第55話 瑞樹の心配と、茜の心配

 瑞樹は風邪で寝込んでしまっている間宮の元へ駆けつける為に、一緒に神楽優希のライブを楽しんだ仲間達より先に、電車の飛び乗った。

 ライブ会場から電車でA駅に向かう為には、何度か乗り換える必要がある。

 会場へ向かう時は、そんな道のりなんて気にしなかった瑞樹だったが、一刻も早く駆け付けたい場所がある今の瑞樹にとって、この回り込むように走る電車のルートに苛立ちを覚えた。

 シートは空いていたのだが、一秒でも早くという思いの瑞樹はすぐに降りられるようにと、ドア付近で電車が止まるのを待ち構えてる。

 ふと、待ち合わせ場所から送っていた間宮へのメッセージの事が気になり、スマホを立ち上げてみたのだが、送ったメッセージの脇につくはずの既読マークが未だについていない。


 やはり嫌な予感が当たっていると確信した瑞樹は再び何件か送信してみたのだが、乗り換える駅に到着するまでも既読がつく事はなかった。

 乗り換えの為に次のホームへ向かっている最中に、今度は電話をかけてみたのだが、10回近くコール音がした後、お決まりのガイダンスが流れるだけで間宮の声が聞けなかくて益々不安が募っていく。


 最後の乗り換えを済ませて、後はA駅に到着するのを待つだけとなった頃、沈黙を守っていた瑞樹のスマホが震えた。

 間宮からかと慌ててスマホを立ち上げて、トークアプリに意識を向けたのだが、通知マークがついていたのは加藤のアイコンだった。

 肩を落としながら内容を見ると、間宮の具合はどうだったと体調を心配しているものだったが、瑞樹はまだ着いていなくて連絡もとれていない事を返信して、すぐにスマホを仕舞った。


 暫くしてようやくA駅に到着した電車のドアが開くと同時に、瑞樹は電車から飛び出して改札を駆け足で潜ると、自転車に跨り間宮の自宅であるマンションに急いだ。


 間宮のマンションに着いて、来客用の駐輪所に自転車を停めて、すぐさまエントランス前のオートロックに部屋番号を入力してインターホンを鳴らした。


 どうでもいいのだが、ある程度の金額から上のマンションってどうしてインターフォンの音が高級そうな音がするのだろうと、寒空の中急いで駆けつけたからか、馬鹿な事を考えて部屋にいるはずの間宮の反応を待った。

 だが、一向に間宮からの反応がない。

 何度も鳴らしてみたが結果は変わらない為、スマホから電話やメッセージで連絡をとろうと試みたが、やはり反応を得る事が出来なかった。


 その場に力なくしゃがみ込んだ瑞樹の顔色が一目で分かる程、急激に血の気が引いていく。

 その後も、僅かな可能性を信じてインターホンとスマホを繰り返し連絡を取ろうとして、気が付けば3時間近く経過していた。


「――あれ? 志乃ちゃん?」


 ふと、しゃがみ込んで俯いていた頭の上から、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 ハッと我に返った瑞樹は慌てて顔を上げると、そこには神楽優希のマネージャーであり、間宮の妹の茜が目を丸くして立っていた。


「どうしたの? こんな所で」

「……あ、茜さ~ん」


 顔をクシャクシャにした瑞樹の目からポロポロと涙が零れていてる。

 そんな瑞樹の顔をみてギョッとした茜は、慌ててしゃがみ込んでいる瑞樹に手を差し出して立ち上がらせた。


「ホントにどうしたのよ」

「間宮さんが……インターホン鳴らしても、電話をかけても反応がないんです……。風邪ひいて体調崩してるから心配で……」


 瑞樹は縋るように茜の肩に手を置いて、間宮が肺炎を起こしてるんじゃないかと、必死に茜に助けを求めた。


「あーそっかそっか。私の方に今朝メッセージが届いてたんだけど、ずっと忙しくて返信できなくてさ。落ち着いてから電話したんだけど繋がらないから、私も様子を見に寄ったんだよ」


