第56話 画像の男

 本当は間宮さんの着替えを手伝いたい――なんて恥ずかしくて言えなかった。

 というより、言わなくて良かった……いや、ホント。


 キッチンに向かって材料の確認をしていると、寝室から茜さんが無理矢理着替えさせているみたいで、相変わらずドタバタと賑やかな声と音が聞こえてくる。

 そんな2人のやりとりが段々と可笑しくなって、我慢出来なくてお腹を抱えて笑ってしまった。

 いつもクールなイメージの2人が、子供みたいにはしゃいでるんだもん。家族にしか見せない顔なんだと思うと、笑っちゃったけど何だかちょっと寂しかったりもした。


「さて、お粥作りますか」


 以前、ここで涼子さんとたこ焼きの準備を見ていた事があるから、食器や調理器具の収納場所は大体把握している。


「勝手知ったるなんとやらってね」


 使う食器を取り出して、ふと思う。


(茜さんってご飯食べたのかな)


 冷蔵庫の中身を確認した私は、調理を中断して2人がいる寝室のドアを開けた。


「っ! 志乃ちゃん! 開けたらアカン!」

「――え?」


 寝室のドアを開けて飛び込んできた光景。

 それは着ていた服を剝ぎ取られて、残るパンツを脱がされかけている間宮さんがいた。


「っ! きゃああぁぁぁぁぁ!」

「うわあぁぁぁぁぁ!」


 予想だにしなかった光景に私が悲鳴をあげると、間宮さんも見られたショックからか、今まで聞いた事がない声で叫んだ。


「ご、ごめんなさい!」


 私は慌ててドアを閉めると、寝室から茜さんの笑い声が聞こえてくる。とんでもないものを見てしまった。

 上半身はお祭りの時に見た事があるけど、パ、パンツ姿の間宮さんを見てしまうなんて……。私だったら恥ずかしくて死にたくなるかもしれない。


(あぁ……ノックすればよかったよ)


 真っ赤になった顔を両手で覆ってしゃがみ込んでいると、ガチャリとドアが開く音がして、茜さんがひょっこりと顔を見せた。


「ノックしないとダメじゃん。まぁ、私は面白かったけど」

「ご、ごめんなさい。ホント、ごめんなさい」

「あはは、私に謝られてもね。ところで何かあったの?」

「え? あ、あぁ。茜さんって夕飯食べたのかなって訊こうと思って。まだなら、卵雑炊くらいは作れる材料があったので」

「お、卵雑炊かぁ。嬉しい! 食べる!」


 私は「わかりました!」とキッチンに戻ろうとした時「卵雑炊は2人前よろしくね」と言われた。


 茜さんって見かけによらず、大飯喰らいなのかな?


「今、失礼な事考えてるでしょ」

「え? い、いえ」


 茜さんってエスパーなんだろうか。

 この人の前で失礼な事を考えるのはよそう。


「もう1人前は志乃ちゃんの分だよ」

「……え? 私も食べていいんですか?」

「志乃ちゃんが作ってくれてるんだから、当たり前じゃん」


 茜さんは私の免疫力の高さを信じると言って、ご飯を作ったら強制的に帰されると思っていたから、ここで3人でご飯が食べれる事が嬉しかった。


「はい! じゃあ作ってきますね」


 私はウキウキとキッチンに戻ると、無駄な抵抗を再開する間宮さんの声と、面白半分に揶揄う茜さんの声が聞こえだした。

 混ぜてもらいたい気持ちをグッと堪えて調理していると、やがて賑やかだった寝室が静かになる。


 すると、寝室のドアが開いて、茜さんが一仕事終えたような仕草で寝室から出てきた。


「ん~! いい匂いねぇ。ライブが落ち着いて、直でこっちに来たから何も食べてなかったのよ」

「あ、やっぱりそうだったんですね。でも、神楽優希さんは大丈夫なんですか?」

「打ち上げ会場には送り届けたし、帰りはタクシーで帰るって言ってくれたからね」

「大人気アーティストのマネージャーって大変ですね」

「ふふ、好きでやってる事だから、平気だよ」


 そう話す茜さんは本当に楽しそうだった。

 自分のやりたい事を仕事に出来るのは、本当に一握りの人間だけだって昔お父さんが言ってたけど、茜さんや神楽さんはその一握りの人達なんだな。


「あ、そろそろできるでしょ? 配膳は私がやっておくから、良兄呼んできてくれる?」

「え? は、はい」


 気を利かせてくれたのかな? 


