第50話 揺れる心とブレない想い 後編

「……佐竹君に悪い事しちゃったな」

「違うよ。志乃が悪いんじゃなくて、私が浮かれ過ぎたのがいけなかったんだよ……ごめんね」


 佐竹の気持ちを知っていて、助けてくれた相手の事とはいえ、佐竹の前で他の男の話で盛り上がってしまったのは、モラルに欠けていたと、ファミレスに残された2人は反省していた。


「でもね。愛菜ってわざと松崎さんの事話したんじゃない?」


 始めは佐竹の事を考えて助けてくれた話はした。それは助けてくれた人が松崎であったからだ。

 だが、佐竹がその相手も言い当ててから、むしろワザと松崎の事を持ち上げたように瑞樹は感じたと話す。


「あー、やっぱ分かった?」

「何となくだけどね。一緒になって騒いでた私が言うのもなんだけどさ……」

「だって……祭りの時にあんな宣言したくせに、一向に何もしてこないんだもん……。ちょっとくらい焦らてやりたくなった」


 加藤はそう言うが、合宿が終わってすぐに行動を起こした佐竹に対して、いつもの対応をしてしまった加藤にも原因はある。

 だが、その事に気付く前に、加藤の心の中に違う人物が住んでしまったのだ。


 ――松崎貴彦


 文化祭で初めて会った時は軽そうな言動が目に着いて、加藤は苦手意識を持っていた。

 だが後日、間宮と共に裏で平田達を撃退したと聞かされた後も、恩着せがましくするどころか、あの騒動は自分のせいだと頭を下げた松崎を見て、最初に抱いていた印象が消え去った。

 その上、あの痴漢から助けられた事で、加藤の心は確かに揺れていたのだ。


「いい機会だから訊かせて欲しいんだけど、愛菜はどうしようと思ってるの?」


 この場に佐竹がいない事を都合がいいとして、瑞樹は加藤の本音を問う。


「う、うん。えっと……正直に言うと、男の人にあんな風に助けられた事なんてなかったから、すごくドキドキした。実は今思い出してもドキドキしてる」

「そっか……。さっきも言ったけど、私も似た経験があるから気持ちは分かるよ。でも、それだと佐竹君はどうするの?」

「……佐竹にもう気持ちがないってわけじゃないんだけど、前みたいにいつもあいつ事を考えてるわけじゃなくなってる」

「……そう」

「ねぇ志乃。私っていい加減な女なのかな!?」

「佐竹君と付き合ってるのに、そんな事を言ったら軽蔑したかもしれないけど、そういうわけじゃないのなら……もうそれは愛菜の気持ちの問題だから、私は愛菜が出した答えを支持しようと思ってるよ。ただ……」

「分かってる。佐竹あいつの事を蔑ろにするつもりはないから」

「だったら、私から言う事は何もないかな」

「……ん、ありがと。志乃にそう言ってもらえたら、少し楽になったよ」

「そう? それなら良かった」


 すっかり長居してしまったファミレスを出て、O駅に向かう頃にはある程度気持ちの整理が出来たのか、加藤はいつもの調子を取り戻していた。


「そういえば、もうすぐ神楽優希のクリスマスライブだね」

「だね。受験生のくせにって思うけど、やっぱり楽しみだよ」


 加藤がクリスマスカラーの街並みを見て、文化祭の時、神楽優希本人から直接正体されたライブの話題を出すと、瑞樹も間宮にチケットを手渡された時の事を思い出して、嬉しそうなにそう話す。

 灰色の受験生活の中で、クリスマスという特別な日に間宮と一緒に過ごせる事が、瑞樹にとって何よりの励みになっていた。


「私……さ。ライブの日までに自分の気持ちを見付けようと思ってる」

「……そっか。さっきも言ったけど、愛菜がしっかりと向き合って出した答えなら、どっちでも応援するからね」

「ん! ありがと! 志乃」


 ライブのチケットは全部で5枚。

 つまり松崎の分は手配されていないのだ。

 だからこそ、加藤はその日に佐竹とちゃんと話をしようと決めた。


 駅前のイルミネーションに2人の吐いた白い息が溶けていく。

 控えめなクリスマスツリーの前に立つ悩める高校生達の、本当の青春ストーリーが今始まったのかもしれない。


 ◇◆


 12月に入って、センター試験まで約一か月になった。

 その上、間もなく期末テストがある。

 私達3年生にとって実質最後の公式テストという事で、今日も教室の中はピリピリした空気が充満しているように思う。

 勿論、私もその1人なんだけど、あの文化祭以降クラスメイト達と本当の意味で打ち解けられて、毎日受験勉強に追われながらも充実した高校生活を送れるようになった。


「志乃ー! ここ教えて! 全然意味分かんないんだけど」

「ん? どれどれ?」


 元々一年の時から仲が良かったクラスメイトの麻美や、違うクラスの摩耶達が私の机を取り囲んで、臨時のなんちゃって講師をやらされているのも、私のクラスの風物詩になっている。


