第32話 間宮 良介 act 12 予定になかった告白

 駅前に出て涙ぐんでいる彼女を人目に晒さないようにと、俺は広場の隅に彼女の手を引いて誘導した。


「何やってんの、優香ちゃん」

「……だ、だって、良介君がどっかいっちゃうんだもん! 置いて行かれると思ったんだもん!」


 目にいっぱいの涙を溜めて、優香ちゃんが必死に訴えてくる。

 置いていくとか子供かと言いそうになったけど、それを言ってしまうと溜まった涙が流れ出す気がしたから飲み込んだ。


「……だからって、周りの迷惑も考えろよな」

「……う、うん。ごめん……ごめんね――ヒッ、ヒック」


 とうとう癇癪まで起こしだしてしまった。

 なにもそこまでと思う反面、俺のとった行動のせいで彼女をそこまでさせてしまったのだと考えると、さっきまでの怒りが消え失せて申し訳ない気持ちになった。


「……ご、ごめん。俺も……その、言い過ぎたよ」


 言うと、彼女は俯きながらブンブンと首を左右に振った。


「……ううん、私が悪いの。腹が立ったからって酷い事言ったんだから……」


 優香ちゃんの俯く先に彼女の手を握る自分の手が見えて、咄嗟だったとはいえ彼女と手を繋いだままだった事を思いだして、慌てて繋いでいた手を離そうとしたけど、握られている手にギュッと力を入れられて解く事が出来なかった。


 そんな彼女に罪悪感が増したのと同じ位に、愛おしいと思う気持ちが大きくなった俺は、繋いでいる優香ちゃんの手の甲を反対の手で優しく包み込んだ。


「もういいから……帰ろう」


 俺は出来る限り優しくそう言うと、彼女は俯いて黙ったまま小さく頷いた。

 俺達はようやく帰宅する為に駅のホームに向かった。

 ホームで電車を待っている間、俺達に会話はなかった。

 あんな事で喧嘩する前までは、本当に楽しい時間を過ごしていたのに……。今は俺達の間に重苦しい空気が流れている。

 だけど、優香ちゃんは怒ってはいないようだ。

 その証拠に繋いで手を解く事なく、今でもずっと繋いでいてくれているから。

 そっと隣に立っている彼女の顔を横目で見てみると、もう涙は流れていないようだったが、その目はかなり腫れてしまっている事が見て取れた。

 優香ちゃんは怒っている感じでもなく、悲しんでいるようにも見えなくて、何だか真剣は表情で線路の先にある看板を見つけていた。


 電車がホームに滑り込みドアが開く。

 電車に乗り込むと車内はそんなに混雑しているわけではなかったが、優香ちゃんは何故か当然のようにドア横の壁側に立って背中を壁に預けた。

 それにつられて、俺は首を傾げながらも壁に手をついて彼女の周囲にスペースを作り、他の乗客が空いているシートを埋めた所で電車が走り出した。

 それから駅に停車する度に乗客が次々と乗ってくると、その度に余裕があったスペースが少しずつ狭くなり、俺と優香の距離も縮まっていく。


「とっとと!」


 片腕だけで支えられていた優香とのスペースの維持が難しくなり、上体を優香ちゃんの方に持っていかれそうになるのを慌てて両手を壁に当てて踏ん張った。


(近い!近いって!)


 少し頬を赤らめているのがよく分かる距離まで、お互いの顔が近付いてしまって余計に空気が悪くなってしまった気がした。

 だけど、それがきっかになったのかは分からないけど、ずっと黙ったままだった優香ちゃんの小さな声が聞こえた。


「……さっきは、ホントにごめんなさい」

「それはもういいって言ったろ? それにお互い様なんだから謝らないで欲しいんだけど」


 何を言い出すかと思えば、さっき解決した話を繰り返し謝ってきた。

 あれはお互い様なんだから、もう忘れて欲しいとさえ思ってたんだけどな。

 そもそもだ。あの程度の事で怒鳴ってしまった俺の器の小さなを痛感させられただけで、彼女は自分の価値観を話しただけなんだから勝手に苛立った俺だけが悪いとさえ思ったんだから。

