第46話 未遂と希望 後編

 我ながら何をやってんだかと思う。


 身元引受人を呼べばすぐに釈放すると言われたんだけど、こんな真夜中に呼べる身内なんていないし、東も同様のようで結局朝まで拘束される事になった。


 警察が離れて東と二人きりになる。だけど、さっきまでの抑えられなかった感情は鳴りを潜めていた。

 改めてみると、2人共酷い有様だった。

 あんな土砂降りの雨の中、立てなくなるまで殴り合うとか……とんだ青春してしまったもんだ。


「……なぁ」


 冷静になれた事で、俺は気になっていた事をいい機会だと訊いてみる事にした。


「何であんな時間に、アンタはあそこにいたんだ?」

「あ? ていうか、俺の方が年上なんだぞ? 言葉使いに気を付けろ」


 あれだけの事をしておいて、今更言葉使いとか相変わらず面倒臭い奴だ。


「いいから答えろよ」

「チッ……優香の実家からの帰りだったんだ」

「は? 何しに行ってたんだよ」


 グシャグシャになった髪を掻き上げて、照れ臭そうに東がボソッと言う。


「仏壇に線香あげて、手を合わせて来たんだよ」


 東は昔、俺と優香を取り合った関係で東は見事にフラれた。

 なのに……わざわざ優香の実家にある仏壇に手を合わせたと言う。

 東は東でどれだけ優香の事を想っていたのか思い知ったのと同時に、優香を失ってからの自分を恥じた。

 幾ら婚約者だったからといって、あまりに無様でどうしようもない奴だったと、今の東を見て気付かされたのだ。


 ――本当に何やってんだ、俺。


「どうせまた暇人とか言いたいんだろ? 悪かったな! 暇人でよ!」

「……いや、ありがとう」

「……は?」

「今度行く時はさ……俺の分まで手を合わせてくれたら……嬉しいんだけど……」

「は? そんなの自分で行けばいいだろうが。いくら暇人だからって代わっていい事とそうでない事があるだろう」

「行きたいのは山々なんだけど……俺は行けないんだよ」

「何でだよ……ていうか、お前通夜にも葬式にも参列してなかったよな!?」


 今更のようにそう訊いてくるから、あまり言いたくはなかったんだけど、優香の死亡が告げられた時の事を掻い摘んで東に話して聞かせた。


「な、なんだよ……それ。優香が死んだのはお前のせいじゃないだろ! いくら娘を失ったからって、そんな事……」

「いや、それはいいんだ。実際、俺が優香を殺したようなもんだから……御両親が俺に言った事は間違ってない」

「いや! 全然ちげーだろ! 誰が悪いって言うんだったら、スマホ弄りながらチャリ漕いでたガキだろうが!」


 確かに東の言っている事は間違っていなくて、実際警察に逮捕されたのは自転車に乗っていた高校生だった。現場に駆け付けた警察に確保されて現場検証を行い、今は裁判の準備に取り掛かっていると、優香と仲が良かった友達からメールを貰った事があった。


「優香と付き合ったのが、俺じゃなくてアンタだったら……優香が死んじまう事もなかったのにな」

「……はっ! くっだらねえ結果論、ほざいてんじゃねぇよ」


 とか言って、一瞬間があったぞ?

