第18話 義妹になるはずだった人 

 間宮は供えていたフィナンシェを半分食べて、指先に着いた脂分を口に含んで舐めとった。いつもここを参った時に近況報告をしながら半分食べて、最後に決まった台詞で締める。


「じゃあな、優香。また来るよ」


 墓の前にドッカリと座り込んでいた体をゆっくりと立ち上がらせた間宮は、香坂優香が眠る墓から立ち去ろうと距離をとった時だった。


「やっぱり貴方だったんだね――良ちゃん」

「――――!!」


 肌寒く感じる空気の中、赤い落ち葉が夕暮れの光を浴びて更に真っ赤に染まる先に面識のないはずの女性が立っていた。


 自分の事をそう呼ぶ人物は1人しか心当たりがない間宮にとって、そう呼び止められた事に違和感を抱かずにはいられなかった。

 その1人は目の前に建っている墓の中で眠っているからだ。


 恐る恐るその女性と対峙する間宮。

 女性は深被りしていたニット帽を取って、間宮によく顔が見えるように髪の毛を掻き上げた。

 掻き上げた髪が夕暮れ色の染まり、吹き抜ける風と共に踊っている。


「――ゆ、優香」


 間宮は思わず眠っているはずの優香の名前を口にする。

 そんなはずがない事は間宮が一番理解しているのだが、無意識に口からその名前が出てしまう程、目の前に立っている女性が似ていたのだ。


 勿論、都合よく生き写しとまでは似てはいない。

 優香が好む服装ではないし、髪型や髪の色も違う。

 だが小顔でシャープな印象をうける輪郭に中に納まっている大きな瞳が、どうしても優香を思わせる。

 何よりその立ち姿が、間宮の記憶の中にある優香そのものだったのだ。


「やっぱり私の事をそう呼ぶんだね。良ちゃん――でもね」


 言って女性はかけていた黒縁の眼鏡を外して、続ける。


「――私は優香じゃないよ」


 言われて我に返った間宮は、もう1人自分の事をそう呼ぶ女性の存在を思い出した。


(そうだ。あの文化祭の時、楽屋に呼ばれてライブチケットを手渡してきた女だ。確か名前は……)


「神楽優希だよ。良ちゃん」


 神楽優希。瑞樹が通う高校で凱旋ライブを行った、ロック界のカリスマと呼ばれるプロミュージシャンの名だ。

 そんな有名人が間宮の事をそう呼ぶ事に、当然深い疑問を抱く間宮。

 その様子を察した優希は、クスっと笑みを漏らして再び口を開く。


「年に3回。こうして花とお菓子と缶珈琲を供えて線香をあげてくれてたよね。最初は誰がとか理由が全然分からなかったんだけど、3年目から参ってくれていた日にちの意味が分かったんだ」

「――――」

「付き合い始めた記念日に誕生日。そして、結婚するはずだった日の3回……だよね?」


 そう言われて、初めて間宮は目の前にいる女性が優香に近しい者だと理解する。

 年に3度墓を参る日にちの意味。

 全て正解だった。

 優香がよくショッピングを楽しんでいた代官山を歩き、そこにある優香が大好きだったスイーツショップのフィナンシェを購入して、墓の前で半分を優香に供えてもう半分を間宮が食べる。

 その間、前に参った時から再び参った日までに印象に残った事や、可笑しかった事。そして悩んでいる事や2人の思い出話を一方的に話す事を、優希が指摘してきた日にちに行ってきたのだ。


「――改めてになるけど、初めまして。香坂優希です」

「――香坂?……え?」

「うん、神楽は芸名でね。本名は香坂優希。香坂優香の妹だよ」

「い、妹!? 神楽優希が!?」


 香坂優香に妹がいる事は、勿論聞かされていた。

 優香からよく優希の名前は出ていたのだ。

 優希の話をしている時の優香を見てきた間宮は、どれだけ妹の事を溺愛しているのか知ってはいた。


 だが、それだけ溺愛している妹だったが、間宮は一度も会った事がなかったのだ。

 優香と付き合っている時は一度も優香の家を訪れた事がなく,

 初めて優香の実家を訪れた時は、結婚の許しを得る為の場だったのだが、その時は優希は不在だったのだ。


 昔からあまりテレビを観るほうではなかった間宮は、偶に部屋のBGM代わりに音楽番組を垂れ流す事はあっても、歌っているアーティストをマジマジと見る機会は数える程しかなかった。

