第47話 自分の中の存在 前編

「もうクリスマス一色だな」


 つい最近までハロウィンで盛り上がっていた街が、すぐさまクリスマスカラーに染まっていく。

 ビジネスのおいてイベント商戦は最重要事項だ。

 乗り遅れるくらいなら、フライングした方がいいとまで言われる程に。

 IT関連の営業は季節なんて関係ないけど、イベント商戦で経済が活発になる空気は好きで、関係ないのに今年の推しなどをこうして観察しながら歩くのが楽しみなのだ。


 今年も約一か月程になった11月下旬。

 俺はいつもより多くの顧客回りを終えて、そんな事を考えながらキラキラとした都心を歩いていた。

 12月になれば、サンタの恰好を身に纏ったスタッフ達が街道に姿を現すのだろう。

 もうすぐしたら、恋人達はこれ見よがしにイチャつき始め、家族持ちのお父さん達はプレゼントを抱えて、子供の喜ぶ顔を思い浮かべたりするんだろうな。


「ま、独身のおっさんには365日中の1日でしかないんだけど」


 イブが近づく度にソワソワしていたのは遠い昔。今は今年も終わりだなと思うだけでしかないのだ。

 だけど、今年のクリスマスはちょっと違う。

 いや、正確にいうとクリスマスは関係なくて、年が明けるのが近付く度に決断しなければいけないタイムリミットが足音と立てて近づいてくるからだ。


「おーい! 間宮!」


 帰社した俺はデスクワークを片付けて退社しようとロビーに降りた時、松崎が声をかけてきた。どうやら俺を追いかけてきたみたいだ。


「おぉ、お前も上がりか?」

「まぁな! 毎年の事だけど、師走が近付いて来ると納品が増えるからバタバタしちまうよなぁ」


 どこの企業もそうなんだけど、この時期は特に忙しくなる。

 それは俺達も例外でなく、疲労が抜けない日々が続くのだ。


 ロビーを抜けて外に出ると、肌を刺すような冷たい風が俺達の周りを吹き抜けていき、体の芯から震えるような寒さを感じる。


「さっぶ! もう完全に冬だなぁ」

「そうだな。鍋が恋しくなる季節がきたって感じだ」

「……鍋かぁ。鍋を思い出すと得意先の忘年会地獄を連想しちまうから、萎えるわマジで」

「はは、言われると確かにそうかもな」

「でも、仲間内でつつく鍋は最高だよな。ってことでちょっと寄ってかね?」


 言って、松崎は御猪口をキュッとやる仕草を見せる。やっぱり似合ってきてると思ったけど、敢えて言うまい。


「行きたいけど……明日も早いから、今日は帰るわ。悪いな」

「そっかぁ……そう言われたら俺もそうだったわ」


 松崎はすっかり鍋のスイッチが入ったのだろう。あからさまにガックリと肩を落としている。


 そんな松崎に苦笑いを浮かべて、俺達はまっすぐに駅に向かった。

 駅前に着くと決して凝った造りではなかったけど、クリスマスらしくイルミネーションが点灯していて眩しさに目を細めた。

 イルミネーションを見物する人の中に見知った顔の女の子がいる事に気付いた俺は、隣を歩く松崎に目をやると、どうやら松崎も気付いたようで「あっ」と声を漏らす。


 あちらもその声に気付いたようで、俺達の方を見ると少し驚いた様子でこちらに向かって手を振ってきた。


「あ、間宮さん!」


 女の子は俺の名を呼ぶと、てってっと駆け寄ってきた。


「何だ、加藤だったのか」

「志乃じゃなくて残念でしたぁ!」


 俺達に手を振ったのは加藤だった。時間的にゼミの帰りのようだったけど、何故瑞樹じゃないと俺が残念に思わないといけないのか意味が分からなかった。


「何で残念がらないといけないんだよ。ゼミの帰りか?」

「そ! 受験生は大変なのですよ!」

「それはお疲れ様です」

「うむ! 間宮さんもご苦労じゃった!」


 加藤とは久しぶりに会ったけど、相変わらずのノリで何だかホッとする。これが彼女の長所なんだろうな。

 いつものように軽口を言い合っていると、松崎が何だか落ち着かない様子だった。


「松崎さんもお疲れ様でした!」


 そんな松崎が気になったのか、加藤がそう声をかけた。


「お、おう! 愛菜ちゃんもお疲れさん」


 2人は松崎への礼として、食事をした時から会っていないと聞いていた。加藤の気持ちを無理に押し戻して、自分の体裁を優先させた結果、彼女を怒らせってしまった事を気にしてるって相談を受けた事がある。

