第49話 揺れる心とブレない想い 前編
「えーーーーーーーー!?!?!?!? 痴漢にあったぁ!?!?」
受験勉強の息抜きと言う名目で、定期的にO駅前にあるファミレスで瑞樹、加藤、神山、佐竹とすっかり固定化したゼミの合宿メンバーで集まっていた。
その席で加藤が電車で痴漢にあった事を話すと、他のメンバーが店内だというのに大きな声を上げてしまったのだ。
「しーーっ! 声が大きい! てか大き過ぎだってば!」
慌てて加藤が人差し指を口元に立てて、大声を上げる3人に注意しながら辺りを見渡すと、やはり周りの客達の視線が加藤達のテーブルに集まっていた。
大声のせいなのか、痴漢にあったという事に反応したのか分からないが、兎に角座っている席から半立ちになっている3人に加藤は落ち着く様に促した。
「もう……大声で痴漢にあったとか恥ずかしいじゃん」
「ご、ごめん。いや、でも……だって」
「そうだよ! 大丈夫だったのか!? その……どんな事されたんだ!?」
困惑して言葉が上手く出てこない瑞樹の後に、佐竹が加藤に問う。
「あ、あぁごめんね、驚かせて。てか
「バ!? バカ言うなよ! そんなわけないだろ!」
「怪しいなぁ」
加藤が佐竹を弄る事により、一応は空気を落ち着けた。
「でもさ、愛菜ってば痴漢にあったって割には、妙にニヤついてない?」
普通痴漢にあったって話をする時、もっと辛そうに話すとか暗い空気になるはずだ。
それに痴漢されるなんて事は女性にとって屈辱で許せない行為の1つと言っていい。そんな屈辱的で恐ろしい思いをさせられたのだから、軽々しく他人に話したくない事のはずなのに、加藤からは何故かそれらの感情が感じられなかったのだから、神山がそう言うのも当然だろう。
「え? そっかな。ま、まぁ色々あったからさ……へへ」
「おいおい、愛菜さん。何故に痴漢の話をしてるのに、乙女の顔すんのよ」
「ふぇ!? そ、そんな事ないもん!」
慌てふためく加藤を見て、瑞樹にはもしかしてと思い当たる節があったようで「ねぇ」と話に割って入った。
「もしかして痴漢にあった時、自力で逃げたんじゃなくて、誰かに助けられたりした?」
「んぐっ!?」
瑞樹のある種、確信めいた質問に加藤は言葉を詰まらせた。
「おっとマジか! 乙女になってたのはそれが原因だなぁ?」
「だからそういうんじゃなくて……でも、志乃の言う通り助けてくれた人がいたんだよ」
「おお! ドラマか! 詳細を求む!」
神山がそう急かすから、加藤は複雑な表情を見せてあの時の事を話し出した。
電車の車内で後ろからいきなり太ももを触られて、スカートの上からお尻をいやらしい手つきで撫でまわされた事。
自分は怖くて体が硬直して言葉も碌に出ず、ガタガタと震えるしか出来なかった事。犯人がスカートの中に手が入って来そうになった時の事まで話すと、加藤は一旦話を中断させて佐竹の方にジト目を向ける。
「ちょっと佐竹……そのいやらしい顔やめて!」
「は!? そ、そんな顔してないわ!」
「ホントかな~。何か目がヤバかったんだけど」
全く人の気も知らないでと、佐竹は溜息をつく。
好きな女の子が痴漢にあった話を聞いて興奮なんてするわけがなく、犯人への憎悪と被害者である加藤の心配で心臓が握り潰されそうな痛みを感じているのにと。佐竹は不機嫌そうに飲みかけのジュースを飲み干した。
「それで?」
「ん?」
「続きだよ。スカートの中に手が入ってきそうになって――それで?」
とんだ濡れ衣を着せられた佐竹から皆の意識を加藤の話に戻すように、神山は話の続きを催促した。
「あぁ、うん。その痴漢の手が私の体から突然離れてさ。恐る恐る後ろを見たら痴漢達の手首をギシギシっと音がしそうな位に、凄い力で握っている人がいたんだよね」
「じゃあ、その人が助けてくれたって事?」
「そうだよ」
「誰? もしかして私達が知ってる人とか!?」
もう佐竹への疑惑なんてなかったかのように、助けてくれたナイトの正体に皆の意識が集中する。
「皆知っている人だよ。なんと! 助けてくれた人っていうのは――」
「――松崎さんだろ?」
「え!?」