 充実はしているし、受験勉強も順調にきていると思う。クラスメイト達との関係も良好で、特に元々仲の良かった麻美達に対しては依然と違って、ある程度の本音を話し合える関係になっている。

 でも、それだけ満ち足りた高校生活を送れていても、深夜まで続く連日の受験勉強の疲れが溜まって、息苦しくなる時があった。

 そんな時は無理をせずに、一旦集団から離れて1人になる時間を作る事が大切だと、間宮さんに教わった。

 私は教わった通り教室をこっそりと抜け出して、特別棟にある階段の踊り場に向かった。


 やっぱり今日も誰もいなかった踊り場で、私はいつも間宮さんにトークアプリでメッセージを書いている。

 いつもは特に用事があるわけじゃなくて、殆どが受験勉強の愚痴ばかり送っていた。

 何でもいいのだ。只、メッセージを送る事によって、私という存在を忘れられないようにとアピールしたいだけだから。


 そんな愚痴メッセばかり送っていて、最近気付いた事がある。

 それはどんなに受験の愚痴を零しても、『頑張れ』という単語が1度も返ってきた事がないのだ。

 何故なのか気にはなったんだけど、間宮さんの事だからきっと相手の事を思った理由があるんだろうなと考えて訊いていない。

 あの人は、私なんかじゃ見えない何かを見ている気がする。

 いつか話してくれないかなって期待していたり。


 だけど、今日はいつもの愚痴を書いてるわけじゃない。

 今日はゼミの日だから、さり気なく間宮さんが働いている会社のすぐ側に行ける日なのだ。

 だから大切にしている今の時間を使って間宮さん宛てに書いている内容は、今日の間宮さんが帰る時間をさり気なく訊く事。


「……よし、これで送信っと」


 間宮さんとのトークルームに書き込みを終えると、何時もなら中々既読が付かない場合が多いんだけど、今日はタイミングが良かったのか既読マークが付いたかと思えば、すぐにレスが返ってきた。


『今日は22時くらいに終わるつもりだ』


 よし! ゼミが終わる時間と同じじゃん!


 私は間宮さんのレスを読んで、思わず派手にガッツポーズをとった。誰かに見られていたら、かなり痛い女だっただろうけど、ここには誰もいないから問題なし!


 私は、いつものホームで待ってると返信してクラスに戻った。

 え? 返事を見なくていいのかって?

 その心配はないんだよ。だって、こういうメッセージを送っておけば、あの人は必ず来てくれる人だから。


 ◆◇


 その夜、ゼミの講義が終わった私は、小走りでO駅に向かった。

 駅に着いて素早く改札を抜けて、いつもの人気ひとけが少ないホームのベンチを目指す。

 ベンチ前に着いたけど、間宮さんはまだ来ていないみたいだ。

 私はベンチに座ってスマホを立ち上げて、ホームに着いた事を知らせる内容のメッセージを書いた。

 因みにだけど、学校で待ってると送ったメッセージの返信は『分かった』とぶっきら棒な返信があった。


 ビジネス街が目の前にある駅だから、ホームには帰宅を急ぐビジネスマンの姿が多くみられた。

 あまり近寄られないベンチとはいえ、これだけの乗客が電車を待っていると、騒がしい声や音が遠くから聞こえてくる。

 私はそんな生活音を遮るように、持っていたイヤホンを耳に刺して、ゼミのタブレットで今日の講義の復習をする事にした。


 最近勉強が楽しいと思えるようになった。

 原因は勿論、合宿で間宮さんとstorymagicに出会えたから。

 あの合宿から英語を中心に、目に見える勢いで成績が伸びてきているからだ。

 合宿に入る前までは第一志望にK大と書き込んだら、周りから否定的な事ばかり言われてきて、正直私自身も諦めかけてたんだよね。

 でも、合宿で今まで受けた事がない不思議な講義を受けてからというもの、劇的に英語が身に着いてきた。

 それは、藤崎先生も認めてくれていて、今ではK大を目指す事に消極的な意見を言われなくなってきたんだ。


 そんな状況の変化が起きたら、受験勉強が捗らないわけがない。

 今の私を言葉にしたら――絶好調という言葉がシックリくる。


「ん~、The受験生って感じだな」


 耳に優しく響いて、すっと馴染む声が聞こえた。

 イヤホンで音楽を聴いていても、私にはその声が聞き分けられる。

 テキストを凄い勢いで読み込んでいた目の動きが一瞬で止まって、自然と私の前にある気配に意識を向けると……やっぱりと無条件で表情筋が緩んでしまう相手。間宮良介さんがいつもの缶珈琲と共に立っていて、私を優しく見てくれていた。


