第5話 予期せぬ再会 前編
立ち上がった瑞樹が突然真鍋と部屋に入ってきた男子を『岸田君』と呼んだ瞬間、室内が一瞬静まり返った。
岸田という名前は当時の同学年の間では有名だった。
平田の圧力に負けて、学年全員が瑞樹の存在自体を無視していた中、唯一孤立していた瑞樹に歩み寄った人物なのだから当然だろう。
そんな静まり返った空間で、1人の女子が恐る恐る指を指しながら突然現れたイケメンに声をかける。
「え? 岸田君って……あの転校した岸田……君?」
「え? あ、うん。そうだけど」
そんなやり取りを聞いていた全員が目を丸くした直後、室内にどよめきが響き渡った。
「えぇ!? あの岸田君!? ホントに!?」
「うっそ、マジかよ! てか、あんな感じの奴だったっけ!?」
あの岸田!?と言った声がシャワーのように降り注がれたかと思うと、瞬く間にクラス会参加者達に飲み込まれていった。
そんな岸田を少し離れた距離にあるセンターテーブル席から、目を見開きジッと見つめていた瑞樹に真鍋が小声で話しかける。
「ね! 驚いた?」
「……うん。凄く驚いてる……でも、どうして? 岸田君は転校していったんだよ?」
「ふふん! 探し出すのにすっごく苦労したんだかんね!」
言うと、真鍋と一緒に今回の幹事を務めた2人が腕を組んで、ウンウンと唸るように頷く。
真鍋はそんな幹事達を横目にクスっと笑みを零すと、この場に岸田を呼んだ経緯を瑞樹に話し始めた。
◆◇
真鍋は瑞樹の自宅に謝りに行った帰り道、今回のクラス会の企画を思い付いた。1人1人に平田が謝罪に回った事で、真鍋が瑞樹に謝りに行くとトークアプリで告げた時、元クラスメイト達全員が一緒に謝りたいと言い出したからだ。
だが、そんな大勢で押し掛けてしまっては逆に迷惑になってしまうからと、当時瑞樹に近しい仲だったクラスメイトだけで謝罪に向かったのだ。
そこで真鍋が思いついたのは、延期になっていたクラス会を復活させて、皆に謝る機会を作ろうと考えたのだ。だけど、それだけだとインパクトに欠けるというか、折角の機会だから主役である瑞樹が喜んでくれる事をしたいと思案する。
そこで、瑞樹が一番喜ぶ事は何だと考えた時に、真鍋の頭に岸田の名前が浮かんだ。
岸田をクラス会に招待出来れば、あの当時、唯一瑞樹に寄り添い心の支えになっていた存在が目の前に現れれば、瑞樹にとって間違いなく一番のサプライズになるはずだと考えたのだ。
転校していった事は知っているが、どこに引っ越したかまでは知らない真鍋にとって、相当に困難な案件ではあったが、他の2人の幹事に相談して何としても実現しようと立ち上がった。
早速、岸田を招待する為の最大の問題点である現在の岸田の居所を突き止めようと、元3-3メンバーがいるトークルームに問い合わせてみたが、誰も知らないと情報を得れなかった事に落胆の息を吐く。
やっぱりこの問題が存在する時点で詰んでいるのは分かってはいたが、瑞樹に犯してしまった罪の贖罪の念を抱く真鍋は下を向く事をしなかった。
真鍋は次の作戦だと、真鍋達の母校である中学校に向かい当時岸田の担任の元を訪れて、岸田がどこの学校へ転校したか聞き出そうと試みた。だが、個人情報だからと断られてしまう。真鍋は事情を説明して必死に粘ったのだが、結果は変らなかった。
ならばと、今度は卒業アルバムを頼りに当時の岸田と同じクラス全員に片っ端から電話をかけて、転校先を入手しようと試みた。もはやここまでくると、完全なゲリラ作戦である。
当時、平田の圧力に屈する事なく完全に孤立している瑞樹に寄り添った男だ。当然、当の本人も孤立していたと予想するのは容易ではあったが、それでも1人くらい仲が良かった人間がいるはずだと望みを託して、1人、また1人と電話をかけ続ける。
そして、名簿が残り3人となった所で奇跡が起きる。
孤立してしまった岸田と、水面下で繋がりを保っていた男子がいたのだ。岸田とは幼馴染だったらしく、学校外で付き合いがありよく会っていたらしい男子は田村と名乗った。
だから、当時の岸田の想いをよく知る者であった為、当然岸田とは今も関係を保っている事を知った。
当時転校が決まった時、田村に本当に悔しそうに胸の内を明かしていた事を聞かされた。瑞樹を支えられるのは自分しかいないのに、途中で離れてしまわないといけなくなった現実を嘆いていたと言う。
勿論、田村にもその行動の根元には、瑞樹への恋心があるのは知っている。
当時、学年の、いや学校のアイドル的な存在だった瑞樹に好意を寄せている男なんて腐る程いた。
だが、そのほぼ100%の男達は自分の保身の為に、そんな気持ちを捨てて平田の圧力に屈したのだ。
田村は2年の時に瑞樹と同じクラスで、割と仲が良くよく話す関係だった為、瑞樹の性格はある程度把握していた。
