第12話 とても大切な友人
O駅の上り線ホームで間宮と神楽優希を見かけた後、走り出した下りの電車に乗っている瑞樹は終始無言だった。
その空気を嫌った岸田は俯いて黙り込んでいる瑞樹に、思いつく限りの話題を振ってみたのだが、結果は相槌を打ってくる以外の反応はなく、益々空気が重くなるだけだった。
結局そんな空気のままA駅に着いた2人が、改札を潜った所でようやく瑞樹の口が開く。
「……それじゃ、私は自転車だから送って貰わなくても大丈夫だから……ここで」
笑顔もなく無機質に小さく手を振って、送っていくと言っていた岸田に背中を向けた時、瑞樹の左腕が後方へ引っ張られた。
驚いた瑞樹は引っ張られた左腕に視線を向けると、ゴツゴツとした大きな手に手首を掴まれていた。
「え? ちょ、なに!?」
困惑する瑞樹の前に真剣な顔をした岸田がいた。咄嗟に掴まれた手首を振り解こうとした瑞樹だったが、力の差で当然だが掴まれた手を振り解く事が出来ない。
「ホントなに!? いい加減にしないと怒るよ」
訳が分からないと、瑞樹は掴まれた手首を解放しようとしない岸田に、少し睨みつける目でそう訴える。
「まだ返事もらってないから」
「……え? 返事って?」
「明日一緒にK大に行こうって話のだよ!」
言われて、瑞樹はO駅で間宮達を目撃した驚きとショックで、すっかり岸田の誘いの話が抜け落ちていた事に言われて初めて気が付いた。
当然、今の心境で岸田に着いて行く気になれない瑞樹は、俯きながら表情を曇らせる。
「ご、ごめん……。誘ってくれたのは嬉しいんだけど、ちょっと行く気になれない……よ。ごめん」
今は無理だと答えた瑞樹の掴まれている手首に、更に力が籠るのを感じた。
「いや、行こう! 絶対に行こう!」
「え? いや……ごめ……」
今まで抱いていた岸田とのギャップに戸惑いながらも、もう1度断ろうとした瑞樹の手首が解放された。岸田はそのまま瑞樹と距離をとり再び口を開く。
「明日10時にここで待ってる。来るまでずっと待ってるから!」
「え!? ちょ、だから私は――」
強引を通り越して無理矢理約束を取り付けようとした岸田に、困惑しながらも断ろうとした瑞樹だったが、岸田は一方的にそう告げると瑞樹の返事も聞かずに走り去ってしまった。
「――え?」
追いかけるタイミングさえ掴めないまま、その場に取り残された瑞樹は唖然と立ち尽くす。
考えた事もなかった岸田との再会。そんな嬉しい出来事もあの現場を目撃した瞬間に、一瞬でかき消されてしまった。
その昔、確かに岸田に好意を抱いていた瑞樹だったが、そんな劇的な再会も、神楽優希への嫉妬と敗北感で押し潰されてしまったのだ。
あんなに楽しい時間だったのに――何かムカついてきたな。
◆◇
優希のマンションを出て、自宅に向かって電車に揺られる間宮の頭に、別れ際に見せた優希の涙がはっきりと残り心を抉る。
優希と出会ってから、らしくない事ばかりしている自覚はある。
あんなに真っ直ぐに気持ちを伝えてくれているのに、間宮はただ振り回してばかりの自分に苛立ちを募らせた。
一体何が気に入らないというのか、間宮自身がはっきりとは理解出来ていない。だからこそ、曖昧な気持ちで優希の想いを受け入れたくなかったのだ。
優希には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、東京を離れる日までに、どれだけ非難されようともこれだけは中途半端に終わらせないと強く誓う間宮だった。
力強い足取りで電車を降りて、駐輪所まで向かうと腕時計の針が23時をさしていた。契約者のフロアではない時間制の駐輪スペースには時間が時間だけに停めてある自転車は疎らで、人気のない静かな空間が広がっていたが、最近仕事を詰め込んでいた間宮にとっては見慣れた光景でもあった。
「っつ!!」
契約スペースがある2階に向かおうと、出入口のゲート脇にある歩行者用の通路を通過した時だった。突然今まで感じた事がない強い痛みが腹部から感じた間宮は、痛みで激しく顔を歪めて立ち止まる。
そういえば今月に入った頃から、断続的に襲ってくる胃の痛みに悩まされていた事を思い出した。仕事が忙しく病院に行けなった間宮は胃腸炎だろうと、市販の薬を飲んでいたのだが効果は殆どなかったのだ。
それでも暫くすれば痛みが引いていた為、時期に治るのだろうと楽観視していたのだが、どうやらその考えは相当に甘かったようだ。
今までの断続的な痛みと違い、思わず膝をついてしまう程の激痛が間宮を襲い、苦悶の表情と共にダラダラと冷や汗が吹き出した。
