第42話 間宮 良介 act 22 命の怖さ
週末の休みに入る前、偶々帰ろうとする間宮を見かけた。
あの時のあいつは目を輝かせながらも、少し緊張してる様子だった。
日曜日に彼女の両親に挨拶に行くと聞いていたから、まぁ緊張するのは無理もないなと苦笑いしたのを覚えている。
それでも幸せな未来に向けて歩いているという印象で、羨ましいとさえ思った程の様子だったんだ。
そういえば、プロポーズしてから更に仕事に力を入れだしてたっけな。
なのにだ……。
玄関のドアを少しだけ開けた隙間から見えた間宮の姿に言葉が出てこなかった。
風呂に入っていないのか、ボサボサというよりベッタリとしていて、頬は痩せこけて髭は伸ばしっぱなしで目は虚ろ。
頻繁に顔を合わせている俺でも、道端でバッタリ会ったりしたら誰だか分からなかったかもしれない。
それほど、今の
「――どうした?」
声も細々として生気が感じられない。
だが、細々した声でも声色は間宮のものだった。
我に返った俺は、気をしっかり持って肩を開く。
「どうしたじゃねえよ! 無断欠勤とかガキみたいな事しやがって!」
「……悪い」
言って一方的に少しだけ開けた玄関のドアを閉めようとするから、俺は咄嗟の片足をドアの間に挟んでそれを阻止した。
「わざわざ来てやったってのに、門前払いはないんじゃねぇか?」
「うるせえよ……お前に関係ないんだから、放っといてくれよ」
力なくそう言うと、間宮は挟んだ俺の足を無視して強引にドアを閉めようとしやがるから、俺はドアをガン!と蹴り飛ばしてやった。
そこでようやく暗がりでよく見えなかった間宮の姿に目を見開いた。
「お、お前……なんだよ、その恰好……」
ワナワナと震える指で間宮をさして問う。
皺だらけでグシャグシャになったワイシャツとスラックス……。
いや、俺が驚いたのは、間宮が着ている服に付着しているドス黒い色をした何かにだ。
「その汚れって……血――じゃないよな?」
もしこの汚れが血痕だった場合、この量はまともではない。
まるで誰かを刺したのかと疑ってしまう程の血量が、間宮の服の至る所に付着しているのだ。
間宮は何も応えない。
その無言が血痕だと肯定している。
俺は返答を待つのを止めて、弱々しい背中に手を当てて部屋の奥へ間宮を押し込みながら、俺は色々と覚悟を決めてこう言うのだ。
「……間宮……何があったか全部……話せ」
「――――」
リビングまで押しやると、間宮は黙ったまま壁に凭れかかって素座り込んだ。
間宮が座り込んだ辺りを見渡すと、そこを中心に色々な物が散乱している。恐らくだが、間宮はずっとこの場所に座り込んでまともに動かなったんじゃないだろうか。
散乱しているゴミと呼んで差し支えない物の中から、バラバラに砕け散ったスマホの残骸が目に入った。
だから連絡がつかなかったのかと変に納得した俺は、座り込んでいる間宮の前に立ち見下ろした。
(こいつってこんなに……小さかったか?)
180㎝近くある間宮が今日はやたらと小さく見えて、俺はこれからの言動次第で
「ゆ、優香ちゃんはまだ仕事か? もう殆ど一緒に暮らしてるんだよな」
一番気になっていた事。
半同棲している彼女がいながら、こんな間宮を放っているのは考えにくい事だ。
最悪の想像が頭の中をチラついたが、俺は無理矢理ケンカでもしたか、挨拶に失敗して結婚に反対されているという返事を期待した。
――そう期待していたんだけど……返ってきた返事に愕然とした。
「……あ、あいつは……」
あいつ? 彼女の事をあいつなんて言うのを、俺は初めて聞いた。
「あ、あぁ。優香ちゃんがどうしたんだ?」
「――死んじまったよ」
「……は?」
今なんて言った?
確かに最悪の展開を想像した。したけど、それは俺の中では怪我をして入院しているとか……そんな感じだったんだ。
――死んだ? え?
