第41話 間宮 良介 act 21 絶望 後編

 俺は優香と一緒に救急車を降りて懸命に声を掛けようとしたのだが、救急スタッフに阻まれて声すら遮られた後、数十分後に優香が死亡した事を告げられた。


 優香が――死んだ?


 そんな馬鹿な事があってたまるか!

 優香が何したってんだよ!

 あいつは俺の忘れ物を届けようとしてくれただけなんだぞ!

 何で、優香が死なないといけないんだよ!


「ふざけんなぁぁ!!!!」


 優香の死を告げられた俺はフラフラと救急の深夜用の出入口から病院の外に出て、誰もいない病院の外壁を力いっぱい殴って叫んだ。

 静まり返った場に俺の叫ぶ声がこだまする。


 何でこんな事になったんだよ……。

 俺達はこれから幸せになるはずだったんじゃないのか!?

 死ぬのなら、忘れ物を届けさせた俺だろうが!


 殴りつけた拳から血が滲み落ちていく。

 だけど、痛みはあまり感じなかった。

 この怒りをどこに向ければいい。

 大切なものを失った喪失感はどこへ持っていけばいい?


 ――誰か教えてくれよ。


 殴りつけた壁に凭れかかる様に蹲って優香を失った後の事をぼんやりと考えていると、救急搬送された時立ち会った看護師が俺の元にやってきた。

 さっき叫んだ大声が聞こえたらしい。

 看護師は処置室の前に警察が来ていると伝えに来たのだと言う。

 恐らく事情聴取の為だろう。


 俺は力なく立ち上がりフラフラと警察の元へ向かうとすると、看護師は場所が悪かったのかもう真っ暗で誰もいない外来の待合所で待たせていると言われたから、力なく頷いて指定された場所へ向かう。


 静かな病院を重い脚を引きずるように歩く。

 そこで自分の異変に気が付いた。

 俺はあの事故現場を目撃してから、こうして事情聴取を受けようとするまで涙が一滴も流れていないのだと。

 こうして思い返しても、やっぱり涙が出てくるどころか込み上げてくるものすら感じない。


(……なんでだ?)