 瑞樹は呼び出しても反応がなくて部屋に入れないんだと訴えると、茜は鞄から取り出したカードキーを得意気に見せる。


「それ合鍵ですか?」

「そ! 親がこっちに来た時にね、何かあったら使えって良兄に渡されてたんだよ」


 ホッと安堵した瑞樹は、すぐさまエントランス前に立ち、自動ドアが開くのを待った。


「こらこら。良兄の様子は私が見てくるから、志乃ちゃんは帰るんだよ。送っていくからさ」

「え? な、何でですか!? 私も行きます、行かせてください!」

「だ~め! 志乃ちゃんは受験生でしょ? センターも近いっていうのに風邪うつったら大変じゃない」

「で、でも!」

「でもじゃないの。ウイルスまみれの部屋になんて入れたら、私が良兄に怒られちゃうよ。何の為にライブに行かなかったのか分からなくなるじゃない」


 茜が言う事は全くの正論だ。

 間宮の気持ちを考えたら、ここは大人しく帰るのが正解なのも分かってる。


「でも! 私が我儘言ったから、間宮さんが無理して体調を崩してしまったんです! だから……お願いします! お願いします!」


 帰宅するよう促す茜に対して、瑞樹は必死に頭を下げて食い下がる。そんな押し問答が暫く続き、徐々に瑞樹の熱意に押し負けだしたのか、茜は大きな溜息と共に手を口元に被せる。