 私は言われた通り配膳を茜さんに任せて、ドキドキしながら寝室の前に立って、今度はちゃんとドアをノックした。


「間宮さん。開けるよ?」

「……ん? うん」


 静かにドアを開けると、ベッドにぐったりと横になっている間宮さんがいた。ぐったりと言ったが、風邪のせいというより茜さんに弄られて疲れたみたいだ。


「お粥出来たよ」

「あぁ、ありがとう」


 言って体を起こそうとして、痛みがあったのか間宮さんの顔が歪んだ。

 私は咄嗟に肩を貸そうと間宮さんの傍に駆け寄ると、嫌がるかと思ったけれど、素直に私の肩に手を置いて掴んでくれた。


「いてて」


 痛みはあるみたいだけど、私に肩に少し体重をかけて立ち上がる事が出来てホッとしながらも、慎重にダイニングに誘導した。


 ダイニングチェアにドスンと体重を預けて座る間宮さんを確認して、私も向かい側の席についた。

 間宮さんの隣に座っている茜さんは、目の前の雑炊に目をキラキラと輝かせている。


「……いい匂いだな」

「せやろ! なんせウチが買ってきた材料やからな!」

「アホか……それ言うなら、瑞樹が作ってくれたからやろ」


 いつものボケツッコミというやつなんだろうけど、流石に間宮さんのツッコミに元気がない。


「あのね、ちょっと作り過ぎちゃったけど、無理に食べ切らなくてもいいからね。食べれるだけ食べて、残してくれていいから」

「……うん。でも、いい匂いで食欲でてきたよ」

「せやろ? なんせウチが買ってきた――」

「もうええっちゅうねん」


 私と茜さんが笑うと、間宮さんも小さく笑ってくれて、少しホッとした。

 いつも無理ばかりしちゃう人だから、我儘を言わない様にしないといけないのに、今回も無理をさせてしまった……。


「「「いただきます」」」


 皆で手を合わせて、早速ご飯を食べ始める。


「んー! すっごく美味しいよ、志乃ちゃん」

「お口に合って良かったです」

「私の嫁に欲しいくらいよ」


 言って、茜さんはもりもりと食事を進める。


「あの、間宮さんは……どう?」

「ん? 凄く美味いよ。これってちょっとショウガ入れてる?」

「うん。風邪の時はショウガがいいって聞いた事あって、ちょっとだけ入れてみたんだ」

「へぇ、こんな味のおかゆって食べた事なかったけど、美味いよ、ありがとう。昨日から何も食べてなかったから、この優しい味が染み渡って温まるよ」

「ホント? えへへ、よかった」


 間宮さん達が食べ始めたのを見て、私も食べ始める。

 相変わらず間宮さんを揶揄っていた茜さんだったけど、食事を食べ終える頃に気になる事を間宮さんに話し出した。


「そうだ、良兄」

「ん?」

「あの件やけど、優希が良い方向に振ってくれて、何とか収束する流れが出来たわ」

「……そうか、迷惑かけて悪かったな」

「ええよ。そういうわけやから、もう気にせんと安静にしとくんやで」

「……分かった」


 2人の会話を聞いていて、それがライブで神楽優希がMCで話していた例の画像の件だというのは分かった。

 だけど、分からない部分もあって首を傾げる。

 茜さんは神楽優希のマネージャーだから、その画像はスキャンダルのネタになってしまうのを怪訝していたのは当然だ。

 あのMCの客達の反応をみる限り、茜さんが言うように騒動になる恐れはないと思うから、安堵するのも分かる。

 でも、何でその事を間宮さんに話す必要があったんだろう。その件で間宮さんに相談でもしていたのだろうか。


 そこがよく解らなくて首を傾げていると、2人はキレイに夕食を食べ終えてくれていて、私にニッコリと微笑んでいた。


「「御馳走様でした」」

「お粗末様でした」


 2人がそう言って手を合わせくれるから、ちょっと恥ずかしかったんだけど、私も手を合わせて返す。


 茜さんはすぐに間宮さんに寝室に戻るように促すと、間宮さんも「そうやな」と席を立って「瑞樹」と私を呼んだ。


「ん? なに?」

「……ライブ行けなくてごめんな」


 まったく律儀と言うか何というかである。

 私が我儘を言ったせいで無理をして倒れたんだから、私が謝る事はあっても間宮さんが謝る事なんてないのに。


「茜さんにも言ったんだけど、間宮さんが体調を崩してしまったのは私のせいなんだよ。だからそんな事気にしないで安静にしてて」

「……ん、分かった。あ、それと洗い物は明日にでもやっておくから、流しに置いておいてくれ」

「ううん。料理は後片付けまでして、初めて料理って言うんだよ? だから気にしないで」


 茜さんも洗い物を手伝うと言ってくれて、2人で早く寝る様に促す。


「お粥ありがとうな。すごく美味かったよ」

「ううん。食べてくれて嬉しかった」


 言うと、間宮さんはニッコリと微笑んで寝室に戻っていった。




「んじゃ、私も帰るで。良兄」


 間宮さんが寝室に戻ってから暫くして、洗い物が終わった茜さんは寝室に顔を出して、間宮さんに声をかけた。


「それじゃ帰ろっか。送っていくよ」と言って茜さんは得意気に車の鍵を指に引っ掛けてクルクルと回している。

 私はここからそう離れていないとはいえ、時間が時間だけに茜さんの厚意に甘える事にした。

 帰り支度を済ませた私達は帰る前に寝室を覗いてみると、間宮さんは静かに寝息をたてていた。呼吸も安定しているみたいだったから、後は安静にしてれば大丈夫だろうと、2人で安堵の息を漏らす。


