第52話 真夜中のドライブ 後編
車を走らせて、ミラーに写っていた康介の姿が見えなくなったのを確認してから、2人は盛大に溜息をついた。
「ごめんね、良ちゃん。私のせいで変な気を遣わせちゃって……」
「いや、別に優希ちゃんのせいじゃないから、気にしないで」
「うん!」
バレなかった事に安堵して、優希は深く被っていたキャップを脱ぎ、かけていた眼鏡を襟首に引っ掛け変装を解いて笑った。
思わぬハプニングが功を制したのか、変な緊張が抜けた2人はその後は他愛もない世間話に華を咲かせた。
2人を乗せた車は首都高に乗って、少し都心を離れた場所にある普段からあまり車の出入りがないトイレと自販機しか設置されていない、マイナーなパーキングエリアに入り車を停める。
平日の深夜という事もあり、駐車場には優希の車以外に停めている車の姿はなかった。
誰もいない事を確認した優希は、変装を解いたまま車を降りてグッと体を伸ばすと、冬の澄んだ空気を吸い込んで白い息を吐く。
「偶にはこんなドライブもいいよね」
「あぁ、そうだな」
優希が晴れやかにそう言うと、間宮も車から降りながらそう返したのだが、優希はジトっとした目で体を伸ばす間宮を見た。
「とか言ってるけど、首都高に乗った辺りから居眠りしてたじゃん」
「う……。連日の激務で疲れてんだから、仕方がないだろ」
「……そうなんだけどさぁ」
一瞬俯いたかと思えば、すぐさま顔を上げた優希は間宮の胸に人差し指を突き当てて、得意気な笑みを浮かべる。
「私の助手席に座って居眠りする男って、日本じゃ良ちゃんだけだよ! 多分だけど」
自他ともに認める、人気絶頂のプロアーティストである優希だからこそ言える台詞だった。
「大した自信だねぇ」
「まぁね! つか自信がないと、この世界でやっていけないってね!」
「まぁそうなんだろうな――ほらっ!」
自信に満ちた優希の顔に苦笑いを浮かべながら、自販機から取り出した缶珈琲を、そのまま優希に投げ渡した。
「おっとっと! さんきゅ!」
「ん!」
優希は受け取った缶を持っている方の手で、缶のプルタブを開けてそのまま珈琲を口に含む。
その仕草がなんとも様になっていて、実にカッコよく絵になっていた。
「ん? なに?」
「いや、カッコいいっなって思ってさ」
「……それって女を褒める言葉としては、微妙なんだけど?」
「最高に褒めてるよ。世間からカリスマって呼ばれてる理由が、ちょっと分かった気がする」
言うと、優希は照れ臭そうに鼻先を掻いてから、得意気な笑みを浮かべた。
「まぁ、これでも一応プロだからね!」
「はは、そうだな」
笑い合う2人は街灯に凭れかかって、同じ銘柄の珈琲を楽しむ。
正直、本当に珈琲好きな間宮にとって、缶珈琲は惰性的に飲んでいた。どの銘柄を飲んでも缶の匂いが邪魔してしまって、珈琲の香りが妨げられてしまっているからだ。
だが、今日の缶珈琲は何だか美味く感じた。
それは、深夜のパーキングというシチュエーションのせいなのか、隣で一緒に飲んでいる相手が神楽優希だからなのかと、少しそんな考えが過った間宮だ。
「……ねぇ、良ちゃん」
「ん?」
優希の様子がさっきまでと打って変わって、開いた口から出てくる声のトーンが下がっている。
「前に話したお父さん達の事なんだけど……さ」
「……」
「あれから一度実家に帰って、お父さん達の話しを訊いてきたんだ」
「……そう」
「……うん。それでね、やっぱり凄くあの時の事を後悔してた。特にお父さんなんて、何て事をしてしまったんだって項垂れてた」
「後悔する必要なんてない。あの時お義父さんの行動は当たり前なんだ。だから恨んだ事なんて1度もないし、これからもずっと罪を背負っていくつもりだよ」
言って、飲み干した空き缶をクズカゴに放り込んだ間宮は、そろそろ戻ろうと促して、優希の愛車の元へ歩き出した。
優希は何も言わずに、間宮に言われた通り車に乗り込みエンジンをかけて、アクセルを踏み込んだ。
間宮のマンションまでの帰り道、2人の口からは何も言葉が出てくる事はなく、車のエキゾーストと高速道路の継ぎ目を跨ぐ音だけが車内に響くだけだった。
優希は何度か横目で間宮を伺ったのだが、間宮は終始サイドガラスから流れる景色を眺めていて、その表情を見せる事はなかった。
だが、見せなくともあの時の事故の事を思い出して辛そうな顔をしているだろうと察するのは、優希にとっては容易だった。
それは優希も同様で、婚約者であった間宮が側にいる事で生前の姉の事が鮮明に蘇り、キュッと唇を噛むのだった。
一時間程走っただろうか。気が付けば間宮のマンション前に車を停めてハザードを焚いた優希は、ふぅと息を吐きシートに体重を預けた。
車が完全に止まった事を確認した間宮は「それじゃ」と車を降りてマンションのエントランスに歩き出す。
「待って! 良ちゃん!」
その後を追うように車を降りた優希は、間宮を呼び止める。
その声が静まり返った通りに響くと、足を止めた間宮は、顔だけ向けて優希の次の言葉を待った。
「お父さんの気持ちは嘘じゃない! ずっと気に止んで苦しんでる! だから、お父さんに謝らせてあげて欲しい……お願い……します」
段々声が掠れてながらも、優希は父に謝罪する機会を与えてやってほしいと嘆願して、深く頭を下げた。
昔は何かと言えば衝突を繰り返してきた親子だったが、あの事故以来塞ぎ込んでしまっている父を見兼ねていたのだろう。
事故当初は大切な娘を失った悲しみと怒りだったものが、やがて一時だけだったとはいえ、婚約者である間宮に理不尽な怒りをぶつけてしまった事に対しての、愚かな自分に怒りを覚えてこれまで生きてきたんだからと、優希は付け足した。
「……悪いけど、それは無理だ。でも勘違いしないで欲しいんだけど、さっきも言ったように俺はお義父さんを恨んだり嫌っているわけじゃないんだ。大切な娘が理不尽な事故で失ってしまったんだ。その怒りのやりどころが必要だろうし、その矛先を俺に向けてくれて一向に構わないって思ってるだけ。だからお義父さんが気に病む必要はないって伝えておいて欲しい」
「――何よ……それ」
「何って、お義父さん達が俺を恨む事が生きる糧になっているのなら、ずっと恨み続けて欲しいって言って――」
パァァァン!!
