第20話 優希の後悔

 間宮さんと話した後、まだ未成年だった私は事務所と契約を交わすのに保護者の同意が必要だったから、その足で実家に戻ってプロ契約の話をお父さん達に話した。


「そんな夢物語みたいは話があるわけないだろ! 絶対に碌な人間じゃないんだ! 今すぐ断ってこい!」


 予想はしてたけど、それ以上に剣幕に怒鳴られて反対された。

 分かってはいた。

 理解のある親なら、家を飛び出したりしてないもんね。

 だけど、こればっかりはキレてまた飛び出すわけにはいかない。

 確かにもう少し待って成人したら、自己責任で親を通さずに契約を交わせるようになるんだけど――私はそんなの待ってられないんだ。


「お父さん、お母さん、お願い! 私を信じて!」

「世間知らずなお前の何を信じろって言うんだ!」


 具体的な事を求められたら、言い返す言葉が見つからない。

 成功する保証なんてないんだから……。

 だけど、あの間宮さんの目を見たら、一緒に頑張っていきたいって思った……なんて説得材料にもならないよね。


 ――だったら!


「絶対にお父さん達に迷惑かけないって約束するから――お願いします!」


 これまでの私にとって、この世で一番頭を下げたくない人に土下座した。

 子供ってなんでこう不自由なんだと、まだ親の保護管轄を抜けられない自分の立場を恨んだ。


「そんな見え透いた土下座なんて、何の意味もないんだ! どうして俺の言う事が聞けないんだ、お前は!」


 分かってる。下げたくない頭を嫌々下げても気持ちは届かないって事は。

 だけどこれ以上、私に出来る事なんてないんだよ!