 やがて警察の元へ着くと、多目的に使用している個室へ連れていかれた。

 部屋には簡易的な机とパイプ椅子が置かれているだけで、妙に殺風景な部屋で事情聴取を受ける事になった。

 とはいえ、俺も事故があった後からしか見ていなかったから、事故の目撃者から聞いた話をするしかなかったのだが……。


 被害者である優香との関係を説明した後、見た事と聞いた事をボソボソと気が抜けた声で話し終えて、ようやく解放された。

 この部屋に入ってどれくらいの時間が過ぎただろう。

 もうその時間を確認する気力もなくまたフラフラと処置室へ向かうと、もうそこには彼女はいないと言われて看護師に案内された先に顔を白い布を被せられた優香がいた。

 静かに横たわる姿に俺は言葉が出ない。


「……良介君」


 優香の姿しか目に入っていなかった俺に部屋の隅からそう呼ばれて視線だけゆっくりと向けた先に、優香の両親である祐介と瑠衣がいた。

 2人は全身に力が入らないのか、グッタリと文字通り脱力している様子でパイプ椅子に座っている。

 俺は特に思考を回す事なく、2人の前に跪き両手をひんやりとした床につける。所謂、土下座というやつだ。


「お義父さん、お義母さん。僕のせいで優香さんを……その……申し訳……ありません……」


 そうだ……俺が財布なんて忘れなければ、こんな事にはならなかった。

 いや、優香と婚約なんてしなければ……優香と付き合ってなければ――優香と出会っていなければ……。


 床に頭を擦りつけて謝罪するとパイプ椅子が軋む音が聞こえて、やがて俺の前に人影が立った。


「……そうだな。君が……いや、お前が悪い。お前のせいで優香が死んだんだ! どうしてくれるんだ! えぇ!?」

「申し訳ございません! 本当に申し訳ござ――」


 言いかけて首回りに激しい痛みが走り、気が付けば俺は床に倒れ込んでいた。どうやらお義父さんに蹴り倒されたようだ。

 俺は痛みを堪えてすぐさま、土下座の体制を作り直して額を床に叩きつけた。


「申し訳ございません!! 申し訳ございません!!」


 どうすればいいかなんて分からない。

 どう話したところで言い訳にしかならず、そもそもどう言ったところで優香が帰ってくるわけじゃないんだ。

 それに俺は許して貰おうとは思っていない。

 そんなの無理に決まってるんだから。


 今度は髪を鷲掴みにされて立ち上がらされて、お義父さんの怒りの籠った拳が俺の鼻面にめり込んだ。鼻の中が切れて血が流れ激しい痛みで勝手に涙が滲む。

 そこで大きな声と物音で駆け付けてきたスタッフに、お義父さんが取り押さえられてしまった。


 まったく余計な事をする。

 あのままお義父さんの気が済むまで、放っておいて欲しかった。


「お前にお義父さんなどと呼ばれる筋合いはない! 通夜にも葬式にも出て来るな! もう2度とそのツラ見せるんじゃないぞ!!」


 深夜の静まり返った病院内に、大きな声が響き渡る。

 勿論、お義父さんの言い分は理解出来るから、反論なんてするつもりはない。俺はゆっくりと立ち上がり、優香の両親に深く頭を下げて病院を後にした。

 因みにお義父さんが暴れだしても、お義母さんは虚ろな目をして身動き一つ見せなかった。

 それだけショックだったんだと思う。


 病院を出て、まだ電車がある時間なのを確認して、重い足を引きずる様に駅に向かう。


 ホームに着くと丁度電車が入ってきたところで、俺は足を止める事なく電車に乗り込んだ電車は終電間際とあって、車内の乗客はまばらだった。

 シートも十分に空いていたけど、座って落ち着く気分じゃなくドア付近で立つ事にした。


 何も考えられない。

 明日からどう生きていけばいい?

 通夜や葬式に出るなと言われた。

 もう、さよならも言えない。


 絶望という言葉はよく聞く。

 映画なら絶望の淵に立たされた登場人物達は、皆涙が枯れる程泣いていたのに……何で俺は泣けないんだ?


 ボンヤリと車窓を眺めながらそんな事を考えていると、ふとガラス越しの視線が気になった。

 昼間なら外の景色が見えるはずの窓も、夜だと暗闇で逆に明るい車内の様子が反射して映っていて、乗客達の視線が俺に向いていた。


 なんだ?と思ったのは一瞬で、すぐにその原因が自分の身なりだと気付いた。

 お義父さんに殴られた後の腫れもそうだけど、一番の原因はびしょ濡れの服に付いている血痕だろう。

 事故現場で抱き上げて付いた優香の血が、シャツやズボンに付着していたのだ。


(これは驚くよな……)


 だからと言って俺は血痕を隠すそうともせずにA駅で電車を降りて自宅に帰ってきた。

 誰もいない暗い部屋に電気も付けずに、スマホと財布を床に投げ捨て壁に凭れて力なくズルズルと座り込んだ。


 ずぶ濡れの服のあちこちの血痕があの事故の悲惨さを物語っている。白い布で顔を被されている優香の姿を見た――というのに彼女がいなくなった世界を受け入れられない。


(……あぁ、そうだ。親父に連絡しないと……か)


