第25話 間宮 良介 act 5 初デートへの決意 前編

 翌日、行きつけになりつつある会社から徒歩3分程の場所にあるカフェバー『scene』のカウンター席でナポリタンを食べながら、何度も溜息をつく俺にママである杏さんが抗議の声を上げる。


「ちょっと、間宮君! そんな顔で食べないでくれる!? すごく不味いみたいじゃない!」

「あ、すみません。美味しいですよ」


 確かに失礼だったよな。杏さんが怒るのは当然だ。


 シュンと反省している俺の隣で、同じナポリタンを頬張っていた松崎がニヤニヤと笑みを浮かべていると思ったら、不意にとんでもない事を言い始めた。


「まぁまぁ! 今日は勘弁してやって下さいよ、杏さん。こいつ今、愛しの優香ちゃんとの初デートの事で頭がいっぱいなんですよ」

「松崎! お前!」


 優香という女性の名前と、デートという単語にすぐさま反応した杏さんが俺の前ににじり寄ってきた。


「え!? なになに!? 間宮君彼女できたの!?」

「いや~、まだそこまでの関係じゃないんですけどね! 今度の初デートで決める気満々なんですよ!」


 何故お前が自分事のように話すんだよ……松崎。


 でも、そうなんだ。俺は今度優香ちゃんとデートする事になったのだ。


 ◆◇


 デートにこぎ着けられた経緯はこうだ。


 この前イレギュラーで一緒に食事をした時、帰り際に会話の流れで彼女と連絡先を交換したのだ。

 名目上は、東と何かあったらすぐに駆け付けたいからという建前だったんだけど、実際はあれからトークアプリのやり取りをするようになったんだ。

 勿論、東の件で何かあったら動くつもりではいるんだけど、あれから社内ではギクシャクした空気になってしまったらしいが、特に何かしてきたという事はないらしい。


 連絡先を交換したおかげで、帰宅時間を事前に連絡を取り合えるようになったから、もう偶然を装う必要もなく堂々と会う事が出来るようになったのは、本当に嬉しかった。


 そんな帰宅する楽しみが出来たある日の事だ。

 いつものように電車に揺られて今日一日あった事を話し合っていると、優香ちゃんが電車内の天井に張り出されている映画の広告に気付いて、話題はその映画に移った。


「あ、これって最近よくCMしてるやつだよね」

「ん? あぁ、そうだね。興行収入が凄いらしいよ」

「そうなんだ、面白いのかなぁ」

「優香ちゃんって1人で映画観にいける人?」

「ううん。そこまで好きってわけじゃないから、やっぱり1人は……ね」


 そう言う優香ちゃんの顔から、何が言いたいのか分かった気がして、手摺りを握る手にギュッと力を込めて思い切って言ってみた。


「じゃ、じゃあさ! 良かったら今度お、俺と一緒に観にいかない?」

「えへへ~。実はそう言って欲しくてカマかけてました」


 言うと、優香ちゃんは頬を赤く染めて、恥ずかしそうにモジモジと両指を絡めていた。


 普段はしっかり者の優香ちゃんだけど、こんな一面もあるのか……なんていうか可愛いな。


「な、何か言ってよ。恥ずかしいじゃん!」

「あ、ご、ごめん……うん、行こうよ! 映画!」

「行く! 行きたい! 連れていって、良介君!」


 モジモジと恥ずかしそうにしていた優香ちゃんの顔が、一気にぱぁっと明るくなって、俺も一緒に出掛けられる嬉しさを噛み締めた。


 それから俺達に沈黙が生まれた。

 だけど、決して嫌な沈黙じゃなくて何とも表現しにくいんだけど、家路を急ぐ騒がしい車内で俺達の間だけ優しい空気が流れている……そんな感じだろうか。


「えっと、映画を見に行く日なんだけど、優香ちゃんって今度の土曜って予定あったりする?」

「土曜日は午前中にちょっと予定があるんだけど、午後からなら大丈夫だよ」

「そっか。それじゃあ昼頃に待ち合わせて、どこかで昼飯食べてから観に行くって感じでいい?」

「りょ~かい! 楽しみにしてるね!」


 言って、優香ちゃんは本当にいい笑顔を見せてくれた。

 俺と出掛ける事に、そんな笑顔を見せられたらどうしても期待せずにはいられない気持ちになった。