(……ヤバい……これはマジでヤバい……)
◇◆
駐輪所の契約者スペースがある2階のフロアで主人の帰りを静かに待つ自転車の隣に、自転車が待っている主人を同じように待っている人影があった。
この時間のこの場所にはもう殆ど停めている自転車はなく、辺りを見渡しても3台しか見当たらない。
その内の1台はずっと停められている自転車で、かれこれ1か月は動いているのを見た事がない。
恐らくだが、この自転車の持ち主は何らかの事情で長期間この町を離れているのだろうと思われる。
2台目の自転車は赤と白のコンビカラーで目を引くお洒落なヨーロッパデザインで、瑞樹のお気に入りの愛車だ。
そして最後の1台はどこにでもありそうな自転車で、街中で見かけると他に自転車と見分けがつかなくなる程の、至って普通の間宮がいつも使っている黒い自転車だった。
ごく普通の自転車の傍に赤白コンビの自転車が並び、その隣に自転車の持ち主である瑞樹が腕を組んで立っていた。
瑞樹は岸田と別れた後、暫くして駐輪所に向かい自分の自転車の鍵を開錠した時、ふと間宮の自転車が目に入り、またO駅での光景が目に浮かんでしまい、気が付くと帰らずに黒の自転車の傍で間宮を待っていたのだ。
組んだ腕に巻かれている時計に目を落とす。その腕時計は以前間宮がプレゼントした物で、普段は大切に保管されている物なのだが、今日はパーティーという事で持ち出していたのだ。
時計の針はもうすぐ0時を指そうとしていて、時間を知った瑞樹は溜息をついた。
(……もう終電の時間だ。でも、間宮さんは帰って来ない)
瑞樹はどうしても確認したい事があった。ホームで一緒にいた女性は間違いなく神楽優希だった。
瑞樹はどうしても、2人がどんな関係なのか知りたかったのだ。
だが、邪魔するのも気が引けるからと電話をするのは避けて、トークアプリから何度かメッセージを送ったのだが、既読すら付かなかった。その事が不安に拍車をかけ、居ても立ってもいられなくなった瑞樹は間宮が帰ってくるこの場所で待ち続けていた。
殆どストーカーと大差ない事は自覚している瑞樹ではあったが、そんな羞恥心よりも真実を知りたい気持ちが遥かに上回ったのだ。
だが、とうとう終電まで待っていたが、待ち人が帰ってくる事はなかった。その事実が皮肉にも瑞樹が知りたがっていた答えになってしまう。
神楽優希と朝まで一緒にいるのだと推測するのに、十分な状況証拠が揃ってしまっているからだ。
ポツポツとまるで降り出した雨のように、涙が駐輪所のコンクリートを濡らす。
濡れたコンクリートから見上げて見えるものは、唇をギュッと噛んで大きな瞳から大粒の涙を零す瑞樹の姿だった。
感情が高ぶり肩が震える。待っている鞄の取っ手をギュッと力いっぱい握りしめる音が鳴る。戦わずして負けたような感覚が瑞樹の思考を支配する。
どこにも気持ちをぶつける場所がないと、瑞樹は1度落ち着こうと大きく息を吐く。
自分の感情を表に出さなければいい。皮肉にもこの方法は瑞樹の得意とするところのはずだったのだが、今回ばかりは慣れているはずの瑞樹をもってしても簡単に押し殺せそうにない。唯一の得意技ですら出来なくなってしまった弱い自分を嘆く。
天井に向かって大きく息を吐いた瑞樹は何かを諦めた様子で、自転車の傍から動かなかった足をすり足で前に進めた。静かに佇んでいた自慢の自転車がゆっくりと進む。
無言で1階へ続くスロープを降りていくと、ここも契約スペースの2階と同様に自転車の姿は殆どなかった。
静まり返った空間に自転車の車輪が回る音と、瑞樹の足音だけが響く。
「――!!」
ゲートがある出口付近でキキっと自転車のブレーキ音と共に、瑞樹の足が止まった。ゲートの手前付近で男が蹲るようにして倒れているのを発見したからだ。
深夜で人気がないこの場所だ。
瑞樹は倒れ込んでいる人の心配をするよりも、警戒心が勝り身構える。
だが他に出口がない為、瑞樹は倒れている男から一番遠回りするルートを選び自転車を盾にするように歩き出す。
通過する際も瑞樹は男から目線を外さずに、慎重に慎重にと歩いていたのだが、倒れている男が近付くにつれて警戒心の塊のような目が徐々に驚きの目に変化していき、やがて顔から血の気が引いていくのを自覚したのと同時に、ガシャンッと自転車が倒れる音が駐輪所に響き渡った。
倒れた自転車のカゴから鞄が落ちて中身を撒き散らしてしまったが、瑞樹は全く気にも留めずに倒れている男の元に駆け寄る。