 ていうか、なんだろ。

 優香ちゃんは謝っていても、何だか嬉しそうに見えるんだけど……。


「……えっと、どうしたの?」

「……うん。へへ、何だか楽しかったなぁって」


 楽しかった? 確かに口論になるまでは俺も楽しかったけど、それからは胃が痛くなる思いしかしてないんだけど……。


「楽しかったって……何が?」

「良介君に怒られた事が……かな」


 うん?もしかして優香ちゃんはそっちの気がある……とか?


「それってもしかして?」

「! 違うから! そんなんじゃないから!」


(だよね?焦ったぞマジで)


 ていうか結構な満員状態の電車の中だから、否定したい気持ちも解るし、俺が訊いた事だからってもの分かるんだけど、もう少し声を小さくして貰えたら有難いなぁ。なんて事考えてたら、優香ちゃんは声のボリュームを下げて話し始めた。

 きっと俺の願いを神様がきいてくれたんだろう。


「えっとね。自分で言うのもなんなんだけどさ、私って昔から男の人に面と向かって否定された事ないんだよね。必ず途中で相手が折れてくれて、私の考えが通るっていうか……」


 言いたい事は分かった。

 つまり、彼女に嫌われたくない一心で、咄嗟に自分の考えを曲げる奴ばっかりだったんだろう。

 彼女はそれが当然の人生を生きてきたから、きっと俺が物珍しいんだろう。


「……う、何となく言いたい事は分かった。それで? 自分の考えを否定されて驚いたって事?」

「だからさっき言ったじゃん。驚いたんじゃなくて、良介君と言い争ってるのが楽しかったんだよ。置いていかれそうになった時は泣きそう……ううん、泣いちゃったけど……ね」


 照れ臭そうにふふっと笑う優香ちゃんは、さっき俺の手を強引に掴んで泣いていた彼女と同一人物なのかと疑いそうになるほど、凄く楽しそうだった。


「あの……ね。自分も知らなかったんだけど、私って気になる人の事は何でも知りたがる女だったみたいなんだ……そんな女ってウザイ……よね」


 それをウザがるかどうかなんて人それぞれだと思う。

 少なくとも俺も優香ちゃんの事なら何でも知りたいって思ってる側の人間で、そんな俺が彼女を否定する事なんてあるわけがない。


 ――というよりも……そんな事よりも……だ。


「……気になる人って?」


 言うと、彼女はハッと自分の口を両手で塞いだけど、後の祭りだろう。


 そんなやりとりと繰り返していると、次の駅に到着と同時にまた沢山の乗客が乗り込んできた。

 さすがにこれは珍しい事だ。

 帰宅するこんな時間に朝のラッシュとそう変わらい程の客が乗り込んだんだ、俺も彼女も驚くのは無理もない。


 とうとう手を着くのがキツくなってきた俺は、朝のラッシュ時の時と同様に、両肘を壁に押し当てて踏ん張った。

 それにより優香ちゃんとの距離が更に縮まってしまって、俺を見上げている彼女の吐息が顔にかかってしまいそうな距離感になってしまった。

 始めて電車で出会った時もこうだったな。

 あの時は恥ずかしくてお互い目を逸らしたんだけど、今はこの距離でお互い目を逸らさずに見つめ合っている。


 恥ずかしい思いは勿論ある。だけど、今だけは絶対に目を逸らしては駄目だと思った。


『気になる人』


 この言葉が俺の頭の中で何度も何度も巡っていて、全く気持ちが落ち着いてくれない。

 その時だ。

 こんな満員電車の中で絶対に言ってはいけないと思う言葉が、自然と俺の口から零れてしまった。


「お、俺……優香ちゃんの事が……好き……だ」



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