 相談を受けた後、加藤に謝る事になったはずなんだけど、松崎の様子を見るとまだ謝っていないのだろうと察しがついた。


「おい、まだ謝ってなかったのか?」

「……あ、うん。何か会うタイミングが……な」


 松崎はそう言うが、タイミングが合わないとか只の言い訳だ。

 本当に会いたいのなら会える距離なんだし、そもそも会社とゼミが同じ通りにあるんだから、会えないはずがないのだから。

 松崎の本心を要約すると、詰まる所ビビってるだけなんだろう。また怒らせてあの目で見られるのを怖がっている。

 そういう事に逃げ腰になってしまう理由を知っている俺だから、すぐに予想がつくのだ。


 加藤は松崎に一言挨拶を済ませると、すぐに話題を俺に向けてきた。加藤のマシンガントークの相手をしている脇に、そっと横目で松崎を見てみるとホッと安心した様子の中に、寂しさの色が混じっているように見える。


 俺達は少しイルミネーションを眺めてから、改札を潜った。

 ここからは俺だけ下り線で、松崎と加藤は上り線で別れる。


「おい、松崎! 俺帰るからな。おつかれ!」

「え? あ、あぁ……おつかれ」

「間宮さん! またでーす!」

「おぅ、またな。気を付けて帰れよ」

「はーい!」


 丁度いい機会だと思った。

 これなら嫌でも2人は同じ電車で帰る事になるから、あの時の事を謝るチャンスだ。


 ◇◆


 俺と加藤は間宮の背中が見えなくなるまで見送っている。

 やがてエスカレーターに乗る間際、俺達が見送っているのに気付いたのか、軽く手を挙げてすぐに姿が見えなくなった。

 俺達もいつまでもこうしているわけにもいかず、そろそろ行くかと思った時、隣にあったはずの気配が消えている事に気付く。


「あれ!?」


 慌てて辺りを見渡すと、隣にいたはずの加藤が上り線のホームに向かって既に移動を始めていたのだ。

 やはり彼女はまだ怒っているのだと、この行動で確定した。

 俺は「……だよな」と溜息を吐きながらそう呟くと、彼女の後ろにピタリと歩く2人組の男の姿が目に入る。


 正確には駅前に着いた時、加藤がイルミネーションをキョロキョロと眺めている時から、この2人組が妙に気になっていたのだ。

 正確には加藤を見る目が気になった。

 その目がまともな目には見えなかったからだ。


 俺は前を歩く男達の動きを注意深く見ながら、加藤の後を追った。

 エスカレーターを登り切ってホームに着くと、もう電車がホームで停車していて、加藤はすでに電車に乗り込んでいた。

 挨拶すらないとは……これは相当怒ってると検討をつけたが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 あの男達も同じ車両に乗り込んでいたからだ。


 もう電車が出てしまう。

 慎重に様子を伺っていたのが裏目に出てしまった。

 加藤が乗っている車両に乗り込むのは間に合いそうにないと判断した俺は「チッ」と舌打ちして、1番近い車両に飛び乗った。

 今日は金曜日だったからか、この時間でも車内にはそれなりの乗客が乗っている。

 すぐにでも車両を移動したかったが、電車の加速が落ち着いてからじゃないと、足元が覚束ないだろう。この車内の状況でそれは危険だ。


 やがて電車が走り出して加速Gが緩くなったところで、車両の移動を開始した。

「すみません」と慣れない足取りで客達の間を縫うように車両間を動いていると、他の乗客から迷惑そうな視線が突き刺さる。新幹線みたいな電車なら兎も角、こんな電車で車両の移動なんて殆どしないのだから、フラフラと歩き回ったら迷惑の何物でもないのだから当然だ。


 取り越し苦労なら、それが一番いいし、そうであって欲しいと思うけど、もし嫌な予感が当たってしまっていたら……。


 ――急がないと!


