第23話 間宮 良介 act 3 ~優香のナイト~ 前編
あの帰宅する電車の中で偶然会ってから、俺達は週に何度か電車で顔を合わす事になった。
でもそれは偶然でもなんでもなく、俺が香坂さんが帰宅しようとしている時間を予想して、電車に乗っていたからだ。
まるでストーカーと言われても否定出来ない事をしている自覚はある。
だけど、この時間しか会えないのだから仕方がないじゃないか!
出勤時も考えたけど、流石に一時間早く家を出ても向こうで時間を持て余してしまう。
一緒にK駅で降りて2人でモーニングなんて最高だけど、それは流石に気持ち悪がられるだろう。
だから、俺の少ない楽しみになっているこの時間を凄く大切にしているのだ。
そして今日も帰宅時間を調整して電車に乗り込んで一駅進むと、開いたドアから香坂さんの姿が見えた。
3日ぶりに会えて、俺は小さくガッツポーズする。
だけど、今日の香坂さんはいつもと雰囲気が違うように感じたが、その原因にすぐに気付いた。
今日は男と一緒だったのだ。
正直ショックだった。
そりゃ付き合ってわけじゃないし、香坂さんが誰といようが文句言える立場じゃないのは分かってる。
……分かってるけど、面白くないと思うのは間違っているのか!?
2人が連れ添ってるのを見て、近付き辛い空気が俺の足を止める。
声をかけるのを諦めた俺は、そのまま離れた場所からチラチラと香坂さん達を見ている事しか出来なかった。
だけど、その後に驚く出来事が起こったんだ。
「あ、間宮君! お仕事お疲れ様!」
香坂さんが一緒にいる男を置き去りにして、俺の元にそう声を掛けながら、まるで俺の隣にいるのが当たり前かのように近づいてきた。
「あ、お疲れ様。香坂さん」
俺はそんな香坂さんに驚きながらも、何とか自然に挨拶をしたんだけど、香坂さんはいつもの距離よりも近づいてきて俺にしか聞こえないくらいの小声で話しかけてきた。
「お願い間宮君。今日はこのまま私とご飯食べに行くって事にしてくれない?」
「……え?」
「あの人、ウチの会社で2年先輩の人なんだけど、前々から食事に誘われててずっと断ってるのにしつこいんだよ」
今日なんて駅前で待ち伏せて勝手についてくるしと、香坂さんはあからさまに不快な顔を見せている。
その不快な気持ちにさせている張本人が、離れて行った香坂さんを追うように俺達の元に歩み寄ってきた。
「あれ? 優香ちゃん。その人と知り合いなの?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、その男はそう話しかけてくる。
職場の同僚という立場なのに馴れ馴れしく名前呼びとか、確かに気分のいい人間には見えなかった。
「え、えぇ、そうなんです。今日これから食事の約束してて……」
香坂さんはこれからの予定を話して断わろうとしていたのに、男は香坂さんの話を途中で遮る様に口を開く。
「それは酷いなぁ。俺の誘いは散々断わってるのに、こいつとは食事に行くなんてさ」
言って、男は俺を睨みつけてくる。
(ていうか、は? こいつだ!?)