「間宮さん!? ど、どうしたの!?」
倒れ込んでいたのが間宮だと気付いた瑞樹が必死に声をかけるが、苦しそうな声しか返ってこない現状に、これはただ事ではないと瑞樹は中身を撒き散らした鞄の元に走った。
瑞樹はすぐさま落ちていたスマホを手に取り119番をコールした。
◆◇
耐えられない激痛に襲われて膝をついた所まではハッキリと覚えている。痛みが和らぐのを歯を食いしばって耐えようとしていた間宮だったが、人間に備わっている本能が耐えられないと判断したのか、やがて意識が遠のいていくのを感じた。
そして、完全に意識を手放そうとした直前、誰かに名前を呼ばれた気がした。
聞き覚えのある声だった気がしたが、痛みに耐えるのに必死だった間宮は誰の声なのか判断する余裕がなかった。
ただ、心配して駆けつけてくれた事は理解出来た間宮は、その人物に一言、二言短い言葉を返した記憶はある。
やがて痛みが限界に達して、傍に駆けつけた人の事が気になった間宮であったが、意識が遠のく事に抗わず気を失う事を選んだ。
真っ暗な視界に僅かに光が差し込むのを感じた間宮は、ゆっくりと目を開けて意識を覚醒させる。
光の正体は間宮が眠っているベッドの先にあるカーテンが開かれて、差し込んだ朝の光だった。
「あら? 気が付いた?」
まだぼんやりとした視界の先に、真っ白な服装の女性が立っていた。
「……こ、ここは?」
間宮は差し込む光を眩しそうに眼を細めながら、立っていた女性に問う。
「ここは病室よ。貴方は昨日遅くにここへ運び込まれたの。覚えてない?」
病室と聞かされた間宮は、説明してくれた女性が看護師だと理解すると、運び込まれるまでの経緯を思い出そうと試みた。
確か前々からあった腹痛が急に酷くなって倒れ込んだはずだ。
そこで誰かに話しかけられたのは覚えてる。
それから先の記憶はないが、恐らく話しかけてきた人が救急車を呼んでくれたのだろうと推測した間宮は、だとすれば真っ先に気になる事があった。
「それにしても、よくあんな状態になるまで我慢してたわね。運び込まれて緊急オペをする事になってから、色々と大変だったんだから」
「え? 緊急オペ!? 俺って何か病気だったんですか!?」
「急性虫垂炎ね! 所謂盲腸ってやつよ。発症してから相当痛みを我慢してたでしょ! 切ったら終わりって病気だけど、甘く見てると大変な事になる可能性だってあるのよ」
胃腸炎だと決めつけていた病名が盲腸だと知った間宮は、なるほどと頷き納得した。
確かにあの痛みは尋常ではなかった。しかも放置すれば腹膜炎を併発しかねない病気だから、安易に考えてはいけないと聞いた事があったのだ。
「盲腸……。どうりで胃腸炎にしては痛みが酷いなと思ってたんですが……」
「胃腸炎と間違える程度の痛みじゃなかったはずよ。いい大人がだらしない」
「はは、耳が痛いです。あ、それで大変だったというのは?」
「救急車を手配した子が身内だからって一緒にここへ乗ってきた女の子がいてね。手術すると聞いた途端取り乱しちゃって、盲腸のオペだから心配ないって話をして、ご家族にはこちらから連絡するから帰るように言ったんだけど……」
恐らくその女の子が声をかけてくれた人だと察した間宮は、身勝手な健康管理の末に迷惑をかけてしまった事を悔いた。
「オペに入ってからもずっとその場を動かなくてね。無事にオペが終わったって言っても、目を覚ますまで看病させて欲しいって泣きながら頼み込まれちゃって困ったわよ」
「……そんな事があったんですか」
「随分心配してたわよ。盲腸だから心配ないって何度も言ったんだけど、その度に頭を下げられちゃってね」
「……そうだったんですか。何かすみません」
申し訳ない気持ちが更に大きくなった間宮は、苦笑いを浮かべる看護師に平謝りした。
「あはは、私に謝られてもね。それにその女の子もただ泣いてるだけじゃなくて、間宮さんのご家族に連絡してくれたりテキパキと動いてくれたのよ。それにしても随分可愛い女の子だったわよ? 高校生くらいだと思うんだけど、身内って言ってたけど妹とかじゃないのよね?」
「――!!」
そう言われて、間宮は助けてくれた女の子が誰なのか理解したのと同時に、その女の子にとんでもない迷惑をかけてしまったと、頭をガシガシと乱暴に掻き毟った。
「えぇ、妹じゃないです――その女の子はとても――とても大切な友人ですね」
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