 勿論、大物アーティストである神楽優希の名は知ってはいたが、CMのタイアップに使われた事がある曲が耳に残る程度で、神楽優希を意識して見た事はなかったのだ。


「そうか……君が優香の妹だったのか。妹の話はよく聞いてはいたんだけど、まさかこんな有名人だったなんてね」

「そうなんだ! どんな事話してた? 私と違って出来の悪い妹がいるって感じ?」

「いいや。可愛くて仕方がないって話だよ」

「あはは! 良ちゃんにはシスコンを隠さなかったんだね!」


 クスクスと笑う仕草が優香のそれとダブって見えて心臓が跳ねた間宮は、思わず言葉に詰まってしまった。


「今日ここで待っていれば必ず会えると思ってたんだ。だからオフの日を調整して待ち伏せてたんだけど、まさか朝から一日墓地で待つハメになるとは思わなかったよ」

「朝からいたのか!? どうしてそこまでして待ってたんだ?」

「文化祭の時から話したいって思ってたし、良ちゃんも私に訊きたい事あったでしょ?」


 言って優希は悪戯っぽく笑ってみせた。


 自分のマネージャーが間宮の妹だと知った優希は、茜に何度も連絡先を訊きだそうとしたのだが、余計なスキャンダルのネタになるからと断られていた。

 ならばと、優希は実力行使でこの墓地で待ち伏せしていたと話す。

 事情を知った間宮は、こんな寒い日に一日中待たせてしまった事を申し訳なく思ったのだが、優希は自分が勝手にした事だからと笑った。


「今朝、朝ごはん食べたってきりでお腹がペコペコなんだけど、これから晩御飯付き合ってくれない?」


 気にするなと言われたが、一日中待たせっぱなしだった優希にそう誘われたら間宮には拒否権などなく、黙った頷いて2人は墓地を離れた。


 何だか不思議は気分だった。1人で優香の墓参りをしていたはずなのに、隣を歩く優希の雰囲気があまりにも優香を思い出されて、まるで優香とここに訪れた錯覚に陥りそうになっていた。