面識もない相手にいきなりこいつ呼ばわりされてムカついた。
少し怯えた様子で俺のスーツの袖をキュッと握ってくる香坂さんの不安気な表情が、更に苛立ちを加速させていく。
「そういう事なんで、いい加減空気読んで諦めた方がいいと思うんですけど?」
俺は低レベルな土俵に立つまいと、努めて冷静に口調も崩さずに2人の会話に割って入った。
「は? 何言ってんの? お前。俺は優香ちゃんと話してんだから、邪魔すんなよ」
「先に邪魔してきたのはアンタでしょ? それにこれから飯行くんで邪魔しないでもらえませんかね」
「あぁ!? 誰に言ってんだ、お前!」
怒鳴る声に香坂さんの肩がビクッと跳ねる。
袖の掴んでいる手も小刻みに震えていて、こいつに怯えているのが分かり、俺のイライラが最高潮にまで高まっていく。
何でハッキリと断っている彼女が、こんな怖い目に合わないといけないんだ。
「少しでも早く仕事を覚えようと頑張っている新人の香坂さんに、先輩としてしてあげる事って他にあると思うんですけど」
努めて冷静に努めた。その理由は明白で、怯えている香坂さんを余計に怖がらせない為。
すると、熱量の違いだろう。周囲の視線が声を荒げている男の方に集まっていく。その視線に気付いた男はバツの悪そうな顔で後ずさる。
そんな流れに勇気が湧いたのは、俺の後ろに隠れるようにしていた香坂さんが恐る恐る顔を出してこう言うのだ。
「あの、東さん。先輩としては助けて頂いてますけど、私は貴方にそんな気は全くないので、もう許して下さい」
全否定するのではなく「許して下さい」と話す事で、周囲の視線に殺気が宿ったように感じた。
これには東と呼ばれる男にも相当なダメージを受けたみたいで、狼狽えだした。
その時どこかの駅に到着した電車のドアが開くと、東は俺をキッと睨みつけた後、無言のまま電車を降りて行く。
東が下車して電車が再び動き出すと、俺達を見守っていた乗客達から拍手が沸き起こったのだ。
迷惑をかけてしまった事を謝ろうとしていた俺は、その拍手に面食らってしまった。
香坂さんも似たような心境だったようで、恥ずかしそうにペコペコと会釈していて、その動作がまるで子犬のようで可愛らしいと思ったのは内緒だ。
そんな空気の中、電車が次の駅のホームに入りドアが開いた時、俺は落ち着かない様子の香坂さんの手首を握って出口に向かう。
「え? な、なに!?」
香坂さんの困惑してる声は聞こえたけど、俺はそれを無視したまま電車を2人で降りた。
ホームに足を付けて走り出した電車を見送った後、香坂さんの方に振り返ると、まだ困惑してるのが一目で分かった。
「ま、間宮君?」
「あ~、何か目立っちゃって香坂さんが大変そうだったから……つい……ごめん」
言うと、察してくれたのか少し目を見開いた香坂さんは「ふふっ」と笑みを零した。
「そっかそっか! 謝る事なんてないよ。気を遣わせちゃってごめんね。それと助けてくれてありがとう。間宮君」
そう話す笑顔がとても眩しくて、俺は思わず目を逸らしてしまった。
香坂さんを連れ出したのは、彼女が困っていたからだ。
それは嘘じゃない……嘘じゃないけど、それだけじゃない。
本音の部分では、単純に俺がまだ一緒にいたかっただけなんだ。
だからそんな笑顔をされると後ろめたさが募ってしまって、ニコニコしてる香坂さんに何も言えなくなった。
自分勝手な都合で連れ出したくせに、連れ出した途端に何にも云えないとか馬鹿過ぎんだろ!
そんな俺を見兼ねたのか、香坂さんがニコニコ顔でこんな事を言い出したんだ。
「そうだ! せっかくだし、嘘を本当にしちゃおうか!」
「……え?」
嘘を本当にする?
何が嘘だったのか、テンパってる俺には理解出来ない。
「う、嘘って?」
「だから東さんに、これから間宮君とご飯食べに行くって嘘ついたじゃん? それを実際に行って本当の事にしようって事だよ!」
あ、あぁ。そういえばトラブルの元々の原因はそれだったな。
色々グチャグチャになって忘れてた。
「あれ? もしかして……迷惑だった?」
そんなわけないじゃん!