 もう打つ手がない。

 そう思った時だった。


「お父さん。優希が心配なのは分かるけど、頭ごなしに否定するんじゃなくて、少しでいいから優希の話を聞いてあげて」


 リビングで両親と話してたんだけど、そこに同席していたお姉ちゃんが急に割って入ってきた。

 柔らかい口調でそう話してたけど、お父さんを見るお姉ちゃんの目は真剣というより、殺気だって見えた。


「優香、お前まで何言いだすんだ! 仮に優希が言っている事が本当だったとしても、芸能界なんて怖い世界に優希をいかせるわけにはいかんだろ!」

「優希は音楽が大好きなんだよ。その音楽の才能を認められたんだよ? 怒鳴るんじゃなくて喜んであげてくれないかな」


 驚いた。お姉ちゃんはお父さんの自慢の娘ってやつだった。

 それは、小さい頃から親の言う事をよく聞いてて、反抗らしい反抗なんてした事がなかったからだ。


「何が音楽だ! そんなもので飯を食っていける人間なんて、本当に一握りなんだぞ!」

「その一握りの人間の中に、優希がいるって事じゃない」


 頭を下げたまま、テーブルの下からお姉ちゃんの手元が見えた。

 小さくギュッと握っている手が震えてる。

 当然だ。

 私と違って親に逆らうなんて事した事がないんだから……。


 私はお姉ちゃんの援護射撃で怯んだ隙を逃すまいと、床に擦りつけていた額を上げてお父さんの目を見上げた。


「絶対に成功させてみせる! 迷惑も絶対にかけたりしない!だから、このチャンスに全力で挑ませて、お願いお父さん!」


 言って、もう一度額を床に擦りつけた。

 今度は嫌々じゃなくて、本気で私の気持ちをお父さんに伝える為に。


「私からもお願いします。優希の好きにさせてあげて下さい。お願いします」


 私の隣に座ってそう言いながら、お姉ちゃんも床に額を擦りつけた。


 私はともかく、お姉ちゃんがここまでするとは思ってなかったんだろう。頭を下げていても、お父さんが動揺しているのが分かる。


 そんな私達を黙って見ていたお母さんも「もう諦めて、優希の好きにさせてあげられませんか?」とお父さんに言ってくれた。


 出来損ないの私の居場所はこの家にはなくて、お父さんもお母さんもお姉ちゃんにしか興味がないんだと思っていた私は、気が付けば額を擦り付けている床が濡れていた。


「――分かった。とりあえず、お前をスカウトしてきた人をここに呼びなさい。詳しい話はその後だ」


 言って、お父さんは眉間に皺を作って「もう寝る」と寝室に行ってしまった。


「とりあえず、一歩前進だね」


 お互い土下座をしたまま、お姉ちゃんは顔を私に向けてニッコリとそう言った。


「……ありがとう。お姉ちゃん」

「お礼言うのは、私だけじゃないんじゃない?」


 私は顔を上げて苦笑いを浮かべているお母さんにも、ありがとうともう一度頭を下げたのだった。


 後日、事情を話した間宮さんが家に来て、私に期待している気持ちを余す事なくお父さん達に話してくれた。

 でも「優希さんの音楽が認められなかったら、ロック界はもう終わっています!」って言うのは、聞いてる私が恥ずかしかったけど。


 でも間宮さんの気持ちが伝わったのか、その後は契約内容の詰めに入ったのを見て、私は心の底から安堵したのと……お父さん達に迷惑は絶対にかけられないと強く思ったのだ。


 無事に本契約を結んだ私は、早速精力的に音楽活動に励んだ。

 親に認められたけど、実家に戻らずに一人暮らしを続けながら。

 お父さん達は戻ってこいと言ってくれたけど、これは私のケジメだと思ってて、自分を甘やかすのを禁じたかったんだ。


 インディーズの活動とバイトの生活は決して楽なものじゃなかったけど、同じ様に夢を追いかけてる人なんて沢山いるんだから泣き言なんて言ってられない。


 そんな生活に慣れてきた時、気が付けば沢山のファンが出来ていた。

 自分でも驚く程の快進撃の裏には、かならずマネージャーである茜さんの姿があった。

 あ、間宮さんって他人行儀な呼び方したくなかったから、本格的に2人で活動を始めるのを機に、私は茜さんって呼ぶ事にしたんだ。そしたら私の事も優希って呼んでくれるようになって、嬉しかったなぁ。


 そんな茜さんなんだけど、本当に凄い人だった。

 何でも先回りして私の事を気遣ってくれているかと思うと、いつの間にか次々とライブ会場を抑えていて、チケットもガンガン売ってきてくれた。

 事務所で他の人に聞いた話だと、普通インディーズ活動しているアーティスト達は自分でチケットをさばいたりと、アマチュアと大して変わらない事をしてるそうだ。

 だけど、茜さんはそう言った雑多な事は全部やってくれていて、私には音楽の事だけ考えてればいいと、他の事は全て任せてくれていいからと言ってくれた。


 この人は本気なんだと思った。

 本気で私は世界に出て行くアーティストだと信じているんだ。

 そうであるなら、私がやる事は一つしかない。

 勿論、自分の為にやっている事なんだけど、もう1つモチベーションが出来たんだ。

 私の……私達の夢を叶えて、茜さんの目は正しかったんだという証明をたてる事。


 だから……頼りにしてるよ、茜さん。


 それから色々あった。

 時には茜さんと活動の事で口論した事もある。

 私はそんな時、必ず茜さんと呼ばずに間宮さんって呼んでた。

 そう呼ぶと、茜さんは少し気持ちを抑えて私の言い分に耳を傾けてくれるからだ。


 二人三脚の活動は充実していた。偶に大学に進学した友達と話す機会があって、彼氏が出来て最高に楽しいとか、大学特有の圧倒的な自由を謳歌してる話を聞いた。

 だけど、私はちっとも羨ましいとは思わなくて、誰にでも出来るわけじゃない事に打ち込めている自分の方がよっぽど幸せだと思った。

 え?恋愛? そんな事にカマかけてる暇なんてないよ。

 それは我慢してるんじゃなくて、今の私に音楽以上に優先させるものなんてないんだから。


 ――そんな気持ちだったからだろう。

 私がとった1つの行動を今でも後悔している事がある。


 それは快進撃を進めてきた活動が完全に実を結んで、なんとインディーズの立場にもかかわらず、武道館で単独ライブを行う事になったのだ。

 こんな事が実現出来たのは、勿論茜さんの存在が大きい。

 私がそう話すと、茜さんは「何言ってんの。優希の才能と努力の賜物でしょ」って言ってくれて、何だかもう1人のお姉ちゃんが褒めてくれたみたいで凄く嬉しかった。


 それからはいつもの活動とバイトに加えて、武道館のライブ用に曲を書きおろしたりと、目の回る忙しい日を送っていたけど疲れとか全く感じる事はなかった。


 そして武道館ライブまで後一週間と迫った夜。

 帰宅してベッドに体を預けた時、お姉ちゃんから電話がかかってきた。

 お姉ちゃんとは定期的に連絡を取り合ってたんだけど、ここの所は激務で電話がかかってきてても出れない事があったから、久しぶりの話せるなと携帯を手に持って通話ボタンを押した。