だから、平田がばら撒いた噂を全てでっち上げだという事は直ぐに分かっていたのだが、田村もまた保身を優先してしまった1人として、申し訳ない気持ちをずっと抱え込んでいたと言う。
突然の面識のない真鍋からの電話だったが、事情を知った田村は自分に出来る事は全面的に協力すると約束して、後日改めてどこかで落ち合う事にして電話を切った。
そして、後日ファミレスで落ち合った時、田村は事前に岸田と連絡をとってくれていて、岸田の住所と転校先、そして連絡先の携帯番号をまとめたメモを真鍋に手渡した。
どうやら岸田は名古屋の方に引っ越したようで、ここからだとかなりの距離になる事を知った。
だが、遠いからと言って電話で話をするのではなく、眞鍋はどうしても直接会って話をしたいと、教えて貰った岸田の携帯に電話をかけてそう伝えると、本人は快く了承してくれたのだ。
その二日後、眞鍋達クラス会の幹事3人は名古屋駅に向かった。
真鍋は自分が言い出した事だから、受験生を振り回す訳にはいかないと言ったのだが「沙織もそうじゃん!」と一蹴されて、結局3人で訪れたのだ。
事前に打ち合わせていた待ち合わせ場所に向かうと、そこには当時の印象を、根本的に崩壊される程に変貌を遂げていた岸田がいた。
4人は軽い挨拶を済ませると、近場のファミレスに入り今回の経緯を詳しく説明すると、岸田は快く参加を快諾してくれた。
その後は瑞樹はどんな女の子になった?とか、孤立する前の明るい女の子に戻れた?等、岸田のマシンガンのように一方的な質問責めにあった真鍋達だったが、つい最近再会したばかりで今の瑞樹の事は殆ど知らないと前置きしたうえで、知ってる限りの事を懇切丁寧に答えると、岸田は本当に嬉しそうな表情を見せた。
最後にクラス会の開催日時を伝えて岸田と別れて、現在に至る。
だが、眞鍋は岸田を探し出した経緯をかなり端折って説明した。それは詳細を知ると、瑞樹の性格だと受験の大事な時期に自分の為に時間を使わせてしまったと責める可能性があったからだ。
瑞樹に喜んでもらう為に起こした行動が、逆に苦しませてしまっては本末転倒というものだ。
「……そうだったんだ。ありがとう」
発した言葉の端々が震えているのが分かった。
「ん~ん! どういたしまして!」
涙声になっているのを揶揄ったりしない。それは当時、学年中から孤立した瑞樹にとって、岸田がどれだけ大きな存在だったかなんて考えなくても、当事者なら誰にでも分かる事だったから。
岸田が瑞樹の元クラスメイト達の包囲網を抜けて、まっすぐに立ち尽くしている瑞樹の元に向かってくる。
はじめ見た時はすぐに誰だか分からなかった瑞樹だったが、近づいてくる度に、あの時に感じた優しい空気を身に纏っている雰囲気を感じて、やっぱり彼だと溢れ出てくる涙を堪えるように唇をキュッと噛んだ。
「久しぶり瑞樹さん。元気だった?」
瑞樹の前に立った岸田は在り来たりな挨拶をする。その声がその笑顔がその空気が、瑞樹の中に馴染むように染み込んでいく。
「……うん。久しぶり……だね、岸田君……その、わ、私ね……」
そこまでが限界だった。堪えようとしていた涙が瑞樹の頬を伝ってフロアに落ちる。
あの日、岸田が瑞樹の前からいなくなった日から、ずっとどんな時だって、それこそ意中の人である間宮と知り合った当時であっても、気を張り続けてきた。自分の傍から離れて行った岸田に心配をかけたくない一心で。
高校入学当初は、そうやって意識して気を張っていた瑞樹だったが、いつの間にかそれが癖になって、気を張って人を寄せ付けないようにする事が当たり前になってしまっていた。
そんな力が目の前に現れた岸田の笑顔によって、スッと抜けていく。足に力が入らなくなり、その場に倒れるように岸田に向かって傾いていく瑞樹。
ヤバいとは勿論理解していた。だけど体に力を入れたくても抜けていく一方で全く体の制御が効かなくなっていた。
もう倒れてしまおうと諦めた時、力強い腕に肩回りごと抱かれて倒れていく速度に合わせて衝撃を逃がしながら、床に倒れ込む直前に落下していく上半身が止まった。
「し、志乃!? ちょ、どうしたの!? 大丈夫!?」
慌てる真鍋の声と共に、クラスメイト達が集まってきてざわついた声が聞こえた。
「瑞樹さん、大丈夫?」
顔のすぐ側から聞こえた岸田の声に、瑞樹はピクリと反応する。
優しくて懐かしい声が、耳に馴染む。
そんな声を聞いたからか、さっきまで抜け落ちていた力が少し戻り、岸田の肩に添えるように預けていた顔を上げて、岸田をまっすぐに見つめる。
お互いの目が合うと、岸田は本当に心配そうな顔を見せていた。
背丈も伸びて、体つきもガッシリと逞しくなり、スポーツマンらしく爽やかな顔立ちになって、さっきまで他の女子達に騒がれていた岸田だったが、目だけはあの時のまま優しさと強さに満ちた目をしていた。
何度、この目に助けられたか分からない。
うぐっ……え、えぐっ……あ、ああぁぁ……!!
