第2話 sceneの存在意義

 翌日、間宮が風邪で病欠して迷惑をかけてしまった関係部署に頭を下げて回り、溜まった仕事に取り掛かった午後の事。


 間宮が勤める会社から徒歩3分程の所にあるsceneでは、杏がカウンターで腕を組んで怪訝な顔つきで、正面に座っている2人の客を睨んでいた。


(そりゃね、近いうちに会って欲しいって約束は取り付けたけど、日にちは決まってなかったんだし、クリスマスの日でもいいわけじゃん? と言ってもアポなしでクリスマスの時間をGET出来るなんて思ってなかったよ? なかったけど送ったメッセージに既読が付いたのが今日ってどうなのよ……。それってクリスマスを誰かと過ごしてたって証拠じゃん!誰かを好きになる資格がないとか言っておいて、誰と会ってたのよ!それに、あの出回ってた神楽優希が写ってたあの画像……一緒に写ってたのって間宮さん………だよね。やっぱり昨日は彼女と過ごしてたのかな)


「――――はぁ」


(俺みたいなおっさんが高校生に交じってクリスマスライブとか……おまけにその後、佐竹君に呼び出されて……子供相手にマジになったりして……ホント何やってんだ俺)


「――――はぁ」


「……あのさ、松崎君に藤崎先生――1つ訊いていいかしら?」

「何? 杏さん――はぁ」「はい。何ですか?――はぁ」

「間宮一派は、私の自慢のオムライスを溜息交じりに、不味そうに食べるの流行ってるのかしら?」


 棘しかない言い方で、杏は店に入ってくるなり溜息ばかりついている松崎と藤崎に苦言を零すと、2人はハッとして慌ててオムライスを頬張りだした。


「ごめん、不味いわけないじゃん。相変わらずめっちゃ美味いよ!」

「うん、ごめんなさい。ちょっとネガティブモードだっただけだから! でも、オムライスに悪いですよね……ん?」


 松崎に続き杏に謝る藤崎だったが、杏の言った事に引っかかりを感じて、すぐさま杏に問う。


「杏さん。さっき間宮一派って言ってたと思うんだけど、間宮さん来てたの?」

「……来てたよ。なんでも午後から取引先にアポ取ってるからって早めに来てさ。あの子もアンタらと同じように溜息ついてオムライス食べるもんだから、説教してやったわ!」


 流石、間宮の自称東京の母である。

 付き合いが長いとはいえ、客に対して説教なんてあり得ないのだが、そこは2人の信頼関係が成せる業なのだろう。


 しかし、そんな関係の杏にも、悩んでいる事を打ち明ける事はしなかったと、杏は寂しそうに話す。


「……そうなんですね。あ、あの! 間宮さん何か言ってませんでしたか!? クリスマスの事とか……その、私の事とか」


 間宮が悩んでいたと聞いた藤崎は、もしかしたら僅かな期待を胸に秘めて、カウンターに身を乗り出す勢いで杏に訊く。


「クリスマス? いや、特に何も言ってなかったけどね」


 言って、カウンターの奥に向かう杏の背中を見送った藤崎は、また盛大な溜息と共にカウンターテーブルに崩れ落ちるように項垂れた。


「藤崎先生。あいつにクリスマスデート誘ってフラれたんか?」


 露骨に落胆する藤崎を横目に眺めていた松崎が、そう声をかけた。

 フラれたという単語にムッとした顔をした藤崎は、シャンと椅子に座り直して少し離れた席に座っている松崎を疎ましそうに見て、少し苛立った様子で鼻を鳴らす。


「別にフラれてませんよ。ただ、送ったメッセージに既読が当日に付かなかっただけですよ」


 藤崎はそう話すと、苛立ちを隠そうともせず前髪を掻き上げて、眉間に皺を寄せた。


「なるほどねぇ。そりゃ気になって溜息もつきたくなるよなぁ」

「ええ。だから余計な事ばかり考えちゃうんです……。クリスマスに誰かと過ごしてて、無視されたんじゃないか……とか」


 話しながら、昨日メッセージを送ってからレスが返ってくるのをジッと待っていた事を思い出したのか、藤崎の目がジワリと揺れた。


「どういう経緯で返信してこなかったのかは知らんけど、あいつが昨日何してたのかは知ってるぜ」

「え!? ホ、ホントですか!?」


 思わぬ所から知りたかった情報を得る機会に恵まれたと、藤崎は2席離れていた松崎が座っいる席までの空間を飛び越えるように、一気に詰め寄った。


「あ、あぁ。あいつイブに神楽優希のクリスマスライブに行く事になっててさ。その日に休みを取る為に仕事ギチギチに詰め込んでたんだ」

「へぇ、神楽優希のライブですか。なんていうか……」

「意外って顔してんね」

「はい。間宮さんがそういう所に行くイメージがなかったもので」

「まぁ、その気持ちは分かるけどな。それで休みを取る事は出来たんだけど、無理がたたって大風邪ひいて体調崩しちゃってね」

「え!? 間宮さん病気だったんですか!?」

「そうそう。んで、結局イブに寝込んで昨日も病欠で会社休んでたんだよ」

「……なるほど。という事は昨日はずっと寝てて、私のメッセージにも気付かなかった……と」

「恐らくそんなとこだと思うよ。安心した?」

「……はい。あ、いえ! 間宮さんが体調を崩した事を喜ぶなんて不謹慎ですね……ごめんなさい」

「いやいや、俺に謝られてもな」

「……そっか。だから……そっかぁ」


 心底ホッとした様子を見せる藤崎。

 フッてもらう為に会う事になっているなんて、想像もしていない松崎は、そんな藤崎に微笑む。