「あ、もしもし優希?」

「うん、何か久しぶりな感じがする。電話に出れなくてごめんね」

「ううん、元気ならそれでいいよ」


 最初は当たり障りのない会話をしてたんだけど、お姉ちゃんの声色からいつもの電話じゃないのは分かった。

 それに特別話したい事があるのはお姉ちゃんだけじゃない。

 武道館のライブが決まった事をまだ話してなかったから、先に報告しようとした時だった。


「あのね、私付き合ってる人がいるでしょ?」

「うん。良ちゃんだよね?」

「そう! 実はね、良ちゃんにプロポーズされたんだ」


 なるほど。お姉ちゃんがソワソワした声色だった原因はそれか。

 なら、武道館の話はその後でいいな。


「へ~! 良かったじゃん! おめでとう、お姉ちゃん」

「うん! ありがとう!」


 弾けるような声だった。

 それほどまでに、その恋人にプロポーズされた事が嬉しかったんだね。


「それでね、来週末の日曜日に良ちゃんがウチに挨拶に来る事になったんだけど、出来れば優希のその日帰ってこれないかなって思って」


 お姉ちゃんが付き合っている彼氏の事は、すでにお父さん達も知っている。

 それを知った時のお父さんはご機嫌斜めだったんだけど、どれだけ真剣に交際している事とか、良ちゃんがどんな人なのかとか、お姉ちゃんはお父さんと顔を合わせる度に話していた事を思い出す。

 そんなお姉ちゃんの努力が実を結んだのか、私が家を出る頃はもう良ちゃんの存在を受け入れたようで、今度夕食でもとかお姉ちゃんに話してたのを聞いた。

 だからその席に同席しても修羅場る事はないだろうし、あのお姉ちゃんが惚れ切る男って前々から興味あったから、婚約の席に同席するのは吝かではない。


 ……だけど。


「ご、ごめん。実はその日武道館で単独ライブする日で……さ」

「え? えぇ!? 武道館!? 武道館ってあの武道館!?」

「う、うん。だから……さ。行きたいんだけど……」

「ううん! そんな大切な事があるんだから、そっち優先するのは当然なんだから、謝らないでよ」

「……うん。ありがとう」

「そうかぁ! 武道館かぁ! 凄い! 私の妹はどんどん凄くなってくね!」


 お姉ちゃんにとっても大切な事で、大好きなお姉ちゃんを任せる男なんだ。私としても気になる存在だ。

 だけど、武道館と比べたらどっちを優先するのかなんて、決まってる。


「ホントごめん。良ちゃんにも宜しく伝えて欲しい」

「ん、分かった。それじゃね」

「……うん。おやすみ、お姉ちゃん」


 言って電話を切った。

 今度、直接謝りに行って、多分大丈夫だろうけど正式に婚約が決まっていたら、私も良ちゃんに挨拶に行こう。


 そんな事を考えて、ライブ用に曲チェックを始めた。


 今でもしている後悔。

 それはあの時、武道館を蹴ってでも実家に帰るべきだったと。


 まさか想像もしなかったのだ。

 電話越しからでも分かる程に、弾けたお姉ちゃんの嬉しそうな声を聞くのが、この日が最後になるなんて……。


 ◆◇


「だから、今でも後悔してる。どうしてあの時、実家にいなかったのか……。私があの場にいれば、回避出来たかもしれないのにって……」


 アルコールがいい具合に回ってきたんだろう。

 何時の間にか良ちゃんに今の私までの生い立ちみたいな話をしていて、最後はずっと自分の中にある後悔を吐き出すように話した。


 嫌いだったのは本当だ。

 でも、それは拗ねた子供みたいな感情で、本心はずっと私を可愛がってくれていたお姉ちゃんを嫌いになれるはずなんてない。

 見て欲しかった。

 私の音楽を楽しんでくれてる人達を。

 大好きな音楽に囲まれて生きてる私を。


「あの夜、優香がさ……」

「……うん」

「凄く嬉しそうに話すんだよね」

「……何を?」

「今日、優希が武道館でライブやってるんだって。優希の背中を押して本当に良かったって」


 実は、お姉ちゃんがあんな事になったっていうのに、ずっと泣く事が出来なかった。

 何でなんだろって、ずっと考えてたんだけど……ようやく理由が解った。


 私はまだお姉ちゃんがいなくなった現実を、受け入れていなかったんだ。


 良ちゃんからあの夜のお姉ちゃんの事を聴いて、ずっと流れなかった涙が際限なく零れ始めた。


 やっと……やっと、受け入れられた気がした。

 もう大好きなお姉ちゃんはいないんだって。


「……あの夜……行けなくて……ごめんね」


 受け入れる事が出来ても、この後悔だけは一生消えないだろう。

 それなら、消す努力をするんじゃなくてずっと背負って生きて行こう。

 お姉ちゃんとどこまでも高みを目指そう。

 ずっと自慢の妹でいよう。


「君が謝る必要なんてない。夢にまでみた武道館でのライブと、見ず知らずの俺と優香の婚約の席なんて、誰がどう見たってどっちを優先するべきかなんて決まり切ってるんだから」

「……でも」

「それに、あの事は全て俺の責任なんだ……。俺が……俺が」


 見れば、良ちゃんの顔が酷く歪んでいて、手に持っていたグラスが砕け散るんじゃないかと言う程、カタカタと震えていた。


「――――俺が、優香を殺したんだから」




あとがき


次話より4章のメインである間宮の過去編が始まります。


かなり長くなっていますが、最後までお付き合い下さる事を願っています。




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