ていると、茜の事を姉の様に慕っているのが間宮には分かった。

 優香を失った大きな穴を茜が埋めているのだと知った時、兄としてそんな茜を誇りに思ったのだ。

 だからこそ茜はあの画像が出回った時、あんなに剣幕にマンションに殴り込んできたのだろう。

 茜は茜で、優希の才能に惚れこんでいるのもあるが、実の妹のように可愛くて仕方がないのだろう。

 ここにいない茜の事を思っていた間宮の隣に座っている優希が不意に半トーン下げた声で話しかける。


「……あのさ、1つだけ訊いていい?」


 再び三角座りになり抱きかかえた足の前で両手の指をコロコロと絡ませながら、間宮の方を見ずにそう問いかける。


「ん? なんだ?」

「……えっとね。私の事……今どんな気持ちで見てくれてるのかなって……」

「……どんなって?」


 質問の意図がみえず首を傾げながら、間宮は質問を質問で返す。


「ちょっとは私の事を彼女だって意識してくれてるのか……知りたくて」


 本当に不思議な女の子だと間宮は思う。

 あんなに大勢の前で堂々とライブを行う事が出来て、大勢の人を夢中にさせる才能がある人間なのに、間宮という1人の男を前にするとこんなにも自信無さげになる事を。


 不安の色を隠そうともせずに、弱々しい姿を見せる優希が、あの神楽優希と同一人物とは思えない間宮。


 今目の前にいるのが本当の優希なのだろう。

 そんな優希を見て間宮は気付いた事がある。

 それはついさっきまで何かにつけて優香とダブって見えていたはずの優希に、全く優香の存在を感じない事に。


「……彼女として見ようとしてたけど、どうやら見当違いだったみたいだ」

「――え? それって」


 間宮の返答に目を見開き逸らしていた視線をすぐに間宮に向けた優希の目から、今にも大粒の涙が零れ落ちそうになっている。

 そんな切なそうな顔をした優希から、今度は間宮が目を逸らして話を続ける。


「ついさっきまで優希という女の子と一緒にいるつもりだったんだけどな……。俺が見ていたのは優香の事を強く意識した優希みたいだったから……」


 言うと、間宮が言いたい事をすぐに察した優希は気まずそうに俯く。


「何の為にそんな事をしていたのか、訊いていい?」

「……だって、お姉ちゃんの事を本当に愛してるって私が一番知ってるから……。だから良ちゃんに意識してもらう為には、私がお姉ちゃんをなぞればいいって……思って」

「……そっか」


 言って間宮は何かを思案するように天井を見上げて小さく息を吐くと、優希はそんな間宮に恐る恐る視線を送る。


 ようやく合点がいった。いくら姉妹だからといっても優香とダブる場面が多すぎると考えていた間宮にとって、優希のその言葉はモヤモヤとした気持ちを晴れさせるものだった。

 同時に、隣で自信無さげに俯いている優希が本当の彼女だと間宮は知ったのだ。


 どんなに凄いライブができても、どんなに大勢の共感が得られる人間であっても、本当の優希はここにいる。神楽優希ではなく本当の香坂優希が間宮の前に姿を現したのだ。


 今まで優希が話してくれた事を集約すると、恐らく幼い頃から姉を尊敬していたのと同時に、同じ位に嫉妬もしていたのだろう。

 だから、何か1つでも胸を張れる事を、人並み以上に強く欲していた。それが優希にとって音楽であり、音楽だけが優希の自信の源になった。

 だから、いざ気になる人間が目の前に現れた時、音楽以外で自分を表現する術を持たない優希は、意識していてか無意識なのかずっと背中を見てきた優香の人間性をトレースする事を思い付いたんだと考えられる。

 その結果、間宮には優希の行動や仕草、話し方まで優香とダブってみえてしまったのだ。


 であれば――優希の質問に対しての間宮の返答は自ずと絞られた。


「……優希」

「……うん?」

「――ごめんな」
















 



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