「悪い……もう一回訊いていいか?」
もし俺の聞き違いでなければ、こんな事を言うと余計に間宮を追い込んでしまうだろうと分かっていても、聞き直さずにはいられなかった。
「だから! 優香はもう死んでいないんだ! この世からいなくなっちまったんだよ!」
細々と今にも消えてしまいそうな弱々しい声で話ていた間宮が、今日初めて声を張ったのが、婚約者の死を告げる事なんて……素直の聞き入れるわけがない。
「ふざけてんなよ? 言っていい冗談じゃねぇだろ!」
「――――」
俺の訴えに対して、無言の返答。
それは冗談ではないと言っているのだと……最悪の予想の斜め上をいっていた事に、気が付けば俺は膝を畳に落として愕然としていた。
「……な、なんでだ? 何があった?」
出なくなってしまった声を無理矢理絞りだして彼女の死因を訊くと、間宮は何故か鼻で笑って話し始めた。
「交通事故でさ……優香は俺の目の前で死んじまった――死んじまったんだよ」
交通事故……誰にでも遭遇してしまう可能性がある死因の代表格だが、俺はそうは言っても俺自身は勿論だし、周りの人間だってそんな事で死ぬなんて考えた事もなかった。
――なんでよりによって、あんないい子が死なないといけないんだ。
どうしようもないクズが馬鹿笑いしているのに、一生懸命に生きている人間が突然の死を迎える。
こんな馬鹿な事があっていいのか?
あの子が……優香ちゃんが何をしたってんだ!
視線が定まらない。
つい最近、間宮と優香ちゃんが一緒にいる所を偶然見かけた。
2人はとても幸せそうで、あいつらには俺の分まで幸せになって欲しいって本気で思ってたんだぞ――なのに、何で……。
只の友人でしかない俺ですら、彼女の死を簡単には受けいられそうにないのだ。
婚約者を失った本人が抜け殻みたいになるのは、当然だと思えた。
どんな声を掛けたらいいのか分からなくなって、部屋に充満する重苦しい空気の中、俺は愕然として間宮は窓から外を光を失った目でぼんやりと眺めている。
どれくらいの時間そうしていただろうか……少しだけ頭が回りだしたところで、ふと気になった事が頭に浮かんだ。
確か
「なぁ、通夜とか葬式はどうしたんだ?」
そうだ。通夜や葬式に参列していたのなら、こんな格好でいるのはどう考えてもおかしい。
「……いってない」
「は? 何で!? 婚約者のお前が参列してないなんてあり得ないだろ!」
「どの
自分が婚約者を殺した――その台詞を訊いて、俺はさっきまでのざわついた感情が急激に落ち着いていくのを感じた。
「何があったのか、聞かせてくれないか?」
優香を殺したと思い込んでいる原因を知る事が、今の最重項目だと悟った俺は、訴えるわけではなくて、あくまで柔らかく今の間宮を極力刺激しないように問いかけてみた。
すると、間宮は少し考える素振りを見せたかと思うと、小さく溜息をついた後にゆっくりと口を開き「……分かった」と事故があった日の事を話してくれると頷く。
台所の蛇口から水の雫がシンクに落ちる音が気になって、顔を音の出所に向けた。
古いアパートにありがちなボロい台所があって、狭い台所に苦労しながら彼女は間宮の為に食事を作っていたのだろう。
実際、優香ちゃんとはそれなりに付き合いがあって、よく3人で飲み屋で落ち合って遅くまで飲んだり、何度かこの部屋で優香ちゃんが手料理を振舞ってくれた事もある。
確か、その時も間宮と並んで台所に立ったいて、狭さで肩がよくぶつかっていた事を覚えている。
この部屋で、つい最近まで2人は幸せな時間を積む重ねてきたのだ。その最愛の
……だけど……だ。
「大体の話の流れは理解した。確かに悲惨な事故だと思うし、その状況なら自分を責めるのも理解出来ないわけじゃない……。でもな――」
「その先は良い……。そんな事言ってもらっても、俺自身は絶対に納得するつもりはないから」と、優香ちゃんが亡くなったのはお前のせいじゃないと月並みな台詞を遮られた。
原因や状況はそれぞれだが、自暴自棄に陥る事は割とよくある事だったりする。
だけど、今回は人の死だ。しかも最愛の女性の死に関わる重大案件なんだ。
間宮の性格からすると、1つ間違えば一生引きずって生きていく事だって十分に考えられる。
