第22話 間宮 良介 act 2 ~再会~

「おーい! 聞いてんのか!? 間宮」

「え? はい。見積もりの注意事項ですよね!?」

「あほか! 誰もそんな事教えてねぇよ!」

「す、すみません!」


 ここ数日ずっとこんな感じだ。

 先輩が色々教えてくれているのに、まるで頭に入ってこなくて上の空ってやつだった。


 いや、数日と言ったけど元々入社したから、あまり順当だとは言えなかった。

 何故なら自分が希望していた部署に配属されなくて、営業部に配属されてしまったからだ。

 俺はエンジニアの仕事がしたくてこの会社を希望したはずなのに、人的な都合とやらで強引に営業部に送られた。


 面接の時にハッキリと希望を伝えたはずなのに……なんでだよ。


「おい、間宮! これから顧客回りすっからついてこい!」

「は、はい!」


 という具合で元々上手くいってない状況に加えてこの数日特に酷いのは、ずっとあの朝のラッシュ時の電車の中で出会った彼女の事が、頭からひと時も離れないのが原因だ。

 四六時中あの人の事を考えてたら他の事が入ってこないのは当然で、先輩が怒るのも無理もない。

 自分なりに切り替えようとしてるんだけど、ちょっとでも気を抜くと頭の中が彼女の事で一杯になってしまう。


「……はぁ」

「おいおい、さっきから溜息ばっかついてんなよ。辛気臭えなぁ!」


 昼休み、食堂で同期の松崎と飯食ってたら、俺にそう苦言を漏らす。


「……悪いな……はぁ」


 溜息ばかりついてたら、周りの人間だっていい気分じゃないのは分かってる。分かってるんだけど、癖みたいになってしまっていて止められない。


「ったく! おい、間宮。今晩って空いてんのか?」

「……へ? あ、あぁ……仕事が終われば特に何もないけど?」

「んじゃ仕事引けらた付き合え。悩み相談ってやつやってやるからさ」


 自分から悩み相談とか言ってる奴に限って、大して人の話を聞かない奴が多いと思ってる俺だったけど、何故か松崎の話にのってしまったのは、それだけ重症だったからなんだろう。


 まだ新人だった俺達に任される仕事なんてたかが知れていたから、あっさりと定時で仕事を終えて真っ直ぐ駅前の居酒屋を目指した。


「ま! とりあえず、お疲れ!」

「……あぁ」


 俺達はお決まりの音頭の後、ジョッキを突き合わせてビールを喉に流し込んだ。

 いつもなら炭酸の刺激とホップの香りを楽しむ至高のひと時のはずなんだけど、今日は最初の一口ですらビールが苦く感じた。


 適当に頼んだ料理がテーブルに運ばれてきて、思い思いに箸を伸ばしたんだけど、その間お互い殆ど無言だった。

 ある程度酒と料理を胃袋に放り込んだ時、そんな空気を破ったのは松崎の方だった。


「んで? 何があった?」

「……何がって?」

「バッカ! ここのところ仕事中も完全に上の空だっただろ? そりゃお前は元々腐ってたとこあったけど、最近は特に酷かっただろ!」

「……そ、それは」


 同じ部署でもない松崎が気付く程だ。

 であれば身近で仕事を教えている先輩達の印象が相当悪いものなのは想像に難しくないと、今更だけど自分に関わっている先輩達の顔が浮かんだ。

 このままでは現状を改善するどころか、維持するのも難しいと判断した俺は、観念して松崎に満員電車の中で出会った女性の事を話した。


「なるほどな。何かドラマか漫画みたいな話だな」


 松崎がそう言うのは分かる。

 だって、見ず知らずの男の腕の中に避難する為とはいえ潜り込んむなんてあり得ないし、その上自分のハンカチで汗を拭ってくれるなんてどこの撫子さんって話なんだから。


「俺もそう思うけど、嘘じゃない。ていうか、そんな嘘吐くなんて相当ヤバい奴だろ」


 確かになと松崎がクックックッと笑いながらジョッキを空けて、通りかかった店員におかわりを頼むから、俺も便乗してビールを注文した。


「んで? 間宮はその子をどうしたいわけ? 惚れてんの?」


 注文したビールが運ばれてくる前に、残りのビールを飲み干そうとジョッキを口に運んでいる最中に、松崎がそんな事言うものだから俺は思わず「ブッ!」とビールを吹き出してしまった。


