第17話 大切な日 act 2

 11月12日


 天気の良い朝だった。

 間宮はいつものように軽く作った朝食を摂り、溜まった洗濯物を片付けた後に部屋の掃除を済ませた。

 いつもの日曜日のリズムだ。

 決して楽しい事ではないのだが、その日の間宮の表情はどこか影を感じるそれだった。

 家の用事を済ませると、間宮は身支度を整えて午後から自宅を出てA駅に向かう。

 午前中に何件か着信があったのだが、間宮は一度もスマホに触れる事なく家の用事を行った。

 間宮がこんな行動をとる日は、年に3度必ずあった。

 後日、何故連絡がつかなかったのか問われる事があっても、言葉を濁してハッキリと答える事はなかった。

 間宮にとってこの3日間は、それだけ大切な日なのだ。


 A駅から電車に乗り込みシートに腰を下ろす。

 休日と言う事で車内はそれなりに混んでいたのだが、周りがどれだけ騒がしくても今日だけは気に留める事なく、間宮は鞄から取り出した文庫小説に視線を落とした。

 その本は随分とくたびれていて、相当何度も読み込んだ本である事は容易に想像出来る代物だった。


 目的地の駅に到着して、本を静かに閉じて電車を降りる。


 駅を出て少し歩いた先に目的地の代官山の本通りに到着した間宮は周りをじっくりと眺めながら、通りをゆっくりと歩く。

 11月になって急激に気温が下がってきた。街にいる人々が厚手の服装になっていて、もう冬だなと僅かに白い息を吐いて独り言ちた。


 間宮の歩き方は随分とこの辺りの土地勘がある歩き方で、休憩する場所や休憩方法、それにこの通りの散策の仕方が1人で歩いているのに、まるで2人でここを訪れているように見える。

 所々、ショップに入って店員に話しかけたりしていたが、その会話をしている様子は馴染みの客のようで、店内に明るい笑い声が広がっていた。


 本通りを暫く奥まで進んだ所に、スイーツショップがある。

 その店はかなりの行列が出来る程で、この行列がこのショップの人気度が伺える。

 間宮はその行列に躊躇する事なく最後尾に並んだ。

 並びだしてまたあの本を取り出して、本に視線を落とした。

 騒がしい行列の中にいるのに、間宮の周りだけゆっくりと時が流れている様に錯覚する。

 それは並んでいる客達と、あまりにも空気間が違うからだろう。

 間宮の順番が回ってきて、本を閉じながら看板商品であるフィナンシェを1ケース購入すると、そそくさと店を出て歩いてきた道を戻って、また電車に乗り込んで次の駅を目指した。


 勿論、車内ではまたあの本を読みながら、静かに電車に揺られた。


 暫く電車が進んだ所にあるC駅で下車した間宮は真っ直ぐにタクシーの待機場に向かい、客待ちしているタクシーに乗り込んだ。


 間宮が指定した場所に着くと、間宮は運賃を支払いタクシーを降りて、到着した敷地内に足を踏み入れる。

 最近まで真っ赤に染まった美しい紅葉の葉が散っていて、間宮が向かおうとしている場所までの道が、まるで真っ赤な絨毯のようで間宮は驚きの声をあげた。

 間宮には真っ赤に染まった絨毯が、まるでヴァージンロードの様に見えて驚いたのだ。

 暫くその赤い絨毯を見つめて立ち尽くしていた間宮は、持っていたフィナンシェが入った箱の取っ手を強く握り締めて、歯を食いしばり俯いた。


 そこから一歩、また一歩とゆっくり足を目的地に向かって進めて行く。時折風が落ち葉を揺らす音だけが耳に届く。

 その音が届く度に、間宮の肩が小さく震えて哀愁を漂わせていた。


 やがて目的地に着いて間宮の足が止まる。


「……よっ! 久しぶりだな優香」

「――――」

「お前が好きなフィナンシェ買ってきてやったぞ」

「――――」

「この前会いに来た時から色んな事があってさ。話したい事が沢山あるんだ」

「――――」

「一番笑えるのがさ、取引先の依頼でゼミの夏期合宿の臨時講師とかやったんだぜ? な? 超笑えるだろ!?」

「――――」

「まさかこの歳で高校生の集まりに放り込まれて講師するなんて、考えた事もなかったから大変だったよ」

「――――」

「その合宿で瑞樹っていう少し変わった女の子がいてさ。その子と話してたら、何だか放っておけなく色々とフォローしてたんだけどさ」

「――――」

「実はその女の子が少し前に鍵を拾って届けようとしたら、物凄い罵倒を浴びさせられた張本人だった事を知って、凄く驚いたんだよ」

「――――」

「でも、その女の子はその事をずっと気にしてたみたいでさ。合宿の最終日に泣きながら謝ってくれたんだよね。何て女だって腹を立ててた事もあったけど、本当は優しい女の子だったんだって知って嬉しかったんだ」

「――――」

「でさ! その女の子は受験生でさ。俺と同じK大を志望しているらしいんだ」

「――――」

「何だか妹みたいな子で気になっててさ。無事に合格出来るように優香も祈っててやってくれよ」

「――――」

「あ、他に他意はないからな! 俺がお前以外を好きになるなんてあり得ない事なんだから」

「――――」

「でもさ、受験って何だか懐かしいよなぁ。優香は東京から東京の大学だったからいいけど、俺は大阪からK大に入ったから色々と大変だったよ」

「――――」

「――その合宿から妙に高校生と関わる事が増えてさ。この前なんて高校の文化祭に参加したんだぜ?」

「――――」

「教室の机を並べてテーブルクロスを敷いただけのテーブルでさ。そこで軽食を食べたんだけど、もう椅子の座り心地とかメッチャ懐かしくて思わずニヤケそうになったよ」

「――――」

「今の若い子達ってさ。ゆとり世代とか悟り世代とか言われてる世代だから、関わる事に抵抗があったんだ」

「――――」

「でも、皆が皆そういう奴らばかりじゃないって思ったんだ。何て言うか、馴れ馴れしいとこはあるんだけどさ。しっかりと締めるとこはしっかりとした言葉を使ったりとか、対応がキチンと出来てる奴もいるんだなって感心したりな」

「――――」

「あぁ、それと優香がお気に入りだった小説なんだけど、何度も何度も読み返してたら随分とくたびれてきたんだ。流石にブックカバー位は新調しようと思ったんだけど、何か変えてしまうと優香の事が遠くに感じてしまう気がして替えれなかったんだよな」

「――――」

「……まぁ、最近の報告はこんな感じかな」

「――――」

「そんな感じだから、俺の事は心配するな」

「――――」

「優香はどうだ? 向こうで楽しくやってるのか?」

「――――」


 間宮が一方的に色々と話しながら、優しい眼差しを向けていた先には……。


 側面に香坂 優香と彫られている墓石だった。



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