俺が何とかしないといけない。そう考えを巡らせていたら、間宮が小さくボソッと呟いた。
「……俺さ、このまま呑気に生きてていいのかな」
ゾッとした。
この言葉を聞いて、俺は初めて身近に死を感じたんだ。
優香ちゃんの死だって俺にとって身近な死なのかもしれないが、それとは全く違う種の死を感じて、正直……恐怖を覚えた。
カッとなるというのは、こういう事なんだろう。気が付くと、俺は間宮の胸倉を掴んで睨みつけていた。
「お前……今度そんな事言ってみろ! 俺がお前をぶち殺してやるからな! そうなったら俺はお前のせいで殺人を犯して、人生終わるからな!」
俺がそう怒鳴り散らすと、掴んでいた腕を振り払った間宮も俺を睨みつけてきた。
「じゃあ、どうしろってんだ!? 俺が優香を殺したのは事実だ! あいつの親父さんにもそう言われたんだからな!」
「……え?」
僅かにだけど目に涙を溜めて辛そうにそう話す間宮を見て、俺は唖然とした。
「……お前、優香ちゃんの親父さんに……そんな事言われたのか?」
「あぁ、お前が優香を殺したんだ、娘を返せって……もう2度と顔を見せるなって、通夜にも参列するのを拒絶されたよ」
それは、いくらなんでもあんまりだろう。
確かに娘を事故で亡くしたのだから、ショックなのは当然だ。
だけど、本当に殺した犯人ではなく目の前で婚約者を失った人間に言う事じゃないだろう。
間宮は投げ遣りにそう話すと、また塞ぎこんでしまった。
これは簡単ではない。大きなトラウマになっても仕方がない程に心が壊れかけている。
俺は覚悟を決めて塞ぎ込む間宮の視線の高さまで上体を落とした。
本当は今すぐにでも彼女の父親の元に怒鳴り込みに行きたい衝動に駆られたが、今は間宮の方が先決だと俺はある提案を持ち掛けた。
「今週いっぱいだ。それまでは俺が責任をもってお前が無断欠勤を続けても、解雇されないように立ち回ってやる」
「…………」
俺の提案に間宮は何も言わない。
だけど、拒否する事もしてこなかったから、提案を実行する決意を固めた。
「間宮のせいじゃないなんて、お前の気持ちも考えないで無責任な事言って悪かった。だけど、俺は絶対に立ち直れるって信じてる……また一緒に仕事しようぜ」
俺は間宮の返答を待たずに、玄関に足を向けて「待ってるからな」とだけ言い残して、間宮のアパートを出た。
間宮の部屋は2階建てのアパートの角部屋にある。
階段を降りて外からアパートを見上げると、間宮の部屋からは相変わらず灯りが灯っていなかった。
「はぁ」と思わずため息が漏れる。
本来なら俺は人間関係は広く浅くと意識して生きている人間だ。
だから、いつも他人とは一線を張ってきたから、こんな事をするのはかなりレアなケースだと思う。
(
俺はそう独り言ちて、肩を落として帰宅した。
◆◇
翌日出社した俺はすぐさま間宮の上司や関係者のデスクを回って頭を下げた。
これ以上無断欠勤が続けば最悪解雇もあり得る為、方々に無断欠勤ではないと証言を頼んだからだ。
常識的にいって無茶な頼みなのは重々承知していたのだが、日頃から仕事に対しての間宮の評価が高かったからか、何とか承諾を得る事が出来た。
ホッと安堵して自分のデスクに戻って買ってきた缶コーヒーのプルタブを開けながら思う。
休み明けになっても間宮が出勤しなければ、今度は俺の立場もヤバいものになる……。
いくら
だが、それこそが俺の作戦でもあったりする。
自分が出社しないと、俺の立場が危うくなる事は間宮も分かっているハズだ。あいつの性格から考えたら少し強引だったかもだけど、一番連れ戻せる方法だと思ったんだ。
もし、月曜になって間宮が顔を見せなければ、俺の存在なんて浅いものだったと諦めるしかない。
もし戻ってきたら兎に角少しでも早く日常を取り戻さるように、全力でサポート出来る様に備えよう。
心はボロボロのままだろうけど、仕事に追われるうちに冷静に自分と向き合える時が必ず訪れるはずだ。
その時、改めて間宮と向き合ってじっくり話をしよう。
きっと大丈夫だ。間宮が本当の意味で彼女を大切に想っているのなら――きっと。
何時の間にか缶コーヒーを飲み終えていて、仕事に取り掛かろうとする前に、上司達に今回の事の協力を得る事が出来た事を間宮にメールを送った。
