第31話 間宮 良介 act 11 喧嘩!?

 何だか気分が盛り上がった分、今は体が重い。

 もしかしたら、あの時彼女は俺とどこかへ行こうと誘ってくれるのかと期待していた。

 実際は東の邪魔が入って、優香ちゃんが何を言おうとしたのか分からなくなってしまったのだが……。


 というか、期待するんじゃなくて俺の方から誘えば良かった話で、それが出来なかった俺が東に文句を言う資格なんてないんだ。


 とにかく一緒にいる時間が少しでも欲しいって思ってる。

 だけど、それは彼女の生活を邪魔してまで欲しているわけではない。

 彼女は彼女の生活や人付き合いがあるんだから、それを邪魔してまでってのは傲慢だと思う。


「……ふぅ」


 軽く溜息をついて気持ちを切り替えて、帰ってレポートを制作しようとトボトボと歩いていた足にグッと力を込めた時だった。


「良介君!!」


 勢いをつけたハズの足が地面に張り付いて動きが止まった。


「はぁ、はぁ……もう……歩くの早いよ」


 目を見開いて後ろへ振り返ると、そこには走ってきたのか息苦しそうに両手を両膝に当てている彼女がいた。


「優香ちゃん!? え? どうして!? 親睦会は!?」

「えへへ……逃げてきちゃった!」


 後頭部に手を当てながら親睦会を欠席した経緯を話す彼女の呼吸が、まだ少し荒い。

 走りにくいリクルートスーツとパンプスで追いかけてきてくれた現実に、俺は溢れ出しそうになる喜びをグッと押し込んだ。


 ついさっき頭の中で彼女の生活があるんだからと格好つけていたくせに、目の前の彼女を見て鼓動が早くなっている自分に呆れる。


「え? そんな事して大丈夫なの!? 東さんが黙ってないんじゃないか!?」


 そうだ。この状況を手放しで喜んでいる場合じゃない。

 俺個人としては凄く嬉しい状況ではあるけど、優香ちゃんの立場を考えたらマズい事は間違いないはずだ。


 気持ちは東に勝った気分でガッツポーズでもしたい気分だったけど、優香ちゃんの事だけを考えたら東達の元に帰すのが正解だろう。


「私は戻らないからね!」


 まるで俺の心が読めているかのように、皆のところに戻そうと口を開こうとした時、彼女は真っ直ぐに俺の目を見てそう言い切った。


 知り合ってまだ日は浅い方で、彼女の事をよく知っているわけではないけど、短い時間でも分かってる事がいくつかある。

 その一つが、彼女は芯が強い女性だという事。

 要するに、周りに流されず1度言い出した事は簡単に覆さない人なんだ。


「はぁ……分かったよ」


 溜息交じりに仕方がないなという風に答えたけど、本音は飛び上がる程嬉しかったくせに……よく言うよ、俺。


「うむ! 分かればよろしい! てことで寄り道しながら一緒にかえろ!」

「うん!」


 屈託のない笑顔でそんな事言われたから、今更東がどうのって話す気になんてなくなって、思わぬ帰宅デートが出来るのを素直に喜んでレポートは明日だ!明日!


 駅前のスタバで少し休憩をと、注文口の順番待ちをする。

 順番が回ってくると、気合を入れている俺を不思議そうに見ていた優香ちゃんが先に注文を通した。


「グランデバニラノンファットアドリストレットショットノンソースアドチョコレートチップエクストラパウダーエクストラホイップ抹茶クリームフラペチーノをお願いします。」


(やるな!)


 注文を終えた優香ちゃんに熱視線を送ると、彼女は首を傾げて窓口の前を空けてくれた。


(うっし! やるぞ!)


