第43話 もう会いたくない人
姉である優香が不慮の事故死から6年かと呟いた時から、お互いに色々な事を思いだしていた。
「……え? お姉ちゃんが……死んだ?」
私は武道館ライブを成功させて、充実感に浸りながら楽屋に戻ってきた時、スマホの通知を見てお姉ちゃんが事故で死んでしまった事を知った。
この後の打ち上げを予定していたんだけど、その事を茜さんに説明すると、こっちの方は任せなさいと、直ぐにタクシーを手配してくれた。
タクシーの飛び乗って、お母さんに訊いた病院名を運転手に告げて病院に向かう。
現状出来る事がなくなって、今になって姉の突然の死が自分の中で現実味を帯びていく。
危険な状態だとかならまだ希望があるのに、どれだけ急いで駆けつけても待っているのはお姉ちゃんの死という現実だけ。
どうして!?今日は良ちゃんが挨拶しにきて、正式に婚約する日じゃなかったの!?
今頃、電話で幸せ絶頂の声でお姉ちゃんから婚約の報告を聞いているはずだったのに、何でこんな事になったの!?
気が付くと、手に持っているスマホを壊れるんじゃないかと思う程、力いっぱいに握りしめていた。
まさに、私は天国から地獄を味わったのだ。
やがてタクシーが病院に着いて、私は茜さんから受け取っていたタクシー券で清算を済ませて急いで病院に走った。
その時は一刻も早くお姉ちゃんの元へと、その事しか頭になかったから気付かなかったんだ。
病院の入口ですれ違ったボロボロに汚れた服装の男の人が、お姉ちゃんの婚約者だったなんて……。
◇◆
「月並みだけどさ……」
「その月並みってのは聞きたくない。今まで色んな奴に聞かされてきたからな」
優希が言おうとしている事は分かっている。
あの事故は……優香が死んだのは俺のせいじゃないと言いたいんだろう。
「あの夜、ライブが終わって病院に駆けつけた時に、お父さん達から詳しい事情を訊いた。その後に良ちゃんに何をしたのかもね」
それはお義父さんに殴られた事だろう。
マッカランをロックで飲んでいた氷が、カランと音を立てて溶けていく。
透明で綺麗だった氷にヒビが入り、氷の向こう側が見えなくなった。きっと人間の命もこの氷と同じで、ちょっとした事で呆気なく壊れてしまうものなんだ。
だからこそ、人の命は尊くて愛おしいと書いたどこかの作家がいたが、俺にはその気持ちが理解出来ない。
理不尽な事が溢れるこの世界で、やっと手に入れた幸せを尊いなんて言葉で片付ける事に、俺はどうしても賛同出来ないんだ。
「……あれから6年経ったんだね」
優香がいなくなって6年……。
大切なものを失った穴を埋めるように、ただ仕事に生きてきた。
松崎に趣味をもてと勧められたけど、他に何もする気が起きなかったんだ。時間は有限で今しか出来ない事をするべきだと、松崎の言い分は理解出来るのだけど、俺には必要性を感じなかったんだ。
「君はこの6年間どうしてた?」
ふと気になった。
俺とは違う、大切な家族を失ってから何を考えて、何をしていたのかを。
「私は、お姉ちゃんが自分事みたいに喜んで応援してくれた音楽だけをやってきた。ずっとお姉ちゃんに届くような歌が歌いたくてね」
表面上は煌びやかな芸能の世界。
だけど少し裏を捲っただけで、溢れてくる欲望に満ちた世界。
彼女はそんな世界に身を投じても、ずっと真っ直ぐに優香を見つめて歌ってきたんだな。
さすが優香の妹だと思ったし、そんな彼女だからこそ大勢の人を引き付ける魅力があるのだろうと思った。
「良ちゃんは? 何してた?」
「俺も君と似たような感じかな。優香にすごいエンジニアになれるって言われて、ずっとそこを目指して仕事ばかりしてたよ」
そうなんだ。それが俺の目標で、ついに研究所自らオファーを貰ってエンジニアとしての道が開かれたんだ。
……なのに、何で俺は未だに迷っているんだろう。
生活面の不安は確かにあるけど、独り者の俺にとってそれは本当に問題なんだろうかと……。
迷っているのはエンジニアに転向する事じゃなくて、本当は東京を離れたくないだけなんじゃないかと思っている自分がいるのだ。
東京を離れたくない理由……それは――
「今日ずっと良ちゃんを待っていたのは、月並みの言葉は聞きたくないって言われたけど、やっぱりお姉ちゃんが死んだのは良ちゃんのせいじゃないって言いたかったからなんだ」
あいつの顔がぼんやりと浮かんだ時、優希が巡らせていた思考を遮るように話を始めた。