返信は返ってこなかったけど、もう間宮を信じる以外俺がしてやれる事はない。
◇◆
週明けの月曜日の朝、間宮はいつもの出勤時間より一時間早く姿を現した。
間宮が所属する営業部に入ると、すでに出勤していた同僚が席を立ち各々に声をかけていた。その声の中には間宮が犯した無断欠勤に対しての苦情は含まれていなかった。
それもこれも、事前に松崎が立ち回った事に他ならない。
間宮はすぐさま直属の上司のデスクに出向き、深く頭を下げて今回の件を謝罪した。
まだ悲壮感が消え去ったわけではないのは、今の間宮の顔をみればすぐに分かる。
頬は痩せこけたままで、表情に疲れが滲み出ていたからだ。
だが、虚ろだった目だけは変っていて、元通りとまでは言えないけれど、少なくとも死を望んでいる人間の目ではなかった。
詳しい事情を知らされていない上司だったが、とにかく間宮がこうして姿を見せた事に安堵したのか、説教どころか小言すら言う事なく「今日からまた頑張ってくれ」とだけ告げて、間宮を直ぐに開放した。
「よう……ちょっといいか?」
「おぅ! んじゃ何時ものとこ行くか」
間宮は関係各所に謝罪を済ませた後、最後に隣の部署にいる松崎のデスクに訪れていた。
少し照れ臭そうに松崎をよく話し合ったりする通路脇にある休憩スペースに誘うと、松崎は嬉しそうに通路脇に親指を立てながら席を立つ。
自販機に着くと、間宮は何も言わずに2本の缶コーヒーを手早く購入して、先にベンチに座っていた松崎に1本手渡した。
「いつものでいいよな?」
差し出された缶をジッと見た後、ニヤリと笑みを浮かべた松崎が口を開く。
「え? なに? もしかして、これでチャラとか言わないよな?」
「分かってるよ。今度酒でも奢るからさ」
勿論、松崎はそんな見返りなんて求めていない事は、間宮も分かっているが、ノリに付き合いながら2人は並んでベンチに腰を落とした。
「まぁ、あれだな――とりあえず、おかえりって事で」
「あぁ、心配かけて悪かったな。それと助かったよ、ありがとう」
言って、松崎が突き出してきた缶に、間宮も自分の缶を突き合わせた。
「それはそうと……さ」
間宮が姿を現した時から、気になっていた事を遠慮気味に問いかけようとすると、間宮もそれを察したのか苦笑いを浮かべながら「なんだ?」と返す。
「何でお前の顔……そんなに傷だらけなんだよ」
顔だけではない。ワイシャツの袖から伸びる拳にも痛々しく包帯が巻かれていたのだ。
「まぁ、ちょっとな……大した事じゃないから気にすんな。それよりもサボってた分を取り戻さないとだな!」
勢いよく空き缶をクズカゴに放り込みながら、ベンチを立った間宮は大きく伸びてスッキリとした顔を見せた。
間宮の自宅を訪れた時と比べて、幾らか元気になったように見えるが、松崎にすれば空元気だというのはすぐに分かった。
松崎が間宮の自宅を出て、昨日までの間に何かがあったのは間違い。
だが、間宮がその事を話そうとしない以上、これ以上勘ぐっても絶対に話してくれない事は長年の付き合いから松崎には分かっている。
だから、松崎からはこれ以上何も訊くつもりはなかった。
「……でも、いつか聞かせてくれよな」
自分の部署に戻ろうとした間宮の背中を見つめながら、松崎はそう小さく呟く。
「ん? 何か言ったか?」
「いや別に……さて! 本日も頑張りますかね!」
「……だな。んじゃ戻るわ」
間宮が背を向けて自分の部署に戻っていくのを見届けた松崎は、1人残ったベンチで小さくガッツポーズを作る。
帰ってきた。間宮が帰ってのだ。
それは間宮の中での松崎の存在の大きさを表すもので、決して小さい存在じゃないのだと証明された事実が、松崎の心を熱くしたのだった。
こうして間宮は最愛の人を失った悲しみから、一歩前に踏み出せた。
だが、香坂の死を整理出来たわけではない。とりあえず最悪の結果を回避しただけなのだ。
最悪の結果……それは、間宮が香坂の後を追うという結末。
只、その結果を回避出来ただけの事だった。
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