第6話 予期せぬ再会 後編

 瑞樹が恥ずかしそうに着ていたスカートをポンポンと払いながら立ち上がった後に、続いて立ち上がった岸田は改めてクラス会参加メンバーに向かって口を開く。


「変な空気にしてしまってごめんな。仕切り直してクラス会を始めて欲しいんだけど、部外者の俺も参加させて貰っていいかな」


 同じ中学ではあったが、クラスが違った岸田はこのまま参加させて欲しいと訴えかけると、幹事である真鍋が少し溜息をつく。


「あったりまえじゃん! 今日は志乃のサプライズゲストとして来て貰ったんだから、帰られると困るよ!」

「はは、ありがとう」


 クラス会の参加を受理された岸田が嬉しそうに笑うと「と! その前に」と真鍋が岸田に体を向けると、さっきまで笑っていた他のメンバーも岸田に神妙な顔を向けた。


「え? なに?」


 コロコロと変わるメンバーの様子に、岸田は思わず身構える。


「えっと、岸田君。志乃の傍にいてくれてありがとう。岸田君がいてくれなかったらと思うと、今でも怖くて仕方がないよ」


 岸田がいてくれなかったら、最悪の結末を迎える可能性も十分に考えられた。それは真鍋だけではなく、あの時の瑞樹の様子を知る者ならその可能性を考えるのは容易な事だ。

 だから、岸田の勇気ある行動に、当時何も出来なかったクラスメイト達は本当に感謝していたのだ。

 その感謝の気持ちは、当時存在していた3-3のグループルームとは別に、平田を除く裏ルームでのやり取りで証明されていた。

 初めて岸田が瑞樹に近付いた時は、凄まじい程の書き込みがあったのだ。

 クラス全員が岸田を称賛すると共に、何も出来ない己の苦悩を書き綴る件数も同等の凄まじさがあった事を、ここにいる瑞樹と岸田以外の全員が鮮明に記憶していた。


 だから今回のクラス会に岸田を呼ぶ事が出来たと真鍋から報告があった時、瑞樹への謝罪と岸田への感謝の伝えようと満場一致で決定していたのだ。


 真鍋は身構える岸田の手を両手でギュッと握り、真っ直ぐに岸田の目を見つめる。


「岸田君。志乃の傍にいてくれて、励ましてくれて、元気付けてくれて、守ってくれて……本当に……本当にありがとうございました」


 真鍋がもう1度感謝の気持ちを伝えて深く頭を下げるのと同時に、元クラスメイト達も一斉に岸田に頭を下げる。

 岸田は頭を下げる真鍋達にアタフタと慌てながら、少し早口で皆に自分の気持ちを伝える。


「ちょ、待ってよ! お礼なんか言われる事してないって! 俺がしたくてしただけで、別に皆の為にしたわけじゃないんだから。頼むから早く顔をあげてくれよ」


 これは岸田の本心だ。

 あの状況を瑞樹に近づくキッカケにしたのは事実であり、決して他の連中の助けになる為に起こした行動ではないのだから。


 岸田はその言葉を飲み込んで眞鍋達に頭を上げるように促すと、静かに顔を上げた眞鍋はニッと岸田に笑みを向けた。


「岸田君がそう言うなら、これ以上は止めないとだね! 困らせたら意味ないし」

「うん! んじゃこの件はこれで終わりって事で……さぁ! クラス会始めよう!」


 もう昔の話は止めようと岸田が皆に告げると、眞鍋が後ろにいる皆の方に振り返ってグラスを手に持ち改めて乾杯の音頭をとると、静まり返っていた室内に歓声が鳴り響きクラス会が再開された。

 そんな変わり身の早さに苦笑いを浮かべる岸田をクスクスと笑う瑞樹に、ポカンと口を開く岸田。


「ん? なに?」

「いや、そんな顔を見せてくれるようになったんだなってさ。嬉しいような悔しいような複雑な気分だけど」


 瑞樹のそんな表情を、中学時代を思い起こしてみても記憶になかった岸田は、複雑な顔を見せた。


「え? そっかな。ん~そうかもね……でも、何で悔しいの?」

「その表情を引き出したのが、俺じゃないから……かな」

「そんな事ない! もしあの時、岸田君が傍にいてくれなかったら……きっと私……壊れてたと思うもん」


 それは岸田にも分かっている。だが岸田が言いたいのは、今見せてくれている表情が中学時代に見た事がない類のものだと言う事だ。それは今現在、瑞樹を助けた人物がいる事を意味している。岸田は直観的にそう理解したのだ。