「うわっ! きったねぇなぁ!」

「お前が変な事言うからじゃんか!」


 何が変なんだと松崎は首を傾げる。

 それだけ毎日毎日飽きもせず、日常生活に支障をきたす程の存在なのだから、そう考えるのは自然の事だと松崎は主張する。


 確かにそうなのかもしれない。

 だけど、俺はそこまで考えているわけじゃない。

 只、もう一度会ってちゃんと話がしてみたいだけだ。

 だって、あの時は必死で俺が言った事なんて「ありがとう」って一言だけだったんだから……。


「……なぁ。俺はどうすればいいと思う?」

「どうって言われてもなぁ。もう一度会える偶然ってやつに期待するしかないんじゃねぇの?」


 もう一度会って、そのモヤモヤとした気持ちが何なのかハッキリさせるしかない。

 確かにそうなんだろうけど、お悩み相談と言うわりには大したアドバイスくれないじゃないかと、俺は心の中でそう独り言ちたのだった。


 もう一度会うしかない。

 だけど、名前も住んでいる場所も知らない。

 分かっているのは恐らく最寄り駅がV駅という事と、勤めている会社があるのが俺が降りるO駅の隣駅だという事だけだ。

 それも、これはあくまで俺の推理に過ぎなくて当たっているかもハッキリしない。


 そんな条件下でバッタリ出会うなんて偶然なんてあるものなのか?と、俺は自問自答を繰り返しながら居酒屋を出て松崎と改札で別れて帰宅の途に就いた。


 ◇◆


 それから一週間が過ぎたある日。


 俺は今日も先輩にこっ酷く絞られて、心身ともにクタクタな状態で帰宅しようと電車に揺られていた。


 どうしても仕事に集中出来ない。


 このままだと解雇だってあり得るかもしれない程、相変わらず俺の仕事内容は酷いものだったんだけど、俺は心のどこかでそれでも構わないと思っている自分がいる事に気付く。

 やりたい部署に配属されずに、無理矢理に営業職に就かされている現状を考えると、そう考えてしまうのは仕方がない事だと思ったのだ。

 仕事を舐めるな!社会を舐めんな!って言われそうだけど、圧倒的に自由だった大学を出たばかりの奴なら、そんな理由で転職を検討するのは珍しくない事のはずだ。

 実際に大学の同級生の中には、似たような理由で既に辞表を提出して別の道を模索している奴もいるのだから。


(はぁ……もう辞めちまうか)


 そんな投げやりな気持ちで電車の揺られている俺の肩に、ポンポンと軽く叩かれる感触があった。


(なんだよ……面倒臭いな)


 もう腐った感情でしか、現状の物事を考えられなくなっていた俺は、機嫌が悪い事を隠さずに叩かれている方向に顔を向けた。


「こんばんは! お仕事帰りですか?」


 体中に電気が迸る。

 よくそんな感覚的な表現を耳にする。だけど現実にそんな事なんてあるわけないと思っていた俺だったのだが、その瞬間自分の考えが間違っていたと訂正した。


 電気が走って痺れてしまうなんて事、実際にあるんだ。

 体は勿論で、言葉すら出てこない。

 俺はその声をかけてきた人を前にして、呆然と立ち尽くす事しか出来なかったのだ。


「あ、あれ? もしかして、この前の事怒ってて無視してます?」


 硬直して思考がフリーズしている状態を勘違いされていると気付いた俺は、慌てて思考を再起動してしどろもどろになりながらも、言葉を絞りだす。


「い、いや! こ、こんばんは」

「私は仕事帰りなんですけど、偶然ですね」

「う、うん。俺も仕事帰りなんです」


 本当に会えた。

 俺に声をかけてきたのは、あの満員電車の中で出会った女性その人だったのだ。


 ちゃんと返事が返ってきたのに安心したのか、彼女はホッとした様子を見せながら微笑むような笑顔を見せてくれた。

 その笑顔を見て、ここ最近モヤモヤしていた気持ちが一瞬で吹き飛んでしまって、悩んでいた事が急にバカバカしく思えた。


 続いてこれを機に、推測でしかなかった事の確認を試みる事にした。


「あ、あのK駅周辺に努めてるんですか?」

「はい、そうですよ。一応IT関係のお仕事をしています」

「え? そうなんですか!? 実は僕のIT関係なんですよ。と言っても僕は開発側じゃなくて営業職なんですけどね」

「ええ!? それは偶然ですね! まさか同業の方だったなんて」


 同業者と分かった俺達は驚いたんだけど、凄く身近な接点があったおかげで自然と会話が弾んだ。

 だけど楽しい時間はあっという間で、後少しで彼女が降りるであろうV駅に到着すると車内にアナウンスが流れた。


 こんな偶然を待っていたら、今度会えるのはいつになるか分からない。

 このチャンスを逃したら、物凄く後悔する!絶対に後悔する!