「お仕事お疲れ様」

「ん、瑞樹もご苦労さん。ほい、いつものな」


 優しさの塊のような顔を見上げて、私も精一杯微笑んで見せると、いつも私が飲んでいる缶珈琲を手渡してくれた。


「ありがとう。いつもごめんね」

「別に。ついでだから気にすんな」


 言うと、彼は私が一番好きな、ゼミ仲間の間ではすっかりトレードマークになった、柔らかい笑顔を向けてくれた。


「あ、そうそう! 愛菜に松崎さんの事聞いたよ。大活躍だったらしいね!」

「あぁ、ちょっと出遅れたらしいけどな……まったく詰めが甘いんだよな」

「そんな事ないよ。凄く嬉しかったって言ってたしね。でも、佐竹君の前でその話をしちゃって、申し訳ない事しちゃったんだけどね」

「佐竹君がいる前で松崎の事話したのか?」

「うん……結衣がフォローしてくれたみたいなんだけど、あの時の愛菜の気持ちが凄く分かって、私も夢中になっちゃってね……悪い事しちゃったって反省してる」

「……何か、その状況が目に浮かぶよ。でも、こればっかりは外野がどうのこうの言う事じゃなくて、当人達の問題だからなぁ」

「だよね。あ、松崎さんから何か聞いてない?」

「……いや、特には」


 ちょっと間があったな。てことは、あの時の事で松崎さんは間宮さんに何か話をしたって事? 

 凄く訊きたい気持ちはあるけれど、間宮さんが言うように当人達の問題で、愛菜に助けを求められたわけじゃないから――今は何も訊かない方がいいよね。


「それってゼミのテキストか?」

「あ、うん。そうだ! お仕事で疲れてるとこに申し訳ないんだけど、教えて欲しい所があるんだけど……いい?」

「ん? ゼミに質問持ち込まなかったのか?」

「しようと思ったんだけど、今日は英語の講義で藤崎先生が担当だったんだけど、講義が終わった途端にすごい行列が出来ちゃってね……並んでたら間宮さんを待たせちゃうかと思って」

「はは、そう言われたら断れないな。で? どこが解らないんだ?」

「えっとね……この単元なんだけど」


「――って事になるんだ」

「うんうん、なるほど。そっか!」


 間宮さんに教えて貰った事を、タブレットに映し出されているテキストのメモ欄に書き込みながら、私は力強く頷く。

 流石は、藤崎先生の師匠だ。適格かつ難しい単元でも、簡単に理解出来るように教えてくれた。

 合宿ではstorymagicが間宮さんの武器ってイメージがあったけど、きっと普通の講義をしても凄くいい講義をしてくれるだろうって思う。


「ありがとう間宮さん。これで今日の分はスッキリしたよ」

「そっか、それは良かった。ところで何時も藤崎先生の時は混雑してるのか?」

「そうだね。凄い人気でね、すっかり英語のエース講師って感じだよ」

「そうか。藤崎先生も頑張ってるんだな」


 嬉しそうにそう話す間宮さんを見て、面白くないって気持ちが沸々と湧いてくる。一緒に頑張った仲間の活躍を喜んでるだけなのに……ホント私ってちっちゃいな。


「やっぱり間宮さんも藤崎先生の事、気になる? 凄く綺麗な人だもんね」

「ん? いや、やっぱり一緒に合宿を頑張ってきた仲間なんだし、活躍してるって聞いたら嬉しいでしょ」


(……だよね。分かってるんだけどね)


「ホントにそれだけ?」

「あぁ、なんで?」

「べっつにー!」


 ふんっと口を尖らせて、買って貰った缶珈琲をグビグビと喉を鳴らして飲んだ事が可笑しかったのか、間宮さんはそんな私を見て吹き出した。


 ――ムカつく


「なによ!」

「クックッ……いや、別にな」


 笑うのを我慢するつもりなら、完全に抑えて欲しい。中途半端にすると、余計に気になるんだからね!


