5章 それぞれの想い
第1話 間宮の決断
早朝5時過ぎ。目覚ましを設定している携帯のアラームが鳴り響くより、遥かに早く目覚めてベッドから上体を起こし両足を床に着けて、右手を額に当てる。
香坂優香の妹、神楽優希こと香坂優希からの挑戦状に似た告白から僅か数時間後の朝、間宮はどうしようもない空虚感に苛まれていた。
昨晩、優希と交わした口づけ。
何故、優希の行動を拒否出来なかったのか……。
いや、そうではない。拒否するどころか、唇を重ねる為の最後の距離を詰めたのは間宮本人なのだ。
勿論、間宮も優希と同じ気持ちを抱いていて、口づけを交わしたのならいい。それは素晴らしい事で、少し出来過ぎたクリスマスになった事だろう。
もしそうなら、今朝だって気持ちよく目覚めて、今頃優希にメッセージなんて送っていたのかもしれない。
だが、現実はこの有様だ。頭の中がごちゃごちゃとして落ち着きがない。
間宮は無言でベッドから降りて、浴室に向かい頭を完全に起こす為にシャワーを浴びる。
文字通り体や頭を洗うわけでもなく、只シャワーを頭から浴びた。流れ落ちるシャワーに微動だにせず、間宮は目を閉じて流れ落ちるお湯の音に意識を向ける。
後悔とは違う、言葉では表し辛い感情が間宮の体を支配している。
はっきりと言える事は、これは幸せを感じているわけではないという事。
決して優希の気持ちが嬉しくなかったわけではない。
ただ、素直に優希の気持ちが胸の中にストンと落ちてこないのだ。
嬉しいのだが、優希の気持ちがどこかで引っかかっていると言えばいいのだろうか。
自分の気持ちを掴めない事に、間宮は苛立ちを覚えた。
◇◆
口づけを交わした後、暫く優希の体を抱きしめた。
抱きしめた優希がどんな顔をしていたのか、自分の胸の中に顔を埋めていて分からない。
そして、その時自分もどんな顔をしていたのかも分からなかった。
抱擁を解いた2人は優希の車に乗り込み、間宮のマンションに向かったのだが、道中お互い何も話す事はなかった。
間宮は何度か話しかけようとしたのだが、何を話せばいいのかと言葉が見つからないままマンションに着いてしまった。
間宮は在り来たりな挨拶をして、車を降りる。
優希の車は外車で左ハンドルの為、当然助手席は反対車線側になる。
間宮は車を降りてドアを閉めると、車を回り込むように歩道側に移動した。
降りてすぐに立ち去りたかった間宮だったのだが、回り込む時間に優希にアクションを起こす時間を与えてしまう。
「ねえ、良ちゃん」
優希は間宮にそう声を掛けながら、自分も車から降りた。
その時、間宮の腕時計から0時を知らせる小さなアラームが鳴り、この瞬間クリスマスが終わった事を告げる。
「私の気持ちの返事は貰えないの? 遅れて来たサンタさん」
そう告げる優希の真剣な眼差しは、間宮には優香のそれとダブって見えるもので、その眼差しは間宮の心を大きく抉った。
これまでも優しい目、少し怒ったような目、楽しそうに笑う目、そして何より今見せている真剣な眼差しから、どうしても優香を連想してしまうのだ。
その罪悪感からくる心の痛みが酷く我慢出来そうにない間宮は、そんな優希の眼差しから目を背けた。
そして少し考えた後、間宮はこう告げるのだ。
「……何で俺なんだよ。俺にはどうしても君の姿が優香にしか見えないって言ったろ?」
その言葉がどれだけ酷い事を言っているか自覚している間宮。
だからこそ、自分に気持ちを向ける優希の事が理解出来ないのだ。
「うん。だから、私は入口は気にしないって言ったよね? それにいつか私の事を好きにさせてみせるとも言ったよ?」
「でも……結局ずっと優希の見る目が変わらない事だって、十分にあり得る事なんだぞ?」
「そうかもね……でも、もしそうなったら私の魅力が足りなかったってだけじゃん。勿論、負けるつもりはないけど、良ちゃんはその事を気にする必要はないんだよ」
「……いや、そう言っても……な」