勿体ぶってその人物の正体を明かそうとした時、先に佐竹が助けに入った人物を言い当てた。
加藤の話を聞いていて、瑞樹と神山は間宮を想像していたのだが、佐竹だけは何の迷いもなく松崎の名を挙げたのだ。
瑞樹と神山は加藤の驚いた様子を見て、本当に松崎が助けたのだと知って驚いていたが、一番驚いていたのは加藤本人だった。
そんな加藤を見て、佐竹は一瞬顔を歪める。
本当はこの予想は外れていて、間宮に助けられて欲しかった。
何故なら佐竹の心情からすると、松崎が加藤に近付いたりすると、佐竹自身に勝ち目がない事は明白だと思っていたからだ。
文化祭の時のお礼に食事に誘った事を知った時から、佐竹に中には嫌な予感があった。
それ以降、加藤本人に自覚があったのかは分からないが、加藤の口から松崎の名前を聞く回数が日を追うごとに増えてきていて、今の加藤の表情と合わせると、松崎の名を予想する事は佐竹にとって決して難しい事ではなかったのだ。
(なんだよ……間宮さんといい、松崎さんといい……僕に何か恨みでもあるのかよ……)
何時の時代も女は男に守られる事を喜ぶものだと言う。
加藤にとってそれが松崎だと言うのなら、佐竹はどうすればいいか分からなくなってしまった。
情けなさと悔しさで感情が押さえつけるのが難しいと感じた佐竹は、話の腰を折るように席を立ちドリンクバーのグラスを手に持ち飲み物を取ってくると席を立った。
「それで? 松崎さんはどうしたの?」
そんな佐竹の背中を横目で見ていた神山が、加藤の話の続きを促した。
「――――というわけで、無事に助けてもらったのでした」
その後、加藤はどうやって松崎に助けられたのかを話し終えたのだが、助けられた後に松崎の胸で泣き尽くした事は伏せた。
恥ずかしいからというのもあったが、一番は佐竹に話したくなかったからだ。
「すごーい!!」
瑞樹は話を聞き終えて、松崎の活躍に拍手を送った。
「凄いっしょ! でも、あの痴漢達を睨み付ける松崎さんの顔っていうか、目が怖かったんだけど、不思議と背中に回った時は安心感があったりしてさ」
「あ、それ分かる! 私も合宿のお祭りの時、間宮さんにナンパ男達から守って貰って、背中に回ったらそんな感じしたよ」
間宮と松崎の共通点で加藤と瑞樹が盛り上がっている脇で、佐竹は居たたまれなくなり唇を噛み締めていると、不意に誰かに足をコツンと突かれた。
脚に当たった感触が正面からあった気がした佐竹は、下を向いていた顔を上げると、正面に座っていた神山が目線で何やら合図を送ってきていた。かと思うと、声には出さずに口を動かすだけで佐竹に何かメッセージを送る仕草を見せたのだ。
よく口の動きを観察すると、神山は『このまま店を出よう』と言っているのが読み取れて、この場にいるのが嫌で仕方がなかった佐竹は、神山の誘いに頷いた。
返答を受け取った神山が唐突にガタッと音を立てて席を立った事で、松崎の話に夢中になっていた加藤と瑞樹の話が止まり視線を神山に向ける。
「え、なに? どうしたの? 結衣」
「あ~えっと、ごめん。ちょっと急用思いだしてさ……悪いんだけど今日はここで帰るね」
「え? 今日は1日予定ないって言ってたじゃん」
「あぁ、悪いんだけどさ。俺もちょっと遠い書店にしか売ってない参考書買いに行きたいから……帰るよ」
突然帰ると言い出した神山に加藤が困惑している中、続いて佐竹も嘘の用事をでっち上げて席を立った。
「急にごめんね。それじゃ、またね」
「お先に。またな」
2人は困惑する加藤の返答を待たずに、テーブルに2人分の代金を置いて一方的に店を出て行ってしまい、電光石火のような行動に何も言えなかった2人は呆気に取られていた。
◆◇
「嬉しいのは分かるけど、良くも悪くも空気を読もうとしない所が、愛菜の悪いとこだよ! まったく」
腕を胸の前で組み加藤にそう苦言も漏らす神山に、申し訳なさそうな顔つきで後を付いていく佐竹が立ち止まった。
「ん? どしたの?」
「……なんか僕に気を遣わせて、あの場の空気を悪くさせてしまってごめんな」
自分のせいで空気を壊してしまった事を謝罪する佐竹だったが、神山はスマホを取り出して不敵な笑みを浮かべて見せる。