 自転車は一晩間宮さんの駐輪所にお泊りさせて、私はマンション前に横付けされた茜さんの車に乗り込んだ。


「折角のイブだったのに、ごめんね」

「いえ、何度も言いますけど、これは私が悪いんですから」


 茜さんは何だか嬉しそうに笑った。

 その後も、自宅までナビをしながら少し話をした後、私はずっと引っかかっていた事を訊いてみる事にした。


「あの、1つ訊いていいですか?」

「ん~? なぁに? 良兄のサイズ?」

「ち、違いますよ!」

「何のサイズかは分かったんだね」


 言って、茜さんはここぞとばかりにニヤニヤと笑みを向けてくる。真面目な話をしようとしてるのに……そもそもサイズとか聞いても分かんないし……って違う! 


「えと、さっき間宮さんに収束するって話していたのって、神楽さんがライブのMCで言っていた事ですよね?」

「ん~まぁね。いや~あの画像が原因で志乃ちゃん達にまで迷惑かけてしまわないか、ヒヤヒヤしたよ。ってサイズの話はスルーすんだね」


 益々、分からなくなった。何故その画像の事で私達にまで被害が及ぶ事になるのかと。勿論サイズの話はこのままスルーだ。


「誰が撮ったのか知らないけど、一緒にいた男が良兄って事が解り難い画像で助かったよ」

「……え?」


 思考が一時混乱した。


 えっと?……神楽優希と一緒にいた画像の男が――間宮さんだって言った……よね?


(……それって)


『一緒に写っている人は、実は6年前に交通事故で亡くなった姉の元婚約者なんだよね』


 ライブのMCで神楽優希が言った事が、フラッシュバックする。


 ショックだった。


 それは神楽優希と一緒にいた人が間宮さんだった事じゃなくて、間宮さんに婚約者がいた事がだ。


 言葉が出ない……胸が激しく痛んで、軽い眩暈まで起こした。


 私の方から質問した事なのに、何も言わなくなったのが気になったのか、茜さんが俯いている私を覗き込むように見てきた。


 その時、私の顔色が相当悪かったみたいで。茜さんは「あっ!」と声を漏らす。


 多分、私の質問に答えて、茜さん的に致命的なミスを犯した事に気付いたんだろう。


 私もあのライブ会場にいて、当然あのMCを聞いた人間だ。

 そんな私に画像に写っている男が間宮さんだと言ってしまったら、間宮さんに婚約者がいた事をバラしてしまう事になるからだ。


 婚約者がいるのと婚約者がいたのでは、全然意味合いが違う。

 しかも、婚約者と死に別れたとなればなおさらで。

 そんな大事な事をいくら姉弟とはいえ、勝手に他人に話していい事ではないからだ。


 それと茜さんの声には、もう1つの事が含まれている気がした。


 もう1つの事。


 それは私が間宮さんの事を好きだという事。

 恐らく、茜さんは私の気持ちに気付いていたのではないだろうか。

 もし、そうであれば、好きな相手に死に別れた婚約者がいたと話してしまったようなもので、そうする事によって私にどれだけのショックを与えてしまったのか、同じ女性の茜さんであれば想像に難しくないのではないだろうかと。


 一連の流れを頭の中で分析していて何も返答しない私を見兼ねたのか、茜さんが急に車を道路脇に寄せて停車させた。


「ち、違うの! これは……その」


 分かってるよ。茜さんに悪気なんてない事なんて……。

 ただね、茜さんの真意と私の本音は別の所にあるってだけ。


「大丈夫ですよ。この事は誰にも話したりしませんから」

「それは助かるんだけど……それだけじゃなくてね……」


 うん。やっぱり茜さんは私の気持ちに気付いてるんだね。


「それは茜さんの勘違いですよ」

「……え?」

「私に好きな人なんていませんから。確かに間宮さんには凄くお世話になってますけど、そういう感情はありません」


 せめて、これくらいの虚勢は張らせて欲しい。

 でないと、すぐにでも泣いてしまいそうだから。


「……もうすぐウチに着くので、ここで降ります。送って下さってありがとうございました」

「……う、うん。それじゃ、気を付けてね」

「はい。おやすみなさい」


 言って車を降りて、会釈してから家に向かって歩き出した。

 どうやら私の姿が見えなくなるまで、見送るつもりみたいで茜さんの車は停まったままだ。


「……参ったな」


 私はそう独り言ちる。


 間宮さんに婚約者がいた。

 その事にショックを受けたけど、誰が悪いというわけじゃない。だから余計に質が悪いのだ。

 このモヤモヤとした気持ちのぶつけ所がないから。

 私はこれからどんな顔をして、間宮さんに会えばいいんだろう。

 いつも通りの私でいられるだろうか……。


 そんな心配と一緒に、私はこんな事も考えてしまうのだ。


 ――間宮さんの婚約者ってどんな女性ひとだったんだろうと。

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