「それを言う前に拒否されたのはちょっとショックだったけど、これは良ちゃんに気遣って言ったんじゃなくて、私の本心だから」
「――――」
「お父さん達もね……分かってるんだよ。だから、あれからずっと良ちゃんの事を気にしてるみたいで……」
俺は財布を取り出して、何も言わずに1万円札をテーブルに置いて席を立った。
「良ちゃん!」
優希は少し声を張って俺を呼び止める。
その目は真剣で、寂し気な色をしていた。
「慰めとかいらないよ。それにお義父さんは間違った事なんてしていない」
俺はそんな彼女の気持ちを無視して店を出ようとしたが、優希は回り込んでテーブルに置いた1万円札を俺の胸に押し当ててきた。
「私が言った事が気に障ったのなら……ごめん。それと誘ったのは私なんだから、こんなのいらない……」
「いや、ここは俺に払うよ」
俺が「それじゃ」と彼女の返答を待たずにマスターに会釈して店を出て、少し通りを歩いた。
週末だけあって、通りは賑わっていた。
彼女のマンションをはじめ、この辺りは高層マンションが多く立ち並んでいるところをみると裕福な人が生活する場のようで、通りを歩いている人達を見ると、品のある人が多いように見えた。
あんなタワーマンションに住んでいて、高級外車を乗り回す程の成功者になったんだ。
そんな事を考えながら通りからタクシーを拾おうと、走っている車に目を凝らしていると、突然目の前にさっきバーで別れたはずの優希が現れた。
「うわ! ビックリした」
「んふふ~! 私も、もう帰ろうと思ってね」
そう言うのと同時に、羽織っていた俺のトレンチコートのポケットに手を突っ込んで、何かを忍ばせた。
「え? なに?」
俺はすぐさまポケットに手を突っ込むとカサッと紙の感触があって、それが何なのかすぐに分かった。
「俺が支払うって言ったよな?」
「私は了承した覚えないんだけど?」
ポケットの中身は、さっき強引に手渡した1万円札で、どうやら優希が全額支払ったようだ。
俺にも意地というものがあって、すかさず金を優希に突き返そうとしたんだけど、その前に優希が妙な事を言い出したから手の動きを止めてしまった。
「お金の代わりにお願いがあるんだけど」
「……お願い?」
「うん、また会って話したいんだよね。だから連絡先交換しない?」
とんでもないお願いだった。
いや、連絡先の交換なんて普通にある事なんだけど、交換相手があの神楽優希となればとんでもない事件なのだ。
妹の茜ではないけれど、この事がスキャンダルになる事だって十分にあり得るわけで……
「……いや、でもな」
彼女は交換を渋る事を想定していたのか、俺が歯切れの悪い言い方をすると、ニヤリと笑みを浮かべてこう言うのだ。
「それとも――俺に会いたかったら、また朝から墓地で一日待ち伏せしてろって言うのかなぁ?」
別に俺が待たせたわけじゃなくて、優希が勝手にした事なのに、何故か待たせてしまった事に罪悪感を抱いてしまった俺は、優希の言葉に「ングッ」と言葉が詰まった。
もし優希が本当にそうしたとしても、決して俺が悪いわけじゃないって分かってはいるんだけど、何故か罪悪感を抱かされてしまい「……分かった」と諦めるようにスマホを取り出した。
「ん、ありがとう! また連絡するからね!」
お互いの連絡先の交換を終えると、優希は嬉しそうにスマホを鞄に仕舞って、手を振ってマンションの方に駆けていく。
そんな優希の顔が優香とダブって見えて、俺は言葉を失いながらも小さく手を振って彼女の背中が見えなくなるまで見送った。
そんな俺の体を少し強い風が吹き抜けていく。
だけど、大して飲んでもいないのに感じた風に冷たさを感じなかった。
俺は小さく息を吐いて、再び通りに顔を向けてタクシーを探し始めた。
正直、もう優希とは会いたくなかった。
勿論、彼女が嫌いだというわけではない。
優希と関わると、自分なりに優香の事を整理しようとしているのに、どうしても優香をハッキリと思いだしてしまうから……。
忘れる事なんて出来ないのは分かっているけど、過去にしないといけないと思いだしたからだ。
本気で前を向くなら、いい機会なのは間違いない。
出来るのならとっくに出来ているはずだから……。
――だったら……迷う必要なんてない……はずなのに……。
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