第29話 間宮 良介 act 9 初デート 後編

(真っ暗でスクリーンの光しかないから、バレてないよね!?

が、頑張ってアピールするんだ!少しでも意識して貰えるように……頑張れ!私!)


 優香も必死だった。

 恥ずかしい気持ちと、はしたないと思われていないかと不安な気持ちと戦いながら、少しでも間宮との距離を詰めたい一心で頑張っているのだ。

 何を隠そう香坂は自分からこんな事をした事がない。

 恋人がいる時でも、今までは全て相手任せで完全に受け身の付き合いだったのだ。

 そんな香坂が間宮には積極的に行動している。


 ここが最大のチャンスだと見ているのだ。

 この暗闇なら多少羞恥心が表面に出てしまっても、間宮にそれを感づかれる恐れがない為だ。

 だからこそ、少しでも自分を意識して貰うおうとキャラじゃない事は重々承知のうえで、物理的に近づこうと必死だった。


 香坂は元々引っ込み思案なのは自覚している。

 誰に対してというわけじゃなく、同性にはそんな事はない。というか寧ろ積極的に関わろうとするタイプだ。

 だが、異性となると真逆の顔が現れる。

 というより少し男が苦手な時期があって、それ以来必要以上に関わらないようにしていたのだ。


 香坂は思う。

 自分の引っ込み思案な性格を間宮に理解して欲しいと望むには、とても傲慢な事なんだと。

 香坂という女を意識してもらうのでなく、意識させる努力をする事が自分の望みを叶える事になるのだと。


 本編が感動のラストシーンで終わりエンドロールが流れ始める。

 そのタイミングで半分くらいの客達が席を立ち、会場から出て行く。


 これは好き好きでどちらが正解というのはないのだが、間宮と香坂はスクロールが終わるまで、映画の余韻に浸る派だった。


 エンドロールを見つめながら、自分なりに映画の真意を探すのが好きな間宮は、何も話す事なくまだ映画の世界に潜っている。

 やがて照明が戻り映画の世界から一気の現実に引き戻された。

 いつもならこの瞬間が寂しいと感じる間宮だったが、今日は違った。

 何故ならエンドロールが終わって照明が目に飛び込んできても、隣には同じように、映画の世界から戻ってきた香坂がいたからだ。

 香坂はハンカチを取り出して鼻から口元にかけて押し当てており、声を必死に押し殺しながら泣いていた。

 余程、映画の世界に入り込んでいたのだろう。


 香坂が落ち着くまで黙って待つ事にした。

 こんな時間も悪くないと、香坂といると時間がゆっくりと、優しく流れている気がする間宮だった。


 ただ、清掃員のスタッフに微笑ましく見られてしまうのは、何だかむず痒い思いだった。


 待ち始めてから数分後、ようやく落ち着いたらしい香坂が我に返って隣に座っている間宮を見る。


「あ、ご、ごめんなさい……あ、私こういう映画観ちゃうと入り込み過ぎてしまうみたいで……」


 ようやく涙が収まって晴れ晴れした顔を見せてくれると思っていた間宮だったが、香坂の表情は申し訳ないと言わんばかりに曇っていく。

 映画に入り込んで流す涙は一向に構わない。

 だが、その後に表情を曇らせるのは違うのだと、間宮は少し香坂に顔を寄せて口を開く。


「大丈夫だよ。いい映画だったね」


 言って間宮は席を立ち、そっと香坂の頭を撫でた。


「……う、うん」


 頬を赤らめて俯く香坂に、間宮はそっと手の差し伸べて柔らかい笑顔を向けた。


「そろそろ出ようか」


 香坂は何も言う事なく、黙って差し伸べられた間宮の手を握り席を立って、手を繋いだまま会場を後にした。


「あ、あの……本当にごめんね。私って映画観るとよくこうなってしまって、一緒に観てた友達から怒られたりしてて……」


 喉が渇いたからと、休憩がてら近くにあるカフェに向かっている最中に、香坂がまた映画が終わった時の話を申し訳なさそうに話す。


「何で謝ってるのか理解できないんだけど? それにその友達が怒る理由も意味不明だ」

「え? だって、一緒にいる子がこんなんだと恥ずかしいでしょ?」

「――何が恥ずかしいんか理解出来へんわ。東京ってそんなんが普通なんか?」


 間宮はつい感情に熱が入ってしまったのか、無意識に関西弁で香坂の価値観を全否定して、尚も話を続ける。


「俺が誘った映画にあんなに入り込んで楽しんでくれたらメッチャ嬉しいし、誘って良かったって思うんやけど」

「――――」


(そんな風に言われたのは始めてだ。何だか無性に嬉しい)