 来週末に優香を連れて実家に帰る事になっていた事を思いだして、俺は鉛の様に重くなった体を引きずって床に投げ捨てたスマホをポツポツと弄って耳に当てた。


「もしもし……俺。何回も悪いな」

『おう! こんな夜中にどうしたんや?』


 親父は深夜だというのに、3回コールで電話に出た。

 恐らくまだ書斎で仕事をしていたのだろう。


「遅くに悪いな……早急に連絡せんとあかん事あってな」

『滅多に電話よこさんお前が連絡くれるようになったんやから、時間なんか気にせんでええんやけど、何かあったんか?』

「あ、あぁ……次の週末に帰るって話なんやけどな……」

『ん? おう! 勿論空けとくぞ。 あ、そうや! 優香さんやったっけ? オカンから肉料理と魚料理どっちが好きか訊いといてくれって頼まれてとったんや』

「……その事なんやけどな……」

『うん? まさかどっちも嫌いなんか? ほなピザとかの方がええか?』

「い、いや、そうじゃなくてやな……優香を連れて帰るって件を中止にしてもらいたいねん……」

『はぁ!? なんでやねん! ケンカでもしたんか!?』

「……そんなんで中止にするわけないやろ」

『嘘つけや! どうせお前が悪いんやろ!? ええからすぐに謝ってやなぁ!』

「ケンカちゃうって言うてるやろ!」

『じゃあなんやねん! ハッキリ言えや!』

「死んだんや!」

『――は?』

「だから、優香が死んでもうたんや! もうこの世におらへんねん!」

『――おい、良介』


 親父の声のトーンが急激に落ちたのだが分かった。


「あ?」

『お前……言うていい冗談と言うたらアカン冗談の区別もつかへんのか?』

「冗談やったらどんだけいいか……」

『まだ言うんか! そんな簡単に人間が死んでたまるかい! ええ加減にせえよ、どあほが!』

「ほんまなんや! 今日……ついさっき交通事故で死んだんや! 俺が……俺が優香を殺したんや!」

『――――殺したってお前……どういう事じゃ! 事と次第によったら只じゃすまんぞ、良介!!』

「兎に角、そういう事や!」


 これ以上、優香が死んだ事で話をしたくなかった俺は電話切るつもりが、気が付けば壁に向かって力いっぱいスマホを叩きつけていた。

 叩きつけられたスマホは液晶画面が砕け散り、ボディーもバッテリー部分が飛び出して床に散乱した。


 叩きつけてから優香との画像や、トークアプリの内容などが消えてしまった事にまで気が回らず、ただ無気力に天井を眺めていた。


 ◆◇


「おい! 松崎!」


 デスクワーク中に隣の課で間宮の元教育係を担当していた先輩に呼び出されて、俺は首を傾げながら呼び出された休憩スペースに向かった。


「なんスか?」

「間宮の奴、何してるか知らないか?」

「え? 出社してないんスか?」

「あぁ、もう3日も無断欠勤が続いててな。携帯に何度も電話してるんだけど繋がらないっていうか、電源切ってるみたいでな……って間宮が欠勤してるの知らなかったのか?」


 知らなかった。

 というか、いくら同期で仲がいいっていっても、毎日必ず顔を合わせるわけじゃないし、それに最近仕事が立て込んでて外回りの対応に追われていたんだ。

 ようやくまともに社内で落ち着けるようになったのは、ついさっき事で間宮が出社してるかどうかなんて知る由もなかったのだ。


 ていうか、間宮が3日も無断欠勤? プロポーズをするんだって聞かされてから、一層仕事に打ち込んでいたあいつが?


「分かりました。今日仕事帰りにあいつの家に寄ってみます」

「そうか、悪いな。あんなに仕事に打ち込んでたのに……心配でな」

「ですね。先輩が心配していたって事も伝えておくっス」



 仕事を手早く片付けて19時前に間宮のアパートの前に着いた。

 あいつが住んでる部屋を見上げると、部屋の電気は消えていて真っ暗だった。出掛けてるかとも思ったけど、ここまで来たのだからと一応呼び出してみる事にして、階段をリズムよく上がってドン突きにある間宮の部屋に着いた。


〝ピンポ~ン〟

「――――」

〝ピンポン! ピンポ~ン! ピン、ピンポ~ン〟


 部屋について一回目のインターホンに反応がなかったから、俺は執拗にインターホンを鳴らし続ける。

 留守なのではと思われるだろうけど、俺は部屋に間宮がいる事を確信していたのだ。

 証拠は玄関のドア横に設置されている電気メータの動き方だった。

 この回り方は絶対に電気を使っている回り方だと知っていたから、理由は分からないが居留守を使っているのは明白だったわけだ。


 だけどいくらインターホンを鳴らしても反応がなくて焦れた俺は、今度は玄関のドアを〝ドンドン!〟と叩きながら「間宮! いるんだろ!?」と声は張った。

 すると、部屋の奥から微かに物音が聞こえたかと思うと、やがて〝ガチャリ〟と音を立てて重々しい動きで玄関のドアが少しだけ開いた。


「いるならいるって――」


 言った途中で俺は言葉を失ってしまった。


 ドアの隙間から姿を見せた間宮がまるで別人のように見えたからだ。






















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