「ふふん! 私達の関係をナメないでもらえるかな?」
「……え?」
そう言った瞬間、手に持っていた神山のスマホから着信を知らせる振動が手に伝わった。
ほらね!と言いたげな顔で、神山はスマホをタップして耳に当てる。
「もしも~し!」
「うん、うん! ホントだよ! あはは、いいよ。こっちは任せてくれていいからさ。じゃね」
電話を切った神山は、スマホにニッコリと微笑みかける。
「あの、加藤から?」
「ん? うん。電話は志乃からだったけどね」
「み、瑞樹さんは……なんて?」
「佐竹君の事を考えないで、無神経な事してしまってごめんなさいってさ!」
「そ、そうなんだ」
「うん! だから言ったじゃん! 私達の関係をナメるなって」
自信満々で神山はそう言ってのけたが、電話を切った直後の表情を見る限り、本当は心配だったのだろう。
そんなリスクを負ってまで自分に気を使ってくれた神山は、本当に優しい人で。そんな人に無用な心配をかけてしまった自分が情けなく感じた佐竹だった。
佐竹は思う。
きっと今の自分に足らない事はこういう所なんだろうと。
だからいつまでもモタモタしてしまって、加藤の気持ちを迷わせてしまっているんだと……。
(それなのに受験を言い訳にしてしまって……僕は……)
「ねぇ佐竹君ってさ、まだ時間大丈夫?」
「え? 別に大丈夫だけど」
「そっか! んじゃ、ちょっと付き合ってよ」
そういう神山に連れられて、佐竹は電車に乗り込み移動を始めた。
電車に乗り込むと、神山は車窓から流れる景色に目をむけているだけで、特に話しかける様子はない。
連れられるまま電車に乗った佐竹だったが、行き先を訊いてもはぐらかされるばかりで、ヤキモキして向かった先は……。
「こ、ここって? 何かの道場かなにか?」
「そうだよ! 私のお爺ちゃんがやってた古武術の道場だよ。今は引退しちゃって閉めてるんだけどね」
言われて佐竹は思いだした。
文化祭のあの事件の時、神山の祖父は古武術道場の主で彼女は小さい頃から手ほどきを受けていた事を。
「それで? 僕をどうしてここに?」
神山の祖父の道場に連れてこられた理由が分からず尋ねると、神山はニッと口角を上げてこう話すのだ。
「佐竹君は自分のどこが悪いのか、気付きだしたんじゃないなかぁって思ってさ」
「え? な、なんで?」
「お! その反応は当たったなぁ? 私が思ってた事なんだけど、佐竹君の欠点って気持ちの問題が大半のウエイトを占めてると思うんだよね」
それは佐竹自身もよく解っている事だ。
だから、余計にここへ連れてこられた理由が分からないでいる。
気持ちの問題というのであれば、何も間宮や松崎の様に強くなる必要なんてないからだ。
「それで?」
「うん! だからね、ここで精神を鍛えるっていうか整えられれば、変な言い訳をして大事な事から逃げ出さずに済むんじゃないかって思うんだよ」
「……大事な事?」
「あるよね? 勿論受験も大事だけど、受験と同じくらい大切な事――ううん! もしかしたら受験より大切な事が!」
神山が言わんとしてる事は、佐竹にも理解出来た。
大切な事。それは自分の気持ちを誤魔化さずに相手にぶつける事。
変わるから見ててくれと言ったくせに、結局は間宮や松崎に劣等感を抱き、受験を言い訳に逃げていた事。
結果はどうなるか分からない。
もしかしたら、あの合宿の時より可能性が低くなったかもしれない。だけど、結果を怖がって結局何もしないというのは勝負を放棄するという事で、それは彼女の気持ちを無下にすると同意だという事は、佐竹にも分かっていた。
神山の気持ちの問題という根っこは、結局のところ自分に自信が持てるか持てないかって事なんだと。
「分かったよ。受験勉強が大変な時に申し訳ないんだけど、この弱い心を前に進む為に、鍛えてくれないかな」
「ふふ、勿論! 佐竹君にやる気があるのなら、私は全然付き合うよ!」
こうして、佐竹は自分の心を鍛える為に、神山に手ほどきを受ける事になったのだった。
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