「じゃあ、俺は・・・トールバニラノンファットアドリストレットショットチョコレートソースエクストラホイップコーヒージェリーアンドクリーミーバニラフラペチーノをください。」


 注文を告げた俺は、小さくガッツポーズを作る。


 お互い注文していた飲み物を手に取り、空いているテーブル席に腰を落とすと、もう我慢出来ないって感じで優香ちゃんが俺に問いかけてきた。


「ねぇ、どうして注文した後ガッツポーズしてたの? それに注文する前も何だか様子が変だったけど」


 よくぞ聞いてくれた! 変ってのは聞き捨てならんけどな。


「それはな……初めてスタバの呪文を噛まずに最後まで言えたからだよ」

「……へ?」

「いっつも噛んじゃって恥ずかしい思いしてきたんだけど、ついにクリア出来たって思うとテンション上がってさ!」


 興奮気味にそう説明すると、優香ちゃんは呆れ顔で聴いていたと思ったら「ぷっ!」と突然吹き出した。


「んふふふ……ククッ……あははははは!! な、なにそれ!? そんな事にあんなに気合いれた顔してたの!?」

「そんな事ってなぁ……てか笑い過ぎだろ。周りの客にメッチャ見られてんぞ」

「だ、だって……ククッ! む、無理……我慢出来ない……はぁはぁ、お腹痛いよ~」


 ガッツポーズを作った理由を聞いて、優香ちゃんは出来るだけ声を殺そうとテーブルに突っ伏していたが、無意味な程の笑い声が漏れていた。


「悪かったな。好きなだけ馬鹿にしてればいいだろ」

「ご、ごめんごめん! 別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、可愛いなってね……クックックッ」


 フンと鼻を鳴らす俺は、優香ちゃんから視線を外して窓から見える景色に意識を向けた。

 平日の夕方の駅前はスーツ姿の人達が行き交いしている。

 そんな中、カフェで彼女とお茶している事に不思議な感じがした。


「……ふぅ!」


 ようやく笑いを抑える事が出来たのか、テーブルの方から優香ちゃんが息をつく音が聞こえる。

 拗ねた俺に気付いたのか、話題を変えようとしたのだろう。

 ちょっと強引だとは思ったけど、話題を今日のセミナーの事をに切り替え始めた。

 やはり優香ちゃんもセミナーのレポート制作を言い渡されているようで、憂鬱だねと苦笑いを浮かべている。

 俺もいつまでも拗ねているのは、折角の貴重な時間が勿体ないとセミナーの話題にのる事にして、レポートについて要点をそれぞれの考えを出し合っていると、いつの間に時計の針が19時を指していた。


「ねぇ、今日は親睦会があるから家には夕食いらないって言ってきちゃったから、帰ってもご飯がないから自分で作るしかないんだよね。だから良かったらご飯も付き合ってくれないかな」


 スタバを出た時、優香がそう言って夕食に誘ってきた。

 俺にとって願ってもない事で、迷う余地などなく即答するのだった。


「勿論! 何食べようか。優香ちゃん何か食べたい物ってある?」

「ん~、誘っておいてごめんなさいなんだけど、良介君にお任せしていい? 私は何でもいいからさ」

「そう? ん~、何がいいかなぁ」


 言って指を顎先に当てながら、俺達はとりあえず駅に向かった。


「優香ちゃんってステーキとか好き?」


 言って駅前に着いた俺は脇道からひょっこりと出ていた看板を指差す。


「わぁ、ステーキハウスじゃん! うん、お肉大好きだよ!」

「んじゃ、あそこ入ろうか」


 指差す前に店名をチェックして検索をかけてみたら、値段はそこそこするだけあってステーキの味とサービス内容の評価が高かったのだ。これが食べたいって物を思い付かなかった俺はそのステーキハウスを指差したのだが、どうやら喜んでくれたみたいだ。