「あっ! でもまだ病み上がりなんですよね!? 無理してるんじゃないかなぁ……。間宮さんって1人暮らしなんですよね? どこに住んでるのかご存知ですか?」


 怒涛の質問責めにタジタジになる松崎は、落ち着けと詰め寄る藤崎を取り敢えず隣の席に座らせてから、今朝顔を見た時の間宮を思い出す。


「確かに元気がなかったように見えたな。でも、杏さんが言うには何か悩んでるって話だったから、風邪の方はもう大丈夫なんじゃないか?」

「で、でもですよ! 間宮さんっていっつも無理ばっかりするじゃないですか!」


 再び席を立った藤崎は、剣幕に捲し立てる。


「確かにそんなとこあるけど、因みに藤崎先生は間宮の家を知ってどうするつもりなん?」

「看病はもう必要ないかもですけど、例えば夕飯を作ってあげたりとかですね!」


 フンスと鼻息荒くそう言い切る藤崎に、松崎は思わず吹き出した。


「ぷっ! それ彼女の仕事じゃねぇの?」

「そ、そうかもしれませんが、間宮さんって恋人とかいらっしゃらないんですよね!?」

「それは確かにいないけど……さ」

「それなら、私が間宮さんの家にお邪魔しても問題ないですよね!」

「あはは! 藤崎先生は本当に間宮あいつの事が好きなんだな」


 言った途端、興奮していた事に気付いたのか、藤崎はおずおずと顔を真っ赤にしながら席に着いた。


「すみませんね! 馬鹿みたいに取り乱して!」


 フンッと口を尖らせてそう言う藤崎に笑う事を止めた松崎は、柔らかい表情で隣に座る藤崎に目を向けた。


「笑ってごめんな。藤崎先生でもそんな風になるんだなって思ったらついな……でも」

「……なんですか?」

「正直、藤崎先生が羨ましいよ。気位の高い藤崎先生でも好きな男の事となると、あんなに必死になれるのが……さ」


 しみじみとそう話す松崎に、藤崎は何かを察したように頷く。


「……いるんですね。松崎さんにもそういう方が」


 言うと、松崎は「ははっ」と苦笑いを浮かべた。


 羨ましいのは私の方だと、藤崎は思う。

 藤崎の想いは決して報われないものだから。

 フラれる為に、間宮と会う事になっているのだから。


「羨ましいのは私の方ですよ……」

「そんな事ないだろ」

「ありますよ。だって私のは――」


 間宮と自分の今の関係を話そうとした時、テーブルの置いてあった藤崎のスマホが震えた。


「はい、藤崎です。はい……はい? え? あぁ!? すみません! すぐに戻ります!」


 どうやら午後からのミーティングの時間になっても帰ってこない藤崎に、ゼミからの催促電話だったようだ。


「杏さん! ごめんなさい! 私もういかないと!」


 慌てて鞄の中を漁りながら、杏に会計を催促する藤崎だったが、他の常連客のオムライスに仕上げにかかっているようで、少し待ってと声がかかった。


 本当に時間がないのだろう。待てと言われた藤崎は全くと言っていい程に落ち着きがなかった。


「はは、いいよ。ここは俺が払っておくから、藤崎先生はもう行きなよ」

「え? いえ! 松崎さんにそんな事してもらう理由なんてありませんよ」


 確かにそうなのだが、知らぬ関係ではないのだしと、藤崎の伝票を手に取った松崎は「いいからさ」と早く行けと促した。


「じ、じゃあ、御馳走になるわけにはいかないのでと、鞄からメモ用紙とペンを取り出して、何やら書き込んだメモ用紙を松崎に手渡した。


「それ、私の番号です。この時間にここに来れる日があったら連絡下さい。その時、借りたお金をお返ししますので! それじゃ、ありがとうございます!」


 言って、松崎の返答を待たずに店を出て行った。


「おまたせって、あら? 藤崎先生は?」

「先生なら仕事に戻ったよ。先生の分も俺が払うからさ」


 言って、松崎は藤崎の分の伝票をひらひらと杏に見せた。


 本当はライブの後、瑞樹が間宮を心配してマンションに向かったのだ。

 その事を藤崎に話さなかったのは、人を好きになる事に一生懸命な藤崎に余計な水を差したくなかったから。


 誰かを真っ直ぐに想う事。

 それは松崎が出来ない事だったから。


「ふ~ん。なんだか青春の匂いがするねぇ」

「何言ってんの、杏さん。もうそんな年じゃないって」

「青春が若い連中の特権なんて、誰が決めたのさ。いくつになっても気の持ち方1つで、いつでも青春ってやつを味わえるって私は思ってるけどね」

「はは、そんなもんかねぇ」


 青春に年齢は関係ないと言い切る杏に、松崎は降参と両手を小さく上げた。


「今度2人で来る時は、オムライスにハートマーク入れておこうか?」


 悪戯っぽく笑み浮かべながらそう言う杏に「やめてくれ。俺と先生はそんなんじゃないんだから」と2人分の伝票を持って席を立った。


 支払いを済ませた松崎は「ごちそうさん」とだけ杏に告げて店を出ようとドアを開ける。


「午後からも頑張りなさい!」


 店を出ようとした松崎の背中に、そんな杏の声が届く。


「あいよ! また来るよ」


 杏に振り向いた松崎はそう言って、ニカっと白い歯を見せて仕事に戻っていった。


【カフェバーscene】


 何時の間にかその店は、間宮達にとって憩いの場であり、人生の分岐点を誘うターニングポイントを担う店になったのかもしれない。

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