 間宮から見ても、それだけ隣で歩く優希に違和感を感じなかったのだ。


 霊園の駐車場に停めていた優希の愛車に乗り込み、優希はアクセルを踏んで真っ赤なZ4を走らせる。

 食事をする店は優希が行きつけがあると言うので、間宮はただ助手席に座り車に揺られるだけだった。


 暫く走り大通りに出た。

 この通りに店があると優希は言っていたのだが、そのまま通りから逸れて大きなマンションの前に車を停めた。


「あれ? どっか店に行くんだろ?」


 間宮は辺りを見渡してみたが、周囲にそれらしい店が見当たらない。


「ここ、私のマンションなんだ」

「……え?」


 車を停めた正面にあるのは、大きなタワーマンションで佇まいですぐに億単位の建物だと分かる。


「こ、こんな所に住んでるのか!? さ、流石と言うか何というか……。って、何でマンションに?」

「ん? あれ~? 何か変な期待しちゃったかなぁ?」

「は? そんなわけないでしょ!」


 焦る様子を見せる間宮にケラケラと笑う優希。

 本当なら義兄と義妹の関係になっているはずの2人。

 この再会が後に世間を賑わせる事になるなんて、今の2人には考えてもいない事だった。


「お酒飲みたいから車を置いていこうと思ってね。お店はすぐ近くにあるんだよ」

「なるほどね」


 言って間宮を降ろした優希は地下にあるマンションの駐車場に車を進めて、再びロビーから姿を現した。


 優希が住んでいるマンションは都心から少し離れた場所にあったのだが、この辺りでも十分に都会で通りには沢山の人が行き交っていた。

 ロビーから現れた優希は、墓地で会った時と同じようにニット帽と黒縁めがねをかけていた。

 その姿を見て有名人の大変なんだなと間宮は苦笑いを浮かべながら、2人は並んで歩き店に向かった。


 大通りにあるその店は、店内に入ると外の騒がしさを遮り落ち着いた雰囲気で2人を迎えてくれる。

 自宅から近いという事もあり、優希はよく1人でここを訪れているらしい。

 心地よいジャズが店内に流れていて、どこか間宮の行きつけのsceneに似ている雰囲気の店だった。


 店のマスターが優希の姿を確認すると、何も言わずに奥の席の椅子を引くと、優希が「いつもありがとう」と礼を言いながら席についた。


「良ちゃんはビールでいい?」

「あぁ、そうだね」


 ここはカフェバーなのだが、料理も凄く美味しいのだと優希が太鼓判を押すので、空腹だった間宮は軽いメニューではなくしっかりとした夕食を注文した。

 勿論、ずっと空腹だった優希も同等のメニューを注文して、少し経った頃に綺麗なグラスに注がれたビールがテーブルに運ばれてきた。


「では! 私達の再会に乾杯ね!」

「あぁ、乾杯」


 グラスを突き合わせた2人は一気にビールを喉に流し込む。


「おいし~い」

「うん。泡まで美味いな」


 2人は喉が渇いていたのか、一口でグラスを空けて流れ込んだビールの爽快感を全面に押し出した。

 すぐにおかわりを頼んだ間宮は、ふと正面で鼻歌を歌っている優希の顔をジッと見つめた。


「何見てるの?」


 視線に気付いた優希は、怪訝な顔で間宮にそう問いかける。


「あ、あぁ。まさかロック界のカリスマとこうして向かい合って、酒を呑んでるなんてなって思ってさ」

「――私のどこがカリスマなんですかねぇ」

「だって皆、君の事そう言ってるでしょ」


 言うと優希は溜息をついて口を開く。


 カリスマなんて事務所が売る出す為にこじ付けた名称だと言い切る。本物はこんなレベルのステージには姿すら見せない。

 売れる売れないを意識して曲を作ってるうちは、偽物なんだそうだ。

 そんな音楽活動に最近疲れていたらしく、どこかへ逃げ出したい衝動に駆られる事があると言う。

 だが本当に伝えたい音楽があるから、プロになったんだと。響かせたい音楽が自分の中にある限り、いつか本物と肩を並べるようになった時、自分の音楽を広く響かせる事が夢なんだと熱く語る優希。

 そんな優希が、間宮にはとても眩しく映った。


「そっか。じゃあ、その夢を叶える為にちょっと意識を変えないとだな」

「意識を変える? どういう風に?」

「持論なんだけど、夢を目標に持ち替えて挑む事が大事なんじゃないかって思ってるんだよ」

「――――!」


 そう話す間宮の目がとても力強く映り、吸い込まれそうになった事に気付いた優希は思わずプッと吹き出した。


「真面目な話なのに、笑うのは失礼なんじゃないか?」

「ふふ、ごめんね。でも馬鹿にしたんじゃなくて、なるほどなって思っただけなんだよ」

「それってどういう……」

「お姉ちゃんが良ちゃんを好きになった理由がちょっと解ったって事!」


 何だか照れ臭くなり飲みかけのビールを飲み干した所で、カウンターにいたマスターが2人の前にやってきた。


「次は何を作りましょうか?」

「あ、えっと。それじゃ、マッカランをお願いします」

「畏まりました。ところで、料理の方はお口に合いましたか?」

「えぇ。失礼ですが、バーでこれ程の料理が食べられるとは思っていませんでした」

「はは、それは良かった。香坂さんがお連れ様を連れてくるなんて初めてだったものですから、少し本気を出したんですよ」


 言って、マスターは柔らかく微笑む。


「ちょっとマスター? 余計な事言わなくていいからね」

「おっと、これは失礼しました」


 マスターと優希のやり取りを見ていると、丁寧な話し方ではあるが、少し茶目っ気を出しているあたりかなりの頻度でここを利用しているのが分かる。

 それは優希が芸能人という扱いをされないところが、気に入っている理由の一つなのではないかと間宮は思った。


「ところでマッカランってなに? 聞いた事ないんだけど」

「マッカランはウイスキーだよ。結構高価で宅飲みするのには中々手が出ないんだけど、こういう所に来ると必ず頼むんだよね」

「へ~、ウイスキーの名前なんだ。私はカクテルとビール専門だから知らなかった」


 BARらしく酒の話題で盛り上がり、暫くマスターを含めて三人で盛り上がった後、注文していたマッカランがテーブルに置かれた時、優希の口調が僅かに変わった。


「私ね……昔ホントはお姉ちゃんの事……嫌いだったんだよね」

「……どうして?」


 小さい頃からずっと可愛がっていたと聞かされていた間宮は不思議そうに首を傾げると、優希はカクテルが入ったグラスをゆらゆらと揺らしながら、訳を話した。


 小さい頃から何をやっても姉に勝てる事がなかった。

 そんな姉と比べられるのが、我慢出来なかった。

 勿論、姉にそんな気など無く純粋に可愛がってくれている事は理解していた。

 だが、どうしても姉に対しての劣等感が燻っていて、優希は姉と対等になれる居場所を求めて姉がいない英城学園を目指したのだと言う。

 その場所で優希にとって運命的な出会いがあった。


 それが音楽だった。吹奏楽や合唱ではなく、ロックサウンド。つまり軽音部の存在が優希の未来を大きく変えた。

 小さい頃から歌う事が好きだった優希は、入学してからすぐに行われたクラブ紹介に参加した後、軽音部の部室のドアを叩いたのは必然だったのかもしれない。

 何でもいいから1つでも姉に勝てる事を、目に見える形で照明したかったのだ。





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