 まぁ確かに結果論でしかなくて、事後にそんな事言っても結果が変わるわけじゃないし、全く意味がないよな。


「なぁ、最後に1つだけ本音で応えて欲しい事があんだけど……いいか?」

「んだよ、言ってみろ」

「今でも優香の事……好きか?」

「……あぁ、好きだ……お前には悪いけどな」

「そっか。別に悪くなんかねぇよ……ありがとうな」


 言うと、東は俺の返答が意外だったのか、目を見開いてポカンと口を開いていた。


「んだよ。そんなに変なこと言ったか?」


 東は俺に背を向けて横になりながら「別に……もう俺寝るわ」と畳んだ腕を枕替わりにして眠ろうとする。

 よくこんな場所でと思ったんだけど、その行動は照れ隠しだと気付き「おやすみ」とだけ告げてもう何も話しかける事はしなかった。


 小さな鉄格子に守られた窓から、いつの間にかあれだけ降っていた雨が止んでいて、小さな星が見えた。

 その星に、俺は思いの丈を漏らす。


 ――まだお前の所に逝くわけにはいかなくなったよ。前に進めるとは思えないけど、とりあえず心配かけてしまった奴らに安心して貰えるように頑張ろうと思う。


 言って、俺は壁に凭れたまま目を閉じた。


 生きてみよう。新しい恋愛とかは考えられないけど、憧れだったエンジニアに……優香に負けないエンジニアになる事を目標にして……生きてみよう。


 ◆◇


 翌朝、俺達の事をここへ引っ張ってきた警察官の野太い声に起こされた。


「もうこんな馬鹿な事するなよ」

「ご迷惑おかけしました」

「……」


 東が警察官に頭を下げて、俺達は留置所を後にした。


「なぁ、迷惑かけたんだから、一応頭くらい下げろよな」

「……すみません」

「いやいや! 俺に謝ってどうするんだよ!」

「いえ、東さんに謝らないと駄目ですよ――本当に馬鹿な事してしまって……すみませんでした」


 言って深く、深く、もう土下座したほうが早いんじゃないかと言われそうな程、自ら命を絶とうとして迷惑をかけてしまった事を謝罪した。


「バーカ! そう思うんなら謝罪より言う事あんじゃねぇの?」


 謝罪より言う事……。


 一瞬、東が何を言っているのか分からなかった。

 だけど、分からない思考の中に東と俺の本音にズレがある事に気付き、そのズレの正体から東が求めている言葉が見つかった。


「……助けてくれて――ありがとうございました」


 言葉を変えてもう1度頭を下げると、今度は「おう! 気にすんな!」と満足そうに口角を上げて白い歯を見せた。


 正解だったみたいだ。

 何故、謝罪ではなく礼が言えなかったのか……。それは今の俺の中にある気持ちを東が読み違えているからだ。

 東は俺が死ななくて良かったと喜んでいるんだと思っているんだろう。

 だけど、俺は今こうして生きている事に、喜びや安堵といった気持ちは持ち合わせていない。

 あるのは、〝死にたい〟って気持ちから〝死ねない〟という気持ちに変わっただけで〝死なずに済んだ〟と安堵したわけじゃないからだ。


 一昨日、俺んチにきてくれた松崎然り、俺と乱闘して警察の世話になってまで俺が死のうとしていたのを止めた東然り。

 それに東と話して、優香は俺がそっちに逝く事を望んでいないと気付くどころか、俺が優香を侮辱していたのだと思い知らされたからだ。

 勿論、俺にそんな意思はなかったけれど、客観的に見てみれば俺も思う所があって否定できなかった。


 これらを総合して、俺は〝死ねない〟と結論付けたのだ。


「どっか入って朝飯とかどうですか? お詫びに奢りますよ」

「ほほう、いい心がけだって言いたい所だが、お前……さ」

「……なんです?」

「金持ってんのか?」

「――――あ!」


 言われて初めて気が付いた。

 死ぬつもりだったからというわけじゃないが、財布もスマホすら部屋の置いて出てきたんだったと。


「な、何で分かったんですか!?」

「鞄も持ってないみたいだったからな。まぁ、死ぬつもりだったんだから、置いてきたんだろ?」

「……」


 何から何まで東に知られているようにで、面白くないけど正解だけに何も言えない。


「って事で、今朝は俺がゴチってやっから、には今度飲みでもゴチってもらうか」

「そっちの方が高くつくじゃないですか! ってまぁ……いいですけど」

「うっし! 決まりだな! んじゃどっか入ろうぜ」

「はい」


 そういえば、腹が減るなんて何日ぶりだろう。

 昨日、あの時まで空腹感なんて全く感じなかったのにな……。


 まだ死ねないのなら、とりあえず落ちまくった体力を取り戻す為に、まずは飯食わないとだ。


 ◇◆