 一歩前を歩く間宮の背中が大きく感じた香坂は思う。

 やっぱりそうだ。初めて会った時に感じた気持ちは間違ってなかったのだと。


(やっぱり、私はこの人を……)


「うん! ありがとう、良介君!」


 香坂は前を歩く間宮を追い越して、振り向きざまに今までで最高の笑顔で嬉しそうにそう言うと、そんな笑顔を不意打ちで見せられた間宮は顔を赤くして明後日の方に目を逸らした。


 本当にいちいち心臓に悪い事をする。

 そして心臓を踊らされる度に、目の前にいる香坂に落ちているのだと痛感させられる間宮だった。


 勿論幸せを感じているのだが、間宮は身が持たないと心の中で独り言ちたのだった。


 カフェに入って、2人は早速映画を観にいった醍醐味である、映画の感想を話し合った。

 特に香坂はあれほど入り込んだ映画だった為、トークにも熱が入り気が付けば2時間も居座ってしまっていた。


 座ってばかりだったからと、その後は大通りをブラブラと散策する事にした。

 間宮はこの通りには土地勘があり、さり気なく香坂が興味を引きそうなコースを選択して、エスコートした。

 思っていた以上に楽しんでくれている香坂を見て、間宮の心が満たされていく。

 こんな時間がいつまでも続けばいいのにと思う程に。


「そういえばさ」

「ん?」

「映画館から出てきた時、良介君関西弁話しててビックリしちゃた」

「え!? マジか!?」

「え? 気付いてなかったんだ」

「あ、あぁ、その……ごめん」

「え? 何で謝るの?」

「いや、こっちに来てから関西弁って怖いってよく言われたんだよ」

「意味分かんない! 私は関西弁って好きだよ? 何か温かい感じがするよね」


 無意識に関西弁で話していた事を気にする間宮に、香坂は関西弁の印象をそう語った。


「そ、そうか。何て言うか……ありがとう」

「お礼言われる事言った覚えないんだけど? 変な良介君だね」


 言って、香坂はウインドウショッピングを再開した。


 いつもの帰宅する電車の中だけじゃ分からなかった事。

 香坂は事あるごとに、一喜一憂して本当に楽しそうだった。

 そんな香坂を見ていると、何でもない様な事でも楽しく感じてしまう。

 それが香坂の魅力の1つで、一緒なら例えホームセンターをブラブラついていたとしても、楽しいんだろうなと間宮は思った。


 やがて日が沈み始めた頃合いを見て、間宮は夕食に予約しているレストランへ誘った。


「へぇ、ここかぁ。いい雰囲気のお店だね」

「そう? 気に入ってくれたらいいんだけど」


 言って間宮は店のドアを開けて、エスコートする。


 入った店は小洒落たイタリアンレストランだった。

 この店は飲食店が多く入っているビルの最上階にあり、事前に予約していた席は全面ガラス張りになっていて、東京の夜景が一望出来る席だった。


「うわ~、夜景が凄く綺麗だね!」


 この店の自慢の1つである夜景に目を奪われている香坂を見て、クスッと笑みを零した間宮は、早速ウエイターに予約していた料理と軽めのワインのオーダーを通した。


「気に入って貰えたみたいで良かったよ」

「うん! とっても素敵」

「……そうだね」


 キャンドルの灯りと夜景の灯りが照らす香坂はとても幻想的で、間宮は自分の中にある気持ちが更に大きくなったのを感じた。


 ウエイターがコース料理の前菜と、グラスワインをテーブルに綺麗に配膳して席を外した時、グラスを手に持った間宮に香坂が待ったをかけてきた。


「乾杯の前に……良介君、分かってるよね?」

「ん? 何のこと?」

「今度こそ、ここは私が払うからね!」


 言われて今日一日支払わせてくれなかった香坂の不満に気付いた間宮だったが、夜景に目を逸らしつつやれやれと苦笑いを浮かべた。


「食べる前から、支払いの話とかよそうぜ」

「その言い方ズルいよ、良介君!」


 言うと、2人はプッ吹き出して笑い合った。


「でも、本当に素敵な眺めだよね」

「あぁ、初めてここに来た時はオッサン4人で眺めてて、かなり可笑しな絵面だったけどね」

「なにそれ、ウケる!」


 楽しそうにクスクスと笑みを零す香坂を見て、この笑顔が幸せな気持ちにさせてくれるんだなと、間宮の心が温かくなった。


