第34話 間宮 良介 act 14 2人で迎える初めての朝

 俺は立ち上がるわけでもなく、両膝を床に滑らせて優香に近付いた。彼女は何も抵抗する仕草を見せる事なく、目の前に近寄った俺を上目使いで見つめている。

 その大きな瞳に吸い込まれるように、俺は何も発する事なくゆっくりと顔を近付けて――やがて俺達の口はお互いの口を塞いだ。


 優香の柔らかく艶やかな唇を重ねた俺は、自分の舌を彼女の口内に忍ばせる。僅かにピクっと肩を震わせる彼女だったが、小さく口を開いて抵抗する事なく受け入れてくれた。

 クチュクチュと悩ましい音だけが静まり返った俺の部屋に存在して、その音と柔らかい舌を絡める気持ちよさで頭が白っぽくなってくる。

 徐々に彼女の強張っていた肩の力が抜けていき、唇を離してお互いの口から悩ましい糸を引いた時、トロンとした優香の目の中に俺が写り込んでいて、離した口からは僅かに乱れた息が漏れていた。

 そんな優香を見せられたら理性が飛んで、一気にベッドへって流れになるはずなのに、興奮して体の感覚が敏感になってはいた反面、頭の中は不思議と冷静で少し離れた場所から優香を見ている自分がいた。


「……シャワー浴びたいよね」

「――ふふっ、うん。私もそれ言おうとしてた」


 言って優香は少し力が入り難そうな動きで、ペタリと座り込んでいた床から立ち上がった。


「あ! 風呂場はこっちだから」


 俺は慌てて浴室の場所を教えると、優香は何故かクスっと笑みを零した。


「え? なに?」

「ん~。やっぱり好きだなぁって思って」


 言っている意味が分からない。

 改めてそんな事を言って貰える事をした覚えがないからだ。


「だって……そのね……良介君完全にスイッチ入ってたでしょ?」


 スイッチ?スイッチってこの場合、そういう意味だよな。


「う、うん」

「ふふ、でも、勢いに任せないでちゃんと私の事を考えてくれたでしょ。なんかね……そういうのが嬉しいなぁって。そういう時でも私を大事にしてくれてるんだなって思ったら……ね」