「ん~そうかもだけど……ん、まぁいいや。この話は止めて何か食べようよ。必死で走ってきたから腹減ってんだよね」

「ふふ、そうだね。食べようか」


 言って、瑞樹は岸田をセンターテーブルにあるソファーに案内すると、早速二枚の皿を手に持って岸田に振り返る。


「岸田君、お皿に盛ってあげるよ。何が食べたい?」


 瑞樹が無邪気にそんな事を言うから、岸田の顔がみるみる火照りだす。


「ん? どうしたの? 顔が赤いよ? 走ってきたから?」


 真っ赤な顔を無防備に覗き込む瑞樹が近付く。約3年ぶりに見る瑞樹の顔は当時のあどけなさが随分と抜けていて、とても綺麗な顔立ちが相変わらず真っ白な肌が際立たせていて、サラサラの手入れが行き届いている綺麗なダークブラウンの髪が肌の上で揺れている。

 もう幻想の世界の住人なんじゃないかと錯覚する程に、瑞樹は岸田の想像を遥かに超えた美少女に成長を遂げていたのだ。

 そんな瑞樹の顔が直視出来ずに、岸田は思わず顔を背けた直後に激しく後悔したのだが、もう後の祭りだと溜息をついた。


「あ、えっと……そこのサンドイッチと唐揚げとサラダと……あ、それとそのパスタも欲しいかな」

「りょ~かい! ちょっと待っててね」

 可愛らしく敬礼のポーズをとると、瑞樹は手に持っている皿と岸田が欲しがっている食べ物を交互に見て、テキパキと更に盛り付けを始めた。


「はい! お待たせしました」


 言って岸田の前に置かれた皿の上には、本当に綺麗に盛り付けられた食べ物が乗っていた。彩もバランスよく考えられていて、本当に美味しそうに見える。


「うわー! 綺麗に盛り付けてくれたんだな。凄く美味そうだ」

「ふふ、ただ、盛り付けただけだよ」


 クスリと笑った瑞樹が当たり前のように岸田の隣に座る。

 当時あれだけ憧れて必死に努力した距離を、今ではあっさりと手に入った事にむず痒さを感じた岸田だった。


「ん? どうしたの? 食べないの?」

「え? いや、食べるよ。いただきます」


 照れ臭さを隠すように、岸田は皿に盛りつけられた料理をガツガツと食べ始める。


「あははっ、そんなに慌てなくても沢山あるよ。私もいただきます」


 隣に座って小さい口にフォークを運ぶ瑞樹を見て、岸田は学校の中庭で並んで昼食を食べていた頃を思い出す。

 いつも食欲がわかずに殆ど食べる事なく蓋を閉じられた弁当箱を、何とも言えない気持ちで見ていたあの頃。

 ちょっと期待していた自分がいた。もしかしたら作ってくれたりしないだろうかと……。あの時転校していなければ、その可能性があった事を改めて悔やんだ。

 でも、またこうして並んで食事をする事が出来た現実に、岸田は含みを持たせた笑みを零すのだった。


 少し腹が満たされた所で、受験生らしい話題が持ち上がる。


「ところで、受験勉強は順調?」

「うん、順調だよ。前回の模試で合否判定がAになったから、後は油断せずに継続すればって感じかな」


 言って。持っていたフォークの先をちょっと咥えてニッコリと微笑むと、隣にいる岸田の手からフォークが滑り落ちてカシャンと金属音が鳴った。


「あ、しまった!」


 無邪気に微笑む瑞樹の破壊力が凄まじく、岸田は手から力が抜け落ちたのだ。

 慌てて落としたフォークを拾うとすると、タッチの差で瑞樹がフォークを拾い上げて、岸田の顔の前で人差し指を天井に向かってさした。


「もう、子供みたいだなぁ」


 まるで小さな子供を優しく躾けるように「めっ!」と聞こえてきそうな口調で、反対の手で代わりのフォークを岸田に手渡した。


「あ、あははっ、うっかりしてたよ。ごめんな」


 誰のせいだと言ってやりたい岸田だったが、そんな事を言えばきっとギクシャクしてしまうだろうからと、口にしないで平謝りした。だって、今の瑞樹は岸田がずっと見たかった瑞樹そのものだったから。