「いや、違くて! そ、その驚いただけで……てか、ホントに俺でいいの?」
「ふふっ、勿論だよ! 助けてくれたお礼に御馳走しちゃうよ」
言って香坂さんは笑った。
その屈託のない笑顔が、俺の胸に突き刺さり酷く痛んだ。
実は下心があったんだと、いつか話そうと思った。
そうじゃないと、香坂さんの笑顔を真っ直ぐに見れそうにないから。
2人で土地勘のない地を歩く。
どこに何があるか分からない俺達は、結局駅前にある目に入った店に入った。
店に入ってから好きな食べ物と嫌いな食べ物を訊かれたんだけど、正直香坂さんと一緒なら何を食べるかなんてどうでも良かった。
とりあえず適当にオーダーを通して一息ついた時、明日からの香坂さんに事が過って訊いてみる事にした。
「あの東って先輩とあんな感じになっちゃったけど、明日から大丈夫? 余計な事したよな俺」
「ん? あぁ、大丈夫だよ! 寧ろ明日から集中してお仕事に打ち込めるよ」
多分、俺に気を遣わせない為にそんな事を言ってるんだと思う。
だから余計に東の態度が気になって仕方がない。
同じ会社ならどうとでも出来るが、違う会社だし場所も離れてちゃお手上げだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。少なくとも会社にいるうちはね」
「どういう事?」
「あの人ね。良くも悪くも目立ってるんだよ。だから、私に何かしようとしても絶対に誰かにバレるって分かってるんだよ。東さんだって将来を棒に振るような事はしないでしょ」
「そ、そっか! あ、でも、もし何かあったら絶対に俺に言って欲しい。事を大きくしたのは俺の責任だから、絶対に何とかするからさ!」
「ふふっ、うん。その時はよろしくね」
責任とか本当はどうでもいい。
只、香坂さんを助ける存在は俺でありたいって思ってるだけだから。
オーダーしていた料理が運ばれてきて、一旦会話が途切れる。
ここで切れたのは良かったのかもしれない。
話題を変えないと香坂さんの事が心配すぎて、とんでもない事を言ってしまいそうだったから。
食事を始めたんだけど、やっぱり味なんてよく解らなかった。
食事中は他愛もない会話をしていただけなんだけど、香坂さんは凄く話しやすい人だった。
くだらない冗談にも付き合ってくれたりして、とにかく楽しかったんだ。
そして食後に頼んだ珈琲を飲んでいる時、ふと香坂さんが同業だった事を思い出した。
「そういえば香坂さんもIT関係って言ってたけど、開発側の人なの?」
「うん、まぁそんな感じかな。まだまだ新米だから雑用ばっかりだけどね」
「そっか、いいなぁ! 俺もエンジニアになりたくて今の会社に入ったんだけど、訳の分からない理由で営業に回されちゃって、実はちょっと腐ってたんだよね」
こんな格好悪い事話すつもりじゃなかったのに、香坂さんがあまりにも何でも聴いてくれそうな気がしたから、つい愚痴ってしまった。
「それにそんな事があって元々モチベ低かったのに、この数週間は仕事が上の空って感じで先輩に怒られてばっかでさ。もう辞めようかとか考えてたりしたんだよな」
本当に止めどなく情けない話が口から出てくる。
こんな話を聞かされても困るだけだし、それも最近知り合った女性に……しかも一目惚れした相手に話す事じゃないって分かってるのに……。
自分の口を塞ごうと珈琲カップを口に運んだ。
どうにかして情けない事ばかり零れ落ちる口を塞がないと、更に醜態を晒しそうで怖かったんだ。
チラっと香坂さんを見ると、何も話す様子もなく俺と同じようにカップに口を付けていた。
引かれた!? 情けない奴って思われた!? いや、もしかして嫌われたのか!?
話した内容が内容だけに、香坂さんのリアクションの無さがどうしてもネガティブ方向に考えてしまう。店に入る前の何を食べても同じだという気持ちとは、違う意味で珈琲の味が分からなくなった。
沈黙の中、香坂さんは何か考えてる風に見えたけど、その考えてる事を聴かされるのが怖かった。
やがて香坂さんのカップが空になった時、ソーサーにカップを置く音と共に香坂さんの声がやっと耳に届く。
「ん~。さっきの話で気になったんだけどさ」
「え? なに?」
「この数週間は更に酷くなったって言ってたけど、会社で何かあったの?」
「あぁ、それは香坂さんの事が頭から離れなくてさ……」
「……え?」
「え!?」
言って後悔した。
情けない所を見せて拒絶されると思っていたから、そういう話じゃなくてホッとして気が緩んだせいで、思わずとんでもない事を口走ってしまった。
「あっ!」
思わず口を塞いでしまった事で、冗談で言ったわけじゃない証明になってしまったのだった。
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