「い、いや! それは違うと思う。だって、本当に大切にしてたら付き合ったその日に誘ったりなんかしないと思うし」

「まぁ、そうかもだけどね。でも、それはいいんだよ」

「……どうして?」

「……わ、私も良介君にあげたいって思っちゃったから……かな」


 頬を染めてそう言う彼女に、俺は愛おしいと思う気持ちが更に強く抱くのと同時に、絶対に優香を裏切らない。絶対に悲しませないと強く心に誓った。


 それから俺が先にシャワーを浴びて、今は優香がシャワーを浴びている。

 さっきは流れ的に雰囲気が出来てスムーズだったけど、こうしてお互い準備に入って待っている状況になると、変に緊張してきてしまった。

 俺は浴室から聞こえてくるシャワーの音を聞きながら、少しでも落ち着こうと冷蔵庫から取り出した缶ビールを勢いよく喉に流し込んだ。

 決してアルコールの勢いを借りようなんて考えはない。

 ただ、高ぶっている気持ちを少し落ち着かせたかったんだ。


 やがて聞こえていたシャワーの音が止んで、ドライヤーの音が聞こえてきた。


 いよいよだと、これから始まる事を思い浮かべると、また動悸が激しくなってくる。

 もうこれ以上アルコールを流し込むと酔ってしまうから使えない。だから、俺は静かにそして深く空気を吸い込んで深呼吸を繰り返していると、ガチャリとドアが開く音がした。


 不思議だった。彼女が部屋に入ってくると更に動悸が激しくなって落ち着きがなくなると思っていたのに、驚く程落ち着いてリビングに入ってくる彼女を見つめられていた。


 優香は勿論泊まる準備なんてしているわけがなくて、浴室に向かう時に手渡していた俺の部屋着を着ていた。

 俺が着てもゆったりしているサイズにシャツは、優香が着るとブカブカで裾は膝上まできていて、まるでワンピースのようになっていた。


「えへへ、やっぱり良介君の服、大きいね」


 風呂上りで上気している顔ではにかむ優香の姿は、萌え袖なんてものじゃなく完全に手がスッポリと隠れていて、襟元から覗かせる鎖骨が妙に色気を漂わせていた。


「えっと、何か飲む?」

「ん~、これでいいかな」


 言って、優香は俺の飲みかけの缶ビールを手に取ってグイっと飲み干してしまった。


「……ふぅ」


 そして缶を持っている自分の手をジッと見つけている事に、俺は首を傾げた。


「どうしたの?」

「ん、震えがマシになったなって」

「震え?」

「お酒の力を借りるのは違うって思うんだけど、さっきから緊張し過ぎて震えが止まらなくね……あはは、いい年して高校生みたいでダサいでしょ? ごめんね」


 眉を八の字にして申し訳なさそうに謝る優香を見た時、俺は何かを言う前に気が付いたら彼女を抱きあげていた。


「きゃっ」

「どこがダサいんだよ」

「え?」

「緊張する事のどこがダサいんだ? 女の子は怖いと思うのは当然だろ。それでも頑張って俺の前に立ってくれているんだぞ? 謝られる覚えなんてない」

「……ん」


 少し掠れた声が聞こえたかと思うと、優香は抱きかかえる俺の首元に両腕を回した。

 俺はその行動を受け入れてくれると判断して、静かに寝室へ向かおうとした時、静まり返ったリビングにバイブ音が響いた。

 音がする方に目をやると、フローリング置いてある優香の鞄から聞こえてきていて、彼女の携帯の呼び出し音だと足を止めた。


「携帯が鳴っ……」


 そこまで言ったけど、最後まで言えなくなった。

 それは優香が俺の口を自分の唇で塞いだからだ。

 意識は一気に触れている優香の口に移り、気が付けば深いキスをしていた。

 お互いの唇を離すと、優香は静かにこう言うのだ。


「気にしなくていいから」と。


 俺は止めていた足を寝室に向けて、ベッドに優香を優しく降ろしてそのまま彼女の上に体を被せた。


 寝室の電気は消えていて、窓から差し込む月明かりだけが優香の姿を照らしていて、俺は思わず息をのんだ。


 元々が全くサイズが合っていない服はベッドに横になると、綺麗な肌が露わになっている。

 俺はそんな優香の引き寄せられるように、グッと距離を縮めた。


「……嬉しかった」

「……え?」

「女の子が緊張して怯えるのは当然って言ってくれて、嬉しかった」

「…………」

「良介君の腕の中に潜り込んだ時ね、凄く安心出来たんだ。初対面の男に人にそんな事思うのは変なのは分かっているんだけど……」

「……俺は焦ったよ。見ず知らずの女の子がいりなり潜り込んできたからさ。でも……あの時から好きになってたんだ」

「うん。私もそうだよ。あの朝からずっと良介君の事を考えてた。だから、こうして恋人になれた事がホントに嬉しい」