「それはそうと、瑞樹さんってどこの大学志望なの?」

「ん? 私は一応K大目指してるよ」

「は!? K大!? マジで!?」


 志望大学を聞いた岸田は突然ソファーから立ち上がり、大きな声をあげた。


「う、うん。ていうか急にどうしたの?」

「いや……だって、俺もK大だからさ!」

「え? えーー!? それホント!?」


 瑞樹も岸田に倣えとばかりに立ち上がって驚く。だが、瑞樹の驚きは岸田のそれとは質が違う。

 何故なら岸田がK大を狙う理由が見つからないから。

 岸田は名古屋在住と聞いていたから、何故同レベルの大学が名古屋にあるにも関わらず、わざわざこっちにあるK大を目指す理由が見えなかったからだ。


「だって岸田君って名古屋に住んでるって聞いたよ? 名古屋ならM大があるよね!? それなのにわざわざK大に通うなんて大変でしょ?」

「あ~違うんだ。自分で言うのも情けない話なんだけどさ。瑞樹さんと違って俺の頭じゃK大レベルの大学を狙うなんて、烏滸がましいってレベルなんだよね」

「どういう事?」

「うん。実は俺、受験免除の立場なんだよ。所謂スポーツ推薦ってやつでね」


 言って、岸田は爽やかに片目を閉じて白い歯を見せた。


 岸田がK大に通う事になったのは、小学生から続けていた水泳の実力が認められてK大から推薦の話がきたというものだった。確かにそれならわざわざ遠い大学へ通うのも納得出来る話だ。


「スポーツ推薦!? 凄いね!」

「自力でK大に受かる方が凄いでしょ! あの大学の偏差値を見た時、眩暈がしたよ」

「あははっ、私も本当は3年になった頃までは諦めかけてたんだよ。ほら、あそこって英語が必須だったでしょ?」

「そういえば、中学の時から英語だけは大の苦手だったもんな」

「そうなんだよね。だから無理だろうなって思ってたんだけど、1年の時から通ってるゼミの夏期講習の合宿があってね。その時に英語を担当した臨時講師の人が凄くて、その講師のおかげで苦手意識が消えたんだ。そこからは嘘みたいに成績伸ばせたんだよ」

「へぇ、そんな講師がいるんだな。臨時講師って事はフリーでやってる講師なのか?」

「それが違くてね! 普段は会社員で営業の仕事をしてる人なんだよ」

「は!?」

「ふふ、可笑しいよね。でも私はその人に出会ってなかったら、こんなに前向きなビジョンを持ててなかったと思うし……それに……」

「それに?」

「えへへ、ううん! なんでもないよ」


 ずっと瑞樹を想ってきた岸田にとって、講師の話をしている時の表情に、感謝の気持ち以外の感情が混じっている事に、すぐに気づいた。


「ん? どうした? 真鍋」

「ん~? いや、あの2人があんなに楽しそうに話してるの見てたらさ。岸田君を連れて来られてよかったなぁってね。それにお似合いじゃん!」

「ふん! ま、確かに悔しいけどお似合いってのは同感だな」


 真鍋が2人を遠巻きに眺めていると、一緒に幹事をしていた男子が悔しそうに2人を目で追った。


「あれ? アンタも志乃狙ってたん?」

「まぁ多少はな……つか、瑞樹を見て何も思わない男なんて異常だと俺は思うけどね」


 悔しそうに吐く言葉は、恐らくクラスの男共の気持ちを代弁するものだっただろう。


「あははっ! 確かに志乃に何も感じない男がいたら、変な趣味があるかもって疑っちゃうよね」


 言うと、眞鍋の周りにいたメンバーが大きく頷きながら笑い合った。大多数の男達は楽しそうに話をしている岸田に対して悔しい思いはあっても、誰も妬む気にはなれなかった。それは当時、岸田がそれだけの行動を起こした事に他ならない。

 何もしなかった男達に妬む資格などないのだから。


 そんな温かい眼差しを向けられている事など知らない岸田は、臨時講師の存在が気にはなっていたのだが、楽しそうに話す瑞樹に水を差したくない思いで表情に出さないように、久しぶりの瑞樹との時間を楽しんだ。

 そんな楽しい時間に、瑞樹は昔からでは考えられない色々な顔を見せた。それは岸田にとっても嬉しい事なのだが、同時に恐らく今の彼女になる為に噂の講師が関わっていると睨んだ岸田にとっては、何とも言えない嫉妬心に苛まされたのだった。


「はい! 盛り上がってるとこ悪いんだけど、そろそろ撤収時間になるからさ! 最後に集合写真撮ろうよ!」


 手をパンパンと叩いて、幹事である真鍋が参加メンバー全員にそう呼びかける。真鍋の呼びかけに対して「おぉ! いいじゃん!」と誰も指示していないのに、瑞樹がいる中央テーブルに集まった。