 だからせめてと、一番訊きたかった事を尋ねる事にした。


「あ、あの、俺……間宮っていうんですけど、良かったら……そ、その名前訊いてもいいですか?」


 すると、彼女は目を丸くしてプッと吹き出した。

 俺、そんなに変な事訊いたかな……。


「ごめんなさい。まだお互い名前も知らなかったのに、こんなに話し込んでたんだって思ったら、可笑しくなっちゃって」


 うん。言われてみれば確かにそうだ。

 よく名前も知らない状態で会話が成立していたものだと思うと、俺も可笑しくなってきた。


「ははっ! 確かにそうかもしれませんね」

「でしょ? ふふふ……」


 言って彼女は少し姿勢を正して、真っ直ぐに俺を見て口を開いた。


「優香。香坂優香っていいます」


 ようやく彼女の名前を知る事が出来た。

 ただそれだけの事なのに、俺は嬉しく嬉しく仕方がなかった。


 その直後、電車がV駅に近付いて減速を始めた。

 その挙動の変化に備えていなかった彼女の肩が、俺の胸にトンと触れて体を預ける状況になってしまった。

 俺はドキッとしながらも、彼女の肩に触れて元の体制に戻る為にサポートしようとしたんだけど、彼女は何故か元の体制に戻そうとせずに、電車が止まり切るまで俺に体を預けたままだった。


 彼女の肩が俺に触れている間、鼓動の早さを悟られまいと必死に落ち着こうと努めながら、体を預けている彼女の様子を伺ったんだけど、俯いていて顔がまともに見れなかった。


 完全に電車が停止してドアが開き、ホームの騒がしい音が車内に飛び込んでくる。

 彼女は出口をチラっと見てから肩に下げていた鞄を整えて「ありがとう」と小さな声で俺に呟いたかと思うと、スッと当たっていた肩が離れていって出口に体を向けた。


「……あっ」


 一歩足を進めた彼女に、俺は思わず声を漏らした。


 その事に気付いたのかは分からなかったけど、彼女は足を止めて俺の方に振り返って少し顔を傾けて笑顔を向けた。

 そして小さな手をフリフリと振って口を開く。


「それじゃ、またね。間宮さん」


 初めて彼女に名前を呼んで貰えた事に、俺の体がブルっと震えた。


 ――なんだ?これ。こんな感覚は今まで感じた事ないぞ。


「うん、またね! 香坂さん!」


 困惑した気持ちから一旦意識を外して、俺も初めて彼女の名前を呼んで別れの挨拶をした事が凄く照れ臭くて、自分の笑顔が相当引きつっていた事を自覚する。


 電車を降りた香坂さんはそのまま改札の向かって歩いている。

 その事自体は初めて会った時と同じだったけど、この前と違う事もあった。

 それは車内の残っている俺を見てくれていた事。

 そして電車が動き出した時、俺に向かってまた小さく手を振ってくれた事だった。

 勿論、俺は前回と同様に車窓から見える香坂さんの姿が見えなくなるまで、ずっと目で追いかけていた事は言うまでもないだろう。


 ――もう認めるしかない。

 認めないと、さっき感じた感覚に説明がつかない。


 俺は初めて出会った時から、彼女に一目惚れしてしまったんだと。

 こんな事は初めてだった。

 今まで女性を好きになった時とは、これは全く違う感覚だった。

 この気持ちをどうしたらいいのか、正直戸惑ってしまっている俺がいる。


 さっき彼女が話してくれた。

 あの日、あの時、あの電車で出会ったのは偶然だったと。

 勿論、偶然以外の何物でもないと思っていたんだけど、香坂さんはそうじゃないと言った。

 いつもは通勤ラッシュを避ける為に、一時間早く家を出て会社があるK駅前のカフェでモーニングを食べてから出勤するのがルーティンらしかったのだ。

 でもあの日の前日に友達と遅くまで飲んでいたらしく、うっかり終電を逃してしまって、香坂さんはそのまま友達の家に泊めて貰ったんだと言っていた。

 だけど、同じ服で出勤したら変な誤解を招く事を恐れて、始発の電車で自宅に戻りシャワーを浴びて身支度を終えた時間が、通勤ラッシュの酷い時間になってしまっていたんだと話してくれた。


 そんな話を聞かされてしまうと、どうしても運命を感じずにはいられなかった。

 だって、俺も少し寝坊したから何時のも車両に乗り込む事が出来なくて、彼女もいつもの時間じゃない電車に乗り込んで、俺達は出会ったのだから。


 まるで恋愛小説の主人公になった気分だった。

 こんな事があるんだと、俺は自分の中に生まれたこの気持ちを素直に受け入れて、これからの事を思い浮かべていた。









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