◇◆


 ふん! 私の方から声かけてあげたのに、何も言ってこないんだ。私みたいな子供を怒らせた事なんて気にする価値もないって事!?


 ご飯を御馳走しようとしたのに、世間体がどうのと無理矢理御馳走されてしまった日から、ずっと松崎さんを避けていた。

 あの大人を気取った行動が、子供扱いされたみたいで気にくわなかった。実際、松崎さんから見れば高校生の私は子供なんだけど、何故かその態度が癇に障ったのだ。


 だから間宮さんと別れて、松崎さんと2人になるのが嫌だったから気付かれないように、松崎さんを置いて電車に乗ってやった。

 黙っていなくなったから、松崎さんがキョロキョロと私の事を探していたのはこっそり見ていた。ざまあみろだ。


 でも、ちょっとやり過ぎたかなって自己嫌悪に陥ってた時だ。

 突然、全身にぞわっと悪寒が走った。


「ヒッ!?」


 思わず変な声を出してしまったけど、誰かに太ももを触られている気がしたからだ。

 ちょっと混んでるし偶々当たってしまっただけかと思ったけど、太ももを触る手がいやらしい動きをしながら、今度はスカートの上からお尻を触ってきた。


(き、気のせいなんかじゃない……これって、痴漢!? うそ……)


「……ちょっとやめ――」

「大人しくしてろよ? 騒いだりしたらこの動画ネットに晒してやんぞ?」


 痴漢を制止しようとしたら、耳元でそう脅されて視線を下に向けると、私のスカートの中にスマホが突っ込まれていた。

 それに痴漢は2人いてドアの前に壁みたいに立って、私を取り囲んで他の客達から隔離されてしまっている。


「……やめてよぉ」

「静かにしてろって言ってんだろ? クックック」


 怖くて声がまともに出ない。


 悔しい……足が震えて、涙が滲み出る。

 でも、声すらまともに出てくれない。


 ――怖い。怖いよ……誰か助けて……。



 痴漢達は私が抵抗出来ないと判断したのか、太ももやスカートの上からおしりを撫で輪ますように触っていた手が、とうとうスカートの中に忍び込んできて、私は心底気持ち悪くて「……やぁ」と出ない声を振り絞った。

 だけど、痴漢達はそんな私に興奮したのか、首筋に当たる息が強くなって気持ち悪さが更に増して吐き気までしてきた。

 怖くてとうとう目をぎゅっと閉じた時だ。いやらしい手の動きが止まったか思うと、手が私の体から離れた。


 私は強張った意識を無理矢理後ろに向けると、そこには恐らく痴漢行為をしていたであろう2人組の男が苦悶の表情で、声を必死に殺している姿が目に入った。

 男達の顔から視線を落としていくと、彼らの手首がゴキゴキと音が聞こえてきそうな位に変な方向に曲がって握られている。

 男達はこの痛みに耐えているのだと理解したのと同時に、この男達の手首を潰す様に握っている手が痴漢から助けてくれたのだと知った。

 再び視線を上げて男達の後方に向けると、そこには物凄く目つきが鋭くなった松崎さんがいた。


「次の駅で降りろ。逆らったらどうなるか分かってるな?」


 いつも陽気な声色で話す松崎さんからは想像もつかない程、低く、本当に低く。まるで地の底から湧き上がってくるような、ゾクッと寒気さえ感じる声で、痴漢をした男達にそう告げたというより命令した。

 犯人の男達は変らず反論や抵抗をする事なく、松崎さんの命令に黙って頷いた。


 やがて次の駅に到着して電車が止まった。

 勿論、私はここで降りる予定はないけれど、松崎さんに着いていこうとした。

 でも、松崎さんは手首を握ったまま犯人の背中を押す様に電車を降りると、私の方をチラっと見た後、一緒に降りようとした私に小さく首を左右に振った。

 特に何かを言われたわけでないけれど、その行動はお前は来るなと言われた気がして、電車を降りようとした足が止まった。









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