第45話 未遂と希望 中編

 激しい痛みが全身を襲う。


 だが、車に跳ねられた痛みにしては大した事がない気がした。

 いや、実際に車に跳ねられた事がないから、正直分からないのだが……


「バッカ野郎!! 死にてえのか!!」


 少し離れた場所から大声で罵倒する声が聞こえる。


(死にたい? あぁ、そうだ。俺は死にたいんだよ)


 そんな事を考えた時点で、間宮はようやく現状を理解し始める。


「すみません! こいつ酔っぱらってて、本当にすみませんでした!」


 ぼんやりと思考を動かし始めたところで、謝罪する声が聞こえてきた事で、間宮は自分が死ねなかった事を知った。


(死んでない……死に損なったの……か)


 誰かが邪魔をした事に苛立ちを覚えた間宮だったが、それを行動に表す事なく、再び走っている車の選別をしようと視線を車道に向けた。だが、車を眺めていたはずの視界が遮られ、代わりに人の足が見えて、間宮は怪訝な表情で気怠そうに顔を見上げると、そこには車のライトで逆光になって顔がよく見えなかったが、体格的に男だという事は分かる人物が立っていた。


 男は無言で間宮の胸倉を両手で掴み、力づくで立ち上がらせたかと思うと、右手で拳を作りそのまま間宮の顔を目掛けて拳を振り抜いた。

 雨に濡れた地面と道路脇の壁に叩き付けられた間宮に、またも男は胸倉を掴んで立ち上がらせる。

 今度は左手で胸倉を掴んだまま、1発、2発と間宮の頬を潰すように連続で殴る。

 その間、間宮は無抵抗に殴られ続けた。

 いや、抵抗出来ない程に体が弱っていたのだ。


 そして5発目を喰らった時、また壁に叩き付けられた。


「おい! 今何しようとした!? 答えろ! 何をしようとした!?」


 男は剣幕に捲し立ててくるが、間宮は何も発さずにいると、今度は鳩尾に鋭い蹴りをお見舞いされて、流石の間宮も苦しそうに蹲った。


「答えろっつってんだよ!!」


 男は蹲る間宮の前でしゃがみ込んで怒鳴りつける。

 苦しみながらも間宮が顔を上げると、車が走っていなかったからか今度は男の顔がハッキリと見えた。


「……あ、東……か……ゲホッゲホッ!」


 殴ってきた相手が東だと知った間宮は、この一連に起きた事を理解する。

 車道に飛び出して車に跳ねらる直前、腕を取られた間宮は歩道側に投げ飛ばされたのだ。

 最初に感じた痛みは投げ飛ばされた痛みだったんだと理解した時、口の奥に転がっていた物をベッ!っと吐き捨てた。


 道路に血が付いた白い物が転がる。それは間宮の奥歯で東に殴られた時、折れたものだった。


 何故この場に東がいるのか疑問に思ったのだが、それは一瞬の事で、すぐにその思考を殺した間宮は、目の前に仁王立ちしている東を睨みつける。


「優香の所へ逝こうとしただけだろうが!! 邪魔すんじゃねぇよ!!」


 言うと、ゴッと鈍い音と共に立ち上がったばかりの間宮が再びアスファルトに倒れ込んだ。


「まったく、俺の見込み違いの女だったみたいだな。こんな奴に惚れるような安い女とか笑えるぜ」


 東が倒れて動かなくなった間宮を見下ろしながら、吐き捨てるように香坂を罵った。

 香坂の事を言っていると頭で理解した間宮は、さっきまで屍のようだった目に殺気という名の生気が蘇る。

 衰えた筋肉に鞭打ちフラッと立ち上がった間宮は、ギリっと音を立てて歯を食いしばった。


「どうしたよ? 何か文句でもあんのか!?」


 挑発するような笑みを浮かべて、東はまるで汚物でも見るような目で間宮を見た。


「俺も事はいい……俺は何を言われても仕方がない事したからな――でもな」


 あまり力の入らない足に出来る限り力を込めて、1歩、また1歩と東に距離を詰めて拳を震わせたかと思うと、さっきまでフラフラとしか動けなかった人間とは思えない程の俊敏さで、一気に東との間合いを詰めた。


「優香の事を侮辱するのだけは、絶対に許さねぇ!!!!」


 雄叫びを上げた間宮は東の顎先にゴッ!っと鈍い音と共に、一発拳をねじ込んだ。

 激しく脳を揺さぶられた東はフラッと上体を前に落とすと、間宮は東の両肩を掴み、間髪入れずに鳩尾に膝を突き上げるように叩き込んだ。

 軽い脳震盪になったうえに、呼吸が出来なくなった東は堪らず悶絶の顔つきで膝から崩れ落ちると、間宮はとどめと言わんばかりに跪いた東の頭を両手で鷲掴みにし、もう一度膝を振りあげて、東の鼻面を蹴り潰すように突き上げた。