懐かしい目で見つめられた瑞樹は、心の底から安心感に包まれたのと同時に、抑えようとしていた感情が溢れ出してしまい嗚咽が漏れ始める。
咄嗟に岸田の服を両手で握りしめて、抱きかかえられた腕に顔を隠すように埋めて歯を食いしばる。
そんな瑞樹に岸田は何も言わずに、ただ優しく瑞樹の髪を撫でた事で我慢の限界を超えた。
ぐすっ、あぁぁ……うわあぁぁぁぁ!!!!
優しい手の感触が瑞樹の感情を完全に決壊させて、眞鍋達が見ている前で羞恥心など完全に忘れてしまったように、瑞樹は大声で泣きだした。
そんな瑞樹を見ていた元クラスメイト達に笑う者など1人もいない。それどころか、この感情の決壊こそが瑞樹が負った心の傷そのものなんだと思い知らされて、自分の情けなさに涙を流す者もいた。
気が付けば大泣きしている瑞樹とそれを優しく抱きかかえている岸田の周りを元クラスメイト達が取り囲み、全員がフロアに座り込み俯いて涙を流していた。
楽しく過ごすはずのパーティールームに似合わない泣き声だけが響き渡る。
だが、この瞬間こそが瑞樹の過去のトラウマを克服する為の、間宮では与える事が出来ない最後のピースだったのだと、瑞樹は後で知る事になる。
暫くして瑞樹の鳴き声が小さくなり、やがて鳴き声が止んだ。
岸田の腕から埋めていた顔を上げる瑞樹は、まだ小さな癇癪を起してはいたが、随分と落ち着きを取り戻したのか、さっきまで顔を埋めていた岸田の服に視線を落とす。
「……服汚してしまって、ごめんね……代わりの服を買ってくるから、後で脱いで。洗濯して返すから」
涙や鼻水で汚してしまった服を申し訳なさそうに洗濯すると言った瑞樹に、岸田は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「いやいや、瑞樹さんの涙が染み込んでるんだぞ? このまま持ち帰って保存しないとでしょ!」
「へ? な、何言ってんの!? だ、だって鼻水だって付いちゃってるのに」
「マジで!? それはもう永久保存待ったなしだな!」
「ちょっと、今すぐ脱いで! 絶対綺麗に洗濯して返すから!」
顔を真っ赤に染めた瑞樹は、勢いよく立ち上がり無理矢理岸田の服を脱がせようとすると「瑞樹さんって積極的なんだ!」と言われて、初めて自分がとんでもない事をしようとしていた事に気付き「ご、ごめんなさい!」と慌てて掴んでいた服を離すと、周囲から笑い声が漏れる。
笑い声に驚いた瑞樹は周りを見渡してみると、瑞樹と岸田を中心に皆が取り囲むように座り込んでいて、2人のやり取りを見守っていた事に気付く。
「ち、違うの! わ、私はそんなつもりじゃ――」
必死に言い訳をしている瑞樹の隣で岸田も大きな笑い声を上げる。
「ちょ、ちょっと! 岸田君も何とか言ってよ!」
そんな猛抗議を受け流すように、岸田がニッと笑みを浮かべるのを見て、瑞樹は理解した。岸田は皆の前で大泣きしてしまった瑞樹に恥ずかしい思いをさせないようにと、わざとあんな態度をとって皆の笑いを誘ってくれたのだと。
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