「いって!」


 適当に目に付いた牛丼屋でモーニング定食を食べ始めたとこで、東が頬を抑えて飯を食い難そうに顔を歪めた。


「……やっぱり口の中切ってますよね。すみません――ってぇ!」


 昨日の喧嘩であちこち傷だらけで、飯を食うだけで痛みが走る。


「はは、お前もじゃねえか。まぁ、良介よりはマシだから謝んなって」


 東は俺が弱り切っていたから、この程度で済んだのだと言う。

 弱っているという自覚はなかったけど、確かに思うように体が動かなったし、東を殴った時の手応えも悪かったからそういう事なんだろう。


「そこはお互い様だって言うところじゃないですか?」

「何がお互い様だっつの! 良介が加害者で俺は被害者だろ」

「そうでした……すみません」


 そういうと、何だかこのやり取りが可笑しくなってきて思わず吹き出すと、東も同じように笑っていた。

 サラッとナチュラルに俺の事を呼び捨てにするのも、東がこんな俺を受け入れてくれたからなのだろう。

 拳を交えて得る友情とか、今時流行らない昭和のノリだったけど――俺は嫌いじゃない。

 漫画やドラマの見過ぎって言われそうだけど、アドレナリンドバドバで殴り合っている時って、本音が出る事は経験上知っているから。そう思うと、あの場は優香が準備してくれていたような気さえする。


「まぁ、とりあえず……これやるよ」


 言って東は店のアンケート用紙の裏に何やら書き込んだ物を、手渡してくる。

 なんだろうと書かれた文字を読むと、見覚えのない住所と施設名のようなものが書いてあった。


「これは?」

「そこに優香の墓がある。といっても、急な事故だったからまだ埋葬されてないけど、ここで供養されるそうだ」


 墓……この施設名は墓地の名前だったのか。


「何でそれを、俺に教えてくれるんですか?」

「昨日、優香の両親に葬儀に来るなって言われたんだろ? それじゃ仏壇に手を合わせる事も出来ないだろうからな。せめて墓参りだけでもと思ったんだけど、余計なお世話だったか?」

「そんわけありません! ありがとう……本当にありがとうございます」


 俺は大切に東が書いたメモを包み込むように、両手で閉じた。


「とりあえず、お前は仕事を頑張れ! 自殺までしようとした奴なんだから、新しい恋愛なんてすぐには無理だろうしな」


(すぐどころか、恋愛なんて一生出来る気がしないけどな)


「仕事に打ち込んで男としての自信を手に入れろ。そうすれば、そこから先に何かあるかもだし」


 真っ直ぐに俺を見てそう進言する東の言葉が、俺の心にストンと落ちた。生きていくのなら仕事は必須なわけだし、今の俺には優香と同じエンジニアになるって目標があるわけだしな。


「そうします。でも俺が本気出したら、東さんの会社が困る事になるかもしれませんよ?」


 ニッと俺の憧れの世界を先に行く東に、不敵な笑みってやつを向けてやると、ニヤリと笑みを浮かべて俺の挑発に乗ってきた。


「上等だ! お前じゃ組めないシステムを作って泣かせてやるよ!」


 やっぱり作り手は負けず嫌いが一番だと思った。

 これから東とは友人であり、一番のライバルになるんだと、俺は少し胸を躍らせるて、店の前で握手を交わして別れたのだった。


 ◆◇


「おお! これすごいな! これで遊ばせたらウチの娘は天才になるじゃん!」


 あの時、そう約束を交わした東が結婚して娘を授かった。

 勿論、結婚式にも参加したし、祝福したい気持ちが強くて勢い余ってスピーチもやってしまった。

 そんな恩人に子供が生まれたと訊いて、俺が何もしないわけがなく、こうして出産祝いを持って東の自宅にお邪魔したわけだ。


 出産祝いに贈ったプレゼントの包装を解いて、中身を見た東はとても喜んでくれた。


「はは、それは投資した甲斐がありましたね」

「ふふ、これであの子が東大生になんてなったら、今度は私達がお礼しないとね。ありがとう、間宮君」


 娘が寝ているベビーベッドに向かうと、とても可愛らしい声が聞こえて、東もその声に同調するようにはしゃいだ声を漏らている様子を眺めていると、キッチンから珈琲を運んで来てくれた東の妻である、洋子さんからそう礼を言われた。


「はは、その時を楽しみにしてますよ」


 言って、淹れてくれた珈琲カップに口を付けた。


 東洋子あずまようこさんとは友人の紹介で知り合ったらしくて、何度か会ってから交際が始まったと東から聞いた。

 当時は、優香の事を引きずっていたらしくあまり乗り気ではなかったそうだが、洋子さんがグイグイと押してきたのだと言っていたが、あくまで東本人からの話だからどこまで本当なのかは知らない。