 少し前までなら、男の人に対して私がこんな風になるなんて、私自身信じられない事だ。

 不思議だよね……そう出来てしまう理由は分かってるんだけど、それでも不思議に思っちゃう。


「私だって、藤崎先生みたいになれるもん!」

「別にそうなる必要はないだろ。藤崎先生は藤崎先生……瑞樹は瑞樹なんだから」


 もっともな事を言ってるけど、この人は分かってるのかな。私が何で藤崎先生になりたいって言ってるのか。


 私は藤崎先生のような講師になりたいわけじゃくて、藤崎先生になりたいんだ。

 私が間宮さんの意識を独占したいって思ってるから……。今の間宮さんの意識を一番奪っている藤崎先生になりたい。

 それは私の本当の願い……ううん。もう欲望って言っていいとさえ思う。


 そういう意味で言ってるのに、この人は全然気付いてくれない。

 やっぱり間宮さんの中で、私は藤崎先生のように女として見てくれていないのだろうかと……悲しくなる。


「瑞樹が一番やりたい事、なりたい自分をしっかりイメージして進んでいけばいいんだよ。その足掛かりとしてK大目指してんだろ?」


 確かにK大を目指すのには目的がある。

 だけど、今私が言いたい事はそういうんじゃなくて……はぁ。


「……それは、そうなんだけど……」


 鈍い人だよね。藤崎先生も苦労してるんだろうなぁ……私もだけど。


「瑞樹はなりたい自分を追いかけていい資格があるんだ。だから、誰かの真似なんてしてたら勿体ないじゃん」

「――資格? 私に?」

「あぁ、昔色々あったのが原因で、少し前まで自分を押し殺して、色々な事を諦めてたんだろ?」


 色々あった……それは中学時代の虐めからくる、トラウマの事を言ってるんだろう。


 二の轍は踏まないと、高校から仮面を被るイメージで男子を徹底的に避けて、女子には常に言葉を選んで合わせてきた。

 その代償として、自分を出す機会を失った私は、未来の準備が出来なくなってしまっていた。

 そんな私がハッキリと将来の事を考えられるようになったのは、目の前にいる間宮さんのおかげで、今では大抵の人とも構える事なく気軽に話が出来るようにはなってきたんだ。


 その変化が間宮さんの言う、資格というやつなんだろうか。


「だから、これからは瑞樹が瑞樹の為に頑張る時だと思う。他人の真似するなんて馬鹿げてるだろ」

「……うん。でも、まだそのイメージが湧かなくて、どう頑張ればいいか分かんない」

「それは珍しい事じゃない。その年でハッキリと目標が見えてる奴の方が少ないんだから」

「……そうなのかな」


 と間宮さんのアドバイスに対して、私は意識を思考の中に向けていると「あっ!」とさっきの会話の中にあった、ある単語が気になって思わず声を上げた。


「ん? なりたい自分のイメージが湧いたか?」

「違くてね。訊きたい事があるのを思い出したんだよ」

「訊きたい事? 勉強の事じゃなくて?」

「うん。えっとね、何で私とのメッセージのやり取りでね。どれだけ受験の愚痴を零してもさ、頑張れ的な事言ってこないの? 私ってそんなに友達いないけど、こういう場合ってそうやって励ますのが当たり前なんじゃないかなって、ずっと気になってたんだよね」


 言うと、間宮さんは「あぁ」と思い当たる節があったみたいで、少し考える素振りを見せた後、珈琲の缶を少し口に当ててからこっちを見て話し出した。


「なるほど。ん~これはあくまで俺の持論であって、正しいかどうかは分からないんだけどさ」

「うん」


 思いもよらない展開になったけど、気になっていた事を知れるかと思うと、間宮さんの口元に集中してた。

 昔から疑問に思った事には、積極的に知りたいと思う性格なんだ。その性格が今の私を作っていると割と本気で思ってたりする。


「頑張ってると分かってる人に頑張れって言うのは、失礼なんじゃないかって思ってるんだよ。まるで頑張ってないと言われたと誤解されても、つまらないしな」


 どんな複雑な理由があるんだろうと思ってたけど、蓋を開けるとなんて事なかった。

 だけど、やっぱり間宮さんだなって理由だったから、ちょっと心が温かくなった。


「そっか。なるほどね」

「大した理由じゃなくて、悪かったな」


 あれ?顔に出てたかな?