言い切る前に、真夜中の静まり返った間宮のマンション周辺に、平手打ちした音が響き渡るのと同時に、間宮の視線が優希から外れていた。
間宮の前には右腕を振り切った格好で、歯を食いしばり睨みつけている優希がいた。
引っ叩かれた間宮は優希の方に向き直る事なく、そのまま無言のまま動かない。
「私の親を馬鹿にしないで!!」
怒鳴った優希の目から悔し涙が零れ落ちている。
「もういい!!!」
そう言い捨てた優希は、流れる涙を乱暴に腕で拭いながら車に乗り込み、間宮の前から走り去っていく。
深夜の静寂が戻り、1人残された間宮は星が見えない空を見上げる。
間宮は優香に関わる人間関係の修復など望んでいない。
全て自分が取り返しのつかない事をしてしまったのだから、誰かに許して欲しいなんて1度も望んだ事がない。
また、そんな自分を理解して欲しいとすら、思った事がないのだ。
(……これでいい)
間宮は別に優希の親を馬鹿にしたつもりなどない。
だが、優希がそう取り違いして怒って自分から離れていくのなら、それはそれで都合がいいと考えた。
優希は間宮にとって、どうしても優香の事を強く意識させられてしまう存在なのだ。
だから間宮は怖いのだ。優希を優香とダブらせてみてしまう事が……。
優希が走り去ってから30分程道端でそんな考えを巡らせて、間宮は自宅に帰宅した。
明日からまた心を落ち着けて、いつも通りの生活が送れる。
傷付けてしまった優希には悪いと思いながらも、間宮はどこか安堵した様子で眠りについた。
しかし、間宮と優香を取り巻く環境が一変する出来事が、翌日に起こる事になる。
◇◆
それは間宮が意識を手放して深い眠りについている、早朝から起きた。
ドタバタと玄関からリビングを抜けて寝室に向かってくる足音が、間宮の眠りを急激に浅くして、意識が半分覚醒を始めた。
寝室のドアが勢いよく開けられて、東京での生活準備の為に間宮のマンションに転がり込んでいた康介が大きな声を上げながら、ドカドカと寝室に入ってくる。
「良兄!」
「なんやねん……朝っぱらからうるさいぞ……康介」
「昨日、良兄と一緒におった女どっかで見た事ある思たら、あれ神楽優希やろ!」
誤魔化せたと思っていた事が、一夜明けてバレている事に驚いて、間宮の意識が一気に覚醒する。
「な、なんでそれを……」
「これや! これ!」
言って、康介は自分のスマホを突き出してきた。
スマホの画面に表示されていたのは有名なSNSの投稿画面で、そこに投稿されている画像を見て、間宮は「あっ!?」と声を上げてベッドから飛び起きた。
投稿されていた画像。それは昨晩マンションの前で間宮が優希に引っ叩かれている画像だったのだ。
「なっ!?!?」
間宮は康介からスマホを奪い取り、投稿されている内容をよく見てみると、この投稿は深夜に投稿されたのにも関わらず、物凄い勢いで拡散されていた。
「なぁ、何で良兄が神楽優希と一緒におるねん! どういう事やねん! なぁ!」
康介の畳みかける質問を無視して画像と一緒に書き込まれている内容に視線を落とすと、投稿記事にはこう書き込まれていた。
『飲んだ帰りに通りかかった路上で、神楽優希っぽい女が男を引っ叩いてたw これって本物!?』
唖然とその記事を見ていると、今度は間宮のスマホから着信音が鳴り響く。
慌ててスマホを手に取ると、液晶画面には間宮の妹で神楽優希のマネージャーでもある茜からだった。
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