 東は両膝をつき大量に流れ出した鼻血を抑え込むように、両手で鼻面を覆った。


「オラァ!! 優香に土下座で詫び入れろや!!」


 完全にスイッチが振り切り、関西人特有の言い回しで香坂への謝罪を要求する間宮に対して、東はボタボタと流れ落ちる血を抑えながら鼻で笑ったかと思うと、ガクガクと震える両足に鞭打ってフラッと立ち上がり口を開く。


「は? 詫びだぁ!? 馬鹿言ってんじゃねぇ! 優香に謝るのはお前だろうが!!」


 口の中を切り、口内に溜まった血を吐き捨てながら叫んだのと同時に、東は腹部に渾身の蹴りを突き刺すと、ガハッと苦悶の表情で間宮が膝をついた。


 本来の状態なら東は間宮の相手にはならない

 それはなおも恐ろしく鋭い目で睨みつけてくる間宮を見れば、東には分かっていた。

 香坂を失って碌に食べていないのは頬のこけ具合で分かるうえに、立ち姿が弱々しかったのは筋肉が衰えてしまっているせいで、踏ん張りが効かないのだろうと判断したのだ。


 だからこそ、東は容赦せずに間宮を潰しにかかる。

 偶然通りかかったおかげで、自殺しようとしていたのを未遂で終わらせる事が出来たが、間宮の危うさは消えていなかったからだ。

 このまま帰してしまえば、きっと同じ事を繰り返す。

 そう確信があった東は話をする事より、殴り合う事を選んだ。


「何で俺が謝るねん! 俺は優香を殺してしまった責任をとって、あいつんとこに逝こうとしてるだけやんけ!!」

「それが馬鹿だっつってんだろ!! あいつが本当にそんな事を望んでると思ってんのか!?」

「っ……だまれぇ!!」


 反論する言葉を見失い、右腕を振り上げて東に追撃をかけようとするが、もうまともに足が踏ん張らずに間宮の拳は弱々しく空を切って再びアスファルトに崩れ落ちた。

 東は崩れ落ちた間宮の胸元を力いっぱい掴み、唾液を撒き散らしてこう言うのだ。


「優香が望んでる事なんて、お前の幸せ以外に何があるってんだ! 間宮にそれが分からないわけがないだろ! お前こそ優香を侮辱すんじゃねぇよ!!」


(優香を侮辱する? 俺が? 俺が侮辱してたってのか?)


 東の言葉を受けて、掴まれる事に抵抗しようとしていた間宮の腕がダランと落ちる。


「――幸せになる資格なんて……俺にはない」

「資格? お前は優香がいないと幸せを掴む資格を失うってのか!? それこそ誰がそんな事決める資格があるってんだよ!」


 東の正論に言葉が詰まり、間宮はギリっと歯を食いしばる。


「よく考えろ! お前はあの優香が愛した男なんだぞ!? そんな存在のお前が腐っちまったら、優香の存在そのものが腐っちまうんだよ!」


 降り続ける雨脚が更に強くなり、2人が流している血を雨が洗い流すように強く叩きつけるように降りそそいだ。

 だが、激しく落ちる雨の音だというのに、東の声が僅かに震えているのが聞こえた。

 泣いているのだろうかと思った間宮だったが、雨が流れる何かと同化してしまって、それを確認する事は出来なかった。


「――――」


 東に対して反論する言葉を見付けられない間宮に、東が更に言葉を紡いでいく。


「俺が好きだった優香を汚すのはやめてくれよ――頼むから」


 呆然と立ち尽くす間宮の両肩を掴み、そう言うのと同時に、東はズルズルと崩れ落ちるように間宮の足元に座り込んだ。

 悲しみと悔しさの色を滲ませて肩を震わせる東の頭上から、力なのない声が聞こえてくる。


「お、俺は……俺が……優香を侮辱していた……のか?」


 東が頭上を見上げると、目を見開いてワナワナと口を震わせる間宮がいた。

 その顔は自分がしようとしていた事が、優香を侮辱する行為だと理解したもので、やがて間宮も東と同様に膝をつき崩れ落ちた。


「コラーッ!! 君達! そこでなにしてるー!!」


 そんな2人の前に懐中電灯を手に持った人影がそう叫びながら、駆け付けてきた。

 どうやら2人の殴り合いを見かけた通行人が通報したようで、グッタリとした間宮と東の間に警察官が割って入ってきたのだ。


 激しく降る雨の中、職務質問を受けて意識がハッキリしない間宮に代わって、東は身振り手振り状況の説明をしたのだが、東は自分が悪いのだと話すと、「悪いのは……俺だ」と間宮は東が話す事を否定した。

 2人の言い分と状況から、もう暴れる事はないと判断した警察官はそれでも頭を冷やさせる必要があると、2人を留置所へ放り込むのだった。
















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