 少し話してから、お互いワインが注がれているグラスを手に持つ。


「えっと、その……は、初デートに乾杯?」

「何で疑問形なの? ふふっ、乾杯」


 チ~ンという綺麗な音色を響かせて、ワインを口に含み食事を始めた。

 見た目も綺麗なイタリア料理に舌鼓を打ちながら、会話も弾んで楽しい時間が過ぎていく。


「へぇ、良介君って1人暮らしなんだ」

「あぁ、さっき無意識に出たみたいだけど、大阪出身で大学がこっちだったから引っ越してきて、そのまま就職したんだよ」

「そっか、良介君って大阪の人だったんだ。実は大学の頃の友達とね、仕事が落ち着いたら大阪に旅行に行こうって話してるんだけど、今度お薦めスポットとか教えてよ」

「いいよ。マニアックな観光ルート考えておくよ」


 言って笑い合った後に、ふと夜景に目をやった香坂がふぅと小さく息をついた、


「1人暮らしかぁ、いいなぁ。私もしたいんだけど、お父さんが許してくれなくて……ね」

「そりゃあ、こんなに綺麗な娘をもつ父親なら、心配で仕方がないんだろうね」

「え!? き、綺麗て……その」


 思っている事を言葉にした間宮だったのだが、顔を赤くしてモジモジと俯く香坂を見て、今更のように誤魔化そうと思考を巡らせた。


「い、いや! き、綺麗っていうのは……そう! 世間一般的な美的感覚の話であって……」


(……何言ってんだろ……俺)


「じ、じゃあさ……良介君の美的感覚で見た……私は?」


 まさか、こんな訳の分からない言い草に乗ってくるとは思っていなかった間宮は、ングッと言葉を詰まらせた。


 香坂はそう訊いた後、モジモジと俯いたまま視線だけを間宮に向けて返事を待っている。

 頬を赤く染めてそんな仕草を見せる香坂に、間宮は心の中で反則だろと叫んだのだが、誤魔化しても無駄だと諦めて思って事を口にする事にした。


「き、綺麗にきまってるじゃん。気の利いた言葉が出て来なくて申し訳ないけどな……」

「ふふっ、いいよ。良介君らしいしね」

「うっせ!」


 照れ臭そうにそっぽを向く間宮に、香坂は終始クスクスと静かに笑っていたかと思うと「良介君」と夜景を見ている間宮の意識を戻した後。


「ありがとう。凄く嬉しいよ」


 夜景に光に照らされた香坂の満面の笑みが、間宮の心に溶けていく。


「本日のデザート、柚子のシャーベットになります」


 夜景とキャンドルの灯りに照らされた笑顔に言葉を詰まらせた間宮に変わって、デザートを運んできたウエイターに香坂が「ありがとう」と告げると、ウエイターは少し天井を見上げてこんな事を言うのだ。


「このお席だけ何故か空調の調子が悪いようで、溶けないうちにお早目にお召し上がり下さい」


 言ってニッコリと微笑み、ウエイターは席を外した。


 ウエイターなりのリップサービスだったのだろうが、今の間宮達には毒だっただろう。

 その証拠にさっきの会話も相まって、間宮だけでなく香坂も茹で上がった蛸のように真っ赤になっていた。

 因みにだが、最後に出てくる食後の珈琲を運んできたスタッフもさっきのウエイターだった為、2人は視線を合わせる事が出来なかった。


 珈琲の豊かな香りで固まっていた思考が解れたのか、それから少し話し込んでいると、間宮の腕時計のアラームが小さい音量で鳴った。


「もうこんな時間か。それじゃ、そろそろ出ようか」

「うん。そうだね」


 21時を指す時計を見ながらそう言うのと同時に、テーブルの下にあるポケットに仕舞われている伝票を手に取ろうとした間宮だったが、手探った先に伝票がない事に気付いた。


「あ、あれ?」

「どうしたの? 帰るんだよね?」

「あ、あぁ、そうなんだけ――」


 そこまで言って間宮はハッとして顔を上げて、席を立っている香坂を見た。


「あ! それ!」


 指さす先は香坂が手に持っていた伝票だった。

 香坂は何も答えずに、間宮が席から立つのを待つことなく店の出入口にある会計と表示されている所に歩き出した。


「ち、ちょっ!」


 間宮は慌てて席を立ち後を追うが、追い付く前に伝票をスタッフに手渡されてしまったが、まだ間に合うと財布を取り出したのと同時に、香坂がクレジットカードをスタッフに手渡して「一括で」と告げていた。