「志乃ちゃんってマスク持ってる?」


 茜は最低限の予防アイテムの所持の確認をとった。


「は、はい! インフルエンザが流行っているので、電車に乗った時用に持ち歩いてます。ほらっ!」


 言って、瑞樹は鞄の中から未使用のマスクを数枚取り出して、茜に見せた。


「はぁ、分かったよ。でも少し様子を見るだけだからね! 様子を確認したらすぐに帰る事! いい?」

「……はい」

「何よ、その間は」


 説得に成功した瑞樹は、様子をみたらすぐに帰るという条件を一応了承した。

 一応というのは、すぐに帰る気なんて更々なかったのだが、この場はそう返答しておかないと部屋に入れて貰えないだろうからと、大人しく従うフリをしただけという事だ。


 茜はカードを通して入居者用の番号をテンキーに打ち込むと、ずっと開いてくれなかった自動ドアが静かに開いた。


「あ、こら!」


 瑞樹は待ちきれないと、茜の呼びを止めも聞かず一目散にロビーに入りエレベーターに向かうと、茜がパタパタと追ってきてコツンと頭を小突かれた。


 2人は間宮の部屋の前に着くと、手に持っていたカードキーを玄関に設置されているスキャニング機にカードを通すと、部屋の鍵が開錠される音が聞こえた。


「おーい良兄! 生きてるかぁ」


 茜が玄関からそう声をかけたが、やはり何の反応もなかった。

 それどころか、部屋中真っ暗で留守にすら思える程に部屋の中は静かだったのだ。


 だが、茜は気が付かなかったが、瑞樹には微かに苦しそうな息遣いが聞こえた。

 その音が間宮のものだと確信した瑞樹は、殆ど無意識に前にいる茜を押し退けて駆け込むように、部屋の奥に向かった。

 リビングのドアを開けると、昨日の夕食と思われる食器とビールの空き缶がテーブルに残されたままで、悪い意味での生活感が漂っている。

 リビングに間宮がいない事を確認した瑞樹は、勝手知ったるなんとやらと、迷わず寝室のドアを開けると、そこにはベッドに倒れ込むように仰向けになっている間宮がいた。


「間宮さん!!」


 間宮を見付けた瑞樹はすぐさまベッドに近付き間宮に寄り添うとした時、「だからアカンって言うてるやろ!」と茜が剣幕に横槍をいれた。


「でも!」

「でもちゃうわ! いい加減にせんとここから叩きだすで!」


 全く言いつけを守ろうとしない瑞樹に、茜は堪忍袋の緒が切れかかったのか、東京では家族にしか使わない関西弁で瑞樹を𠮟りつける。


「は、はい! ごめんなさい!」


 カッコいい綺麗なお姉さんから、関西弁の怖いお姉さんに変身した茜に、瑞樹はベッドから飛びのいて何故か敬礼して謝った。


「あらら……これは本格的に拗らせてるやんか」


 瑞樹を退かせて倒れ込んでいる間宮を見て、冷やかし半分で来てみた茜の顔つきが変わった。


 眠っているように見えるが、極端に呼吸が浅く苦しそうで、汗も全身ビッショリにかいている。

 体温計で熱を測る必要もないなと、茜はスーツの上着を脱いで今度は優しく間宮に声をかけた。


「良兄、大丈夫?」


 いつも顔を合わせれば文句を言い合っている2人しか知らない瑞樹にとって、初めて2人の繋がりを見た気がした。


「……だ、誰……だ?」


 うっすらと目を開けた間宮だが、まだ意識が朦朧としていて誰に声をかえられたのか、よく分かっていないようだった。


「うん。とりあえず汗の始末をするから、着替えてないと。着替えってどこにある?」


 着替えの在処を訊くと、間宮のベッドの足元にあるクローゼットを指差した。


「ここか。えっと、これとこれと……」


 指差されたクローゼットの中にあったスエットを引っ張り出した後、最後に「あと、これもか」とポイっとボクサーパンツを取り出した時「うにゃあ!?」と声が漏れる。


「ん? あれれ? 現役JKが男のパンツくらいで何て声だしてんのぉ?」


 間宮のパンツに顔を真っ赤にして、両手で顔を覆った瑞樹に、茜がニヤリと笑みを浮かべて揶揄う。


「恥ずかしいのなら、帰る? 送っていくよ?」

「ぐっ…べ、別に……パ、パパ、パンツくらい平気ですよ!」

「そう? ほれ!」


 言って、慌てふためく瑞樹に間宮のパンツを投げると、見事に瑞樹の顔にパンツが覆い被さった。


「きゃああああぁぁぁぁぁ!!!!!」


 突然のパンツ攻撃を喰らった悲鳴に、ぼんやり目を開けた間宮の視線の先に自分のパンツに慌てふためく瑞樹がいた。


「……あ? み……ずき? お前……なにやって……」


 朦朧とする意識の先に瑞樹がいる。

 それがあまりに非日常に思えて、間宮はこれは夢だと結論付けた。

 だが、夢だと結論付けた間宮に、今度は違う疑問が生じた。

 夢の中の瑞樹は間宮のパンツを顔の乗せているという、理解に苦しむ状況だったからだ。

 夢は欲望を映す鏡だという言葉を、どこかの本に記されている事を思い出した。

 著者の言う事が正しければ、間宮は瑞樹に自分のパンツを被せたいという欲望を抱いている事になる。


(――え!?)


 戻りかけた意識をもう一度深い海に沈めようとした時、自分にヤバい性癖があるのではと危機感を抱いた間宮は、無理矢理に意識を覚醒させた。


「ち、違うの! これは私の意志じゃなくて、茜さんがね!」


(……やっぱり夢じゃなかったのか)


 間宮のパンツを握りしめて、必死に言い訳をする瑞樹。

 なんだ?この状況と目覚めたばかりの頭で、状況を把握しようとした間宮に、「具合はどう?」と瑞樹ではない声で問われた。


「……茜か」

「おぅ! 様子見に来たったで」


 瑞樹に加え自分しかいないはずの部屋に茜までいる事に、間宮は益々混乱した。


「詳しい話は後で! とりあえず食欲ある? 最後に食べたのっていつ?」

「飯か……昨日の夜やな……食欲はあんまりないわ」

「まぁまだ熱あるみたいやしな。でも、何か作ったるからちょっとでも食べや」


 言って、クローゼットから引っ張り出したスウェットを投げ渡された。


「出来上がるまでに、それに着替えといて。あ、パンツは志乃ちゃんに盗られたやつ履いてや」

「盗ってません! これは茜さんが投げてきたんじゃないですか!」


(……あぁ、そうだよな。何かホッとしたような、ちょっと残念なような複雑な気分だ)


「おっと、その前に良兄の様子は見れたんやから、志乃ちゃんはここまでやで! 送っていくから行こか」

「え!? い、いや……でもですね! 間宮さん凄く具合悪そうだし……」

「だからでしょ! 受験生にうつしでもしたら大変でしょ!」


 茜は標準語と関西弁を器用に使い分けて、約束通り瑞樹を送って行こうとする。


(……なるほど。段々状況が見えてきたな)