 その後、少し当日の話を詰めて、どうせだからと近場の映画館ではなく都心まで出て映画メインで遊びに行こうという事になった。


 V駅に到着して優香ちゃんが電車を降りる前に、ニッコリと微笑んで口を開く。


「それじゃ、日曜日楽しみにしてるからね、良介君!」

「うん、俺も楽しみにしてるよ。またね」

「うん! またね!」


 俺はこうしてデートの約束を取り付けた事で、現在sceneで当日の事を思い浮かべて溜息ばかりついているのだった。


 ◇◆


 さっきから溜息ばかりついているのは自覚してる。

 原因は優香ちゃんのデートの事だって杏さんに言った事も正解。

 だけど、面白おかしく杏さんに話す事ないだろ。


「なぁ、この年で女と遊びに行く事に、そこまで緊張してる意味が分からないんだけど?」


 松崎の言う事は正論なんだろう。

 俺だって思春期の中高生じゃあるまいし、こんなに緊張するなんて思ってなかった。


「俺だって自分でビックリしてるよ」


 初めて彼女が出来た時だって、こんなに緊張した記憶がない。

 優香ちゃんと付き合ったわけじゃない。只、話の流れで映画を観に行くってだけだ。

 なのに、何でこんなに緊張すんだよ。


「その子の事好きなの? ねぇ、馴れ初めとか聞かせてよ」


 ほら、自称永遠の麗らかなる乙女の杏さんが喰いついてきたじゃんか。


「放っといて下さいよ」


 ムスッとした顔を作りながら、運ばれてきたナポリタンを勢いよくまるでラーメンを啜るように食べ始めた。


「あらら、揶揄い過ぎちゃったかしら」

「クックックッ、あの年でまるで中坊の初恋みたいでウケるでしょ」

「ふふ、可愛らしくていいじゃない」

「あいつ、自分から誘ったくせに上手くいかなかったらどうしうって、本気で悩んでんすよ」


 黙ってナポリタンを口に運んでいる間も、俺の事で松崎と杏さんが盛り上がっている。

 実に面白くない状況だ。


 流し込むようにナポリタンを完食して、水を一気に飲み干したグラスを強めにタンッ!とテーブルに置いて、俺の話で盛り上がっている2人にジト目を向ける。

 杏さんは「あらら」と白々しく口元に手を当てて、松崎に至ってはニヤニヤした顔を崩そうともしない。

 俺が女の事で悩んでるのが、そんなに面白いのかよ……ったく。


「仕事に戻るんで、金ここに置いときます。ご馳走様でした」


 一方的にそう言って、2人に何も話さずに店をでてやった。


 ◆◇


「あれ? こんばんは、良介君。偶然乗り合わすのって久しぶりだね」

「そ、そうだね」


 連絡先を交換してから、お互い時間がある時は事前に連絡を取り合い帰宅時間を合わせて、帰宅する電車に乗っている時間だけ会うようになった。

 だから、こうして偶然に会うのは久しぶりだと話すのは間違っていない。

 間違っているのは優香ちゃんは偶然だと思っている事が、実は俺がタイミングを計っていたって事だ。

 尾行してたわけじゃないけど、人によってはストーカー呼ばわりされても仕方がない事だと自覚している。


 いつか話さないといけないと思ってるんだけど、彼女の存在が俺の中で大きくなっていく度に、話し辛くなっていた。


「そ、そういえば今日もあいつ大丈夫だった?」


 あいつとは、彼女にまとわりついていた東という男の事だ。


「うん、仕事の事は普通に接してくれてるから、大丈夫だよ。チラチラ見てくるのが気になるけど、良介君と知り合う前に比べたら全然問題ないよ」

「そっか、それなら良かった」

「ふふ、心配してくれてありがとう」


 嬉しそうにはにかむ彼女が可愛くて直視出来ずに目を逸らしてしまう俺は、間違っているんだろうか。


「そりゃするでしょ! 揉めたのは俺のせいなんだから」

「あはは、良介君のせいじゃないよ。私があんな風になるまでハッキリと断らなかったのが悪いんだよ」


 そこまで言わないと分からない東が悪いんだと思う。

 逆に言えば、あんな状況になるまでしつこく付きまとっていた奴なんだから、あれくらいで大人しくなるとは到底思えない。