 今回の主役である瑞樹とスペシャルゲストである岸田を中心に、2人を囲むように他のメンバーが配置について各々でポーズを作る。


「よし! じゃあ撮るよ! 今日は志乃の初参加したクラス会なんだから、いつもよりいい顔見せてよ!」


 真鍋がそう発破をかけると、「おぅ!」とメンバー達から反応が返ってくる。その返事を受けて瑞樹の隣に陣取った真鍋が瑞樹に提案を持ち掛けた。


「撮るタイミングは志乃にまかせていい? その時ちょっとでいいからコメントとか言ってくれたら、滅茶苦茶嬉しいんだけど」

「え? えぇ!?」


 引っ込み思案だった頃の瑞樹であれば、即答でその提案を断わっていただろう。だが、逆隣にいる岸田に目をやると、何も言わずに頷くのを見て考えたのだ。

 受験勉強が大変なこの時期に、わざわざこの場に岸田を連れてきてくれた事。なにより自分に謝るために集まってくれた皆の事を思うと、無下に断るのは違うと決心した瑞樹は、カメラに向かって大きく空気を吸い込むのだった。


「皆! 今日は本当にありがとう! 今日皆に会えて本当に嬉しかった。また皆でこうやって遊べる日が来るなんて考えた事もなかった! だから……だから――これからもよろしくね! 受験が終わったらまた会おう! いくよ! はい、チーズ!」


 スマホのシャッターが切れる音が気持ちよく耳に届いて、その音が何故か瑞樹の涙を誘う。

 溢れ出しそうな涙を懸命に抑え込もうとしていると、同じ様な顔をしていた眞鍋が瑞樹を見つめている。

 そんな視線で眞鍋が何を言いたいのか察した瑞樹は、何も言わずに真鍋をそっと抱き着いた。真鍋もそれに応える様に、両手を瑞樹の腰に回す。


「……沙織。本当にありがとう」

「ううん。志乃こそ来てくれてありがとう……凄く嬉しかった」


 お互いがお互いの耳元にそう告げ合い、抱擁を解いた真鍋が皆に最後の挨拶をする。


「いつもならこれから2次会って流れなんだけど、年明けたらすぐセンターだから今日は解散ね! 各自で2次会するのは勝手だけど、それで受験失敗しても責任とらないからね! 次回は受験が終わったらすぐにやろうよ! その時、全員が合格報告出来るようにラストスパート頑張ろう! それじゃおつかれっしたー!」


「おつかれ!」「またなぁ!」「そう言ってる眞鍋が落ちないように気を付けろよ!」 

 様々な挨拶が返ってくる一体感のある空気の中、3-3緊急クラス会は無事に終了した。


 皆同じ中学の同級生と言う事で帰り道は同じだ。だから当然皆で帰ろうと言う流れになり、駅に向かおうとした瑞樹の肩を真鍋が掴んで止める。


「ん? どうしたの? 沙織」

「どうしたもこうしたも、わざわざ志乃に会う為に名古屋まで来てくれた岸田君と、もう別れるつもり?」

「え? いや、眞鍋さん。俺は顔を見れただけで」

「岸田君は黙りなさい! 志乃だって久しぶりに会ったんだから話し足りないでしょ!」

「う、うん?」

「てことで、私達は先に帰るから、志乃達はもう少し遊んで来なさいな! それじゃ、まったねー!」

「え? ち、ちょっと沙織!?」


 瑞樹の呼び止める声も聞かずに、眞鍋は帰りだした参加メンバーの元へ駆けて行き、瑞樹と岸田はこの場に取り残されてしまった。


「な、なんかごめんね。沙織ったらいつも強引なとこがあって……。岸田君だって名古屋に帰らないといけないのに……」

「いや、今日は幼馴染の家に泊めてもらう事になってるから、気にしないで。それに真鍋さんの言う通り、これで別れるのは寂しいなって思ってたしね」

「ホントに? 無理して言ってない?」

「ないない! それに久しぶりの東京だし、瑞樹さんさえ良ければちょっと食べ過ぎたから、腹ごなしに散歩付き合ってくれないかな」

「う、うん。私でよければ……」

「おっし! そんじゃ行こっか。今日泊めてもらう家もA駅だからちゃんと送っていけるから、その辺は安心してくれていいし!」


 こうして3年ぶりに会った岸田と、思わぬ東京デートをする事になった瑞樹は、真鍋達が向かった逆方向に歩き出すのだった。

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