 東とはあの時から偶に会う関係になっていた。

 主に居酒屋で会っていたんだけど、最初はすごくギクシャクしていたのを覚えている。

 そんな関係だったから、東に恋人が出来てからは恋愛相談の席になったのは自然な事で、よく東の悩みを訊かされてきた。

 だから、結婚が決まったと東が幸せそうに話しれくれた時は、本当に嬉しかった。

 後に結婚式に招待されて2人の晴れ姿を見た時、俺は死ななくて良かったと、生きていた価値があったと実感した。


 そんな事を考えながら洋子さんと話をしていると、東がすっかり手慣れた手付きでベビーベッドから待望の第一子である娘を抱いて、俺と陽子さんがいるリビングに戻ってきた。

 東は早速、俺が贈ったプレゼントの箱を娘に見せると、偶然なのか分からないけど、見ている限りではその箱を興味深そうに、とても小さな手でパンパンと小さい音を立てて、箱を叩いた。


 俺がお祝いに贈った物は、生まれて間もない新生児にはまだ早い贈り物だったのだが、今、必要な物は他から貰って大半が揃っているだろうと考えて、俺は一歳からが対象になっている脳を鍛える効果がある教育玩具を贈ったのだ。


「おっ! 分かるのか? 自分を高める物を見極めるとは……やっぱり天才なんだな!」


 もうスタートから親バカっぷりを全開で発揮している東に、俺と洋子さんは思わず吹き出してしまった。


 そんな笑い声が気になったんだろう。少し恥ずかしそうな顔で東が子供を抱いて俺達の前に来た。


「ほ~ら! 良介おじさんだぞ。パパの大切なお友達だから、も仲良くしてあげるんだぞ」

「――――え?」


 東が抱いている赤ちゃんの名前を聞いて、俺は言葉を詰まらせて思わず立ち上がっていた。


「大丈夫だ、良介」

「だ、大丈夫って」


 何が大丈夫なんだ? 昔惚れこんでいた女の名前を子供に名付ける事の、どこが大丈夫なんだと思うのは間違っていないはずだ。


「……ゆ、優香って」

「そうだ。俺達の大切な娘の名前だよ」


 ――!!


「良介が言わんとしてる事は分かってる。だけど大丈夫だ」


 思わず優香の事を話してしまう寸前で、隣に洋子さんがいる事を思い出して口を塞いでいると、また東が大丈夫だと言う。


「洋子は全て知っている。知ったうえでこの子の名を優香と名付けたいと言ったら、賛成してくれたんだ」

「……マジですか」


 全てを知ったうえで、自分達の娘に優香と名付ける事を了承したという洋子さんに目を向けると、彼女は至って冷静に口を開いた。


「本当です。常識的に言えば当然嫌がる事なんでしょうけど、優香さんの事を必死に追いかけた彼だからこそ、私は好きになったんですから」


 東には昔から驚かされる事が多かったけど、そんな事が一瞬で消し飛ぶ程に俺は洋子さんに驚かされた。

 詳しい経緯は知らないけど、それだけ東の事を想って結婚したという事だけは分かった。


「……そうですか。本当にあず……いえ、御主人の事を愛されてるんですね」

「はい、心から愛しています」


 自分でも相当恥ずかしい事を訊いたと自覚しているのに、洋子さんはそんな恥ずかしい質問を、全く恥ずかし気もなく愛していると言い切って見せた。


 それだけこの東という男に魅力があるという事なんだろう。

 であれば、優香は何故東を選ばなかったんだろうと疑問が生まれた。

 俺は東のような魅力なんてない人間だ。それは自分の事だから自分がよく解っている事だ。

 実際、俺の目から見ても東は本当にいい男だと思わされる場面が、これまで多々あったのだ。

 でも……もうその理由を知る事は出来ない。いや、知らない方がいいのかもしれないとさえ思う。


 そんな事を考えながら、娘を取り囲み微笑ましく笑っている2人を見て、あの事故から初めて少しだけだけど結婚に憧れを抱いている自分に気付いた。


 もう優香とそんな時間を過ごす事は出来なくなってしまったけど、もし本当の意味で前に踏みさせる日が訪れたとしたら、自分もこんな時間を過ごす事が出来るかもしれないと小さな希望が俺の中で生まれた。

 小さな変化だろうけど、この小さな気持ちを大切にしたいと思えるようになった東夫妻に、言葉に出さずに心の中から言葉を送った。


 ――ありがとう。


















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