 間宮はゆっくりと体を起こして、茜と言い争っている瑞樹に向けて手を出した。


「何となく今の状況が分かってきた。茜の言う通り受験生に風邪をうつすわけにはいかないから、気持ちは嬉しいんだけど早く帰った方がいいよ……」


 間宮が瑞樹に帰るように促すと、茜はうんうんと大きく頷く。

 だけど、瑞樹は納得できないようで「……でも!」と反論しようとした時、間宮が「その前に」と付け足すと、瑞樹は何かを期待した目を間宮に向けた。


「帰る前に、その握りしめてるパンツ返してくれない?」


 言った瞬間。パンツを返して貰おうと出していた手を飛び越して、凄いスピードでパンツが間宮の顔面に直撃した。


「に、握りしめてなんてないし! 盗ってなんかないもん!」


 女子高生に自分のパンツを投げつけられている兄の姿に、茜は腹を抱えて大笑いだ。


「どっちでもいいから、早く帰りなさい」

「そうそう。帰ろ、志乃ちゃん。あ、送ってる間に汗の始末して着替えといてや良兄」


 茜はそう言いながら、嫌がる瑞樹の背中を押して部屋を出ようとして玄関まで来た時「っ! 痛っ!!」と寝室から間宮の声が聞こえた。

「なに? どないしたん?」と茜が意識を奥にいる間宮に向けた隙に、瑞樹は押される手を掻い潜って寝室に舞い戻っていく。


 慌てて茜も戻ると、寝室には辛そうに顔を歪めている間宮がいた。


「どないしたん?」

「……いや、着替えようとしたんやけど、熱のせいで節々がめっちゃ痛くてな」


 極端に高熱がでると、人間は熱で体中に痛みを感じる事がある。

 今の間宮はそれだけ熱があるという証拠だった。


「だ、大丈夫? 間宮さん」

「だから、近寄るなって言ってるでしょ!」


 心配した瑞樹が寝室に入って間宮に近付こうとすると、茜が瑞樹の襟首に手をかけて制止させた。


「やっぱりこのまま帰るなんて無理です! 私、体が丈夫でわざと風邪を引いて学校を休もうとしても、全然風邪ひかないくらい強いんです! だから、何か手伝わせて下さい」


 言って、必死の頭を下げる瑞樹と、痛みに耐える間宮を交互に見た茜は「はぁ」と盛大に溜息をついた。


「良兄、体痛くなるって熱計った?」

「朝起きて計った時は、9度3分あった」

「9度3分!? それって」

「あぁ、それは大丈夫や。俺もそれを疑って病院に行ったんやけど、インフルエンザじゃなくて只の風邪やって言われて、点滴打ってきたからマシになってると思うし」


 茜は間宮がインフルエンザではない事に、ホッと安堵した。

 インフルエンザだった場合、知らなかったとはいえ、瑞樹をこの部屋に入れてしまった責任が跳ね上がってしまうからだ。


「……ねぇ、志乃ちゃん」

「いやです! 私、絶対に帰りませんから! 怒られたって帰らないもん!」


 これは腹を据えてしまったのだと、もう何を言っても聞く耳持たない瑞樹に茜は観念の溜息を吐く。


「分かった。それじゃ、私は良兄に着替えさせるから、志乃ちゃんは良兄におかゆ作ってあげてくれる? 材料はここに来る前に買ってきてあるから」

「――は、はい!」


 目をキラキラと嬉しそうにキッチンに走る瑞樹を見届けた茜は、這いつくばるように横になっている間宮を見下ろした。


「聞いてたやんな? とりあえず着替えんで」

「あほか。着替えくらい自分で出来るわ」

「ふ~ん。ほな、やってみ」


 言うと、間宮は早速とベッドに置かれている着替えを手に取ろうと、起き上がった時だ「いっ! いでで! いってぇぇぇ!」節々という節々に激痛が走ったのだろう。間宮は起き上がろうとした体制のまま固まり、大きな悲鳴をあげた。


「あっはっは! だから言わんこっちゃない! そもそもウチに着替えさせてもらうなんて、めっちゃ役得やんか!」

「あほ! 何でお前に着替えさせてもらうんが役得やねん! 生き恥晒すだけやんけ!」

「はっ! なに恥ずかしがってんねん! ホラ、さっさと脱がんかい!」

「や、やめてーー!!」


 寝室の方で病人の世話をしているとは思えない、あかねの声と間宮の悲鳴が漏れてくる。


「いや! パンツは自分でやるって!」

「は? 妹なんやから恥ずかしがる事ないやろ!」

「妹やから恥ずかしいんやろが!」

「何がやねん!別にちっこくても笑わんって!」


「…………」


 聞いてはいけない会話を聞いてしまった瑞樹は、悶々として間宮のお粥の調理に取り掛かるのだった。






























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