「ううん。なんか間宮さんっぽいって思っただけだよ……でもね?」

「うん?」


 私は異議ありと言わんばかりに、片手をヒョコっと挙げたら、間宮さんは首を傾げた。


「異議あり! その持論は半分同意で、もう半分は少し違うかなって思う」

「その心は?」

「えっとね、間宮さんが言いたいのは、例えば勉強しようとした時に、親から勉強しろって言われたら気分悪くなる的な事だよね?」

「まぁ、そんな感じかな」

「なら同意出来るのは半分だけだね。同意出来ない半分の理由は、言われる相手にもよるって私は言いたいのです!」

「……相手による?」

「そっ! 私は間宮さんには、いつも頑張れって言って貰いたいもん」

「そ、そうか」

「うん、そうだ! えへへ」


 間宮さんが照れてる。

 いつも余裕があって、泣いてる私をギュッとしてくれて慰めてくれてる時だって、そんな風になった事なんてなかったのに。

 だから女として見られてないんじゃないかって不安だったんだ。


「瑞樹なら油断せずに、今まで通りにやっていれば大丈夫だ! だから――頑張れ!」

「ふふ、やっぱり間宮さんに言ってもらえたら、やる気しか出ないよ。私、頑張るね!」


 12月に入って本格的な冬の到来を告げる冷たい風が、ホームを吹き抜けていく。

 だけど、私の心は彼の言葉に満たされてぽかぽかになった。


 電車がホームに入って来た。

 車内に入ると、心だけじゃなくて体も温まっていく。

 そろそろ、あのベンチで会うのは限界かもしれないな。

 大事な時期に風邪なんて引いたら、間宮さんの性格を考えると絶対に俺のせいだって責めるだろうしね。


 車内は比較的に空いてたから、ロングシートに2人並んで座れた。車内の暖房がじんわりと体に染み込んで、知らずにどれだけ体が冷えていたかを感じながら、深く息を吐いた。

 この心地よさはヤバい。

 もう日常的になってきた睡眠時間の少なさも相まって、ビックリするくらう瞼が重くなってきた。

 まだ話し足りないのに、頭が上手く働かない。


「寝不足なんだろ? 着いたら起こしてやるから、少し寝たらいいよ」


 一緒にいるのに眠ったら勿体ないと思っていた思考が、あまりに優しい声色に溶かされてしまいそうになる。

 ここは電車の車内で色々な乗客がいるというのに、まるで自分の部屋ベッドに潜り込んだような安心感が、体全体を優しく包み込んでくる。


「ん、ありがと……それじゃ少しだけ寝るね」

「あぁ、おやすみ」


 もう抗う事が出来ない眠気にウトウトと瞼を開けている事を諦め始めた時、隣に座っている間宮さんが鞄からイヤホンを取り出して、スマホに繋いでいた。 

 その仕草がまるで長年付き合ってきたカップル、若しくは夫婦のようで、気まずさなんて全くなくて、心地よさを感じた。

 電車の心地よい揺れと適度な硬さのシート、それに隣にいてくれる間宮さんの雰囲気がそう感じさせてくれているんだろう。


 ドキドキと安心感が同居した不思議な気持ちの中、気が付くと私は普段絶対に恥ずかしくて出来ない事がしたくなった。


 とんっと小さな音と共に、私は頭を間宮さんの肩に乗せて体を預けた。

 乗せた時、肩がピクッと反応してたけど、間宮さんは何も言わずに受入れてくれた。眠ろうとする私をあの柔らかい表情で見てくれているのかもしれない。

 肩から伝わる温もりと一緒に、間宮さんが聴いている音楽が僅かに流れ込んでくる。


 この曲知ってる……誰だっけ。

 あ、神楽優希の曲だ。

 聴こえてくる曲のアーティストに気付いた時、私は貰っていた神楽優希のクリスマスライブのチケットの事を思い出した。

 前に誘った時は、ライブが平日だから約束は出来ないけど善処するって、政治家みたいな返事だったけど、どうなんだろ。


 当日は愛菜達もいるけど、イブを間宮さんと過ごしたいな。


 ――サンタクロースを信じてたのって小2までだったけど、また信じたくなった。

 ――サンタさん……クリスマスに私の元に彼を届けてくだ……さい。


 サンタへお願い事をしたのと同時に、私は完全に意識を手放した。

 安心して眠れる場所がある事が、これほど嬉しくて幸せな事なんだと初めて知った。


 この場所を私だけのものにする為に、迫ってきた受験を頑張ろう。

 そしてK大に合格出来たら、今隣にいてくれている人に私の想いを全部伝えよう。


 ――それが、今の私の最大で最高の目標だから。
























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