「あ、あのさ! 出会い方があれで付き合ってすぐこうしてるけど……俺、本気だから。本気で優香の事が好きだから……」

「うん……私も好きだよ。私の全部を受け取ってくれますか?」

「勿論だよ。俺の事受け入れてくれてありがとう……好きだ」


 言って、俺はまた優香と口づけを交わす。

 深く、深く気持ちを全部伝えようとキスをした後、優香の顔が上気していて目がトロンと潤んでいた。

 そんな彼女が愛おしくて、今度は自分の気持ちを体全部を使って伝えようと首筋にキスを落とすと、彼女から甘い声が漏れる。


 それからは徐々に乱れていく優香に、夢中になっていく。

 お互いの汗が交じり合い、体が溶けていく感覚に陥った。

 男と女が強い気持ちを伝え合おうと肌を重ねると、とてつもない快楽と幸福感に満たされるのだと、俺は生まれて初めて知った。

 そして、最後に完全に一つになって優香の中で果てた時、小さな体で激しく呼吸をする優香の事が愛おしくて愛おしくて、情けないけど涙が零れたんだ。


 ◇◆


 彼と肌を重ねて数時間後、空がうっすらと明るくなってくる時間。

 彼の腕の中で寝息を立てていた私は、フッと意識を覚醒させた。

 やっぱりあの時感じた事に間違いはなかった。

 この腕の中が自分の居場所なんだと実感出来た。


 彼はまだ寝息を立てている。

 一糸まとわぬ姿で抱き合う時間。

 彼に抱かれた時間は至福で心から満たされた。


「ふふ、寝顔は子供みたいだね」


 ずっとこの温もりを感じていたかったけど、残念ながらお互い今日も仕事なのだ。

 私は一旦帰って着替えないと、流石に色々と勘繰られてしまうだろうから、名残惜しいけどベッドから出ないとだ。


「大好きだよ。良ちゃん」


 チュっと彼の頬にキスを落としてベッドから出た。

 ホントは朝ごはん作ってあげたかったんだけど、時間的に無理だから次泊まった時に美味しいご飯を作ろうと献立を考えながら、鞄から取り出したメモ用紙にペンを走らせる。


『おはよう良ちゃん。朝ごはん作ってあげたかったんだけど、一度帰って着替えないとだから今日はごめんなさい。その代わり今週末晩御飯作りに来るから許してねm(__)m 良ちゃんもお仕事遅れないように! また後で電話するね――優香』


 実は昨日一旦帰らないといけない事を話した時、この部屋のスペアキーを手渡された。

 その時言われたんだ。


 ――別に返さなくていいからって。


「えへへ、今日仕事終わったら、可愛いキーケース買いに行こうかな!」


 そんな事を考えながら、彼に脱がされた彼の服を拾い集めて洗濯機の中に入れた私は、ちょっと気持ち悪いけど同じ下着を身に着けた。

 特に下は良介に虐められて凄い染み作っちゃったから、余計に履くのに抵抗あったけど仕方がない。

 自宅までの我慢だ……。


 昨日は一方的に虐められてばかりだったけど、今度は私の番だから覚悟しろよと、まだ気持ち良さそうに寝ている彼の頬にまたキスを落として静かに部屋を出た。


 まだ寝ざめて間もない街は静かで、駅までの道のりが凄く心地よい。


 昨夜は凄かった……。

 私の体と良ちゃんの体が溶けて1つになってしまったんじゃないかって程、彼との行為に夢中になっていた。

 全てを曝け出して、体全部で思いをぶつけ合った――そんな感じの夜だった。


 ただ……翌日仕事の日は、あれは控えた方がいいかもしれない。

 ハッキリ言って物凄く眠いのだ……。


 彼と一晩過ごして、新しい自分になれた気がする。

 これから彼と一緒に過ごす時間が楽しみで仕方がない。

 ドキドキワクワクなんて子供みたいな気持ちかもしれないけど、今の私の気持ちを表そうと思ったら、これが一番しっくりくる表現なのだ。


 駅に着いても乗客はあまりいなかった。

 改札を潜ってホームで電車を待とうとベンチに腰を下ろした時、昨日着信があった事を思いだして鞄からスマホを取り出して立ち上げると、予想していた相手からの着信とメッセージが届いていた。


 メッセージを開くと、同期の女の子達からあれからどうなったと問う内容で、既読もつけなかった事で大方察しているんだろう。それ以降は何も送ってきていない。

 一応着信に今気が付いたと嘘をついてみたんだけど、きっと昼休みに色々と訊かれるんだろうなと溜息をついてみたけど、ホントは全然嫌じゃなかったりする。

 だって、大好きな人と付き合う事になった事を話すんだから、嫌なわけがない。

 というか――嬉しいに決まってるんだから!







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