 となれば、まだナイト意識は継続しておいた方がいいだろう。


「あ、話変わるんだけど、日曜の事なんだけどさ」

「うん。あ……もしかして都合悪くなっちゃった?」

「違くて!」


 何が起ころうとも、例え親父が急死しようとも……やっぱり今のはナシだ、縁起でもない。

 とにかく日曜日のデートを俺からキャンセルするなんてあり得ないんだ。


「ランチとか映画以外のその他諸々をさ、俺に任せてくれないかな」

「え? 良介君って都心詳しいの?」

「ほら、まだ新人だけど一応営業マンでしょ? だから顧客の商談とか接待とかであちこち利用してるからさ」


 嘘でない。嘘ではないが、俺は先輩の後ろを着いていくだけで、自分で開発した風に言ったのは嘘だ。


「そっかぁ。うん! じゃあお任せして良介君についていくね!」

「あぁ、まかせてよ!」


 この前は土地勘がない場所で、大した所に連れていってやれなかったからな。今度はホームみたいなもんだし、頑張らないとだ。


 そうグッと気合いをいれていると、電車がV駅のホームで停車した。いつも思うんだけど、優香ちゃんといると時間が経つのが早いよな。


「それじゃまたね、良介君」

「うん。また!」


 こうして小さく手を振って別れるのも、自然と出来るようになった。

 それだけ近しい仲になってきた証拠なんだと、あわよくば今度のデートで気持ちを伝えられたら……。そんな幸せいっぱいな事を思い浮かべていると、1人での帰り道さえも楽しく感じるのだ。


 間もなくA駅に到着して何時もの様に改札を潜る。

 そんな日常の事でも、何故かキラキラと眩しく映って見えるんだから不思議だ。


 日曜日の事を考えると、周りの目があるのは分かっているのに、どうしても顔が緩んでしまうな。


 こんな顔で歩いて通報でもされたら笑えないと、意識して表情を元に戻して駅を出た時、「おい!」と少しドスの聞いた声が聞こえた。

 そんな声で呼ばれる覚えのない俺は、チラっと横目で声がする方を見てそのまま駐輪所へ向かうつもりだったのだが、僅かに視界に入った姿を見て俺は足を止めた。


「……は?」


 俺がそんな間抜けな声を上げてしまった原因。

 それは呼び止めてきたのが、優香ちゃんにしつこくつきまとっていた東の姿があったからだ。


「……こんなとこで何してんですか?」


 驚きを隠そうとしたんだけど、あまりにも状況を把握出来ない俺はポカンとした顔でそう問う。


「なにって、お前を待ってたんだよ」


(……は? おまえ?)


 初対面に等しい人間に、お前呼ばわりされて苛立ちが込み上げてくる。


「俺に何の用ですか? てか何で俺の降りる駅を知ってんですかねぇ?」


 少し威嚇する視線を東に向けて、俺を待っていたという東に説明を求める。


「用件なんて優香の事に決まってんだろ! ここでお前を待ってたのは……その」

「……もしかして、この前会った時につけてたなんて言わないですよね?」


 優香ちゃんの事で邪魔な俺の居場所を探っていたとあれば、もはやストーカーの域だ。

 俺は遠慮する事を止めて、殺気を隠さずに東を睨みつける。

 それに彼女を馴れ馴れしく呼び捨てにしている事を、俺に聞き流す事なんて出来るわけがないのだ。


「いや、半分正解で、半分不正解だ」

「勿体ぶった言い方してんじゃねぇよ」


 完全にスイッチが入った俺は、もう年上だとか面識がないとか考える事なく、荒い言葉使いで東に苛立ちを向けた。


「だからあの電車を降りた後、すぐに次の電車に乗り直して帰ったんだ。でもこっち方面に用事があったからまた電車に乗ろうとしたらお前が乗ってるのに気付いて、それでお前がこの駅で降りるが見えたんだよ」


「それって十分にストーカー行為だって思わないか!?」


 ここで俺を待っていた経緯を聞かされて、大きな溜息をついてそう問いただした。


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