「さっきは強引だったとは思うけど、最後は良ちゃんから距離を詰めてキスしたんだよ? あれって軽い気持ちでしたの?」
「い、いや! そんな事はないんだけど……」
「だったら、これ以上難しく考える必要は今の所ないと思うな。少しでも私に気持ちがあるのなら付き合ってみて。私にチャンスを貰えないかな」
「――――」
「何も言わないのは、肯定してくれたって思っていいのかな?」
「……どうなっても知らないぞ」
言って、間宮は優希の目に背を向けて、返答を待つ事なくマンションへ帰宅しようと歩き出した。
ロックを解除して自動ドアが開き、ロビーに入る。
そこから左手にあるエレベーターに向かうまでの間、優希の無言の視線が突き刺さる。
今、優希は何を考えているのだろう。
どうして、あんな有名人が俺なんかをと、優希の告白から口づけを交わして、そしてさっきの優希の言葉が頭の中を駆け巡る。
エレベーターが8階に到着して、間宮が自宅の前に差し掛かった時、外から短くププッとクラクションが鳴る音が聞こえた。
通路からエントランス前に目を向けると、丁度優希の車が走り出す所だった。恐らくあのクラクションは間宮に帰ると優希からのメッセージだったのだろう。
走り去る真っ赤な車を眺めながら、間宮は思う。
川島から受けたオファーの返答をする期限が迫っているというのに、まだ決断出来ずにいる。
そんな時に、優希との関係が深くなってしまうと、東京を離れられない理由が増える。
「……俺の人生って、うまくいかないよな」
あれだけ憧れた世界。
ようやくそれを仕事に出来るチャンスが巡ってきた。
もう1年この話が早ければ、東京に何の未練もなく新潟に移り住んでいたはずなのに……。
だけど、1年遅れてきた話だからこそ、間宮の29歳の年は今までにない騒がしい年になったのだ。
それまでは、優香を失ってからは仕事に生きてきた。――それだけだ。
他に何もない凍り付いた生活。
そんな生活に特に疑問も持たずにやってきたはずなのに、瑞樹との出会いから間宮の何かが変わった。
何かに本気で怒ったり、笑ったり。
以前もそんな事があるにはあったが、どこか芝居臭くて自分でやっている事なのに、間宮はそんな自分を笑っていた節があった。
この時、瑞樹が自分を取り戻していく度に、間宮も瑞樹に凍り付かせた物を溶かされてきたんだと自覚する。
「だから、俺は優希を拒めなかったのかも……な」
独り言ちて、間宮はポケットから取り出したスマホを手にした。
口づけを交わしたはずなのに、優希から自分の気持ちへの返事を求められた。と言う事は、優希の中ではまだ付き合っていないと都合のいい捉え方をしていいのかと、間宮は考えた。
そんな考えが出てきたのには、理由がある。
それは、まだ間宮が東京を離れるかもしれない事を、優希に話していないからだ。
ただでさえ多忙を極める大人気アーティストだというのに、恋人が同じ東京を離れると知ったら、優希の気持ちが変わるかもしれない。というより、その可能性が高いと間宮は思うのだ。
ともなれば、今ならまだ間に合うかもしれないと、手に持っていたスマホを耳に当てた。
「あ、もしもし間宮です。夜分遅くにすみません――今大丈夫ですか? 実は訊きたい事があって――」
もう日にちが変わった深夜。
こんな時間に電話をかける事の非常識さは分かっている。だが、それでも間宮はすぐに確認したい事があったのだ。
「なるほど、分かりました。はい、大丈夫です。夜分遅くにすみませんでした。はい、また連絡します」
言って、間宮は電話を切り部屋に入った。
鞄やスマホをテーブルに投げ置き、今から風呂を焚くのは諦めて着替えを用意してシャワーを頭から浴びながら、小さく息を吐きこう呟くのだ。
「……これが瑞樹にとっても、優希にとっても……そして俺にとっても最善のはずだ」
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