 店に入って案内された席に着いた俺達は、それぞれメニューを注文して運ばれてきた水で喉を潤した。


「ところで、本当に親睦会ドタキャンして大丈夫だったのか?」

「大丈夫、心配しないで。それに元々、参加したくなかったんだよね」

「そうなの? どうしてか訊いていい?」

「うん、親睦会自体は別に嫌じゃないんだけどさ……」


 優香ちゃんが言うには親睦会を嫌がっていたのは、事前に同期の子から聞いていたのが原因らしい。

 それは親睦会の1次会は同期達の食事会だから問題はないのだが、問題は2次会以降に先輩社員達が同流する事になっていたからだと話してくれた。


「なるほどな。そんな席に優香ちゃんがいたら野郎共の餌食になってただろうな」

「ん~、よく分からないんだけど、個人的にも前から色々誘われててずっと断ってたんだよね。だからまたしつこく誘われるんじゃないかった憂鬱だったんだ」

「そっか。確かに優香ちゃん狙いの社員も少なくないって、東さんも言ってたもんな」


 言って、東の言っていた通りライバルは相当にいるんだと溜息をついていると、俺をポカンと見る優香の視線が気になった。


「え? な、なに?」

「……今朝から気になってたんだけど、東さんと何かあった?」

「え? な、何かって? 別に何もないけど?」

「ホントに? じゃあ東さんと何時そんな話したの?」

「えっと……それは……その」

「……言いたくないのなら、無理には訊かないけど」

「……ごめん」


 失言だったと後悔して言葉を詰まらせていると、料理が運ばれてきたのを利用して「とりあえず食べようか」と誤魔化した。

 評判通りステーキはかなり美味かったんだけど、あれから彼女の口数が激減した。料理について色々話題を振ってみたんだけど、相槌みたな返答が返ってくるだけ。


 結局食後の珈琲を飲んでいる時ですら、彼女から何か話してくる事はなかった。


「……いこっか」


 食事を終えた彼女は休憩する事なく、席を立ちながらそう言う。

 俺は気まずい空気に飲まれて、優香ちゃんの後を黙ってついていく。

 会計を済ませて店を出ても、その空気は変わらない。

 駅に向かう間も沈黙を嫌った俺は色々と話しかけたんだけど、店を出てからとうとう優香ちゃんは相槌すら打たなくなった。


 そんな彼女に我慢の限界に差し掛かった時、俺は考える前に口を開いていた。


「なぁ! 何怒ってんだよ!」

「別に怒ってなんかない!」

「怒ってんだろ! 急に態度変わり過ぎだっての!」

「だって……だって! 良介君が話しだした事なのに、途中で隠そうとするからじゃん!」


 お互いの語尾が荒くなっていく。

 ついさっきまで楽しい時間を過ごせていたのに、何でこうなったんだ……。

 それに道端で口論を始めたもんだから、周囲の視線が凄く痛いし。


「そ、それは……悪いけど言えないんだよ!」

「どうせ男同士の秘密とか言うんでしょ!? くっだらない!」


 この一言で俺の我慢の限界を超えてしまった。


「は!? くだらないってなんだよ! 君に何が分かるってんだよ!」

「くだらないものはくだらな――」


 彼女は最後まで言い切る前に、俺の顔をギョッとした様子で見て固まってしまった。

 俺はどんな顔をしていたのか分からない。


 東はライバルなんだから気にくわない存在だと思っている。

 だけど東も真剣に好意を抱いていて、彼女に危害を加える奴なのかどうかわざわざ俺を待ち伏せしてまで、それを確認する男なんだ。

 そんな奴と男の対話ってやつをした事を、対象者である彼女に話す訳にはいかない。

 例え約束したわけでもなくてもだ!


 そう思った時、俺は今どんな顔をしているのか分かった。

 多分、優香ちゃんを睨みつけているんだろう。

 やり過ぎだと思った。

 でも、今更ご機嫌取りなんて出来そうにない。


「もういい、先に帰るわ! 優香ちゃんも気を付けてな!」


 まだ固まって動かない彼女に、一方的に背中を向けて駅に向かい始めた。

 改札前で電子マネーカードを取り出して、改札ゲートを通過した時だった。

 突然、俺が通過したはずの改札ゲートからピーピー!と警告音が鳴り響いたのと同時に、袖を誰かに掴まれて引っ張られている事に気付いた。


 何事だと振り向くと、そこには切符もカードも通さずに改札を通り抜けようとして、開かないゲートから上半身だけ身を乗り出して必死に俺の袖を掴む優香ちゃんがいた。


「お、お前! 何やってんだよ!」


 あまりにも驚いた俺は咄嗟に彼女の事をお前呼ばわりしてしまった事に気付いてハッとしたけど、そんな事を言ってる場合じゃない。

 俺はすぐさま改札を引き返して、何かに怯えているような彼女の手を引いてまた駅前の広場に戻って行った。















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