 間宮が完全に追い付いた時には、無情にもカードが読み取られた後で、もうこの場で間宮に出来る事がなくなってしまっていたのだ。


 唖然としてる間宮を他所に、会計を済ませた香坂は涼しい顔で店を出て行き、間宮も困惑した表情のまま後について店を出た。


 エレベーターを待っている時、また財布を取り出そうとしている間宮を見て、香坂は間宮の肩にポンと手を置いて勝ち誇った顔でこう言うのだ。


「私の勝ちよ。諦めなさい」と……。


 エレベーターを降りてビルを出た。

 都心の街はこれからが本番と言うかのように、ネオンがギラギラと輝いている。

 そんな街の光を浴びながら駅に向かう香坂に、納得がいかないと間宮が呼び止めた。


「なぁ、頼むから払わせてくれよ」

「だ~め!」

「いや、あそこは俺が支払うつもりで予約した店なんだから」

「そんなルールなんて存在しませんよ」


 間宮の言い分はこうだ。

 始めから御馳走する事を前提で探した店だったから、値の張る店を選んだのだ。

 実際、結構な額だったはずで、そんな経緯で入った店の会計を割り勘だって可笑しな話なのに、連れてこられた方が全額支払うなんてあり得ない事なんだと主張する。


「そんなの知らないよ。それにお店で張る見栄はもう必要ないんだから、諦めさないって」

「見栄とかじゃない! 俺が優香ちゃんに支払わせるのが嫌なんだよ!」

「女は支払って貰うのが当然で、男の人は支払うのが当然とか……いつの時代のお話って事だよ。まぁ、今でもそんな考えの女の人もいるかもだけど、私はそういうの嫌いなの」


 言って、香坂は胸を張って星が全く見せない空を見上げた。


「ん~! 風が気持ちいいね」


 ネオンや街灯、走り去る車のヘッドライトとブレーキランプ。それらの交じり合った光が香坂を彩る。

 沢山の人が行き交いする中でも、香坂の存在が褪せる事はない。

 少なくとも間宮には、そんな大勢の人達ですら引き立て役にしか見えなかった。


 沢山の人影に囲まれて香坂の姿が見え隠れし始めた時、間宮は何故が言い表せない感情を抱いた。


「何してるの? まだ私が会計を済ませたの気にしてるの?」

「……え? あ、いや……それは諦めたよ。ご馳走様でした」


 間宮が言った事は嘘ではない。

 ただ、諦めたのは得体のしれない感情を抱いた時で、その直前までは変らず気にしていたのだ。


「どういたしまして! それじゃ帰ろっか」


 笑顔をで言う香坂は、間宮が隣に並んでから止めていた足を駅に向かって進めた。


 間宮達は電車に乗り込んで、混雑している車内でいつものように壁際で間宮が作ったスペースの中に香坂が潜り込んだ状態で、今日一日あった事の話に華を咲かせていると、あっという間に香坂の自宅の最寄り駅であるV駅周辺まで迫った事をアナウンスが告げた。


「今日はありがとう、良介君」

「俺の方こそ、ありがとう」

「ホントはね? 良介君に会うまでは凄く緊張してたんだけど……今日一日、本当に楽しかった」

「それは俺もだよ。本当に楽しかった」

「おやすみなさい」

「……うん。おやすみ」


 電車が完全に停車するのを待ってから、間宮は香坂を包んでいた腕を降ろすと、腕の中から出て開いたドアの方へ手を小さく振りながら歩き出す。


「あ、あのさ! 良かったらまた会ってくれないかな」


 その言葉が香坂に届いたのかは微妙なタイミングだった。

 その証拠に香坂は立ち止まる事なく、電車を降りてからも間宮の誘いに反応を見せなかったのだ。


 半ば諦めた時、電車のドアが閉まった。

 ホームで大勢の行き交いする乗客達が壁になり、完全に香坂の姿が見えなくなった。

 間宮は一旦視線をさっき降りた乗客達が降りていく階段の方に移してから再びドアの方に視線を戻すと、その先には見失ったはずの香坂が間宮をジッと見つめていた。


 次の瞬間。電車がゆっくりと動き出した時、強張っていた間宮の表情が一瞬で明るくなった。


 香坂が少し恥ずかしそうに、親指と人差し指をくっつけてOKのサインを作っていたからだ。

 遠くなっていく香坂を可能な限り目で追いかけていると、香坂の口の動きが「楽しみにしてる。またね」と言っているのが間宮には分かった。


(もう駄目だ。止まらない、絶対に止まらない!ライバルが多い?そんな事知るか!)


 この思いを絶対に伝えようと、今日一日隣で見てきた香坂を思い出しながら、強く決心した初デートの帰り道だった。










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